秋っぽい何か

 

 

 


 結局のところ、秋ってなんだよと。

 

 パチュリーがそう問われたのが昨日だったか一昨日だったかは知らないが、想定外の質問にしばし狼狽したことは事実である。
 地下図書館より更に地下。土中の牢獄、フランドールの勉強部屋にて、パチュリーはひとつ思案のち、ふたつほど咳をしてから返答した。
『秋にはギンナンが採れます。メイド長であるところの十六夜咲夜が見るも華麗に切り刻み、満を持して食卓に差し出すことは疑いもなき未来です。
 驚くべきことにイガグリなども最盛を期しておりますから、常に弾幕へクリが混ざる可能性を否定し切れません。加えて、盛夏を誇っていた昆虫達が死に絶える時期でもありますし、最終的な結論としては、衰弱したリグル・ナイトバグがイガグリだらけの弾幕をばら撒きながら、必死にタケノコをかき集め栄養補給している構図が、まざまざとまぶたの裏に思い浮かぶのです』
 一気にまくし立ててからパチュリーは後悔した。
 どうもこりゃあハメられたようだな、と。
『そう、分かったわ』
 満足そうに、いびつな翼をばさばさ揺らした質問者であり生徒であるところのフランドール・スカーレットは、嫌な角度に唇の端を歪め、やはりパチュリーが最も嫌う類の問答を仕掛けてきたのである。
『それで? 衰弱したリグル・ナイトバグが生命活動を維持するために必要な、季節の事柄を学ぶことが、私にとってどんな意味があるのかしら、先生』
 ああきた、やはりきた、思ったとおりだ。この手の質問はループだ。ループするしかない、不毛しか生まない質問だ。彼女フランドール自身、適切な回答を得て納得する気がさらさらないくせに、このような質問を繰り出してくる理由はただ一つ以外にありえなく、その理由を考慮した場合、パチュリーのやること成すこと全て水のあぶく、コスモのダストと化すことは火を見るよりも明らかなのだ。
 しかし、そんなパチュリーの思惑を知っていようが知るまいが実行を継続するのが今のフランドールであり、結局の所、パチュリーにできることといえば、太古の昔から使い古された言い回しと共に、毒にも薬にもならない無色透明な言葉を吐き出しつつこの場を終わることのみである。
『妹様の将来のためです』
 当のフランドールはといえば、思ったとおりのつまらない答えだこと、とでも言いたげな笑みでこちらを見つめていた。
 間違いない。とパチュリーは結論付けた。

 これは間違いなく、反抗期であるのだと。

 

    ☆    ☆

 

「放って置けば」
 レミリアは確かにそう言ったはずである。
 しかも、自分でも拍手ができるほど、過去最高クラスにやる気なさげな雰囲気で言ったはずだ。
 月光の差すステンドガラスを背景にした玉座へ頬杖をつき、飲んでるんだか飲んでないんだかよく分からんワイングラスを傾けつつ、そっぽを向きながら、コウモリ羽をしおれさせ、ため息と共に吐き出したはずなのだ。
 一寸の隙も存在せぬ、やる気の無さ。
 これでいつもなら、自分の横に正確な姿勢で佇んでいる十六夜咲夜が『かしこまりました、お嬢様』などと無駄口を叩く暇もなく、事後の処理を担当してくれたはずである。
 が、今日は違った。
 日が悪かった。
 突っ込んで言うならば、日よりも月の方が悪かったのだと言える。
「お嬢様、明日は十五夜です」
 ワイングラスの砕ける音がした。
 レミリアが、自分が持っていたものを握りつぶしたからだ。
 そうして、レミリアの三歩ほど手前で立ったパチュリーは、「仕方ないわねえ」と呟いたのち、もう一度同じ言葉を繰り返すのである。
「妹様が反抗期のようで」
 レミリアは憮然とした表情で、その語りを拝聴するしかない。
「加えて明日は満月」
 やはり、日が悪かったのだ。
「用心しておくに越したことは無いでしょう」
 いくら強固な牢獄といえども、満月の吸血鬼には危うい。
 何事か口を挟みたいレミリアだが、隣の咲夜にしっかりと肩を抑えられている。
 パチュリーはそんなレミリアを流し見て、なんともいえない、いやあな笑いを漏らした。
「妹様は言いました。『秋って何』と。それが愚問であると分かっていながら」
 パチュリーを犬歯で威嚇するレミリアだが、全く持って無駄の極みである。
「つまり、どんな形でもいいから『秋』を納得させてあげればいいわけよ。そうしたら私たちの勝ちね。なので――」
「そんなの必要ないわパチェ! だってむがッ」
 咲夜の完璧な抑止力は、我慢し切れなかったレミリアの口をすぐさま塞いだ。
 そんなレミリアへ更なるいやあな笑いを向けて、パチュリーは言い放つのであった。
「確固たる秋の証明。それを見つけるの」
 要するにだ。

「小さな秋探しをするのよ。レミィ」

 夜の王がやることではなかった。

 

    ☆    ☆

 

「大きな秋を探そうと思うのよ。メリー」
 蓮子の頭が人一倍程度面白いのは既に諦めているメリーだが、その愉快発言を公共の場で大声と共に吐き出すのは自粛してほしいかなと常々思っている。
「小さな秋なんて童謡で歌われるくらいの時代遅れよ。大きな秋。大きな秋! 時代がひっくり返って世間が仰天し、秋を転覆させるほどの野望を持ちえる大きな秋が今必要なのです!」
 日中である。
 言いながらばしんばしんと机をぶっ叩き立ち上がる蓮子に、喫茶店中の視線が注目していた。
「今なら大きな秋を見つけた人に、この私の懐中時計をプレゼントします! 壊れて動かないけど! 動かないけど! あっははははは!」
 非常に恥ずかしい。
 こうなってしまった蓮子に、メリーのできることといえばせいぜい三つくらいしかありえなく、コーヒー代を置いて逃げ出すか、席を移動し他人を装うか、蓮子の頭蓋骨を蹴り飛ばしその活動自体を停止させるかである。

 メリーは脱兎の如く逃げ出した。  寸分も迷わなかった。

 座っていた椅子を尻で蹴飛ばし、利き足をカモシカのようにしならせ、出口に向かい第一歩を踏み出す。
「あ! ちょっとメリー! まちなさい!」
 もちろんそんな言葉には耳を貸すことなく、カウンターへ向かって硬貨を放り投げ、ガラスの押しドアを乱暴に開いてから、外へ飛び出した。
 そもそもメリーの予定として、今日は家でのんびりとミルクティーでも飲みながらすごすつもりであったのだ。だというのに蓮子ときたら、無防備な携帯電話を鳴らし、最寄りの喫茶店まで駆け足で集合だなんていいだして、それが有用な集会だったらまだ許せたものを、大きい秋なんてああもう意味が分からない。
 だからメリーが逃げ出したこと自体は全く持って純然たる正当な行為であって、蹴り飛ばした椅子の行き先だとか払ったコーヒーの代金が足りてないだとかはむしろ寛大な心を持って見逃されるべきである。
「すー」
 メリーはゆっくりと息を吸いながら走る。商店街はまさに秋の様相を呈しており、通り沿いに生い茂ったイチョウの木は流れるようにしてメリーの横をスクロールしていく。
 後ろの方から、蓮子の叫び追いかける声が聞こえてきた。
 物理法則に熟知しているだけあって、蓮子のほうが足は速い。そもそも家に逃げ帰った所で、ピッキングでも何でもして侵入してくる事は想像に難くないだろう。
 どうするか?
 元々逃げ切る気は皆無なのである。
 とりあえず人目の少ない所まで走ろう。
 そうしてから、改めて蓮子のよもやま話を聞いてやればいい。
 メリーの目的はそれだった。
「内助の功よねえ」
 オーバーヒートした蓮子は人の意見を受け付けなくなるから、このくらいしか場所を変える手立てが無いのである。
「うん」
 確か、目の前の突き当りを右に曲がり、細い路地を抜ければ、人気の無い公園へ出たはずだ。そこで蓮子を待ち構えよう。
 と思い、予定通り突き当りを曲がった直後。
「え」
 メリーは素っ頓狂な声を上げて立ち止まらざるを得なかった。
 眼前を見やる。
 建物と建物に挟まれた細い路地。
 メリーでも十歩で駆け抜けられる短い路地だ。
 普段は空き缶やガラスの破片などが散らばり、少しばかりスラムの雰囲気を味わわせてくれる路地。
 その路地の、中間、丁度五歩目の辺り。
 笑う下唇の両端をリボンで結んだような、紫色の亀裂が走っていた。
「あー……」
 スキマである。
 結界の綻びだ。
 それが、路地の行く手を阻んでいる。
「なんでこんな所に……」
 メリーはぼやくしかない。
「うーん」
 まあしかし、元々公園に用があるわけではなく、人目の無い所に用があったわけである。
 利便性を考慮して目的地を公園に設定していたわけなのだが、人目が無い、ということだけ考えるとこの路地裏でも十分ではある。
「……」
 とりあえず、ここで待てばいいか、とメリーは納得した。
 ここで蓮子を迎え入れ、大きいだか小さいだかの話を十分に聞いた後、このスキマに興味をそらしてやれば完璧だろう。スキマの前で人を待つというのも、あまり気分が良いことではないのだが、仕方が無い。
 そもそも秘封倶楽部は結界の綻びを観察するサークル活動であるから、本来の理には適っている。
「ん」
 蓮子の叫び声が聞こえてきた。
 もうすぐここまで到着するだろう。
 メリーは、蓮子が駆け込んできた際の、自分が行う手順を確認した。
 走る蓮子を止め、この先にはスキマが存在することを説明し、今後の方針を仰ぐ。
 完璧だ。
「うん」
 盛大な足音が近づいてくる。
 そうして、
「どこメリー! 逃がさないわよ!」
 いざ蓮子が駆け込んで来るときになって。
「あ、蓮子、あのね……あっ――」
 メリーは自分の皮算用が如何に甘かったかを思い知った。
 説明する。
 蓮子はメリーを追い、商店街を全力疾走で駆け抜け、突き当たりの曲がり角を最善の物理法則に従い扇形にドリフト。微塵も速度を落とすことなく路地に突入した彼女の直進を、メリーは止めることが出来なかった。
 メリーの脇を奇跡的なスピードですり抜けていく蓮子。
「あれ? メリー?」
 そんな呆けたような台詞がドップラー効果と共に飛んできて、
「あ」
 ブレーキが効かなかったのだろう。
「ちょっ、蓮子そっちは――」
 蓮子は。
「え?」
 すぽおん、と。
 そんな音を錯覚してしまうくらい見事に。
 ものすごい速度で。

 蓮子は、自分からスキマに飛び込んでいった。

「……」
 時が凍り亀裂が走る。
「え……うそぉ……」
 実際には時が止まることは無く、誠実に少しずつ未来を削り取っているのであるが。
「ちょっと……蓮子?」
 メリーは毒々しい色の隙間に顔を近づける。
 延々と深さの知れない紫の奥底から答えが返ってくることはやはり無い。
 一つ疑問が浮かぶ。
 スキマに飲み込まれた人間は。
 帰ってこられるのだろうか。
 神隠し、という単語がよぎり、自分が死ぬわけでもないのに、走馬灯が見えた。

 

 

 



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2007年3月21日 うにかた

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