1.
私は見た。
見てしまった――。
これから話すことは全て言い訳でしかないのかもしれないが、言わなければ気が済まないのも事実なので観念して頂ければ幸いである。
蓮子の遅刻癖は昔から染み付いたもので、それこそ三つ子の魂百までを地で行く悪癖であり、友人である私の悩みの種でもある。いくら彼女の遅刻に慣れたとはいえ、時間の無駄遣いを肯定的に捉えることは難しい。遅刻に正当な理由など存在しない。特に、宇佐見蓮子においては。
故に、当時の私が苛立ちを隠し切れない様子で佇んでいたとして、一体誰が私を責められるだろう。
卯酉東海道、酉京都駅東口の巨大な案内掲示板前。待ち合わせ場所に適しているとはとても言えない日当たりの良好さから、ここを好き好んで待ち合わせに指定するのはよほどの寒がりか光合成が日課の一年草くらいのものだ。
小春日和と呼ぶには厳しすぎる日差しは、今日に限って厚めに着込んでしまった私に追い打ちを掛ける。流れる汗、歪む視界、唸る下腹部。お腹空いた。
「決めた」
たまには蓮子も待つ側の気分を味わえばいいのだ。一向に現れる様子のない友人を見限って、私は掲示板を離れて歩き出した。目的地は、窓から案内掲示板の全容が窺える軽食店。要はお腹が空いたので何か詰め込まなければ気が済まないというわけだ。空腹は不倶戴天の敵である。
お腹を擦り、空腹を主張しながら人の流れに逆らって歩く。こちらはサークル活動で気ままにぶらぶらしているが、街を歩く人の大半が酉京都駅を目的としている。歩いているだけで肩がぶつかるほどの密度では無いが、呆けて佇んでいれば他人の通行の邪魔になるくらいには混雑している。
「繁盛してるわねえ」
軽食店の看板に手を置き、案内板を通り過ぎる人の流れを窺う。
老若男女、色とりどりの格好で天下の往来を行く。都会に住んでいれば皆洗練されるかといえばそんなことはなく、磨く気にならなければいつまで経っても路傍の石のまま色が掠れていくだけだ。
そんなことを自戒の意を込めて考える。
「……あ」
漫然と物思いに耽っていたら、視界の端に見知った影が映った。ここで動揺して慌てて振り返るのは宇佐見蓮子の素人である。ここは嘆息のひとつでも零した後で、腰に手を当て、こめかみを指で揉みながら、もうしょうがないわねといったふうに彼女の姿を確認するのが玄人の立ち振る舞いであろう。
「もうしょうがないわね、えぇッ!?」
二度見した。
あまりの事態に髪を振り乱して腰を変なふうに捻ってしまったが、その狼狽すらも眼前の状況の異常さを表現し切れていない。腰の悲鳴を抑え、どうにか彼女たちの行方を目で追う。通行人からすれば怪しい行動であることは疑いようもないが、あまり他人の目を気にしていられる状況ではない。
彼女たち――宇佐見蓮子と、背の高い男。
男である。
しかも金髪の。
「パツキン……」
いや私も金髪だけど。いいから私は落ち着け。
蓮子が金髪の男性と、つまるところ異文化交流の最先端ともいえる直接接触を試みているなど、一体誰が予想できただろうか。私は出来なかった。無理。
何だか頭が痛い。
「……通り過ぎた」
今や彼女たちは案内掲示板を通り過ぎ、ロータリーをぐるりと半周して細い路地に入ろうとしていた。私も、いつまでも衝撃に打ちのめされているわけにもいかない。蓮子が親しげに男性と腕を組んで歩いていたからといって、この季節外れの暑さにもかかわらず腕を組んで密着していたからといって、それがどうしたというのだ。私は蓮子に言ってやる必要がある。そりゃ男も大事ですけど、友達との約束も大切ですよと。そこんとこよく考えて行動してくれないと困りますと。ていうかなんで丁寧な言葉遣いになっているんだろう。みじめすぎる。
蓮子は後でシメサバだな。絞めてサバにする。
「よし」
そうと決まれば、追跡を始めよう。もしかしたら蓮子はあの男に騙されているのかもしれないし、むしろ男の方が騙されているのかもしれない。どちらに危機が及ぶとしても、監視する必要は十分にある。
空腹は敵であるが、恋に溺れた友人は悪魔だ。軽食店の看板を名残惜しげに撫でて、私は決意の眼差しでもって彼女たちの行く末を見届ける。
付かず離れず、ある種の呪いを込めた視線を送り続けていると、相手が急に振り向くのではないか。ふと己の嫉妬心に恐れを抱き、わざらしく表情を緩めてみる。だが、結局はすぐ眉間に皺が寄った。もうだめだ。
「どこ行くのよ……」
独り言が多いのは性分である。誰かに聞かれたら爆発する。
彼女たちは、人通りのない裏路地を迷いなくずんずん進む。華やかな通りからは程遠い薄暗闇に、ゴミと排水の混じり合ったむず痒い匂いが立ちこめている。
道は狭まり、二人が並んで歩くのも窮屈になるくらいだった。こうなると、特定の目的地が向かっているわけではなく、どこか人気のない場所を選んでいるのではないか、と……。
「――はっ」
やばい察してしまった。どうしよう。
私の洞察力に涙が出る。主にもっと早く気付けばよかったという意味で。
ここまできたら、もう逃げるに逃げられないじゃないか。下手に物音を立てると勘付かれるし、何より私の無粋な好奇心が彼女たちから目を離すことを許さない。
出歯亀根性、と昔聞いた耳慣れない単語が脳裏をよぎる。
「……わざわざ、外でやんなくても」
ビルの階段の陰から、二人の動向を窺う。ごくりと唾を飲んだのは私の方だった。
おもむろに立ち止まり、周囲に誰もいないことを確認した彼女たちは、組んでいた腕を更に密着させる。陶然とした蓮子の面差しと、暗闇に隠れてよく見えない男の視線が交差したような気がした。
喧騒が遠い。無機質な建物の真上から鴉の鳴き声が聞こえても、誰も彼も無関心で、まるで世界には二人しかいないとでも信じ切っているかのような。
そんな空間だった。
唇が重なり合う。短い喘ぎ声が重なる。行為の始まりだった。もう引き返せない。
離れた唇と唇の間に、唾液の橋が掛かっている。それが落ちる前に男の手は蓮子のシャツのボタンを外し始めていて、蓮子の手は男の股間をまさぐり始めている。知り合いが情事に耽っている様を見るのは、想像以上に恥ずかしいものだ。
かといって、この場を離れるという選択肢があるはずもない。
「んっ……」
全て脱がすのも煩わしいのか、服の隙間から蓮子の胸に手を這わせる。蓮子はただ黙って受け入れ、かすかに喘いでその愛撫に応える。傍から見ても窮屈そうなのだけれど、本人たちは気にしていないのだろうか。よくわからない。むしろ狭いのが良いとか。謎。
肩をはだけさせ、決して大きくはないが形のいい乳房を上半分だけ露にする。ブラは本当に蓮子の趣味かと疑うほど可愛らしいデザインである。まさか男と選んだわけでもあるまいが。
傍観者の思考が飛躍している最中にも、彼女たちの行為は徐々に加速する。
「……っ、はぁ……じゃ、今度は私が、ね」
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