夢想花
「ところで」
どういうところなのかは不明だが、博麗霊夢はマヨヒガに定住するところの橙、及びその主たる藍に問い掛ける。
茶を飲むならば博麗神社でも構わないのだが、茶碗が割れてしまったのだから仕方ない。
米粒でもくっつかないし。
というか、米粒自体そうそうないし。
「んー」
橙は縁側で丸まっていた。初めから聞く気などない。
若干むかついた霊夢は、その耳の中に髪の毛を入れてやることにした。
耳掻きですら取れない違和感に、悶え苦しむがいい。
「……お前、心が狭いな」
「あら。自分には寛大だけど」
「そこが狭量だと言っているんだ」
藍は、橙にこれ以上の悪戯を仕掛けられないよう、黒猫の隣りに腰掛ける。
「ほれ」
「ん」
「出涸らしだが」
「出涸らしかよ」
それでも結局は受け取ってしまうあたり、霊夢という人間の恐ろしさを感じないでもない。
藍ものんびりと茶を啜りながら、明日の天気は雨かなと、寝惚けながら顔を洗う橙を見て思う。
「あ、そうだ。聞きたいことあったんだった」
出涸らしのお茶を苦もなく半分ほど飲み、霊夢が思い出したように告げる。
藍は胡散臭げに彼女を一瞥し、渋々「雑貨品を強奪しない程度なら」と同意する。
「まあ、それはいいんだけど」
「無視するなよ」
無駄だった。
悲しいことに、予想はついていたが。
藍の苦悩にも気付かず、あるいは気にも留めていないのか、とにかく霊夢は己の疑問だけをぶつける。
「あんたたちってさ、なんで回ってんの」
あんまりと言えば、あんまりな質問ではあった。わざわざ聞きに来るほどのことでもあるまい。
が、どうせ日用雑貨を収集しに来たついでなのだろうから、目くじらを立てても仕方あるまい。
こういうときに限って、マヨヒガの責任者は出て来ないし。
欝だ。
「……はぁ、どうして回っているかだって?」
「そうそう。糸が切れた凧じゃないんだから、あんな馬鹿みたいにくるくるくるくる回ってるなんて、明らかに可笑しいじゃない。笑うわよ。あははははははは」
「笑うなよ……」
泣きたい。
なんかもう、九尾の狐の威厳も何もあったもんじゃない。
だが、悪鬼羅刹のようにけたたましく哄笑するモノグサ巫女の性格はともかく、その疑問自体は納得のできるものだ。
なぜ、移動するごとに回転しているのか。
「あはははははははは」
「しつこい! というかよく息が続くな」
「それだけが取り柄でねえ」
いっそ海女にでもなれ。
ちょっと尼っぽいし。
「……ああ、そんなことはいいのよ。で、どうしてあんたたちが馬鹿みたいに」
「馬鹿じゃないから。ちゃんと意味あるから」
「そうなの? その日のノリとか気分とか、奇門遁甲やら十二神将やら狐狗狸さんやらの契約じゃないの?」
「タチ悪いなそれ。あと、流石の私もその場のノリで前方宙返りはせんぞ」
というか、思わず回ってしまうノリって何だろう。
どんだけ空気が読めないんだって話になるぞ。
「えー。だって、式神って脳がひとつの場所に留まっていないから、遠心力を利用しないと頭を使った行動が出来ないんでしょう? あ、頭突きは除いてね」
除外されても。
そもそもしたことないし。
……いや、一回か二回はあるか。あれは痛かった。
「言っておくが、狐にも猫にもちゃんと頭蓋骨の内部に脳はあるからね。あと、なんで式神になると阿呆になるんだよ。だいたい、初めに会ったときも理性的な会話をしていただろう」
畳み掛ける。
場の空気を和ますように、橙が人間には出来ないくらい大きな欠伸をしでかす。
……脳が、分散している。
藍は、心の中で橙に謝罪した。いや、そんなことはないと思うが、念のため。
一方、霊夢は初対面のことを思い出そうとしているのか、呆と虚空を見詰めている。
今のうちにスキマに放り込んだろかと思い至ったとき、生気を失いかけていた霊夢の瞳に光が戻る。
ちょっと怖かった。
本当に人間かと思う。飛ぶし。
「――あぁ、確か桁が違うとか言ってたんだっけ」
「また妙なところを」
「奇門遁甲の九門と、十二神将の十二体で……。なんだ、桁ひとつしか違わないじゃん」
残念そうな顔をされても、対処に困る。
「それにな、回転軸が腰にあるのなら、遠心力は頭部だけじゃなく脚にも働く。もしあんたの仮説が正しいなら、私は脚で物を考えていることになってしまうわ」
「まぁ、脚は第二の心臓って言うし」
「言われても」
「でも、下半身で物を考えるとかよりマシでしょ」
「脚も立派な下半身だが……」
そうだっけ、みたいな顔をされたところで、傍若無人な物言いが帳消しになる訳でもない。
照り付ける太陽と、隣りで丸くなる橙が唯一の救い。
その更に隣りで、出涸らしの茶を啜る目出度い巫女のことは考えないようにしよう。
「あ、そうだ。こうすりゃいいのよ」
飲み終えた湯呑みを脇に置いて、霊夢が拍手を打つ。
嫌な予感がした。
天狐だけに、そういうのはよく当たる。
キツネ関係ないけど。
「腰を軸にするんじゃなくて、足首を軸にすればいいのよ! そうすれば、ちゃんと頭蓋骨に脳漿が溜まるじゃない!」
「いや、だからね。最初から頭蓋骨に大脳も小脳も脳幹も収まってるんだけどね。というか聞けよ馬鹿」
「よし、それじゃあ一度試してみましょう」
聞いてないよ馬鹿。
泣きたい。
咽び泣きたい。
あなたの胸に抱かれたい。
もはや意味さえ分からない。
なんだかんだ言って、霊夢こそ頭に脳が嵌ってないんじゃなかろうか。飛び過ぎで。
きっと、そのドス黒い腹で物を考えているに違いない。
「ほら、きりきり立って」
「きりきりしてるんだけどな、主に胃が……」
笑えない冗句だった。霊夢も反応しないし。
彼女に引きづられ、マヨヒガの巨大な庭に放り出される。
この広いマヨヒガに、三人きり。たまに剥奪者やら破壊者やらがやって来るものの、基本的には三人ぼっち。
そういう経緯から、多少暴れたところでどうということもない。
「さぁ! さくさく行くわよー!」
「行くなよ。来るなよ」
やる気なんか、ある訳なかった。
というか、霊夢が何故にやる気満々なのかも理解できない。
好意的に考えれば、疑問を疑問のままにしておけないタイプなのかもしれない。
ある意味、純粋であり。
ぶっちゃけ大迷惑だった。
「そんじゃま、頑張って動きなさいよー。
――りんぴょうとうしゃーかいじんれつざいぜーん。
『八方鬼縛陣』」
容赦なかった。
霊夢が宣符した瞬間、空気と空間と時間と感覚が反転を開始する。
「いきなり神技かいッ! えーい、後悔しても知らんぞ!」
主に自分が。
「私が許す! 泣き叫び咆え狂い給え!
『十二神将の宴』!」
藍の腕から、十と二つの式神が具現する。
式神が式神を使い、八陣を十二の方角から攻め崩す。
叩き付けられる霊圧に身が軋み、空気の薄い方へ移動していく――。
一応、くるぶしを軸に回転しながら。
結果。
「……うぷっ」
酔いました。
狐なのに。
いつもあんなに回ってるのに。
若干悔しい。
藍に苦渋を舐めさせたところの博麗霊夢は、惨々たる結果を目の当たりにし、
「なーんだ」と言い残して居なくなってしまった。
……訂正。しっかり茶碗と皿は持って行ったが。
結局、回転の真相は聞かずじまいだった。
藍にしても、それほど重い意味がある訳ではなく、単に弾を避け易いとか弾をばら撒き易いとか、そのくらいの意味しかなかったのだが。
「一体、何がしたかったんだ……」
それは誰にも分からない。
分からない、が。
千鳥足で舞い戻ってきたマヨヒガの自宅に、見知った顔がひとつ増えていたことは分かった。
「……紫様」
「んー」
藍たちが縁側が離れている隙に、黒猫の隣りには主君たる八雲紫が陣取っている。
彼女は、緩み切った橙の表情に微笑みを浮かべながら、橙のヒゲを引っ張ったりお腹の敏感なところを指でなぞったりしていた。相変わらず、やりたい放題である。
見ていたなら助けてくれてもいいのに、と絶対に聞き入れてくれそうにない質問を投げ掛けようとして、紫の言葉に上手く遮られる。
そのときも、嫌な予感はしていたのだ。
要するに、いつも通りということだが。
「なんか、面白そうなことしてるわねぇ」
「あれが面白いと感じられるのなら、紫様も相当なものだと思います」
「私は、スキマで物を考えるタイプだからー」
意味が分からない。
きっと、脳がスポンジ状になっているとかそんなんだろう。
「用事が無いのでしたら、ちょっと休ませてください。目出度い巫女にしてやられた直後ですから――」
「藍」
紫らしからぬ、有無を言わせない口調だった。
とりあえず、十二神将の宴をぶちかますなら今のうちか、と思いながら、諦めてその指令を耳に入れる。
今日は良い天気だなあ。
明日も良い天気だったら良いのに。
「明日から、あーいう回転にしなさい」
「嫌です」
即答する。
えー、という苦情も耳を塞いでシャットアウト。
……どうして、自分の周りには頭が回らない連中ばかりなのか。
それはやはり、身体を回していないから頭が回らないのだろう。
自転による遠心力を利用し、脳を頭部に集めていないからだと思い至り――。
次の瞬間には、軽く欝になる八雲藍だった。
−幕−
SS
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