緑に光る






「あれイカでしょ?」
 茶を啜りにやって来た魔理沙に、霊夢は不意を打って質問する。
 魔理沙は質問の意図を図りかねて、現実逃避気味に青すぎる空を眺めてみた。
 イカ。烏の賊と書く。
 彼らの足はゲソといい、下足と書いて油で揚げるととても美味しい。
 例えば、空を飛ぶイカは怖いものだ。タコも怖いしウツボも怖い。ただ、イルカやクジラはちょっと許せるかもしれない。サメやシャチは境界線上だが、イルカを許容しているのに同じ哺乳類であるシャチを拒絶するのは論理的ではない。天敵がいない弱肉強食の世界は、しかる後に崩壊する定めを帯びている。空飛ぶイルカを許すなら、空飛ぶイワシやマグロ、あるいはボウフラのように漂うプランクトンを認める必要があるのだ。
 ……はて。何の話だったろう。
 あぁ、そうだ。イカだった。何故イカかは分からないし、イカが烏賊と書いたところでどこがどう烏なのかも分からないが。多分墨の色が烏に似ているとかそんな感じだろうとは思うが。今度図書館で調べてみよう。
「霊夢」
「何よ」
 隣りに腰掛け、自分だけ座布団を用意して来る霊夢の神経に苦笑いしながら、魔理沙は左記の質問に対する回答を述べる。
 空は青い。こんな日なら、海洋生物だって空を飛びたくもなるだろう。
「イカは旨いな」
「馬鹿にしてんのか」
 怒られた。




 解析の結果、霊夢がイカじゃないかと言ったのは魔理沙が放つマジックミサイルのことらしい。
 古人いわく、緑色の小イカが回転しながら飛んでいるように見える、のだそうな。けったいな話もあったものだと魔理沙は思う。お茶が不味くなる。が、実は茶葉の保存状態が劣悪なせいだということを彼女は知っている。
「だから、イカなんでしょうね」
「しみじみ言われても」
 湯呑みの底に手のひらを当て、上品にお茶を啜る霊夢。見た感じ、味に不満があるような顔には見えない。もう悲しみに慣れてしまったのか。
「何を思って、私の魔法弾が英語で言うところのsquidと表現するかは知らんが」
「さらっと知識をひけらかさないでよ」
「なんでも、イカは一杯二杯と数えるらしいぜ?」
「そいつは一杯喰わされたわね」
 ははは、と癇に障る笑いを上げたせいで、こめかみを突かれた。
 別段身体に異常を来たすことはなかったが、地味に脳が揺れた。
「しかし、イカ、なあ」
 試しに、湯呑みを置いて手と手の隙間にマジックミサイルを顕現してみる。意識を集中するのは一瞬、わずか一秒足らずの魔力とはいえ、このイカ――もとい魔力塊は、厚さ五センチの鉄壁を粉みじんに破壊し得る。
 三次元上に展開した緑色の魔弾を、立体的に観察する。
「イカ、ねえ」
「なんとも理想的なイカね」
「ちょっと炙りたくなるな。お酒はぬるめの燗がぁ〜」
「そんなでもないけど」
 さり気なく断られた。
 無念、タダで酒に預かれると思ったのだが。人生そんなに甘くはない。でも酒は辛めの方が好みだ。
 未練は心の片隅に放置して、イカの研究を進めよう。正確にはイカの形をした魔力弾だが。
「イカ、大回転ー」
 今度は、平面的に回してみる。
 壊れたコンパスのように忙しなく動き続ける緑の小イカを眺めていると、イカであるのを否定するのも面倒くさくなってきた。いっそのこと、マジックミサイル略してイカにしてしまおうか。世の中にはシロクマとか赤べことか黄色いピーマンとか妙な色彩の物体があるのだから、今更グリーングリーンしたイカが界隈に進出してきたところで、文句を言う輩もいないだろう。緑黄色野菜っぽくて栄養もありそうだし。
「イカ、射出ー」
 矢印の天辺を空に向けて、限りなく青く広い海へ吸い込まれていく。霊夢も、湯呑みを傾ける手を止めて空飛ぶイカに目を奪われている。
 ――そうだ。
 この空を母なる海と考えれば、そこにちっぽけなイカが泳いでいたとしても何の違和感もない。
 空を飛べ、優雅に。緑色のイカ。
 遥か彼方に消えていく我が子を遠い眼差しで見詰めながら、魔理沙は唇の端でゆっくりと笑みの形を作り。
 霊夢も、飲みかけのお茶を一気に呷る。何か思うところがあるのだろう、ふっ、と唇を開き。
「あほか」
 蔑まれた。




 イカというのは足が十本あるからイカな訳で、これがもし八本だったらタコになる。という世迷い事を口に出来るのは、十歳までと相場が決まっている。
「だから、あれはイカじゃない」
「分かってるわよ」
 霊夢は、そんじょそこらの出涸らしの煎茶よりよっぽど冷めている。興味が無いのか、はよ帰れやという意思表示なのかは判断に迷うところだが。
 だが魔理沙は躊躇わない。イカ如きに本気になるのも人生の嗜み方としてスマートでない気もするが、たかがイカ、されどイカである。イカを笑う者は墨に泣くのである。ちなみにイカスミとカラスミはごっちゃになりやすいので注意。
「飛べねえイカは、ただのイカだ……」
「じゃあ、飛べるイカは何なのよ」
「新種」
「言い切ったわね……」
 霊夢が唸る。
 またひとつ霊夢を黙らせることが出来、魔理沙は内心ほくそ笑む。本末転倒気味になっていることは当然のように気付いていない。
「イカじゃないってことをアピールしとかないと、そのうち食べ出す奴が出て来るかもしれないしな。発言には気を付けないと」
「誰が食うのよ……。っと、みなまで言うな。気付いた」
「よろしい」
 話の分かる巫女で助かった。無謀と勇気の匂いをきっちりと嗅ぎ分けている。
 魔理沙は、人差し指を上唇に当て、霊夢にそっと囁きかける。
「だから、あれがイカだってことは私たちの秘密だぜ?」
「あんた、あのイカをどうしたいのよ……」
 それは魔理沙にも分からない。
 ただ、あのイカは魔理沙にしか作り出せない魔力塊で、食えもせず、美味しくもないだろうが、その代わりと言っちゃあなんだが自由気ままに空を飛ぶ。正面から見ると単なる緑色の線にしか見えないところが痛いが、それでも立派にイカをやっている。
 世界初、空飛ぶイカ。特許でも取ろうか。
「もっと造形を細かくして、十本の足が各々の意志で蠢き回ったりすると最高なんだがな」
「まあ、どっちかというとサイコな感じだけど」
「霊夢は面白いこと言うなぁ。たまに」
「というか、イカ以下って感じ」
 あはははは! と爆笑したら、耳の穴に指を突っ込まれた。
 特に痛みは感じなかったが、その思い切りの良さが「私はあなたをいつでも殺せる」と言っているように思えた。
 この女、マジ怖え。




 後日、魔理沙の家に白玉楼の主が現れた。
 彼女いわく、
「世にも珍しい緑色のイカはあるかしら?」
 ということだったので、マジックミサイル(略称イカ)を腹いっぱい喰らわせておいた。
 それでも満足そうに帰っていくあたり、何でもありなんだなあと魔理沙は改めて思ったりした。





−幕−







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2005年5月24日 藤村流継承者

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