エピローグ

 

 

 

 紅い回廊の中ほど、館では数少ない窓のひとつが設けられたそこで、レミリアが足を止めた。
 後に続いていた咲夜も立ち止まる。
 自然、視線は窓へ、その向こうの夜景へと向く。別棟の屋根の上、漆黒深い夏の夜空には、肥太りつつある月が浮かんでいた。もう数日も待てば完全な円を描き、天地を淡い光で濡らすことだろう。
 レミリアは目に見えない何かの影を求めるかのように、じっと月を見つめている。
 咲夜もしばらくそれに付き合っていたが、いつしかその視線は窓外の光景から、窓ガラスの表面へと移っていた。
 窓が反射しているのは咲夜の像のみ。吸血鬼であるレミリアの影は映っていない。
 そんな当たり前のことが、ふとどうしようもなく腹立たしく思えてきて、咲夜は主を促した。
「お嬢様、食堂へ参りましょう。紅茶をお淹れいたしますわ」
 しかしレミリアは動かない。
 しつこく呼びかける勇気もなく、やむなく咲夜は、また窓を向いた。
 そこにうっすらと映るのは、十六夜咲夜。肉体の最盛期を過ぎつつあり、しかしなおも紅魔館の屋台骨たる実力を維持している、人間の女。
 ナイフ投げの技量こそわずかに翳りを見せはじめているが、時間操作の能力は円熟期を迎えようとしていた。その美貌も、また。瑞々しさ衰えぬ肌に、今は全身から匂い立つかのような色香が華を添えている。変わることなく自分は、レミリア・スカーレットの侍従長としてそばに控えていられるだけの資格を万全に有している、そんな自負があった。
 しかし、永遠にそうしていられるわけではない。永遠に紅い幼き月の、自分はさらに小さな伴星に過ぎない。いずれ闇に溶け消える運命なのだ――そう、既に幻想郷を去ったあの巫女と同じように。

 博麗の巫女、霊夢は既にいない。
 逝去ではない。失踪したのだ、忽然と。
 書き置きなどが残されていたわけではないため、はっきりとそう断定できたわけではない。ただ、状況証拠のようなものはあった。……いつも唐突に訪問する友人のため複数確保されていたはずの湯呑みや食器の類が、ひとり分を残して片付けられていた。夏だというのに障子が全て張り替えられていた。魔理沙に「趣味が悪い」と揶揄されても外そうとしなかった釣り鐘型の風鈴が、箱に収められて押入れに突っ込まれていた――
 いずれも地味で些細な変化ではあった。それだけに、却って「らしい」感じがあったのも確かだ。
 神社が空っぽのまま、三日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ……いつしか霊夢と縁を持っていた者たちは自然と認めざるを得なくなっていたのである。かの巫女は、いずこかへ去ったのだと。
 この一事で銘々が見せた反応は、様々なものだった。打ちのめされ、食事が喉を通らなくなった者。逆に、何事もなかったかのように普段どおりの生活を続ける者。霊夢にとって最古の友人のひとりである魔理沙などは、すっかり気の抜けた様を晒しているらしい。
 ただひとつ、全ての者に共通していたのは、気が付くと溜め息をこぼしていることが多くなったという点。
 咲夜はといえば、これが自分でも意外に思えるほど動揺した。彼女は博麗の巫女というものが終身制の役職なのだろうと、漠然とではあるが考えていたのだ。自分が死ぬまでレミリアの従者であるように、霊夢もまた死ぬその瞬間まで博麗の巫女なのだろうと、そう決め付けていた。さしたる根拠もなく、誰かにそう教えられたわけでもないのに。
 そして人間仲間の内で、最も長生きするのが霊夢であろうと、そう考えてもいた。いつも忙しい自分や不規則な生活をしがちな魔理沙に比べて、霊夢の日々はストレスや過労とは無縁のものと見えたから。
 だから。霊夢がこんなにも早く、いの一番に消えてしまうなんて、にわかには信じられなかった。ひどい不意打ちだった。裏切られたような思いすらあった。
 誰に文句を言えるでもない。溜まった鬱憤を、咲夜は凍りつかせた時間の中で暴れ転がることで晴らすしかなかった。
 せめて霊夢がどうなったのか、欠片ほどでもいいから具体的なことが分かれば、少しは溜飲も下るかもしれない。そう考え、手がかりを求めてあちこちを訪ねたりもした。
 しかし霊夢が消える瞬間、もしくはその直前のことを知る者は見つからなかった。神出鬼没の巫女は、最後の最後までその特性を大いに発揮していったらしい。
 そもそも博麗の巫女とはなんなのか、そんな根本的なところを調べようと試みたりもした。だがこれも空振りに終わる。歴史家の慧音には苦い顔でかぶりを振られ、唯一の希望とした八雲紫とは、霊夢の失踪後、会うことすらできていなかった。
 結局、咲夜にできたのは想像することだけ。無力感と焦燥感のようなものの残滓を胸の奥底にこびりつかせたまま、現実と折り合いをつけるしかなかった。

 自分でさえこのざまだ。霊夢に複雑な思慕を抱いていたであろうレミリアに至っては、その胸中は察するに余りある。事実、最近のレミリアはすっかり寡黙になってしまい、ふとした拍子にどこか遠くへ思いを馳せていることが多くなった。
 咲夜は窓から眼を引き剥がし、主に向けた。その小さな背中を痛ましい思いで見つめていると、
「咲夜」
 不意に呼びつけられた。急いで襟を正す。
「なんでしょう」
「その目、やめなさい」
 その声には、ここしばらくレミリアから欠落していた、強い意思が込められていた。威圧感を帯びた、冷厳たる響き。
「やめないのなら……あなたの運命をもらうわ」
 ゆっくり、こちらを振り返る。その顔にはなんの表情もなく、ただ瞳に強い熱の色があった。
 その紅い眼差しに、咲夜は一瞬、魅せられたように思う。
 次の瞬間、紅い陽炎を視界に残し、レミリアの姿は掻き消えていた。
 咲夜は反射的に空間把握能力を総稼働させている――いた、背後、すぐそこ。
 しかし振り返るより早く、小さな手に銀髪をかき上げられ、露わとなった左の首筋に冷たい呼気を吹きかけられた。全身が凍りついたかのように固まってしまう。
 凍てつきそうなほどに冷ややかで、しかしどこか甘く芳しい息が、うなじから耳たぶを撫でていく。やわらかな唇が、触れるか触れないかの微妙さで首の線を舐めていく。そしてついに、命脈の鼓動に口づけが施された。薄い皮膚一枚の下で、頚動脈がびくりと疼くような錯覚。
 冗談だ。そう信じつつも、咲夜は戦慄を禁じえなかった。
「お戯れは……」
 困惑気味に口を開けるのと同時、鋭い痛みが首筋を穿った。
 肌の上へと溢れ出た自らの血の熱さを実感する間もなく、速やかに
「食事」は開始されていた。顎から肩へとかけての皮膚が突っ張ったようになり、レミリアの唇との隙間から湿った音が漏れ出す。
 吸引の音はむしろか細く、しかし裏腹に自分の血液が恐ろしいまでの速度で吸い上げられていくのを咲夜は感じていた。全身の血管が萎縮するかのような感覚。首の疵へと集中することを強制された血流に乗って、体温が、生命の証が、奪われてゆく。四肢の末端が冷えて感覚を失いつつあることに、咲夜は恐怖した。その恐れこそが、相手の吸血という行為をさらに甘美なものとしてしまうことも失念して。
 レミリアは本気だ。
「おやめ、くださ……お嬢様――!」
 抗おうと動かしかけた両の腕は、すかさず小さくも万力のような手に捕えられた。万事休す、これでは時を止めたところで脱出は叶わない。
 それでも咲夜は足掻いた。主従の間でも、これだけは越えることを許してはならないと、互いに線引きしていたのだ。盟約を、一時の激情なんかで反故にさせてはならない。
 お許しください――胸中で唱えながら、体の各所に隠してあるナイフを、能力を用いて鞘から解放させる。
 ばらばらと落下するナイフの群れは、床に当たったところで勢いよくバウンド、不自然に加速しながら四方へと散り、壁や天井でさらに跳ねるとレミリアの背中めがけて収束していく。
 漆黒の翼をすだれに切り裂き、ダース単位の切っ先が無防備な背中に突き立った。
 だが、レミリアの咲夜を捕える手は、牙は、いささかも緩まない。逆により深く牙を埋めようと、レミリアは唇を押し付ける。重なり合った皮膚の間から赤い液体のこぼれ出る勢いが、目に見えて増す。
 膝から力が抜け、咲夜はがくんとくずおれた。朦朧となる意識の中で、ただ己の不覚を呪う。レミリアがここまで思い詰めていたとは。ただ威厳を守るため、懸命に自制していただけで――そのことに気付いてあげられなかった自分は、どの口で忠実な従者を名乗ってきたのか。
 ではこれは、そんな自分への罰なのだろう。愚かな従者への然るべき報い。ならば甘受すべきではないのか。
 思考が諦観で占められた刹那、吸血の苦痛は甘美な刺激へと変じた。咲夜の口から絹を裂いたような高い音が上がる。
 最後の抵抗のためと右手に装填されていたナイフが、その指の間から零れ落ち、床の血溜まりに跳ねた。

 通路には血臭が濃い。
 食い込ませていた牙をゆっくり引き抜いてやると、咲夜は糸の切れた人形みたいにばったり倒れ伏した。わずかに肩で呼吸しているが、身体は弛緩しきり、起き上がろうとする気配はない。
 レミリアはそれを見下ろしながら、剣山を押し付けられたみたいになっている背を軽く揺すった。突き立った切っ先が次々と抜け落ち、ばらばらと床に転がる。背に穿たれていた穴と翼の裂け目が、見る見る埋まっていった。
 薄く開かれている彼女の唇の間、そこに覗く鋭い犬歯の先端では、赤いしずくが珠を作っていた。飲み下されなかった血は唾液と溶け合って、顎から下を真っ赤に染めている。衣服をも紅く染め上げて、スカーレットデビルはその二つ名どおりの姿を晒していた。
「やっぱり、人間って脆いわね」
 血の色の嘆息を、レミリアは牙の間から漏らす。
 そして視線を持ち上げた。辺りに飛び散った咲夜の血は、床のみならず、壁を、窓をも汚している。まだらに染まった窓ガラスの向こう、月は静かに紅い惨劇の跡を見下ろしていた。
 レミリアは再び咲夜に眼を落とす。その瞳は月光を吸ったかのように、紅い閃きを帯びていた。
「だからこそ、私が導いてあげなくちゃいけないわけね。道は決めたわ。後戻りは無しよ……従いなさい、咲夜」

    *

 真夏の陽が神社、参道の石畳をじりじりと焼いている。
 そこへ乾いた風に乗って、黒い影が舞い降りた。ととん、と軽やかなステップを石畳に刻み、ここまでの乗馬としてきた箒をバトンのようにくるりと回して、足元をざばりと撫で付ける。
 低く舞い起きる砂埃の中に立ったのは、真っ黒なドレスに真っ黒な三角帽子という神社には不釣合いもいいところの不吉な色彩を身に纏った、それはまだ若いと表現してもよい女性だった。そんな風体で、さらに洋風の箒を手にしているとなると、まるきり魔女としか見えない。
 どう見たって神社関係者ではなかろうに、魔女は我が物顔で境内を横切りだす。ブーツの踵で石畳を軽快に蹴りつけ、ゆるくウェーブのかかった金髪を風にそよそよと躍らせ、箒をずりずりと引きずりながら。そしてずかずかと社務所に入った。
「上がるぜー?」
 既に上がりこんでしまってから、言うのだ。
 この呼びかけに応える声はなかった。神社は、空である。
 錠の類が設けられていないのをいいことに、女性は勝手にあちこちの戸やら窓やらを開放して回る。挙句、調理場で火を焚いて薬缶に湯を沸かし、茶など淹れてしまった。
 そして縁側に腰掛けて一服。陽炎の立つ庭を前に煮えたぎるようなお茶を口に含み、汗を額に浮かべて「ふぃー」と実に満足げな息を吐く。
「夏だねぇ」
 目を細めて、蝉時雨に覆われる蒼穹を見上げた。
 ぼけーっ、と。早くも恍惚の人となりかけているのではないか、そう疑われてしまいそうなほどに気の抜けた顔で。
 しばらくして、やっとその表情が動いたかと思えば、
「……つまらんな」
 そんなひと言を吐くために口を動かしただけであった。そしてまた、視線をあてどなく空へと巡らせる。
 ぼんやりさまよっていた視線が空の片隅に焦点を定めたのは、しばらくしてからのことだ。神社へと降りてくる一個の人影を、その目は捉えたのだった。

 無人であるはずの神社に人がいるのを確かめ、上白沢慧音は片眉をぴくりと、わずかに動かした。
「……本当だったとはな」
 向こうもこちらに気付いたらしい。それまで退屈しきっていたらしき女性は慧音の姿に顔をほころばせ、湯気の濃い湯飲みを掲げて見せた。
 慧音は対照的に苦い表情を作りながら、その目の前に降りていく。
「よう、久しいな。神社に何か用か?」
「用があるのはお前にだよ、霧雨の」
「珍しいな。なんだ、厄介ごとか?」
 そう言って女性――霧雨魔理沙は、慧音のことをじろじろと眺め回した。慧音の蒼い衣服と角張った帽子には、あちこち綻びやら、かぎ裂きやらといった傷ができている。慧音自身もずいぶんとくたびれている様子だった。そこに魔理沙は興味を持ったのだろう。
 まあな、とうなずく慧音を、魔理沙は自分の隣に座るよう促した。懐から新しい湯飲みを取り出して押し付けてくる魔女に、慧音は呆れ顔となる。
「ここにいるだろうと聞いて、半信半疑で来たんだがな……無人の神社で何をやってるんだ。いつもこうなのか?」
「まあ、管理人みたいなものだぜ。人のいない家は、すぐに傷むって言うしな」
「まったく。いつまでも口の減らない奴だ」
 責めるような口調を受けて、魔理沙は笑う。笑うと、美しく整った顔の造形に隙が生じ、少女のように幼い面相となる。それはそれで却って魅力的ではあった。
 慧音はなおも何やらぼやきつつ、魔理沙の隣に腰掛けた。かつては慧音の方が勝っていた上背を、今の魔理沙は頭半分ほど逆転していた。
 魔理沙は急須から慧音の湯飲みにお茶を注ぎながら、その音に声を重ねた。
「ここでお茶を飲むとな」
「ん……?」
「どんな高級なお茶っ葉で淹れても、なぜかあの、霊夢の淹れた出涸らしもいいところの茶を思い出してしまうんだ。色々と損した気分になれるぜ?」
「そうか」
 慧音はただうなずき、湯呑みを口に運ぶ。彼女の口内に広がったのは、ごく普通、豊かな茶葉の香りと味わい。魔理沙の感じる味は、ここへ足繁く通っていた者だけが知るものなのだろう。その味と共によみがえる記憶も。めったに神社を訪ねることのなかった慧音には、共感することなど叶わない。
 ともあれ、お茶の香りが慧音に人心地つかせてくれたのは確かだった。それを見計らっていたかのように、魔理沙が尋ねてくる。
「で、どうしたんだ?」
 慧音は湿り気を帯びた唇で答えた。
「問題が起きた」
「ほう。異変か?」
 魔理沙の声がにわかに期待の色を帯びた。昔から変わらず、異変に首を突っ込むのは彼女、霧雨魔理沙の趣味とするところだ。
 ところが、もう何年もの間、この幻想郷を異変らしき異変というものが見舞っていなかった。慧音はそれを喜ぶべきことだと受け取っていたが、目の前にいる魔法使いはといえば、はて。恐らくは、刺激が足りないとか、そんな不謹慎なことを考えているのではなかろうか。
 慧音からすると、どうにも度し難いこととしか思えない。苦々しい声で告げてやる。
「異変……いや、そんな抽象的な言葉で片付けられるものではない。これはもっと現実的で明確な危機性を持った、事件だ」
「なんだ、深刻ぶって。この魔理沙さんが相談に乗ってやるんだ。もったいぶらずに、とっとと吐いて楽になっちまえよ」
 いつの間に相談コーナーの開設と相成っていたのだろう。ただ興味本位で訊いているとしか思えない魔理沙に、慧音は「ならば」とひと息置いて、告げてやった。
「十六夜咲夜、吸血鬼の眷属に堕す」の報を。
 ぶごげへん、という奇怪な音を、魔理沙は緑色の液体と共に吐いた。その手から湯呑みが転げ落ちて、ドレスの膝に灼熱の水溜まりを広げる。
 噎せ返り、悶絶しかけながら、魔女は「馬鹿な」とうめいた。そう訴えたくなる気持ちは慧音にも分かったから、うなずいてあげる。
 吸血鬼がお気に召した人間を同族に招くなんていうのは、特におかしなことでもない。ただ、紅魔館の場合は、ちょっと事情が異なった。
 まずレミリアがひどく小食だということ。この特性のおかげで、彼女は吸血の対象を吸血鬼に至らせたことはなかった。
 それを克服したとして、なおレミリアが咲夜を吸血鬼とすることは、ありえないはずだった。ふたりの間に、そういう約束が交わされていたために。
 まっとうに考えれば、それで収まる話ではないのだろう。ふたりは主従関係であり、レミリアが本気で命じれば、咲夜に拒みきれるものではないはずだった。だが幼い吸血鬼はそうしなかった。信頼関係という無形のものの上に築かれた約束を守ってきたのだ――ほんの数日前まで。
「確かなのか?」
「完全な確認は取れていないが、これまで得られた情報によれば、まず間違いないな」
 慧音が認めると、魔理沙は蒼穹を睨み、唸った。そしてほぼ確信した口調でつぶやく。
「霊夢がいなくなったせいか」
 その推測は、慧音が導き出したものと同じだった。レミリアは霊夢のことを慕っていた、妖怪らしくやや歪んだ形でではあったが。それが突然、相手にいなくなられてしまったことで、大きな恐怖を抱いたのではないか。人がいつかはいなくなってしまい、それでもなお自分は永い時を生きていかなくてはならない、そんな当たり前の現実と向き合うことを余儀なくされて。
 そして、せめて咲夜だけは失いたくないと、この度の凶行に走ったのではないか。相手の信頼を裏切り、約束を違えてまで。
 魔理沙が苦い笑みを刻んだ。
「しょうがないさ、あれの本質は子供なんだから。それでも、いつかはあいつも後悔するのかね。今回のことを」
「かもしれんが、生憎とそんな時間を与えてもやれない。レミリアが自分と身内だけで破滅するのならばまだしも、事はそれでとどまっていないんだ」
 そう、これで事件の全てではなかった。咲夜の一件の後も凶事は続いていたのだ。
 それは人攫いだった。紅魔館から比較的近い街道などで、若い娘ばかりが姿を消していた。事件が発生したのは全て日没後から夜明け前までの間、そして現場付近ではメイド服を着た銀髪の女が一度ならず目撃されている。
 十中八九、紅魔館の仕業だろう。レミリアと咲夜の食糧集めか、まさかさらに眷属を増やそうというわけでもあるまいが。
 いずれにせよ、慧音としては看過できない事態だった。事実を確認すべく、彼女は今日になって、紅魔館へと乗り込もうとしたのである。
「だが、私ひとりでは歯が立たなかった」
 紅魔館は厳重すぎるほどの迎撃態勢を敷いていたのだ。メイドの大半を出迎えに駆り出し、罠まで設けていたのである。独力では歯が立たず、慧音はほうほうのていで逃げ出したのだった。
 魔理沙が笑う。
「なはは、あそこは門番も強くなったしなあ」
 ひとしきり笑うと、
「それで、私を傭いにきたってわけだ。門前払いを逆に払いのけるために」
「まあ、そうなる」
 慧音は歯噛みしてうなだれた。長い髪が肩から流れ落ちて、横顔を魔理沙から隠す。
「こんなことを、仮にも人間のお前に頼むのは気が引けるし、本末転倒もはなはだしいとは思うのだが」
「まったくだな」
 容赦なくうなずかれる。
「そうだ、あいつ、妹紅と組もうとは考えないのか?」
「あいつには里の警護を任せた。もしものこともある、空けてはおけないからな」
 魔理沙が意外そうな表情となったのに、慧音は顔を上げて、わずかに口元を緩めた。どこか得意げに。
「ああ見えてあいつは、攻めるより守勢の方が向いてるみたいなんだよ。まあ、主に輝夜のせいで慣れることを強制されたんだろうが……」
「そういや私らも善意の刺客に仕立て上げられたっけな。で、あれもそろそろ里に馴染んだのか?」
「一朝一夕でどうこうなることでもないさ。でもまあ確かに、お前たちのせいであいつも変わった。そう遠くもないうちに、人の間に溶け込めるようになるやもしれん」
「『せい』って言うな。『おかげさまです』くらい言えよ」
「素直に感謝する気にはなれんのだ、お前らには。実際、やったことといえば妹紅を叩き転がしたことくらいじゃないか、与太郎め」
 それでも一瞬、遠き日を懐かしむかのように微笑み、慧音はまた厳しい表情に戻る。
「お前は、本丸への突破を助けてくれるだけでいい。決着は私がやる」
「なんだ、半端な仕事だな。いつも花丸営業、霧雨魔法店をもっと信用してくれていいんだぜ」
 胸を叩かんばかりの魔理沙に、慧音は躊躇した末、口を開いた。
「もはやレミリアに正気は期待できないんだ。あいつとはただの弾幕ごっこでは終わるまい」
 自分自身への確認を兼ねるかのように、ゆっくり、噛み締めるように言葉をつむぐ。
「恐らくは滅ぼさねばならんだろう。禍根を断つ意味ではもちろん、それで咲夜や、もし他にも吸血鬼化されてしまった者がいれば、その者たちの治癒にも繋がるかもしれんしな」
「元に戻せるものなのか?」
「断言はできない。なにせ、この幻想郷ではまだ誰も試していないことだしな」
「けど……よしんば治せたとして、レミリアを殺しちまったら、もれなく咲夜の恨みを買うぜ?」
「……私は、人間を守る。それだけが望みだ」
 揺るがないよう、きっぱりと最後まで言い切る。それから改めて魔理沙を向いた。
「手伝ってくれるか」
「傭兵は本来、埒外なんだがな。いいぜ」
 魔理沙はあっさりとうなずいた。
「ただし、露払いだけなんて地味な役回りは御免だ。最後まで付き合うからな」
「何をばかな……お前にレミリアを滅ぼせるのか?」
「それはお前もだろう。前座さえこなせない奴が、真打とまともにやりあえるのか? 紅魔館攻略に関して、この私の右に出る奴はいない。私を傭うってのは、そういう意味だと理解してもらわなくっちゃな」
「そんな、いつもの浮かれた調子で行けば、死ぬのはお前の方だぞ。それとも、まさかお前……」
 慧音は不意に恐れの色を顔によぎらせた。
「それでもいいと、そう考えているんじゃないだろうな? 自棄っぱち半分で行こうとしてるんじゃないのか」
「どうして、そう思う?」
「最近のお前が覇気を失くしていたことは、私も聞き及んでいる。お前もレミリアと同じだ。霊夢が行方をくらましたことに失意を覚え、それで……」
「散るにはいい機会だとばかり、乱心したレミリアに相打ち覚悟で挑むってか? 歴史家の先生ってのは想像力豊かだな」
 ふふん、と魔理沙は鼻で笑い飛ばした。
「生憎と、まだそこまで人間ができちゃいないぜ。――まあなんだっていいさ、別にお前と雇用関係を結ぶ必要もない。私の腹は既に決まったんだ。行って、レミリアを叩きのめす。癇癪起こした子供を躾けるのは大人の仕事だし、幸か不幸か私はそういうのに慣れてるからな。それに何より、異変の解決は私の趣味とするところだ」
「異変などではないと言うに……」
 慧音はつぶやき、それからふと溜息をついた。諦観の吐息だった。
「やると決めたらやり徹す、か――私ではお前を止められんのは、ずっと昔に思い知らされてる。いいだろう、ならばもう繰言はやめよう」
 それから不意に表情を緩め、すっかり冷めてしまっていたお茶の残りを飲み干した。
「本当に変わらないな、お前は。人間は変わってこそのものだとも思うのだが……今はその不変が嬉しく思える」
「もちろん、私はずっと普通の魔法使いのままだぜ。おはようからおやすみまで、変わらずにな」
 魔理沙は急須を手にし、新しい湯を注ぎに立った。

 油蝉の合唱に、ひぐらしの声が混ざり始めている。
「さて。そうと決まればちゃっちゃと始めようぜ」
 魔理沙の意気高い声に、だが慧音は日の傾き行く空を見上げてかぶりを振った。
「いや、じきに日も暮れる。今日はもう無理だな」
「おいおい、今日できることを明日に延ばすなって言うだろ?」
「私だって時は惜しい。だが、やむをえないだろう。相手は夜の王だぞ」
 慧音は湯飲みを脇に置くと縁側から腰を下ろし、不服げな顔の魔理沙を振り返って、きつい口調で言いつけた。
「決行は明朝だ。準備して、またここで落ち合おう」
「……おーらい。んじゃ、帰る前に死ぬほど熱いのをもう一杯、どうだ?」
「いや、構うな。……悪くない味だったぞ。馳走になった」
「運がいいぜ。この神社でまともな茶を飲める機会なんて、そうないんだからな。これっきりかもだぜ」
 にんまり笑う魔理沙を少しの間見つめ、それから慧音は夕風の気配が迫る空へと浮かび上がっていった。
 その背中を見送りながら、魔理沙は誰にも届かぬ声でつぶやく。
「悪いな、慧音。それじゃだめなんだよ。このチャンスを逃して迎える明日なんて、私にはないんだ」

 三杯目を縁側で飲み干すと、魔理沙はやおら腰を上げ、戸締りを始めた。それが済むと、訪れたときと同様、箒をずりずり引きずって境内を歩き出す。ただ、その歩調は、訪れたときよりもさらに軽くなっているようにも見えた。
 ずりずりと拝殿の前へ出たところで、足を止める。
 拝殿正面に置かれた賽銭箱へ、彼女の眼は向いていた。
 霊夢がいた間に、この素敵に薄汚れた箱はどれだけのお賽銭をその身に受け止められたのだろう。
 立ち尽くす魔理沙を、赤みを帯びた風が撫でていく。社務所の方から風鈴の清涼な響きがここまで聞こえてきたような気がしたのは、間違いなく錯覚だろう。趣味の悪い釣り鐘型の陶器は、今は箱の中、押入れの中だ。
 霊夢はいない。幻想郷の異変に挑む義務を負った博麗の巫女は、いない。
 帽子の広い鍔が落とす影の下、魔理沙は何を思ったのか。ドレスの隠しから銀色の硬貨を一枚取り出すと、指で高く弾いた。陽光に鈍いきらめきをこぼしながら、硬貨は綺麗な放物線を描いて木箱の中へと吸い込まれていく。
 硬く、乾いた音に、静かな囁きが重なった。
「ワンコイン、コンティニューはなしだ。久々に始めるとしようぜ」

   *

 日は沈み、遠く稜線をかすめるようにして月が昇っている。
 真円を描いた今宵の月は、夕刻の残照の色が染みついてしまったかのように、朱がにじんでいた。夜風に乗って飛ぶ魔理沙は、その月影にふと既視感を覚える――ああ、あれだ。卵を割ると、黄身と白身の境界、たまに赤い血の糸が絡んでるやつ。あれに似てる。
 さっき夕飯として食べたばかりの卵とじの味を思い出して、魔理沙は小さなげっぷをした。
 暑気が不意に薄まる。墨を溶かしたかのように真っ黒な水面が、眼下に広がった。魔理沙は湖の上空に入る。
 入ってすぐ、彼女は箒の速度を緩めた。行く手に人影が浮かんでいるのを認めたためだった。
 チルノあたりだろうか。妖精にしてはちょっと体格が大きい気もするが――目を細めてその正体を確かめた魔理沙は、次の瞬間
「げっ」と品なく毒づいていた。
 それは慧音だった。
 望月の下、その頭には例の特徴的な帽子は乗っておらず、代わりに一双の鋭い角がそびえている。瞳は普段より赤みを増し、真紅に近いそれで、彼女は魔理沙のことを厳しく睨みつけていた。
 魔理沙は気圧されたかのように彼女の前で箒を止めた。さっそく相手から険しい声が投げつけられる。
「何をしている」
「ご覧の通り、食後の散歩だぜ」
 応じる声はすっとぼけたもので、それは当然、相手の怒気を煽り立てるだけだった。慧音はまなじりを鋭く吊り上げる。
「私を置き去りにして行くつもりだったな」
「おいおい、散歩くらいひとりでできるぜ。まだ徘徊老人って歳じゃないんだ」
 魔理沙の与太は、まったく相手にされなかった。じっと睨みつけられて、魔女はとうとう観念したかのように苦笑した。
「ああ、そうだ。食後の紅いお茶を紅魔館でいただくつもりだ」
「正気か? 夜に吸血鬼の城を攻めるなど。しかも今夜は……」
 満月。妖怪の力と狂気が最大限に活性化する夜。吸血鬼を相手取るには最悪、天中殺にも等しいタイミングだった。
 慧音のもっともな危惧に、しかし魔理沙は軽く肩をすくめる。
「私が初めて紅魔館を陥落したのは、同じような夜だったぜ。しかも私は独りだった」
「それはごっこ遊びの範疇での話だろう。今回は命を懸けることになるかもしれないんだぞ。私たちのだけじゃなく、捕われた人間たちの分もだ」
「だからこそ、早い方がいいんだろう? 夕方におまえ自身も言ってたじゃないか、時が惜しいって。だいたいさ、満月に味方してもらえるのは、何も向こうばかりじゃないだろ」
 そう、アドバンテージを得るのは吸血鬼のみではない。慧音の能力も、それに魔理沙の魔法も、満月の下においてこそ、その全てを解き放つことができる。
「確かに、その判断は間違っていないが……」
 慧音は認めかけ、だがすぐ自分が何に腹を立てていたのかを思い出した。
「だからとて、お前ひとりで行く理由にはならんだろう。なぜ勝手な真似をする。やはり自殺志願じゃないのか」
「違うって。あー、もう……そうやってうるさく言われるだろうから、黙ってたってのに」
 かなりの剣幕で怒鳴られて、魔理沙は閉口したようにそっぽを向く。それから急に話題を変えた。
「それより、私が今夜動くって、よく見抜いたな」
「ああ。さっき別れたときからどうにも嫌な予感がしていてな。彼女にお前の動向を見てもらっていたんだ」
 慧音の言葉の終わりに、大気を叩く鋭い羽音が重なった。頭上に気配を感じて見上げてみれば、カメラを首から提げた天狗の少女が一羽の鴉を引き連れ降りてくるところだった。
「どうも、こんばんは」
 小さなつむじ風に髪を乱され、魔理沙は慧音に向けて眉をひそめる。
「なんでこいつがいるんだ」
「実はな、昼にお前の居所を教えてくれたのが、彼女なんだ」
「特ダネの予感がしましたもので、快く引き受けさせていただきました! 魔理沙さんの監視とか」
 仏頂面の慧音とは対照的に、射命丸文は黒い瞳をきらきら輝かせての笑顔だった。
 なるほど、彼女がこんな顔をするのは特ダネを前にした時だ。魔理沙は経験からそれを悟っていた。
 文も、昔からほとんど変わってない側のひとりだ。容貌も、服装も、活動方針も――お供の鴉こそ代替わりしたと風の噂で聞いたが、本当なのだろうか。魔理沙には、そんなものの見分けなどつかない。
「……で、特ダネって、何のことだ」
「それはもちろん、紅魔館の件ですよ。『十六夜咲夜吸血さる』の噂から始まる、人間を相手とした連続拉致事件――これはもう弩級の特ダネを予感せずにはいられますまい!」
 幻想ブン屋は興奮気味、滅裂気味にまくしたてて、それからふと声のトーンを落とした。打って変わってしみじみとした語りを始める。
「最近はですね、なんともネタに困る日々が続いていたんです。在りし日にはあんなに騒がしかった皆さんが、ずいぶんと大人しくなさってたじゃないですか。魔理沙さんなんて家と神社を往復するだけの毎日ですし。もうすっかり枯れてしまったのかと思っちゃいましたよ」
「誰が枯れたって? 失敬な、君はどこの記者かね」
「文々。新聞です。――だって、昼日中から縁側でぼけっとお茶をすするなんて、人生リタイア組を絵に描いたような様じゃないですか。昔はネタが箒に乗っているようだったあなたが、嘆かわしい限りです」
「ほっとけよ。て言うか、なんで私の日常を知ってるんだ」
「そこらへんは企業秘密ということで。……そんなわけで私、危うく干上がってしまいそうになっていたのです。そこへこの急転直下の一大事ですよ」
 文はカメラを手に取る。
「さて、事件を前にして記者がまず決断すべきは、どこへフォーカスを合わせるか。はじめはもちろん中核たる紅魔館に向けたのですが、これがどうにもガードが固い。そこで……」
 レンズが勢いよく慧音に向けられる。慧音はびくりと身を引いた。
「この件に際して当然、解決すべく立ち上がるであろう慧音さんをマークすることにしたのです」
「紅魔館からの退却時に、彼女と出くわしてな。最初は追い払おうかとも考えたのだが、これも縁かと思い直して、相談してみたんだ。そしたら魔理沙、お前の名前を出されたというわけさ」
「その通りっ」
 レンズが、今度は魔理沙を向いた。魔理沙は反射的に営業用スマイルを作る。
「紅魔館への喧嘩の売り方ならば、霧雨魔理沙に教わるのが一番ですから。それに、これを機に、あなたがまた動き出してくれるのではないかと期待したのです。――いえ、私は信じていましたよ。あなたが真実、ただぼんくらな日々を過ごしていたわけじゃないって。雌伏の時の果て、必ずや再起するだろうって」
「なんだ、人をけなしたかと思えば、今度は持ち上げるのか。ほんとに天狗ってやつの口は信用ならんな」
「いえいえそれほどでも。それにね、閃くものがあったんですよ。記者の勘ってやつです。もしあなたが絡めば、事件はまた別の展開を見せるのではないかと。紅魔館の変事とは別の、もしかしたらより大きなネタを得られるのではないか、そんな直感があったのです」
「…………」
 文のことを見る魔理沙の瞳に、一瞬、驚愕の色が浮かんだ。それに気付いたのかどうか、文はファインダから目を外し、にっこりと微笑んだ。
「そのようなわけですので。取材のため、これより私も魔理沙さんたちに随行させていただきます。いえ、どうぞ私のことは、いないものと振る舞ってください」
「おい待て、今夜の決行なんて許してないぞ。私は魔理沙の暴走を止めるために、お前に見張ってもらっていたんだ」
 文の物言いに慧音が慌てて口を挟んだが、それを魔理沙は薄い笑みで見下ろした。
「慧音先生がどうされようと勝手だが、私には引率される覚えなどない、こっちも勝手にするからな。私は既に自分の意思で動くことを決めてる。引き返すつもりはないぜ」
 慧音に鋭く睨みつけられて、しかし魔理沙は動じない。静かな笑みをたたえたまま、視線を受け止めている。
 慧音はひとしきり唸った後、諦めたように重たげな息をついた。
「分かった、分かったよ……。だが、それなら私も行くからな。お前も一応は人間だし、放ってはおけん」
「やれやれ、そんな言い訳がないと動けないんだからな。面倒くさい奴だぜ」
 言葉とは裏腹に、魔理沙はやっぱり、くつくつと声さえ出して笑っている。軽く首を傾げながら、改めて湖の先、紅魔館の方角へと顔を向けた。
 その拍子、視界に月が入る。すっかり夜に慣れていた瞳は、月がこぼす光の意外な強さに縮こまってしまった。
 目を細めた魔理沙は、ふと、月影をよぎっていく何かを見た。羽ばたく小さな影の群れ。鳥かとも思ったが、そんな時間ではない。あれはむしろ、蝙蝠の……
 目を凝らそうとするが、そこへ呼びかけられた。
「それじゃあ参りましょうか」
「どうした、魔理沙。ぼんやりとして、やっぱり止めるのか?」
「んあ……いや、行くぜ、もちろん」
 ふたりを振り返り、それからもう一度月を向く。不吉なシルエットは、既に夜のいずこかへと溶け消えた後だった。

   *

「かくて運命の糸は絡み合い、か」
 深い闇の底で、幼い声が気だるげに囁く。
 天地も分からなくなるほどの完全な闇ではない。高い位置、小さな天窓から赤みを帯びた月光が射し込んで、その空間に存在するものにおぼろな輪郭を与えていた。
 空間の底、中央には、白いテーブルと椅子がひとつ。椅子に座するのは、月光よりも紅く、昏い影を帯びた少女。その幼くも鮮烈な紅玉の瞳は、闇の向こう、どこか遠いところを見透かしているらしかった。
「でも、こんな形に運ぶとはね。あの魔法使いが絡むと無駄に面白くなってしまうわ」
 少女はテーブルに頬杖をつき、空いている方の指を目の前に置かれたティーカップの縁に滑らせていた。カップには真紅の液体が満ち、指が滑るのに合わせて、どこか粘り気のある震えを見せていた。
 少女はどこへともなく呼びかける。
「咲夜」
「はい」
 背後の闇が揺れ、メイド服の女が進み出てくる。メイドは慇懃に腰を折った。
「出迎えてまいりますわ」
 そしてゆっくりと面を上げる。その瞳は主に似て、血のような紅に染まっていた。

   *

 湖上は暑気を忘れさせるほどの濃い霧に覆われている。
 それを切り裂いて魔理沙たちは飛ぶ。奇襲の定石、向こうから発見されるのをできるだけ遅らせるべく、ぎりぎりの低空飛行だった。そのため飛行の軌跡が白い波頭となって、湖面に刻まれている。
 昼間には妖精たちの戯れる姿が見えるこの湖だが、今は自然も寝静まる時刻ということなのか、湖上には魔理沙たちの他に浮かぶ影などひとつもなかった。夜の静寂を風切り音で乱しながら、少女たちは突き進む。
 頭ひとつ分先行している文が、魔理沙を振り返った。
「さすがに往年の速さは出せませんか」
「馬鹿言え。こっちは大荷物のハンデがあるんだ」
 追う形の魔理沙は唇を尖らせる。彼女の箒の後ろには慧音が腰掛けている、ふたり乗り状態だった。機動力を重視した結果、この形となったのだ。
「それにまだ本気じゃないぜ。お前がついてこられなくなるかと思って抑えてるんだ」
「そうでしたか。それならお気遣いは無用です。本気でどうぞ」
 文は挑発的なまでに涼しい顔で言う。ブラウスの胸元に押し込められている相棒の鴉が、カァと相槌を打った。
 魔理沙は勇ましいえくぼを作った。
「言ったな。置いてけぼり食らっても泣くなよ」
「おい待て、やめろふたりとも」
 慧音にとっては現時点でも十分すぎるほどの高速度だったろう。箒の柄にしがみつく彼女の訴えを、しかし幻想郷が誇るスピードスターふたりは軽く無視した。アイコンタクトを交わすと同時、急激な加速を開始する。
「やめろ、やめて――!」
 慧音はすぐに声も出せなくなった。魔理沙の腰に腕を回し、ただ懸命にしがみつく。
 水面に高々とした飛沫を跳ね上げて、ふたつの星が流れる。まるで双子の星のように、ぴったりと並走していく。
 さほどの時も要せず、行く手に紅い館の影と、それを囲む高い塀とを捕捉した。
「このまま」
「突っ込みましょう」
 声ではなく、目線でふたりは互いの意思を確認する。攻城戦は勢いが命。
 慧音はぎゅっと目を閉ざしていた。
 ほどなく上陸というところで、猛進する少女たちは、凛とした鈴の音が辺りに響き渡るのを聞いた。震える大気、頭上から強烈なまでの威圧感が降ってくる。
 夜気を引き裂いて、赤い雷光が湖へと落ちる。
「止まれ!」
 雷鳴のごとき大音声。視認できるほどに強大な気を全身に纏っての、紅魔館の門番・紅美鈴の急降下蹴りだった。魔理沙たちの進路と速度を計算に入れた、確実に交錯するコース。
 魔理沙たちは咄嗟に左右へ分かれた。まるで事前に示し合わせていたかのような阿吽の呼吸で。
 ふたつに分かれたそのちょうど中央の空隙を、美鈴は貫き、湖面を穿った。激しく立ち上った水しぶきは、次の瞬間、華やかな七色の弾幕に変じている。月光にきらめきながら、勢い強く辺りに飛び散った。
 直撃こそしなかったものの、この一撃は侵入者たちの勢いを削ぐに十分なものだった。密度の濃い弾幕を回避するため急減速を強いられた文は、空中でくるんととんぼを切り、水から上がってきた美鈴を見下ろす。
「こんばんは! 文々。新聞です」
 その一方で魔理沙はといえば、こちらはほとんど減速なしに逆巻く弾の雨をかわしていた。単身だったならば文と同じく急減速は免れえなかったところなのだが、慧音を箒に同乗させていたのが幸いした。彼女をバランスウェイトとして利用、急激な機動で体にかかる慣性を巧みに殺し、減速を最低限に抑えることに成功してしまっていた。
「やめて許して」
 振り回される慧音の悲鳴を背中で聞いて、魔理沙は業の深い笑みを作る。そしてなおも高速で前進を続け、ついに上陸を果たした。足下、水しぶきが土煙へと変わる。
 門を越えるべく箒の柄先を引っ張りながら、魔理沙は美鈴と対峙する形になっている文を肩越しに振り返った。
「せっかくだ、ここは任せたぜ」
「ああっ、ずるい!」
 非難の声は、魔理沙の笑みをさらに悪びたものへと変える効果しかなかった。
 魔理沙は箒の房からこれみよがしに星屑をばらまき、軽々と紅魔館の正門を飛び越えていった。

「門番の人相手に取材しても仕方ないのに……」
 取り残された文は、同じ高度へと上がってきた美鈴に愛想の良い顔を作って見せる。
「あの、私はあくまで取材に訪れた善意の新聞記者にしか過ぎませんので。どうぞお構いなく、あの不埒な侵入者を追っちゃってくださいな」
「お嬢様からマスコミへのコメントは預かっているわ。『のーこめんと』、以上よ」
 美鈴は今の急降下でずれてしまった帽子の位置を直しながら、応じた。長い時を日にさらされてきた帽子はすっかり色褪せていて、なお今も愛用されていた。月明かりの下、額の龍の星が、鈍い輝きをこぼす。
「それでもしつこいようなら、力ずくでお引取り願うようにとも言われてるわ」
「どうして魔理沙さんたちが良くて、私にだけそんないけずなことを。差別ですよ、これは」
「ご心配なく。あっちにもちゃんと出迎えはいるから。だからどうぞ心置きなく……」
 ゆるりと身構えて、
「撃墜されちゃってちょうだい」
 門番は虚空を蹴り、鮮やかな速度で飛び出した。


 まずは第一関門突破。
 紅魔館自慢の高い門と塀を眼下にして、魔理沙はふと、感慨深げに笑った。これまでに何十回、何百回、もしかすると千回以上も越えてきた門。まるで私に越えられるために作られたかのようじゃないか。きっとこれからも、それは変わらないのだろう。
 しかし今日はいつになくあっさりと越えられたものだ。美鈴相手にそれなりの消耗は覚悟していたのだが、こうしてスペルカードの一枚も使わずに済んでいる。これも文の献身のおかげだ。ありがとう文、君のことは忘れない。せめてあの月が沈むまでくらいは。
 館の威容が目前まで迫る。屋内への突入に備えて減速すると、背後で慧音が深々と息を吐いた。
「……ここまで来たら、もういいだろう。降ろしてくれ」
 疲れきった声に、魔理沙は素直に従った。これ以上疲弊させると足腰立たなくなるかもしれない。図書館への階段が収められた棟を前に、停止することにした。
 慧音が降りるのとほぼ同時だった。闇に何条もの銀光が閃き、ふたりの間の夜気を鋭角に切り裂いていったのは。
 今なお衰えぬ魔理沙の動体視力は、銀光の正体を見切っていた。半ダースものナイフの束。それが、魔理沙と慧音の間、ごくわずかな空隙を縫うようにして貫いていったのだ。針の穴を通すような精確さで。
 慄然となりながら、それらが投擲された場所を求め、視線を走らせる。館の中央棟、時計台の位置で、その眼は止まった。
 月を背にして、時計塔の黒々としたシルエットが天へとそびえている。さらにその頂上、尖塔のてっぺんに、刃物を髣髴とさせる鋭い佇まいの人影があった。
 そちらへ体を向けようとした魔理沙の視界で、またナイフが閃く。殺気、今度は狙ってきている。魔理沙は横っ飛び、ほとんど紙一重で凶刃の一群をかわした。
 ぎらり、と。逆光にも関わらず、時計塔の人影が三日月みたいに細い笑みを浮かべたと見えたのは、果たして錯覚だったのだろうか。
 魔理沙はそれを睨み返そうとして、だがやはり笑みで応じることにした。どこまでも不敵に口の端を吊り上げる。
 視線を時計塔に向けたまま、傍らで身構えている慧音へと告げた。
「お前は先に行け。今の鞘当は、どうも私への因縁のつもりらしいぜ」
 二度目の投擲は、こちらだけを狙ったものだった。そして今、相手が投げかけてきている視線も、自分だけに据えられている。魔理沙はそれを肌で感じ取っていた。
 隣の慧音も同じことを察したらしい。
「どういうつもりだ、あれは」
「さて。よくは分からんが、向こうにも何か考えがあるらしいな。とにかく私としては、こんな歓迎のされ方は嬉しくてかなわん。もともと芝居がかったことをするやつだが、今宵は特に磨きがかかってるぜ」
「……お前もお前で、やはり何か考えているようだな。いいのか、これで」
「ああ。実のところ、私の目的はもう、半分くらい達せられてる」
 魔理沙は時計台へと向け、箒を浮かび上がらせる。
「ま、ゆっくり行ってな。後で追い着くぜ」
「待つ気などないぞ。まったく、結局はひとりでやらねばならないんじゃないか……」
 慧音のぼやきに背中で笑ってみせ、魔理沙は一気に加速を始めた。

 時計台は時計の装置が組み込まれた塔部分と、それを支える台部分とで構成されている。いわゆる屋上階となるこの台部分は、ちょっとした広さを有していて、弾幕ごっこの舞台くらいなら十分に用を為しえた。
 その舞台へと、魔理沙は降り立つ。
 それを待っていたかのように、時計塔の頂上から人影が消えた。瞬きほどの間も挟まず、魔理沙の目の前に現れている。紅魔館のメイド長、十六夜咲夜。
 お得意の時間操作能力を用いたか、あるいは――吸血鬼特有の高度な瞬発力による高速移動か。魔理沙は見切り損ねた。
 後者ならば、吸血鬼になった証として何か目に見える変化が咲夜に生じているかもしれない――探してみれば、変異はすぐに見つかった。その瞳を染める、鮮やかなまでの、紅。鮮血の色。
 常ならば、そこは深みと品のある藍色によって占められているべき場所だった。ごく時たま、精神が激しく昂ぶったりしたらしい場合などは、今のように朱に染まることもあったが、それは決して恒久的な変化ではないはずだった。
 だから、魔理沙はひとまず待ってみた。じき、その瞳が、いつもの咲夜の色を取り戻すのではないかと。冬空みたいな、厳しくもどこか憂いを秘めた蒼が、そこによみがえるのではないかと、そう期待して。
 ――すぐそばにそびえる時計の巨大な文字盤を、長針が無骨な音を立てながら無情に進んでいく。どれだけ経っても咲夜の瞳の色は、ちらとも動かない。
 魔理沙は大きく息を吐いた。
「よお……本当に、吸血鬼になっちまったのか?」
「あら、意外ね。心配してくれてたの?」
「ちょっとはな。年を取るとどうも感傷的になっていかん」
 咲夜のからかい混じりの言葉を、魔理沙はあっさりと認めた。
「まったく、お前といい霊夢といい、私にひと言の断りもなく遠いところへ行っちまって。お前らがいないとつまらん、退屈で死ねる。いなくなるなら、私より後にしろっていうんだ」
「めちゃくちゃ言うわね、相変わらず」
 咲夜は苦笑を作る。光の加減のせいか、ふとその表情が若返ったように見え、魔理沙ははっとなった。
 その驚きを隠そうとするかのように、帽子のかぶりを深くする。
「まあ構わないさ。遠くへ行こうってなら、こっちは引きずってでも連れ戻してやるまでだ。私を退屈させるなんて、閻魔が赦しても私が赦さない。お前も霊夢も、ここでまとめてお縄にしてくれるぜ」
「……霊夢?」
 咲夜が紅い目をしばたたかせる。
「そうだ、霊夢もだ」
 魔理沙はきっぱりと言い切った。箒の柄で自分の肩をとんとんと叩きながら、その調子に合わせてとても愉快そうに、取って置きの宝物を披露するかのように、話す。
「これはただの吸血鬼退治じゃない、霊夢を呼び戻すための儀式でもあるんだぜ」
 咲夜は紅い目を、今度は見開いた。その反応に、魔理沙はますます満足げに白い歯を覗かせた。
「慧音は事件だなんて言ってたがな。こうして私が首を突っ込んだ以上、この一件は即ち異変だ。私は趣味で解決を図りに来てるんだからな。そして異変となれば、紅白な巫女の出番ってわけ。なにせ向こうにとっちゃ、解決するのが義務なんだからな」
 霊夢がいなくなってから、魔理沙は無人の神社でずっと考えていた。どうすれば再び霊夢の顔を拝めるか。
 探しに行こうにも当てはなし、ならば向こうから来るように仕向けた方が効率的ではなかろうか。霊夢が顔を出さざるを得ない状況を作り、引っ張り出すのだ。釣り上げるための餌は、「異変」がよろしい。異変あるところ、神出鬼没の巫女は必ずや現れるはずだから。
 当初は自ら異変を起こそうかとも考えた。だがどうにも気の利いた案が思いつかない。せいぜい悪戯レベルのものばかりで、幻想郷全土を賑やかせるほどの騒動を生み出せそうにはなかった。無理もない、こっちはむしろ解決するべき側の存在なのだから。それでもやはり、自分のお粗末な発想力に不甲斐なさを覚えて、ちょっとへこんだりもした。
 そんなところへ降って湧いたのが紅魔館の騒ぎだ。慧音が主張するように、異変とはちょっと向きが異なるものだったかもしれないが、それならそれでも構わない。この手で異変に仕立て上げてしまうまでだ。
「そして私はここに、事の渦中にいる。故にこいつは既に異変なんだ。私が言うから間違いないぜ」
「それはちょっと、いえ、かなり根拠薄弱じゃないかしら。あなたは自分がそれほど大層な人間だと思ってるの? 幻想郷の命運をも動かせるほどの」
「さり気に厳しいな……まあ私だって、そこまで浮かれちゃいないさ。だから、色々と固めてきた。さっきも言ったが、これは儀式なんだぜ」
 箒の柄先で、時計塔の彼方に浮かぶ月を指す。
「紅い満月の下、夏の夜の吸血鬼退治――こう聞いて、何を思い出す?」
「……思い出したくないことを思い出したわ」
「そう、私たちがお前らと出会っちまった、あの紅い霧の異変だ」
 その一瞬。魔理沙の笑顔は、まるで当時へと戻ったかのような、少女のものだった。あれから何千もの夜を経て、それでも彼女は変わることなく霧雨魔理沙だったのだ。
「紅魔ふたたび。あの素晴らしい出会いをもう一度、だ。ちょっと手順が違ったり、余計な顔ぶれが混ざったりもしてしまったが、最低限のものはみな揃えた。まんまとはいかないけど、できる限り再現したつもりだぜ」
 魔理沙の手に小さな銀色がきらめく。ぴん、と宙にはじかれたそれは、コインいっこ。
「あいつの分の参加料もな。これで来なけりゃ嘘だぜ」
 落ちてきた硬貨を横薙ぎに掠め取り、勝ち誇った顔となる。
 咲夜は目を丸くしていた。何度かまばたきし、それから発作を起こしたみたいにいきなり笑い出す。とても愉快そうに腹を抱え、目に涙まで浮かべて。
「ああ、そうなんだ……あなたも、そうだったのね」
 思いもよらぬ反応に、今度は魔理沙が目を丸くした。
「なんだよ、ここは笑うところじゃないはずなんだが。ギャグの要素を挟んだつもりは、一ミリだってないぜ」
「だって……こんなに面白い話は、そうそうないわよ。ほんと、お嬢様の言うとおりだわ」
 しかめっ面となる魔理沙の前で、咲夜はなおも笑い続けた。やがてその発作も止み、だがまだくすくすと小刻みに肩を揺らしながら、問いかける。
「なるほどね……それで、目論見どおりに霊夢が現れたら、どうするつもりなの?」
「そうだな、まずは一発殴っておくかな。ここまで手間をかけさせてくれたんだ、それくらいはいいだろ」
「いいわね、それ。私も一本くらい刺しておこうかしら」
「おいおい、他人事みたいに言うなよな。私からすりゃ、お前も同罪なんだぜ」
 魔理沙は箒をくるりと回し、柄の先端を咲夜に向けてぴたりと定めた。
「言ったろ? お前も連れ戻すって。お天道様の下を引き回してやるぜ」
「あら、お手数かけますわね」
 咲夜はおどけるように首を傾け、
「それではあなたは、やっぱり先へ進むつもりなのね」
「ああ。何をさておき、レミリアに会わないことには、こっちの件は片付かないだろうからな。それに解決権まで霊夢に譲る気はない」
「お嬢様を倒せば丸く収まると、そう思ってるの?」
「さて、な。慧音の奴はレミリアを滅ぼさにゃならんと言っていたが……」
 その言葉を発するや否や、咲夜がまなじりを吊り上げた。彼女の体から殺気が陽炎のごとく立ち上るのを、魔理沙は幻視する。しかしいささかも怯むことなく、相手の射るような視線を見つめ返した。
「ま、他にも手はあるだろ、多分。パチュリーの本を片っ端からあたるとか、それとも永琳に薬を作らせてみるか……そうだ、慧音に歴史を食ってもらうってのも――」
 そこで急に何か引っかかるものを覚え、魔理沙は言葉を切った。なんだろう、今、自分は何かとんでもないことを口にしてしまったような気がする。
 結局その違和感の正体は掴めず、もやもやとしたものを胸中に抱えながら、先を続けた。
「とにかくレミリアをぶちのめしてからだ。おいたが過ぎた子には、お仕置しなくちゃな。それが大人の仕事だぜ」
「それなら、私はあなたを行かせるわけにはいかないわね。ちょっとばかり複雑な気分ではあるけれど」
「気にするな。弾幕ごっこに迷いを挟むと、死ぬぜ」
「弾幕ごっこね……」
 咲夜はふっと表情を緩めた。
「そんなのは少女だけの特権だと思っていたけれど」
「私の胸にはいつだって乙女のままの恋心が溢れてるぜ。弾幕だって生涯現役だ。お前は、枯らしてしまったか?」
「失礼ね。なんなら自分で確かめてみなさい。どちらがより少女に近いかをね」
 咲夜もどこか吹っ切れたかのような顔つきとなった。その白く細い指の間、白銀のナイフが音もなく刃を並べていく。
「いらっしゃい、魔理沙。時代遅れの魔女が少しは進歩したか、見極めてあげるわ」


 長く紅い通路の途中、慧音はふと足を止めた。
 紅魔館側の妨害を受けたためではない。その逆だった。ここまで彼女の前に立ち塞がるものは、何ひとつなかったのだ。
 昼間に訪れた時は、無数のメイドが嵐のごとき弾幕を引っさげて出迎えてくれ、さらに悪辣な罠までもが仕掛けられていたというのに。今は打って変わって嘘のような静寂が邸内を支配している。
 どうにも解せなかった。さっき屋外で咲夜が自分を見逃したのも、今にして思えばやはりおかしい。敵が何かを企んでいるのは間違いないが、その意図を推察するには情報が足りなさすぎた。
 ぽつりぽつりと灯された明かりが揺れるだけのだだっ広い通路、その中央に立ち、慧音は苛立たしさに前髪をかき上げる。月光の届かぬ屋内、彼女の頭の角は引っ込み、獣の尻尾も消えてしまっていた。窓の少ない館だな、と彼女は今更に思う。
 なんとなく背後を振り返ってみる。侵入路とした玄関のドアは、既に遥か彼方、豆粒のような小ささとなっていた。やはり今更だが、この館の広さは異常に過ぎる。どうして居宅の回廊に、気兼ねなく空中戦のできる広さが必要なのだろう。理解できかねる。
 なんにせよ、引き返すわけにもいかなかった。嘆息したくなるのを堪えながら再び前へ向き直る。
 壁が、そこにそびえていた。
 慧音は戦慄し、反射的に飛び退る。たった今、玄関を振り返るまで、自分は確かに通路の中途にいたはずだった。回廊の終わりは、まだまだ先のはずだった。
 なのに、いま目の前には間違いなく壁が生じ、その中央には大きな木製の扉が嵌め込まれているのだ。
「……そうか、今度はまた別の趣向を用意していたというわけか」
 苦々しい顔で、慧音は鼻先にそびえる壁と扉とを睨みつける。金属製のドアノブが、誘うかのように鈍い光沢をこぼしていた。
 ちらと脳裏に魔理沙のことを思い浮かべ、彼女を待つべきかと考える。それから自分の弱気に腹を立てたようにかぶりをふると、思い切ってノブを握った。ひんやりと、掌に冷たい感触が返ってくる。
 ゆっくりと扉を押すと、隙間から冷ややかな黴臭い空気が流れ出てきて、鼻を衝いた。眉をひそめながら、大きく開ききる。
 薄暗い、ここまでの通路に比べれば暗闇と呼んでも差し支えなさそうな、そんな空間がそこには広がっていた。扉の軋む音が、ずっと高く、深いところで反響している。恐ろしいほどの広さを有しているらしきそこには、無数の書架が整然と林立していた。
 幻想の大図書館。
 慧音は瞬きし、また後ろを振り返ってしまった。紅魔館の構造を熟知しているわけではなかったが、それでもこの繋がり方がおかしいことくらいは理解できた。図書館があるのは地下のはずで、慧音はここまで階段のひとつも下ってはいないのだ。つまりこれは、なんらかの手段によって空間が捻じ曲げられ、通路と図書館とが本来ありえない形で接合されているということになる。
 前に向き直ると、そこには変わらず書架の迷宮がある。罠だろうと知りつつも、慧音は中へと歩を進めた。他に道はない。
 墓所を思わせる静寂と闇の中を飛ぶ。背後で扉がひとりでに閉じる音がしたが、もう顧みなかった。
 やがて閲覧用のテーブルがある開けた場所に出て、そこにはこの図書館の主である魔法使いが待っていた。読んでいた本を閉じ、慧音に無感動な眼差しを向けてくる。
「いらっしゃい、と言っておくわ。ここに余所者はあまり入れたくないのだけれど、他ならぬレミィのためだから。今夜は、特別」
「光栄だな、とでも応えればいいのか? お前に用はない。レミリアに会わせてもらおうか」
「まあ、そう興奮しないの。良かったら、好きなところに座って」
 テーブルの前に並ぶ椅子を示され、だが慧音はそちらに視線を逸らしたりしない。真っ直ぐパチュリーのことを睨みつけつづける。
 魔法使いは眠たげな半開きの眼で、この視線を受け止めていた。
「悪いけど、レミィに会わせるわけにはいかないわ。この異変が終わるまではね」
「異変、お前もそう呼ぶのか。どいつもこいつもその言葉が好きだな」
 慧音の浮かべた笑みは、苦笑と呼ぶには獰猛過ぎた。
「だがこの事態を定義するには、いささか相応しくない言葉だ。それではまるで、問題の本質や責任の所在を曖昧にするために……」
 まくしたてようとして、だが不意に彼女は口ごもった。その後を引き継ぐように、パチュリーが口を開く。
「人間が用いる意識操作みたいだ、と言いたいのかしら?」
「……これは事件だ。古き盟約が破られ、無力な人間に対して妖怪の一方的な暴力が振るわれた、極めて悪質な事件だ」
「そうかもしれないわね」
 パチュリーはあっさりと認め、
「だけどそれでは困るのよ。これは、異変でなければいけないの。だから私たちは今夜、あなたを招いた」
「何を……言っている?」
「情報操作を、あなたにやってほしいのよ。あなたなら、この『事件』を『異変』と定義できるのでしょ?」
 そしてパチュリーは軽く手を掲げた。それが合図なのか、どこか遠くでカーテンが開くのに似た音がし、この暗所に細い光が射し込んできた。どこまでもか細いそれは、だが間違いなく今宵の空を制している満月の光だった。
 それを浴びた慧音の頭部に、たちまち二本の角が現出する。
「歴史を創るというあなたの能力。それが欲しくて、この満月の夜、あなたに来てもらったの。レミィが運命操作とか用いてね」
「なに、何を、こんな……」
 慧音はすっかり混乱してしまっていた。さっぱり、徹頭徹尾、まったくもってわけが分からない。自分にそんなことをさせて、果たしてレミリアたちにいかなる得があるのか、彼女には見当もつかなかった。むしろこちらを惑わせて時間稼ぎでも図っているのではないか、などと考える。
 そんな慧音に、パチュリーは冷ややかな声で求めた。
「まあ理解できないならそれでもいいから。しゃきしゃき始めてくれると嬉しいわ、歴史の改竄」
「ば、馬鹿を言うな、与太郎が。そんな要求を飲むと思っているのか」
「忘れたの? こっちには人質がいるのよ。無力な人間たちがね」
「……悪辣な」
「あら、あなたは悪魔とその友人に、どんな道義を期待していたのかしら?」
 心底悔しい思いで歯噛みする慧音を見て、パチュリーはうっすらと笑うのだった。

  *

「うーん、魔理沙さんたちはどこまで行ったでしょうか。まさか、もう解決篇に入ってしまったりしてないでしょうね」
 湖と陸地との境界付近、文はまだ美鈴と交戦中だった。
 双方の実力差からすれば、とっくに決着していても良いほどの時間が経過している。実際、文は何度も相手に痛撃を与えていた。
 だが、それに美鈴は耐え続けているのだ。得意の気功でダメージを軽減しているのか、それとも単に異常なまでのタフネスなのか。紅魔館の門番として魔理沙のマスタースパークを数え切れないほど浴びてきた彼女のことだ、後者の方がありえそうだった。
 なおも屈しない彼女のしつこさに辟易しつつも、文は同時に興味も覚えていた。いつかそのタフネスの秘密を記事にしてみるのも良いかもしれないと。紙面の空白を埋める、ちょっとした小ネタにはなるだろう。
「まあそれはそれとして、いい加減に通してくださいよ」
 文は手の扇を翻し、疾風の弾を美鈴に叩きつける。
 これに、湖面すれすれにいた美鈴は、
「はっ!」
 裂帛の気合を発しながらの震脚で水面を踏みつけた。凄まじいまでの加圧に湖面はえぐれたようになり、押しやられた多量の水が高く迸った。それは分厚い壁を成し、美鈴の盾となる。
 水壁に自分の放った弾が飲みつくされてしまうのを見て、文は愕然となりながらも目を輝かせた。
「おお、これが気功の神秘というやつですね。撮っときましょう」
 感嘆の声と共にカメラを構えようとする。
 そのときだった。頭上遥か高く、月下を何かの影が横切ったのは。
 文は咄嗟にレンズをそちらへと向けていた。記者の本能のようなものが、そうしろとささやいたのかもしれない。
 宙に踊るその影を視界の真ん中に捉えたとき、文は自分の直感に感謝した。
「ああ、あなたは……」
 美鈴の反撃の弾幕を宙返りでかわしつつ、文は夢中でシャッターを切っていた。


 文の心配は杞憂だった。魔理沙はいまだ解決篇に至っておらず、なおも時計台にて火花と弾幕を散らしていた。
「くそ、時間を操れる吸血鬼なんて詐欺もいいところだぜ」
 闇から闇へと跳ね回りながら恐ろしいまでの鋭さで刃を投擲してくる咲夜に、魔理沙は翻弄されきっている。黒いドレスには裂け目がいくつも生じ、帽子のとんがった先端にもナイフが三本ほど突き刺さっていた。おかげで頭が重いったらない。
 それでもじっと辛抱強く、魔理沙はチャンスを窺っていた。左手で翠緑色の弾丸をばら撒きつつ、右手のミニ八卦炉に充填した膨大な魔力を敵へ叩きつける機会が訪れるのを。開示済みのスペルカードはファイナルスパーク、本来は対レミリア用のとっておきだったのだが、出し惜しみしていられる余裕はなくなっていた。
 集中心を高め、敵の動きをなんとか読もうと試みている最中だった。すぐそば、時計塔の鐘がいきなり動き出し、大きな音を奏でて魔理沙の鼓膜を叩いた。午前零時、日付が変わったことを伝える音。
 それで気が逸れたというわけではない。ちょうどそのとき、つむじのてっぺん辺りを押さえつけられるような形で、何かを強く予感したのだ。
 その一瞬、魔理沙は敵のことも忘れて、鐘が響く夜空を見上げていた。
 そして目にした。月がこぼす金褐色の光の下、一個の人影が飛びすぎていくのを。
 月下に踊る紅白の蝶を。
「ぁ……」
 かすれた声を漏らし、魔理沙は目を見開く。ほとんど反射的に箒をそちらへ向けようとして、だがそこへ咲夜が神速で踏み込んできた。格闘用、大ぶりの刃を備えたナイフで直接、斬りつけてくる。
 肩口を割かんとしてくる凶刃を、魔理沙は危ういところでミニ八卦炉を盾に受け止めた。噛み合った金属の間から小さく火花が飛ぶ。鍔迫り合いながら、魔理沙は焦慮の色を隠そうともせずに叫んだ。
「どけ、どけよ! 行かせてくれ!」
 目の前に差し迫った我が身の危機など頓着しない言葉。ほとんど懇願に近いその声に、しかし咲夜はナイフを押す手にさらなる力を加えてくる。そうしながら、不意に紅い瞳を優しく細め、ささやいた。
「もうちょっとしたらね」
 それは魔理沙だけでなく、自身にも向けているかのような声色だった。
「これはあの方の功績なのだから。一番に会える役得は譲ってあげてちょうだいな」
 だが、あの紅白の影を追うことで頭がいっぱいとなっている魔理沙に、その言葉は届いていない。ぎっ、と音を立てて歯噛みすると、彼女は密接距離にも関わらず八卦炉の砲門を開いた。
「いいから通せってんだ!」
 怒声と同時、炉の口から爆発的な光があふれ出す。閃光は月明かりをも撥ね退けて、轟音と共に時計台を激しく揺さぶった。

  *

 闇の奥底で、紅い少女は待ち続けていた。
 テーブルのティーカップはとっくに空で、いつもならばメイド長が即座に次を注いでくれるところだが、今はそれも望めない。手持ち無沙汰に、少女は空のカップを指でくすぐる。
「やっぱり、もう一押し、いるのかしら。大結界を槍で突いてみるとか……いっそフランにぱりーんといかせてみようかな」
「そんなの、冗談じゃないわ」
 突然、頭上から凛とした響きの声が降ってきて、少女の周囲の闇を震わせた。
 紅い少女はゆっくりとおとがいを持ち上げる。天窓のところに仁王立ちとなってこちらを見下ろしている人影を見つけ、ほんのわずかに微笑んだ。唇の間に白い牙が覗く。
「待っていたわ。お茶もとうに冷めて、空になってしまうくらいに」
「それは悪かったわね……なんて謝らないわよ」
 ぷりぷりと、かなり怒っているらしき声音。逆光となっていたが、紅い少女の紅い瞳は、相手の腹立たしげな顔をはっきりと見透かすことができた。
「まったく、早々にこんな騒動を起こしてくれちゃって。この上、大結界にまで面倒なことをされたりしたら、たまったものじゃないわ」
 その容貌や服装もはっきりと見えている。それは、赤地に白のフリルといういかにもおめでたい色合いの巫女装束で身を包んだ、まだ十代前半と見える少女。何かの掟なのかあるいはポリシーなのか、胴衣と袖とが分かれていて、間に健康的な肩と腋とが覗いている。頭には装束と同じく紅白の、蝶を思わせる大きなリボン。それによって頭頂で束ねられた黒髪は、なお腰の辺りまで届くほどに長い。さらさらと、夜の光に濡れている。
 巫女は右手に握った祓い串を突きつけてきた。
「これ以上の迷惑する前に、出てってくれる?」
「ここは、私の城よ」
 紅い少女は訪問者を見上げた形のまま、椅子を立った。口に浮かぶ笑みは、ひどく愉快そうなものに変わっている。ここ久しくは人に見せることのなかった表情。
「出ていくのはあなたじゃない?」
「幻想郷的に出ていってほしいって意味よ」
「しょうがないわね」
 と、そんな言葉とは裏腹に、紅い瞳は実にやる気で充ち満ちていた。鋭い爪の伸びた右手を、巫女に向けてゆるやかに伸ばす。
「でもちょうど、紅茶のようなものをもう少し欲しいと思っていたところなのよ」
「……できる、みたいね」
 巫女の影はわずかに身じろぎした。それでも一歩たりと退く様子はない。
 それでこそと紅い少女はうなずく。
「こんなに月も紅いから。本気で来なさい」
「こんなに月も紅いのに」
 静かな紅い声と、巫女の嘆息とが重なる。
「楽しい夜になりそうね」
「永い夜になりそうね」

  *

 遠いところでガラスの砕けるような音がしたかと思うと、窓から覗く空に弾幕が瞬きはじめた。
「始まったみたいね」
 図書館の床から空を見上げ、パチュリーはつぶやく。
「そして、これでやっと終わる」
「だからどういうことなんだこれは」
 机を挟んだ向こう側では、慧音が苛立たしげに髪をかきあげていた。パチュリーの要求を受け容れてからずっと、彼女は図書館から退出することも認められず、ここにとどまっていた。
 パチュリーはやんわりと彼女を振り返る。
「もう少しだから。どうぞ、本でも読みながら待ってて」
「読まないってば」
 苛立ちのあまり地団駄すら踏みだしかねない様子の慧音に、パチュリーはそっと微笑み、再び空へと視線を戻した。そしてことの始まり、親友が相談を持ちかけてきた数日前の夜を思い返す。

「パチェ、ちょっといい? 異変を起こそうと思うんだけど」
「……いつもながら唐突ね」
「とびっきりの異変を起こしたいの。博麗の巫女が食いつきそうなほどの」
「ああ、そういうこと。ここのところ何やら考え込んでいると思ってたら」
「どいつもこいつも覇気がなくって、つまらないのよ。特に人間たち。咲夜は負け犬みたいな目になっちゃってるし、聞くところでは魔理沙も未練たらしく神社に通っているらしいじゃない。ほんと、人間って思ってた以上に脆いんだから」
「だから異変を、それ自体を目的とする異変を望むと。レミィってば世話焼きさんね」
「……いい加減、誰かが幕を引いてあげなければならないのよ。ひとつのお話が終わったんだって、はっきりと教えてあげるの。そうでないとあの子たち、いつまでも終わってしまった壇上をうろうろし続けかねないわ、ゾンビみたいに」
「レミィと同じアンデッドね。でも、異変なんて改まって起こすようなものじゃないと思うんだけど……そうね、また霧でも出せば?」
「同じのをまた煎じろって言うの? そんなのじゃ博麗は釣れないだろうし、私自身も許せないよ」
「紅白を誘い出すだけなら、異変じゃなくて博麗大結界に干渉するという手もあるけれど、そっちのが面倒かしら……ところでレミィ、今日はずいぶんと血生臭いのね」
「ん? ああ、ちょっと咲夜にキスをね、濃厚なやつを。人が考えているそばで、いつまでもしょぼくれた顔をぶらさげてるんだもの、そろそろ腹が立っちゃって。活を入れてやるわーって、ちょっと本気でいってみたのよ」
「どうりで、見事なまでのスカーレットデビルっぷりなわけだこと。襟からお腹まで真っ赤じゃない」
「それでね、聞いてよ、そしたら咲夜の奴、どうしたと思う? 諦めて眷属になろうとしたのよ! あれは重症だわ」
「レミィとしては、そっちの方が好都合じゃなかったの」
「だめだめ、私が欲しいのはあくまで完全で瀟洒なメイドの咲夜よ。負け犬根性の奴隷じゃないわ。……おかげでますます腹が立って、ちょっとやりすぎたかも。まだ動けないみたいだし。パチェ、増血剤、作ってあげてくれない?」
「そういうのは八意印の薬局にあたってちょうだい。……そうだ、それでいけばいいじゃない」
「どれ? 薬局?」
「異変の方よ。レミィが咲夜を仲間に引き込んだっていうのは、事情を知る人からすれば立派な異変だと思わない?」
「いや、だからやってないってば。それにもしやっていたとしても、異変ってほどじゃないと思うけど。そんなんじゃ巫女は現れないよ。せいぜい魔法使いあたりしか釣れないわ」
「この件はあくまで取っ掛かりにするだけ。『異変』という形に定義するための素材よ」
「どうやってそんなに飛躍させるっていうの」
「おあつらえ向きな能力を持ったのがいるじゃない。境界いじりの好きなスキマじゃない方」
「……ああ、もしかしてあっちの方の知識人? そんなに上手くいくかなあ。それに、手を貸してくれるとも思えないよ」
「そこはそれ、貸さざるを得ないように仕向ければいい。あれほどはっきりとした弱みを持っている人も少ないじゃない。あとはあなたがちょっと運命の糸を震わせてあげればいいの」
「なるほど。これ以上考えるのも手間だし、それでいくかな。それにしても……パチェは悪だなぁ」
「あなたの友達だもの」
 ――――

 あの時、互いに交わした笑顔を思い出すと、胸の奥に小さく温かなものがにじむ。取り巻く環境が少しずつ変わりゆく中で、けして変わることのない自分たちの友誼が嬉しくて。ひとりでに頬がゆるんでしまい、それを慧音に見咎められた。
「なにか面白いことでも!?」
 ほとんど恫喝に近い響きに、パチュリーは表情を消しながら、わずかにかぶりを振って見せた。
 頭上、窓の向こうでは、闇色の空に鮮やかな紅が広がりつつあった。そろそろ決着の頃合らしい。

  *

 いまや完全な紅色で染め上げられた幻想郷の空に、ふたつの影が立っている。
「これが最後のスペル」
 紅い少女の手の中で、宣言されたカードが灰となって崩れ落ちていく。少女はちっちゃな牙をのぞかせて笑い、胸の前で可愛らしく揃えていた両の手を大きく広げた。
「ようこそ、幻想郷へ」
「こんなに紅いところだなんて聞いてないわ」
 対峙する巫女は、顔に汗と疲労の色とをにじませていた。解せないといった顔つきでぼやく。
「私の方が追い詰めているはずなのになぁ。なんで、そう本気で余裕そうなの」
「あら、あなただって割に余裕で私の弾を避けてたじゃないの」
 紅い少女はくすりと笑い声をこぼす。
 そして無造作に右手を大きく薙いだ。その動きに合わせて大きな紅玉色の弾がいくつも生じ、巫女めがけて殺到する。
 巫女も動いていた。懐から御札の束を抜いて、投げつけている。
 交錯する弾幕が、紅い空を無尽に切り裂く。連なる射撃の音に飽和する大気、そこへ不意にひときわ高く被弾音が鳴り響いたかと思うと、転瞬、紅い色が霧散し、空は元の闇色を取り戻していた。
 気が付けば、月は高く空の頂にかかっている。月が照らし出す虚空には、紅白の巫女がひとりきりとなって立っているのみだった。

  *

 魔理沙は時計台の上、大の字に引っくり返った格好で、空の色の遷移を見つめていた。顔は煤にまみれたようになり、髪は乱れに乱れきり、衣服はぼろぼろという、そんなざまで。
 投げ出した足の向こう側では、咲夜も同じような態で倒れているはずだ。とても瀟洒とは表現できかねるその様子を想像し、頬をゆるませた。
 にやけたところで、ようやく体が自由を取り戻しはじめているのだと知った。咲夜とがっぷり組み合った状態でのファイナルスパークという壮絶な自爆をかましたせいで、今までほとんど身動きできずにいたのだ。ほんの十分程度のことだろうが、もどかしいことこの上ない時間だった。
「昔はもうちょい無理が利いたものだけどなぁ」
 しかし嘆くのは後回しにする。今はなによりも、早くあいつのところへ行きたい。
 右手を床に這わせ、そばに転がっていた箒を探り当てると、それを杖に立ち上がる。同じく転がっていたミニ八卦炉を拾い上げたところで、ふと悲しげに眉を寄せた。無茶な使い方の報いだろう、炉の口が歪んでしまっているのを見つけたのだった。
「久々にあいつに修理してもらわなくちゃな……」
 つぶやいたとき、視界の端で動く影があった。ぎしぎし悲鳴を上げる体に鞭打って、視線と八卦炉とを同時にそちらへ向ける。咲夜が、こちらと同じようによろよろと立ち上がりつつあった。
「よう、吸血鬼にしちゃタフさが足りないんじゃないか?」
「あなたが人間にしては元気すぎるのよ」
 魔理沙に剣呑な声と武器とを向けられながら、咲夜は身構えるでもなく、悠然と着衣の埃を払っている。戦意の綺麗に消え失せてしまった様子に、魔理沙は拍子抜けした顔で八卦炉を下ろした。
「んー……私の、勝ち?」
「それでいいわ。ほら、行きたいんでしょ?」
 咲夜は優美な動作で、時計塔の向こうの空を指す。
「もう構わないわよ。私も行くから、一緒しましょ」
「わけがわからん」
 魔理沙はまばたきしながらも、箒にまたがっていた。急速浮上、一気に時計塔を飛び越えると、咲夜がついてきているかも確かめず、一直線に飛ぶ。

 月の真下で、彼女は待っていた。激しかった戦闘の余韻に浸っているのか、ひとりぼんやりと宙にたたずんで、呆けたように月を仰いでいる。
 その紅白の影へと、魔理沙は突っ込んでいく。満身創痍であることを忘れたかのような速さで。
 だが、急に速度を減じた。目標との距離が狭まるにつれ、違和感を抱きはじめたのだ。
 そこに待っている巫女の背丈が、妙に低いことに。逆に、髪の妙に長いことに。巫女装束の形も、これまで見てきたいずれのものとも違うように思える。
 そしてなにより、どうして彼女は自分よりもずっと年下らしき「少女」なのか。
 ほどなく魔理沙は認めざるを得なくなった。そこにあるのが、自分が求めていた人物の影ではないことを。
 幻想郷の異変に際し、魔理沙の思惑通り、博麗の巫女は馳せ参じた。だが、それは霊夢ではなかったのだ。
 博麗の、新たなる巫女。
 矢のようだった魔理沙の速度は、いまや亀の歩みだった。のろのろと、魔理沙は巫女装束の少女の前に辿り着く。
 初めて見る顔の巫女は、疲れきった様子で祓い串を握る手をだらりと持ち上げた。
「あー、あなたもここの家の人? 見た目、人間ぽいけれど」
 結局帰ってこなかった友人を髣髴とさせる、やる気に乏しい調子の声。
 魔理沙は苦笑を返そうとして、だが果たせなかった。不意に胸を強く締め付けられて、喉が詰まってしまったためだった。
 こぼれそうになった嗚咽を危ういところで飲み込んだのは、前後の空から近付いてくる幾つもの人影に気付いたためだった。
「や、これは……」
「え、誰?」
「……聞いてないわよ」
「むう」
 文も、美鈴も。咲夜も、慧音も。そばまで来た皆は一様に、驚愕やら疑問やらの入り混じった複雑な表情を浮かべ、紅白の巫女のことを見つめる。
 初めての顔に取り囲まれ、興味津々といった眼を向けられて、それまでどこか泰然たる佇まいだった巫女もさすがに居心地の悪さを覚えているようだった。
「あの、なに、なんなのあなたたち」
 少女を囲む輪の外では、パチュリーだけが平然と、いつもどおりの眠たげな顔つきを保っていた。
 ――それに、もうひとり。
「見事な幕引きだったわよ」
 小さな羽音を連ねて、どこからか蝙蝠の群れが集ってきていた。黒い翼は一点に集結すると、そこで混ざり合い、紅い少女の姿をとる。
「レミリア」
「お嬢様」
 漆黒の翼を広げ、幼い吸血鬼は巫女に微笑みかける。それから一転、魔理沙と咲夜、ふたりの人間を鋭くねめつけた。
「これで終幕。そして既に次の舞台は始まっているわ。だから、いくらカーテンコールを求めても無駄よ。邪魔なだけなの」
「お嬢様、これはどういうことなんですか。来るのは霊夢じゃなかったの?」
 レミリアに食って掛かる咲夜の横顔の真剣さで、魔理沙は悟った。彼女らが起こした騒動の、真の意味を。そして、参画者のひとりである咲夜ですら、その全貌を知らされていなかったのだということを。
 従者に詰め寄られて、レミリアはなおも冷ややかな顔つきでいる。弾幕ごっこで傷んでしまった自分の衣服の方がよほど気になるといった風情だった。片手でブラウスの短い袖をいじりながら、淡々と話す。
「運命とは不可逆なものよ。だけど、加速させることならできるわ」
 ほつれた糸のひとつを指でつまみ、
「この新しい巫女と幻想郷とを結ぶ運命の糸、それを私は引っ張ってやったというわけ。放っておいても、そのうち来るはずではあったんだけどね、この子。あまりに待たされたら、か弱い人間たちが立ち直れなくなるかとも思って」
「お嬢様は、この結果をあらかじめ知っていたというのですね」
 レミリアはうなずきもせず、咲夜と魔理沙のことをじっと見つめる。ふたりの瞳を覗き込むことしばし、はぁ、と小さく息をついたかと思うと、いきなり険しい口調となって彼女らを叱り飛ばした。
「さあ、いい加減にしゃきっとしろ、人間ども。後輩が見事なデビューを飾ったっていうのに、そんな不甲斐ない顔さらしてて恥ずかしくないのか!」
 突然の叱咤に、ふたりはぴくりと背を跳ねさせる。魔理沙は咲夜と顔を見合わせ、次に巫女へと向いた。ずっと年下の人間の少女は、やはり困惑顔のままでいた。
「なんの話をしてるんだか、さっぱりなんだけど……そもそも、あなたたち、誰?」
 魔理沙は鼻の奥につんとするものを覚えた。遠いいつかの日、彼女は同じような格好をした少女に、同じ問いを向けられたのだった。
 ならばあの時と同じ答えを。この、霊夢の後を継ぐ少女にも贈らねばなるまい。レミリアの言葉を借りるなら、それがこの舞台における自分の最後の役目なのだろう。
 帽子の鍔を前に引っ張って表情を隠したくなる、そんな衝動を懸命に押し殺し、魔理沙は在りし日と同じ、輝くような笑顔を作ってみせた。帽子へと伸ばさなかった手を、代わりに目の前の少女へと差し伸べ、精一杯の明るい声を出す。
「私は霧雨魔理沙、いつだって普通の魔法使いだ。これからよろしくな」

  *

『 "紅魔ふたたび、並びに博麗の巫女の帰還"

 八月上旬から紅魔館が中心となって引き起こしていた騒動が、解決した。この事件は、紅魔館が里の人間を連続してさらったというもの。
 吸血鬼が里の人間に危害を及ぼすのは、古の契約の重大な違反にあたるが、
『別に危害は加えてないわ。紅茶とかを振る舞って歓待してただけよ。ちょっと強引に連れてきたり、帰りたいと言うのを無理やり引き止めたりはしたけれど』と紅魔館側は主張、契約はなおもって履行中であるとしている。
 ともあれこのささやかな異変は、久しく行方をくらませていた博麗の巫女によって一蹴された。しかし現場に姿を現した巫女は、かの博麗霊夢ではなく、その後継者であると名乗っている。本誌記者はなおも取材を継続、追って詳細を届ける所存である。(射命丸 文)』

  *

「簡単に言っちゃえば、とあるひとりの少女期が終わった、それだけのことなのよ」
 久々に皆の前へ姿を見せた八雲紫は、扇で口元を隠しながら、愉快そうに語った。
「そして博麗の巫女の場合、それは同時に任期の終わりも意味するわ」
「そうなの?」
「あそこの巫女は少女の仕事なの。考えてみてごらんなさいな、少女を過ぎて、それでもずっとあの装束でいなきゃいけないなんて、当人にとっても周りにとっても苦行じゃなくって?」
 なるほどなあ、と彼女の周りに集った人妖たちは、奇妙な説得力を感じて思わずうなずいていた。いや装束の形を改めれば済むことじゃないのかと理性的な突っ込みを入れる者は、いない。
 なにしろ紫の笑顔も胡散臭くて、どこまで本気で語ってるのか知れたものではないのだ。
「それで、隠居するってのは霊夢の方から切り出してきたのよ。辞めて、その後はどうするのって訊いたら、風の向くまま勘の向くままにどこかへ行くつもりだって。巫女じゃなくなったら神社を居場所にできないしって。そのままふらりと消えちゃったわ。それで私はさしあたり代わりの子を連れてきたってわけ。引継ぎに思ったよりも時間を食っちゃったけど」
 そして差し向かいで酒を飲んでいるレミリアに笑いかけた。
「面倒くさくなってきたから、適当に切り上げたんだけれど。ちょうどいい頃合だったみたいね。これもあなたに言わせれば、運命の筋書きどおりってことなのかしら」
「そういうこと。誰も運命には抗えないの」
 レミリアはきゅっと杯を呷り、頬をほのかな朱に染めて、
「その運命を操る私は、つまり誰をも支配できるってわけ」
「あら怖い。あとはおつまみがもう少々、怖いわ」
 博麗神社の夜。実に久しぶりとなる宴会が、そこでは催されていた。
 宴会の題目は一応、新しい巫女の歓迎会と銘打たれている。だがそんなのはあって無きが如し、皆はいつもどおり、てんで勝手に騒いでいるだけだった。
「新しい子の出自? 女の子の秘密を探るなんて野暮ってものじゃなくて? まあ木の股から生まれてきたのじゃないのは確かだと思うわぁ」
 やがて質問攻めにあうのもうんざりしてきたのか、紫はこんな感じでのらりくらりと韜晦を始めるようになった。回りに集っていた連中もその頃には飽きてきたのだろう、少しずつ方々へ散っていく。最後には式神の藍とその式の橙、そしてレミリアだけがそばに残った。
「それにしたって、誰にも言わずに行くことはないわ。おかげで置いていかれた人間たちの無様なことったら」
 レミリアは紫の杯に酒を足してやりながらぼやく。
「それはね、やっぱり霊夢も人間だったのよ」
 紫は杯に目を落とし、笑みをやや翳らせて、つぶやいた。
「どんな顔して言えばいいのか。あるいはどんな言葉を文にしたためればいいのか。分からなかったんじゃないのかしら」
「……ふん」
 拗ねたように鼻を鳴らすレミリアに、紫は静かに微笑んだ。
「あなたは人間と違って挫けなかったのね。偉いわ。正直言うと意外よ」
 するとレミリアは、どことなく寂しげな笑みで応じた。
「私は人間よりずっと多くの時間を持ってるから。ただ誰かを偲び続けるには長すぎる命だから。前を見続けようと、そう決めているだけよ」
 そして自分もいささか口が滑らかになりすぎていると気付いたのだろう。酒に濡れた唇を、桃色の舌でなめた。
「久々で酔ってしまったかな」
 つぶやいて、紅い眼差しを横手へと投げる。その先では、紅白の巫女を中心とした賑やかな輪ができていた。

「なんで、神社に、妖怪が、こんなに、いっぱい!」
 新しい巫女は、境内を埋め尽くさんばかりに集った人妖少女たちの数に眩暈を覚えているらしかった。悪魔の館の住人たちとは既に対面を済ませていたが、他にも冥界の幽霊たちやら、竹林の兎たちやら、三途の川方面の者たちやら、妖怪の山の面々やら、魔法の森の連中やら、それからそれからまだまだたくさん……何十もの初めての顔、顔、顔、である。そんな彼女らに次々と酒を勧められて悲鳴を上げ、逃げ回り、しまいにはとうとうぶち切れてお札と陰陽玉を飛ばしだすに至った。
 嬌声が、欠けはじめた月の浮かぶ空に響き渡った。

「初々しいねえ」
 その光景を、魔理沙はひとり本殿の屋根の上から見下ろしている。
 傍ら、屋根瓦に危ういバランスで置かれていた杯を手に取り、一息に飲み干す。空になったそれが、次の瞬間にはまた酒で満たされていた。
 目を見張ったところに、瓦をパンプスで踏みつける音。
「なにをこんな所でたそがれてるのよ」
 咲夜が、酒瓶と自分用らしき杯を手に出現していた。魔理沙が何か言葉を返すのも待たず、隣に腰を下ろす。
「お邪魔だったかしら」
「いや」
 短く応じ、魔理沙は咲夜と杯を重ねた。軽く唇を湿らせると、メイド長の目を覗き込む。
 その瞳は、あの夜から比べてわずかに赤みが薄らぎつつあった。
「もう二、三日ってところか?」
「薬師の話ではね。この目、視界までちょっと赤くにじんでて、酔いそうになるのよね」
「血に、か?」
 揶揄する口調で魔理沙は笑う。
 咲夜の目を侵している紅が、永琳手製の強力な増血剤がもたらした副作用によるものだと、今では誰もが知っている。咲夜は変わることなく人間のままで、つまり結論として、レミリアの一党はあれだけ周辺を騒がせておきながら、実のところ致命的な問題は何ひとつとして生んでいなかったのだ。付け加えれば、永遠亭もこの陰謀に一枚噛んでいたことになる。慧音さえ見事に騙し抜けたのは、おそらく永遠亭の狡猾な面々が情報の調整に暗躍したためもあるのだろう。
 その事実を突きつけられたとき、魔理沙は苦笑で済ませたのだが、この件で最も振り回された形の慧音はいたくご立腹だった。今夜の宴会にも顔を見せていないくらいだが、それは余談である。
 それからふたりの人間は言葉少なに杯を傾けた。
「……霊夢の奴」
 杯を何度か空けたところで、魔理沙がぽつりとつぶやいた。
「あの新しい子に、形のあるものこそ大して残してやらなかったが。もっといいものを譲っていったんだな」
「人脈は宝、ね。あの子にとってはしばらく、重たくもあるでしょうけど」
 咲夜が笑い、それにつられるようにして、魔理沙もくすりと笑った。くすくすと、漏らしつづける声はやがてかすれはじめ、いつしかか細い嗚咽へと変わっていた。霊夢が去ってより初めての涙が、その目尻からこぼれだす。
 魔理沙はやっと認めることができたのだった。霊夢が、二度とここへは帰ってこないことを。
 面を伏せて肩を震わす彼女の髪を、咲夜の細く温かな手がそっと撫でた。

 しばらくおいて再び顔を上げた魔理沙は、照れた笑いを浮かべていた。
「よお、レミリアにはこのこと、内緒にしてくれよ? 子供は気丈なのに大人がこれじゃあ、示しがつかない」
「元から模範的な大人でもなかったでしょうに」
 最後にもう一度、金色の髪に指を滑らせて、咲夜は冷やかした。
「それに、いいじゃない。心はいつまでも少女のまま、なんでしょう?」
「……そうだったな」
 魔理沙は涙の跡をごしごしこすると、澄んだ目を遠くの空へと向けた。
「少女期の終わり、か」
 ひとりごちると、やおら立ち上がる。杯を咲夜に預け、そばに置いてあった箒を手に取った。頭の帽子の角度をちょいと直して、
「それじゃあ、行くとするかな」
「どこへ?」
 咲夜の何気ない問いに、
「霊夢を探しに、な」
 ちょっとそこまで、といった軽い口調で魔理沙は答えた。
 咲夜の目が丸く見開かれる。だがじき、得心の色がそこには浮かんだ。
「まったく。幹事が途中で姿をくらます宴会なんて、聞いたことがないわ」
「あとはよろしくやっておいてくれ。帰ってきたら続きをやるよ」
 きびきびとした動作で箒にまたがる。帽子の鍔が落とす影の中、その双眸は強く生気で輝いていた。
 終わったことなのだと、レミリアは言っていた。それは間違っていないのだろうし、魔理沙だって新しく始まっている舞台をひっくり返そうなどとは考えていない。
 でも、魔理沙個人としては、やはりまだ認められなかったのだ。いなくなった霊夢と再び会うこと――自分にとって最大最後の異変を解決するまで、少女をやめるわけにはいかない。
「それに、巫女じゃなくなっちまった霊夢ってのも、見てみたいしな」
 もしかしたらそれが本当の、一番の理由なのかもしれなかった。博麗という肩書きを失って、そんな霊夢とは、いったいどんな関係が結べるのだろう。そのときには自分も少女ではなくなっているのだ。そんな私たちは、どんな時間を持てるのだろう。それが知りたくてならない。
 もう一度、霊夢と出会うために。
 ふわりと夜に浮かび上がる。咲夜が瀟洒な佇まいで見上げてきた。
「会えたらよろしく言っておいて」
「ああ。お前の分も合わせて二発、殴っておいてやるぜ」
 ウィンクを投げて、それから目を前へと向けた。どっちの空を目指せばいいのやら、さっぱり分からない。でもそんなのいつものことだ。異変を解決するのに、要るものなんてやる気とノリと、それだけで十分。
 足で空を蹴り、魔理沙は前へ飛び出す。箒の房から星屑をちりばめながら、夏の夜を駆け上がっていく。
 はるか足下では、夜空を遡る流星に気付いた巫女の少女が、天を仰いでいた。それに手を振ってやり、魔理沙は幻想郷の空の彼方へと飛び去っていく。
 夜空の果てに星が小さくまたたいて、消えていく。

 

 






『ハローグッバイ』

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2008年5月25日 日間


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