真夏の陽が神社、参道の石畳をじりじりと焼いている。
 そこへ乾いた風に乗って、黒い影が舞い降りた。ととん、と軽やかなステップを石畳に刻み、ここまでの乗馬としてきた箒をバトンのようにくるりと回して、足元をざばりと撫で付ける。
 低く舞い起きる砂埃の中に立ったのは、真っ黒なドレスに真っ黒な三角帽子という神社には不釣合いもいいところの不吉な色彩を身に纏った、それはまだ若いと表現してもよい女性だった。そんな風体で、さらに洋風の箒を手にしているとなると、まるきり魔女としか見えない。
 どう見たって神社関係者ではなかろうに、魔女は我が物顔で境内を横切りだす。ブーツの踵で石畳を軽快に蹴りつけ、ゆるくウェーブのかかった金髪を風にそよそよと躍らせ、箒をずりずりと引きずりながら。そしてずかずかと社務所に入った。
「上がるぜー?」
 既に上がりこんでしまってから、言うのだ。
 この呼びかけに応える声はなかった。神社は、空である。
 錠の類が設けられていないのをいいことに、女性は勝手にあちこちの戸やら窓やらを開放して回る。挙句、調理場で火を焚いて薬缶に湯を沸かし、茶など淹れてしまった。
 そして縁側に腰掛けて一服。陽炎の立つ庭を前に煮えたぎるようなお茶を口に含み、汗を額に浮かべて「ふぃー」と実に満足げな息を吐く。
「夏だねぇ」
 目を細めて、蝉時雨に覆われる蒼穹を見上げた。
 ぼけーっ、と。早くも恍惚の人となりかけているのではないか、そう疑われてしまいそうなほどに気の抜けた顔で。
 しばらくして、やっとその表情が動いたかと思えば、
「……つまらんな」
 そんなひと言を吐くために口を動かしただけであった。そしてまた、視線をあてどなく空へと巡らせる。
 ぼんやりさまよっていた視線が空の片隅に焦点を定めたのは、しばらくしてからのことだ。神社へと降りてくる一個の人影を、その目は捉えたのだった。
 
 無人であるはずの神社に人がいるのを確かめ、上白沢慧音は片眉をぴくりと、わずかに動かした。
「……本当だったとはな」
 向こうもこちらに気付いたらしい。それまで退屈しきっていたらしき女性は慧音の姿に顔をほころばせ、湯気の濃い湯飲みを掲げて見せた。
 慧音は対照的に苦い表情を作りながら、その目の前に降りていく。
「よう、久しいな。神社に何か用か?」
「用があるのはお前にだよ、霧雨の」
「珍しいな。なんだ、厄介ごとか?」
 そう言って女性――霧雨魔理沙は、慧音のことをじろじろと眺め回した。慧音の蒼い衣服と角張った帽子には、あちこち綻びやら、かぎ裂きやらといった傷ができている。慧音自身もずいぶんとくたびれている様子だった。そこに魔理沙は興味を持ったのだろう。
 まあな、とうなずく慧音を、魔理沙は自分の隣に座るよう促した。懐から新しい湯飲みを取り出して押し付けてくる魔女に、慧音は呆れ顔となる。
「ここにいるだろうと聞いて、半信半疑で来たんだがな……無人の神社で何をやってるんだ。いつもこうなのか?」
「まあ、管理人みたいなものだぜ。人のいない家は、すぐに傷むって言うしな」
「まったく。いつまでも口の減らない奴だ」
 責めるような口調を受けて、魔理沙は笑う。笑うと、美しく整った顔の造形に隙が生じ、少女のように幼い面相となる。それはそれで却って魅力的ではあった。
 慧音はなおも何やらぼやきつつ、魔理沙の隣に腰掛けた。かつては慧音の方が勝っていた上背を、今の魔理沙は頭半分ほど逆転していた。
 魔理沙は急須から慧音の湯飲みにお茶を注ぎながら、その音に声を重ねた。
「ここでお茶を飲むとな」
「ん……?」
「どんな高級なお茶っ葉で淹れても、なぜかあの、霊夢の淹れた出涸らしもいいところの茶を思い出してしまうんだ。色々と損した気分になれるぜ?」
「そうか」
 慧音はただうなずき、湯呑みを口に運ぶ。彼女の口内に広がったのは、ごく普通、豊かな茶葉の香りと味わい。魔理沙の感じる味は、ここへ足繁く通っていた者だけが知るものなのだろう。その味と共によみがえる記憶も。めったに神社を訪ねることのなかった慧音には、共感することなど叶わない。
 ともあれ、お茶の香りが慧音に人心地つかせてくれたのは確かだった。それを見計らっていたかのように、魔理沙が尋ねてくる。
「で、どうしたんだ?」
 慧音は湿り気を帯びた唇で答えた。
「問題が起きた」
「ほう。異変か?」
 魔理沙の声がにわかに期待の色を帯びた。昔から変わらず、異変に首を突っ込むのは彼女、霧雨魔理沙の趣味とするところだ。
 ところが、もう何年もの間、この幻想郷を異変らしき異変というものが見舞っていなかった。慧音はそれを喜ぶべきことだと受け取っていたが、目の前にいる魔法使いはといえば、はて。恐らくは、刺激が足りないとか、そんな不謹慎なことを考えているのではなかろうか。
 慧音からすると、どうにも度し難いこととしか思えない。苦々しい声で告げてやる。
「異変……いや、そんな抽象的な言葉で片付けられるものではない。これはもっと現実的で明確な危機性を持った、事件だ」
「なんだ、深刻ぶって。この魔理沙さんが相談に乗ってやるんだ。もったいぶらずに、とっとと吐いて楽になっちまえよ」
 いつの間に相談コーナーの開設と相成っていたのだろう。ただ興味本位で訊いているとしか思えない魔理沙に、慧音は「ならば」とひと息置いて、告げてやった。
「十六夜咲夜、吸血鬼の眷属に堕す」の報を。

 

 

 



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