余計なお世話と大きなお世話は似ている。
 うざったいところは同じなのだが、前者は本当に邪魔なだけで、後者は妙に的を得ている場合が多い。
 今回の事例がそのどちらに当たるのか、当たり前のことではあるが霧雨魔理沙はそんなことで悩んだりはしないのだった。





ビタミンのすゝめ





「これでも食え」
 突き出された籠の中に入っているモノを見て、紅魔館はヴワル魔法図書館の主であるパチュリー・ノーレッジは皮肉げに笑った。無論、彼女のキャラに沿ったささやかな苦笑であったが。
「そうか、そんなに嬉しいか」
 パチュリーのぞんざいな反応を見て、幻想郷に生息する普通の魔法使い、霧雨魔理沙は満足げに微笑んだ。こちらもまた、彼女の性格に合った明朗快活な笑顔ではあったが。
 魔理沙は、片手で支えている籠の中から代表して、比較的傷みの少ない一本のそれをパチュリーに差し出す。
「ほれ、遠慮なく食べるといい。豪快に、ぼりぼりと音を立てつつ貪り食うのが吉だぜ」
「少なくとも、私の好感度に関しては凶に近いと思うけど……」
「何言ってんだ。巷では、あれこれ理由つけて食事を残す娘より、何でもかんでも好き嫌いせずよく食べる娘の方が人気は高いんだぜ?」
「だからって、ニンジンを生で食すような輩は社会から敬遠されると思うわ」
 と、魔理沙が握っている紅とも橙とも言い難い根菜を隅々まで観察する。流石に洗っては来ているが、だからといって火も通していないニンジンを笑って齧れるほど、パチュリーも人間離れしてはいない。魔女だが。
「だよなー、社会って潔癖だからなー」
「あなたはどこの社会を基本に物事を考えてるのよ……」
「多分、パチェとおんなじだぜ」
 自信満々に言い放つ。躊躇いや迷いなど一切見られない思い切りの良さに、パチュリーはちょっと羨ましいかもと思ってしまった。
 けれど、ニンジンは食べられない。
 というより、食えるか。
「……それにしても、こんな大量のニンジンを一体どこから……」
 魔理沙が鼻歌まじりに運んできた籠いっぱいのニンジンは、存在を主張しているものだけでも二十本は裕に越えている。魔法使いなんてものを好んで職業にしているから割と頭は良い方だと思うが、もしかしたら螺子が一本くらい外れたまま生きてるんじゃないかとパチュリーはかなり本気で訝しんだ。
 あるいは、世間からずれているのを完全に自覚した上で生きているのか。
 だとしたら、自分には何も言えない。
「これはな、うちの家庭菜園に成ってたやつだ。世話もしてないのに勝手に生えてたから、気付いたときはびっくりしたぜ」
「……私もびっくりしたわ……。得体が知れないにも程があるわね」
「出荷場所が判ってれば基本的に安全らしいぞ」
 ほれ、と再びニンジンを向ける。愛用している椅子に深く腰を落ち着け、膝に分厚い本を載せているパチュリーの都合など一切考えもせず、魔理沙は自分がやりたいことを素直にやり遂げようとする。ある意味、これ以上ないくらいに有限実行という語の意味を引き出している人間と言えよう。
 それ故に、巻き込まれた人間は大概頭を抱えずにいられないのだが。
「ビタミンA、足りてないんだろ?」
「あなたは思慮深さというものが足りてないみたいだけど」
「懐が深いからいいんだよ、私は」
「懐が深い人間は、成分不明なニンジンを他人に食べさせようとはしないわ」
「……よーし、そこまで言うんなら、いいだろう」
 何がいいのか、魔理沙は掴んだニンジンを引き戻し、そのまま口を開けてその紅くて細長い塊を力強く噛み潰した。
 ……言葉が出ない。
 ぼりぼりと、気持ち良いくらい爽快な咀嚼音が図書館全域に響き渡る。今この空間を共有している者は、誰かが本棚の隙間に馬か兎を飼っているのかと邪推したに違いない。他ならぬパチュリー・ノーレッジも、魔理沙がニンジンを貪っている情景を目の当たりにしてもなお、彼女が何かの間違いで動物霊に取り憑かれたのではないかと本気で心配していた。
 しかし、ニンジンを齧る魔理沙は相変わらず邪気のない瞳を携えている。
 つまり、彼女は素面で生のニンジンをにこやかに食べていることになる。
 どういうこっちゃ。
「……やっぱり、本ばっかり読んでちゃダメなのかしらね……」
 幻想郷は広かった。
 少なくとも、紙魚と湿気に晒された紙片の海よりは、遥かに広大であるようだ。
「んだなー。頭が固くなるって言うからなー」
 歯軋りのような破砕音を響かせながら、魔理沙が同意する。噛む度に魔理沙の顎と頬が凄い勢いで変化していくのだが、次の瞬間にはそれを嚥下してまた次の紅い幹へと歯を突き立てるので、もう何がなんやら。
 美味しいの? と尋ねたくなる衝動を抑え、パチュリーは苦し紛れの言葉を吐いた。
「私の頭とニンジンと、一体どっちが硬いと思う?」
「私はどっちも噛んで含めるから同じだぜー」
「私には無理だわ……」
「どうこう言う前に一口食べてみたらどうだ? 旨いぜ」
 やっぱり美味いのか、と疑問が氷解した悦びも束の間、三度パチュリーの前に差し出される紅い突起物。魔理沙は既に二本目の根菜に手を伸ばしていて、もしかしたら本当に美味しいのだろうかと思ってしまう。
「……ほ、本当に?」
「チョウセンニンジンじゃないからな」
「食べられないニンジンの全てがチョウセンのそれじゃないけどね……」
「必要十二分条件じゃないんだな」
「二分多い」
 頭が良いのか悪いのか判然としないやり取りの最中も、魔理沙はニンジンを齧る傍らでニンジンを突き出し、パチュリーは魔理沙から発せられる咀嚼音と紅い食物とを見比べていた。
 ……よし、とパチュリーは覚悟を決め、椅子とクッションの隙間から一枚のカードを取り出す。
「火符『アグニシャ」
「やめろ」
 不穏な決め台詞を叩きつけようとするパチュリーの口元を、優しく差し出したニンジンで(結果的に)塞ぐ。
「っ……むぅ……!」
「かじれー」
 喘息持ちの魔女に何をしてくれるんだと怒鳴りつけたい反面、喋ろうとした直前に口に杭を打たれたせいで呼吸がままならない。喘息うんぬんではなく、生命体として致命的な状態だ。
 ――やむをえない。
 むしろ、経験してみるのも良いだろう。文字だけでは知れないことも、論理や数列だけでは追えない世界もある。だからといって、生のニンジンを齧るようなびっくりどっきり魔女に転進する必要もないのだが、何かとツブシが利くようにはなるだろうとぼんやり考えてしまうパチュリーだった。
 もはや定番のBGMと化した魔理沙の咀嚼音を聞きながら、パチュリーは恐る恐る口中に放り込まれた紅い突起に歯を立て――。


 ――こんにちは、と冥界の主が笑う声を聞いた。


 パチュリーは笑わず、ただニンジンを銜えたままで(吐き出すのは流石にあれだった)魔理沙に背を向ける。
 続いて、小声でぼそりと呟く。
「……火符『アグニシャイン』」
 直後、陰湿な図書館の空気を炙り出すかのような熱量が、パチュリーの背中を通して魔理沙にも伝わってきた。無論、魔法図書館の主たるもの火の取り扱いには充分に気を遣っているだろうが、パチュリーの背中から感じるオーラというか邪気というか、瘴気にも等しい負の波動が魔理沙の懸念をより増幅させていた。
 しばし、沈黙が訪れる。
 魔理沙はすることもないので仕方なく生のニンジンを齧っていた。完全にげっ歯類の域である。
 ばりばり、ぼりぼり、ぱちぱち、じゅうじゅう。
 知識と神秘が程よく梱包されている図書館にて、あまりにも原始的な生の音が渦巻いている。それはそれで、本には載せることの出来ない生命力に満ち満ちていると言えば聞こえはいいが。
「おーい」
 五本目のニンジンを平らげた後、流石に腹も膨れてきた魔理沙が改めて問う。
「目は良くなったかー?」
「……ならないから」
 そう言って振り向いたパチュリーの手には、ニンジンなど影も形も無かった。おそらく、彼女が発動した火符によってこの世から滅殺されたか何かしたらしい。魔理沙は深く問い詰めないことにした。
「ったく、こんな埃まみれ虱つぶしな場所に閉じこもってるからだぜ? ニンジンの一本も噛み砕けない虚弱体質になっちまったのは」
「あなたみたいな新人類になるくらいなら、私はモヤシっ娘のままでいいわ……」
「こういうの、先祖返りって言うらしいぜ」
「認めるのね……」
 パチュリーは、魔理沙と出会ってから数え切れないほどの対人意識を諦めてきた。
 その結果、霧雨魔理沙という魔法使いは、他の誰でもない霧雨魔理沙用の会話手法を用いなければならないと理解するに至った。魔理沙の辞書に常識という言葉がないのなら、パチュリーの辞書に魔理沙の分の常識を書き込んでやろうと決めた。
 そして本日、魔理沙の攻略ページに『ニンジンを生で食べられる程度の能力』が加わった。
 ……何の役にも立たないけど。
「んー、それじゃこれどうしようか。だいぶ余ったからなー、ここで飼ってる馬にでもあげてくれ」
「……馬なんて飼ってないわ。じゃじゃ馬なら数匹いないこともないけど」
 その発想はどこから来るのだろうかと、魔理沙の頭に渦巻いているカオスを紐解いてみたくなる。当の魔理沙は、どうして判らないのか理解できないと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「あー? だってほれ、この館の名前にあるじゃないか」
 ほれ、と言われても。パチュリーは悩んだ。
 なんとなく魔理沙の言いたいことは判ってしまったが、それをあえて指摘すべきか否か。甘やかすのも切り捨てるのも処理の仕方として正しくない気もするが、魔理沙に関してはどれが正しい対話方法というものが存在しないのだから、別にどうでもいいかと半ば諦め顔で解答を述べた。
 何にせよ、謎ニンジンは魔理沙が持ち帰ってくれる訳だし。
「……それ、仔馬館じゃなくて紅魔館だから」
「…………おぉっ!」
 魔理沙は、さも今気付いたかのように驚いてみた。
 パチュリーは、今度魔理沙の家に大量のニンジンを送りつけてやろうと心に決めた。
 良きにつけ悪きにつけ、霧雨魔理沙に大打撃を与えることは間違いないだろうから。





−幕−







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2004年12月30日 藤村流継承者

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