鬼乳
 〜 produced by Fujimuraryu and Unikata

 

 

 

 良い天気である。
 吸血鬼にしてみれば曇り空が適度に良い天候ということになるだろうが、人間の博麗霊夢にとっては晴れた空が素晴らしい天気なのであった。洗濯物も乾くし、ご飯もおいしい。世は全てこともなしであった。
「ねえ霊夢、私、貧乳同盟脱退するから」
「いきなり出てこないでよ萃香。つーかなんだよその同盟。聞いたことないよ。でも脱退するなよ寂しいだろ」
 が、平穏は破られるからこそ平穏なのである。
 伊吹萃香は相変わらずの平坦な体型であって、俗にいうちんちくりストだ。
 縁側で楚々とお茶を啜っている霊夢の前に、齢何年か知れない彼女はいきなり現れてはよく分からないことを言って、霊夢を巻き込んでいくのが日課になっていた。
 霊夢も基本的に受動的な生き方をしているから、プッシュプッシュの小鬼には押され気味なのであった。
 しかし最後の台詞だけは彼女の本音である。
 寂しいしさ。
「私の能力で歳を萃めてこれから成人になるからね。たゆんたゆん」
 不思議な擬音を引っ張り出し、無い胸を張ってみせる伊吹萃香。
 器が小さいのか大きいのかよく分からない。少なくとも、おわん型にすらなっていない胸には器もない。
「どっから歳を萃めてくるのよ」
「紫なら沢山歳もってそうだし頼めばくれるんじゃない」
「あー、喜んでくれそうだなあの昔の少女」
 霊夢もそこそこ致命的なことを言うが、特に聞かれていても問題はない。
 若干寿命が縮むかもしれんが。
「交渉が難しいようだったらヤクザっぽく相手を脅す予定だから。霊夢はボスっぽく後ろで見ててくれればいいから」
「何様だよ私」
 立ち位置がよく分からない。
 というか何故そこまで自信があるのかも不明瞭だし、おっぱいを大きくして一体どうするのか、使い道はあるのか、人気者になるつもりかとか、いろいろ言いたいことはあったが、やはり巻き込まれ属性の霊夢は重い腰を上げるのだった。
「というわけで出発ね」
 どうせなら、私のもちょいちょいといじってくれないかしら――と、霊夢は何となく思った。
 口に出したら負けです。

 

 

「おい、こらおまえら。マヨヒガになんの用だここは通さんぞ」
 適当に迷えば辿り着くのが我らがマヨヒガである。
 最近は不法侵入者が多いのか何なのか、構えから根性とか気合とかが窺えない八雲の式。
 句読点も少ないし。
「案の定狐が出てきたわよ、萃香」
「大丈夫、霊夢。ヤクザっぽくいくから。ヤクザっぽく。私は外の事情に詳しいから任せといて」
「そう?」
 いまいちピンと来ないが、とりあえず立っていればいいのだろう。霊夢はぼーっとしていることにした。藍にしても、変身のポーズを決めるヒーローよろしく相手の出方を待っているだけだし。
 ところでヤクザって何だろう。
 座薬のアナグラムだろうか。
「聞いているのかお前達――」
「おいそこのキツネー」
「はい?」
 一応、藍も狐ではあるから咄嗟に反応する。
 一方、脅しになっているかどうかは分からない萃香の脅しは続く。
 それは霊夢の理解力やら勘の良さうんぬんではなく、もっと別のお約束的な外力によるものだろうと思われる。よく分からんが。
 とにかく続くったら続く。
「おまえ尻尾九本だからっていい気になってるんじゃねえぞこらー。これ以上通せんぼするって言うなら植毛してもう一本尻尾増やしてやるんだからなちくしょうめー。幻想郷は十進法だから次は尻尾の数が二桁になっちまうぞそれでもいいのかこんちくしょー」
「ば、ばかっ。私の尻尾は九本だからこそ何か苦とかそういうネガティブなイメージを醸し出せるんだぞ。十本になったらキリがよすぎるじゃないか。ホテルに泊まるときの部屋番号で四と九は避けるだろ」
「ハッ! だったらさっさとそこを通しなー」
「くそー。お前らなんて紫様に隙間に落とされるまでもなく、アマプロ通して時代世界を獲ったワン・ツーで殴られちまえー」
 口惜しそうに道を譲る八雲の式。
 あんまり悔しそうに見えないところがネックである。
 さては、暇なのだろうか。
「はいOK。通るよ霊夢」
「あんたら頭が緩くて楽しそうね……」
 さては、脳みそに隙間とか空いてるんだろうか。
 狐だし。

 

 

 マヨヒガのどこかにある下町情緒あふれた天然自然の家。
 ぶっちゃけ単なる平屋建ての一室に八雲紫は棲んでいる。スキマと共に生きスキマと共に老ける存在であるため、この場所も常に仮住まいなのだろうがとにかく今はここで爆睡している。爆発するがごとく眠っている。
 が、それを情け容赦ない手段で覚醒に導いた、八雲藍の手腕もまた注目して然るべきである。
 まさか柿の種にあのような潜在能力があるとは今の今まで知らなんだ。あーくわばらくわばら。
 とか、そうこうしているうちに紫はのそのそと目を覚ます。後頭部の柿の種がちょっと愛らしい。
「なによ藍……。私今寝てたところなんだけれど」
 いつも寝てるじゃねえか、という突っ込みは面倒なのでやめた。
 いつものことだし。
「あのですね、紫様。伊吹萃香が紫様の歳を欲しいといっているのですが」
「はぁ……。勝手に持っていけばー……」
 あまり眠すぎて、いろんなものがどうでもいいらしい。
 寝巻きがはだけて若干あられもない素肌を晒しているような気もするが、8割スキマなのでよく分からない。きっとシワとかシミとかを隠しているに違いない、と霊夢は思ったが口にはしない。
 どうでもいいし。
「んじゃあ貰うね」
 よいしょ、と萃香は両腕を斜め上に突き出す。
 たぶん、その動作に意味はない。

 

 みょんみょんみょん

 

 なにその不思議擬音。
「すごいわ、霊夢! 既に百年単位で歳を萃めたのにまだ紫に変化がない!」
 何が凄いのかとか聞いちゃだめだろうか。
「いや、なんというか、微妙に肌のつやが良くなっているような」
 思わず霊夢もフォローに回るが、良くなったと断言できないのが辛いところだ。
「お、おまえら! もうそのくらいにしておけ! これ以上紫様の歳を吸い取ったらどうなると思っている!!」
「うるさいなキツネ。どうなるってんだよこのやろー」
「若くなったのをいいことに青春乙女よろしく発情して盛ってきたらどう責任とってくれるんだ!」
 どっちが獣だか分かったもんじゃなかった。
「べつにいいじゃない。デートでもしてあげれば」
「ばかっ! 紫様だぞ!! 青春時代とか多分千年位前だぞ!? 石斧に恋文を結んで投げつけてきてその内容が『一緒にアルタミラ洞窟で野牛の壁画を見ましょう』とかだったらどうするんだよ!!」
「こしみのつけて原住民的雨乞いでも踊ってろばかやろー」
「あんたらすこし落ち着きなさいよ」
 切なる願いであった。
 まあ無視されるんだろうけども。
 藍は、今の啖呵を紫に聞かれたらどうしよとか考えないのだろうか。紫はナマケモノよろしく熟睡しているからいいものの、千年前はアルタミラというより蹴鞠や短歌じゃないのかとか、もっと基本的なところを指摘すべきではないのか、と霊夢はいろいろ思ったが結局考えるのをやめた。
 お茶とか出てきませんか。出てきませんか。
「まあいいわ、みなさい! この伊吹萃香! だんだん育ってたわよ! 今肉体年齢十六歳くらい!! 最終的には十八でいいかな」
「あぁー。確かに背が伸びてる」
 適当に手を叩く。
 どういう原理かは知らないが、サルからヒトに進化する過程を一足飛びに見るような、ちょっと見てはいけないものを見てしまったような感覚ではあった。
 あと、服はあらかじめサイズでかいのに変えとけ。

 

 みょんみょんみょんチーン

 

 だからその不思議な擬音は何なんだ。
 誰も答えちゃくれないが。
「完了! 萃香十八歳爆誕!!」
「おぉー、スレンダーで予想以上の美人ね」
 予想『以上』というところに気が付かないのが、萃香の長所であり短所でもある。
 正直なのは良いことだ。多分。
 だが、想像を絶する美人であることは確かである。しかも常時アルコールを摂取しているもんだから、無意味に頬が赤らんで緩んだ表情をしている萃香の無防備さたるや、鬼だの貧乳だの関係あるかボケ! 帰れ! と言った風情である。
 この身長になれば、長かった栗色の髪も赤いリボンもよく映える。丸まっていた顔も細く締まって、口元も小さく引き締まっているように見える。瞳は紅く、相応の妖艶さを窺わせる。
 いまいち据わっていないように思えた首も、あらわになった鎖骨の上にちょこんと置かれていた。ともすれば、ぜい肉を極限まで削ぎ落としたかのような無駄のない身体にも、女性らしさを醸すための肉が付き、丸みを帯びた腰や肩や腕や太ももは、多少筋肉質ではあるものの、黙っていれば声が掛からないのがおかしいくらいの女性に成っていた。
 が、萃香は萃香、外面を変えようがどうしようが、器の中身は同じものであって。
「でしょ! そして、馬鹿にされていた胸の大きさだって!!」

 

 すとーん

 

 聞き慣れた絶音。
「なにその断崖絶壁」
「う、うそぉぉぉ!! なんでぺったんこのままなのよ! 今私の肉体年齢は十八歳くらいのはずなのに」
「そもそもが貧乳だったんでしょうね」
 自分の心まで切り裂くような台詞だった。
 もう慣れたと思っていたのに、この心にもまだ痛みを感じる神経が残っていたか。再発見である。
 胸元以外は成人と化した萃香を、胸元から何まで成人女性と化した式神が嘲り嗤う。
 関係ないけど、なんか無性に腹立った。
「あっはっは。紫様の年齢を奪おうなんてするからだ。なんだよつるつるかよ。ロッククライミングの難所かよ。マロリーだって『そこに絶壁があったから』とか言って登頂諦めるくらいの絶壁っぷりだよ」
 自分の心まで切り裂かれるような台詞だった。
 お茶がうまい。
 と、飲んでもいないのにそんな現実逃避に浸りたくなる。
「黙れキツネー!! くそー、こうなったら歳なんて曖昧なものじゃなくて直接乳を萃めてやるからなー! いくわよ霊夢!!」
「え? どこへ?」
「もう来るなよー」
 いやまあ、また来るけど。

 

 

 高く高い、長く長い階段は言わば目印のようなものである。上らずに飛ぶ、というのは非常に楽ではあったが、堕落しているような感もないではなかった。
 ふよふよと上を目指していると、目の前に白玉楼の門が現れる。そこをふよふよと通り過ぎると、高枝切りバサミの代わりに楼観剣を振り回している妖夢と鉢合わせた。
 ちゃんとしたハサミ使えよ貧乏人かよとも思ったが、くだんの二刀はあんまり錆びないらしいので、そっちの方が合理的なんだろう。いつ敵の襲撃があるか分からないし、と目下のところ外敵最有力候補の霊夢は思った。
「あ、霊夢に萃香。珍しくもないけれど白玉楼に何の用? ってうわっ。なんか子鬼が育って若鬼になってる」
「おいこらてめー半霊ー具体的には妖夢ー。そこをとおさねえと痛い目にあうぞーこらー」
「すごむなよ」
 ポケットに手を突っ込んで下から威嚇する萃香の姿は、肉体年齢(仮)18歳と相まって非常にアンバランスである。子どもが背伸びしているのではなく、大人が子どもを演じているような違和感。
 かと思いきや、中身はいつも通りの鬼っ子萃香であるため、さほど異様な感じがしないのは幸か不幸か。
「!? 鬼+巫女が攻めてきた! いいだろうこの白楼剣ともう一本くらいで中途半端に叩き切ってやるかもしれない!!」
「あんたも勘違いし易すぎだから」
 これまた突っ込み甲斐のある連中が揃ったもんである。
 実はお前ら私を嵌めてるんだろと思いたくなるくらい、いつにも増してヒートアップ&テイクダウンしている彼女たち幻想郷ウーメン。
 そういや、自分もこいつらと同じ空気を吸ってるんだわねえ、と霊夢は他人事のように思う。
 今までの流れからすれば、きっと今回も自分は蚊帳の外なんだろうと霊夢は考える。そういう時はお茶に限る。
 なら、ここにはお茶とかお茶請けの煎餅とかあるかしらと、早くも周りをきょろきょろし始めていた。
「というわけで幽々子にあわせろやーこらー」
「はあ。まあ、別にいいですけれども。幽々子様ー。幽々子様いらっしゃいますかー?」
 いまいちどころか全くと言っていいほど話は繋がっていないのだが、たまたま周波数が合って別の国のラジオが混線するがごとく事態は進展する。
 主人が呼べば従者は現れるも、その逆が真になることは稀である。
 が、主人らしからぬ主人がかの亡霊の生き様である。どこからともなく現れ、そして瞬く間に現状をしっちゃかめっちゃかに掻き回す、諸悪の根源と呼んで差し支えない世界のギャストリドリーム。西行寺幽々子の降臨である。
 西行妖の瘤の中から出てくるあたりが斬新である。
「あら妖夢。今日も弄られ属性桜満開ねー。どうしたの?」
「この鬼+巫女がなにやら用だと言っているのです」
「なんだこらー、鬼+巫女、ってー。どうせなら鬼巫女って略せー」
「鬼のように巫女ね」
 西行妖・奇跡の大脱出を華麗にシカトする妖夢も、相当年季が入っている。
 それでこそ西行寺の庭師に相応しい――と幻想郷のどこかで幽退した妖忌が呟いたかどうかなど霊夢は知らないし、結構どうでもいい。
 ところで、鬼のように巫女というのはどういうイメージ付けなんだろう。角隠しとかそんな感じか。
「まあいいわ、それで何の用かしらー?」
「それそれ!」

 

 ビシィッ!

 

 みなさんのニーズにお応えして、今回はより分かりやすい擬音になりました。
「幽々子! あんたの乳を貰いに来たわ!!」
「え? 赤ん坊でも拾ったの?」
 二者の間には、どうも見解の相違があるらしい。
 しかも、成長した萃香が幽々子に母乳を催促しているような構図が束の間に成り立ってしまい、何だかとても文々。のネタになりそうな不穏な気配がそこかしこに漂っていた。
 とにかく、誰でもいいからお茶出してくれないだろうか。だめか。じゃあ白湯でもいい。己の器のでかさを誇る霊夢だが、やっぱり口に出さないと誰にも気付いてもらえないのだった。
 鬼巫女は悲しい。
「違う違う! 幽々子! あんたの乳を私の乳へ萃めるの!! 半分も貰えば私の体型ならたゆんになれるわ覚悟しろ!」
「ば、ばかなっ!! そんなことを幽々子様が許すと思っているのか!!」
「いいわよー」
「おい幽々子様あぁぁぁぁ!!」
 この人たち本当に元気だなと霊夢は思う。全員人外だが。
 しかし、本当にお茶はおいしい。
 ていうか誰も出してくれないから一人でお茶飲む振りしているだけなのだが、それさえも気付いてくれないと非常に悲しくて鬼巫女はとても辛い。
「んじゃー頂くねー」
 やっぱり両手を斜め上……ではなくて水平に構える萃香。対象の身長に関わっているらしい。
 でも大した意味はなさそうだった。

 

 みゅるみゅるみゅる

 

 擬音に関してはもうどうでもよくなってきた。
 特に害がある訳でもなし、まあそういうものだと思っておく。
「……あれ?」
「なんも変わらないわね。というか萃められてなくない?」
 相も変わらずのぺったんこイズムである。
 こうも肩透かしに終わると、関係ない身分でも何だか悲しくなってくる。
「う、うそっ! 確かに私は幽々子の乳から乳を……はっ!?」
 何か、決定的な事実に思い至ったらしい萃香は、身を翻して不敵に笑う幽々子と相対する。
 いまいち展開に付いていけない霊夢と妖夢だが、霊夢は半分くらい理解を放棄している。だからお茶くれと思っていた。
「ふふ。気づいたようね、精神的子鬼さん」
「え? なになに?」
 念のため、聞くだけは聞いてみる。
 どうでもいいが、小さい時はだぼたぼだった萃香のスカートは、こうも育つと歩くたびに膝がちらほらと見える位置に収まっていて、無駄に艶かしい。
「萃香。貴方は私のおっぱいから母乳を搾り取ろうとしたわね!! でも生憎、私のおっぱいから母乳は出ないの」
「馬鹿なっ。じゃあそのむかつくくらいでかい乳には何が入ってるって言うんだこんちくしょう。愛と勇気が詰まってるとか言いやがったら夢と希望のハリウッドに直送するぞーうがー」
 幽々子のそれと自身のそれを見比べ、愕然と肩を落としながら頭を抱える器用な萃香。
 だが、どっちも言っていることはエロおやじと大差ない。
 あと、何が入っているのかと問われれば、それは脂肪だろうと言う他にない。というか、そういうことはもっと前から理解しとけと。
「あ、あの、お二人とも少し下品すぎます……」
「安心して妖夢、決して従者であるあなたの顔を汚すような下品なことは言わないわ」
「ゆ、幽々子様……。はい! 信じています、いつだって!」
 無理やりに主従の情を育まなくていいから、と霊夢は茶を啜る振りをしながら思う。
 今度、もしあるのならパントマイムの大会にでも出てみようか。ないか。ないよね。
「話がずれてるぞこらー。なんで幽々子が乳でないんだおいー」
「孕んでないからに決まってるじゃない」
「いや下品ですよ幽々子様あぁぁぁぁ!!」
「あなたたち楽しそうね……」
 そもそも亡霊が妊娠できるのか、相手はいるのか、生理うんぬんという細かな疑問が、心の水面に浮かんでは消える。
 世の中は不思議でいっぱいだ。
 そんなんで片付けていいものか微妙だが。
「くそぅ! 霊夢! 作戦失敗よ! 次へ行くわ!!」
「えー? 次ってどこよー」
「ほらほら早く!!」
 じゃあね、と幽々子の襟首に掴み掛かる妖夢に言い残す。
 視界の端に、扇一枚で足元を掬われる半霊の雄姿があった。

 

 

 竹やぶを抜けると、そこには純和風建築家屋がどんと構えていた。
 紅魔館同様、内部の空間をいじくって拡張しているものだから、外見こそ巨大ではないが、その内部はまさに天国へと続く階段を思わせる永遠の回廊だ。
 そのわりに、玄関は引き戸と至って庶民的な造りになっているところが、実用と理想の限界である。
「永遠亭へ何の用!? ここは通さないわよ!! って、なんか萃香、服がピチピチね。そうゆうプレイ中だったなら邪魔してごめん!」
「ほら萃香。あんたが中途半端に育つからうどんげが混乱してるじゃない」
 待ち構えるは、永遠亭が誇るいじられキャラこと鈴仙・うどんげ以下略である。
 というか人間の形をしていること以外はほぼウサギだった。
 その鈴仙、むちむちぴちぴちな服を纏っている萃香を目の当たりにして、なんか知らんが頬を紅潮させていた。うぶである。うぶなうどんげ略してうぶげである。
「うるさいなー。こらウサギー。さっさと通さないと萃香ファンド組んで円を攻撃するぞー。外資が入らなくなって永遠亭も火の車だぞこらー」
「えっ!? なんかよくわかんないけどそれは困る!」
 分かりやすく、後退りながら動揺する鈴仙。耳がぴょこぴょこ前後しているところが、どうも狙っているように見えてならない。
 萃香の言っていることなど霊夢にはちんぷんかんぷんだったが、何となく困るような気はした。
 特に円とか。
「あっはっは。それでも通さないってんなら、おまえんとこのお姫様の内部プログラム書き換えて、繰り返し文の中に条件文入れてやるぞー。計算回数がものすごいかさんで処理落ちするぞーおいー」
「こ、これ以上輝夜様の動きが遅くなったらニートどころかNot in Employment, Education or Trainingになっちゃうじゃない!」
「意味同じだからね」
 こいつら無意味に詳しいな、と霊夢はいつものように思い、本人らが楽しそうなのでほったらかしにしておいた。処理落ち率が何%なのか多少は気になるが、今も50%は維持していそうだから結果は同じだ。
 そろそろお茶が欲しくなってきた。辺りを見渡してみると、果てのないように見える廊下の彼方から、センスの悪い赤十字社員のような格好をした、見た感じ医療関係に従事していそうな女性の姿が目に飛び込んできた。
 とりあえず外見のイメージを重視してみたが、つまるところ永遠亭の天才薬師・八意永琳と言えば説明は付く。
 師匠の登場に、鈴仙はたまらず永琳の影にすがりつく。やっぱり耳がぴょこぴょこ蠢いているところがどうも作った天然を思わせる。一回引っこ抜くべきかと本気で思っている。
「し、ししょー。助けてください師匠ー。なんだか比較的新しい手法でいじめられますー」
「あら、どうしたのうどんげ。そこの二人は私に何か用?」
 やはり、トップに近い人材は対応も丁寧だ。萃香が成長したことへの突っ込みはしない。天才は無駄なことを省略する傾向がある。優曇華院をうどんげと言ったりとか。
 萃香も、永琳の大人な対応にすっかり毒気を抜かれ――ることもなく、幽々子にしてみせたようにビシィッと永琳の胸を指差した。
 身長はほとんど一緒なのに、胸部だけ格差があると何だかとっても滑稽である。萃香が苦虫を噛み潰したような顔をしているのも分かる。霊夢にも分かる。
「でやがったな巨乳医師! さあ、豊乳剤をわたしやがれ!」
「あぁ、薬の力に頼るんだ」
 脅してるのかお願いしてるのかよく分からない。
 いつの間にか、手のひらが裏返って何かを催促する手付きになっている。正直者だ。
「そんなもの無いわよ」
 あっさりと返す。
 えー、と萃香は露骨に嫌な顔をする。無関係ではあるが、というか関係があると思いたくはないが、霊夢も一縷の望みが打ち砕かれたような、まあいいか、と自分に言い訳しているような、複雑な精神状態に陥っていた。
 こういう時は、お茶に限る。って、ないよ。お茶ないよ。誰か出してよ。
「えぇーうそぉー。だってあんた巨乳じゃん! これ以上熟れたら腐って落ちるぞ! 果物は腐りかけが一番おいしいし」
「これは自前。それに乳房の大きさに母乳の量は比例しないわ。子育てするなら別に貧乳でも全く問題はない」
 こっち見んな。
「おいなんだよその正論。つーか子育てじゃないよ。見た目の問題だよ」
「シリコンを打ち込んだり脂肪を移植したりしてあげてもいいけど、お勧めはしないわねえ。いずれ型崩れするし、乳癌の発生率も高まるから」
「くそー。霊夢ウーマンー。巨乳の輩がいじめるよー。なんとかしてよー」
「そろそろ諦めなさいよ萃香」
 何だかとても疲れたし。
 胸に縋り付かれても、特に引っ掛かりもないから萃香の手なんか簡単に滑り落ちる。
 酷く傷付いた。
 ついでに、萃香に可哀想な目をされる筋合いなど存在しない。帰れ。
「そうそう、師匠が豊乳剤なんて持ってたら、私が先に貰っているわよ」
「くあー! 黙れお椀型ウサギ! 百円ショップのお椀と京塗りお椀の区別もつかないくせに!!」
「ひぇっ!? ご、ごめんなさい」
「収拾がつかなくなりつつあるわね……」
 ついでに、どこがお椀型なのかとか聞いちゃだめだろうか。
 それ以前に、見たことあるのか。萃香ならありえそうだから非常にプライバシーその他が危ういと言っていい。
 傍若無人ぶりでは永遠亭の姫にも引けを取らない萃香のこと、永琳が諦めるのもまた早かった。
「あー、はいはい分かった分かった。貴方には特別に豊乳剤をあげるわ萃香」
「えっ。本当!? ていうか、あるのかよ豊乳剤。早く言えよ」
 喜びも束の間、いきなり横柄になるところが切羽詰った人間の特徴である。鬼だけど。
 永琳は、嘆息と同時にポケットから注射器と手のひらに収まるサイズの小瓶を取り出す。濃い茶褐色の表面からは、中身が何なのか全く予測出来ない。
「はい、注射するから腕出して」
「おぅ。ぶすっと刺して。ぶすっと。もっと大量に注ぎ込みなさい」
 何の疑いもなく透き通った腕を差し出す辺り、胆が据わっている。
 萃香の腕を改めて見ると、一振りで天蓋の月を破壊するとまで言われた萃香の腕からは、アザもキズもぜい肉も削ぎ落とされ、美しくも柔らかい筋肉の鎧を纏っていた。
 そこに、ひとつの針が侵入する。ちくり、と音がしそうなくらいの領域侵犯に、思わず霊夢の顔まで引きつる。

 

 ちゅー

 

 特にいやらしいことが起こった訳ではありませんので悪しからず。
「はい完了。お大事に。脱脂綿で注射痕を暫く抑えて。今日はお風呂入っちゃだめよ」
 永琳にぽんと背中を押され、喜色満面の表情で霊夢に駆け寄る萃香。元が超絶美人で、さっきまでずっと仏頂面をしていたこともあり、いきなり満面の笑顔を見せられたりすると、女の身であってもちょっと「いいかなー」なんて感じ入ることしばし。
 だが、そんな邪念は財布の中身を想像すればあっという間に掻き消える。
 その後、数秒ほどへこむ。
「エタノールの脱脂綿て酒の範疇に入るのかしらね? 霊夢」
「あんたなら工業用アルコールでも大丈夫よ、きっと」
 そうかなー、と若干お酒くさい息を吐き出しながら、霊夢の無い胸に縋り付く。だから触るなと言っておろう、貧乳神の鉄槌が下されるぞ、とレトリーバーに懐かれる子どものような気分にて萃香の頭を押しやる。誰が幼児体型だ。誰が局地的直下型栄養失調だ。
「あははー、うん……あれ……」
 と、急に胸を掴む力が弱まり、萃香の表情からも生気が失せ始める。
「ぐあ……」
 呻きを最後に、霊夢の腕の中で萃香が突然脱力する。
 あまりに突然の出来事だったので、訳も分からずに萃香の頭を小突いたり肩を揺すったり、ついでに胸が膨れていないかどうか確かめたりしたが、身体のどこにも異常など見られなかった。多少なりとも、筋肉が弛緩している程度だろうか。呼吸も酷く弱い。
「え? 萃香? どうしたの?」
「……」
「ぐったりしちゃったわよ」
 多少強めに萃香の頬を叩く。
 ほっぺたの赤みが、打撃によるものか酩酊によるものか分からなくなるくらいまで叩く。

 

 ……。

 

 ザ・無反応。
 というか目が死んでます。白目白目。白眼白眼。
 いやこれマズイんじゃないのか本当に。
 もはや物干し竿に引っ掛かったサラシ程度の密度しかない萃香を、しめしめと言った表情で佇む永琳に差し出してみる。
「豊乳剤と偽り、クロロホルムを注射してみました」
「さ、さすがです師匠ー。鮮やかな場の収めっぷりです」
 師匠が師匠なら弟子も弟子である。
 尊敬の眼差しで見上げているところが特に。あと胸が邪魔でいまいち見上げ切れてないところとか。
「いやあれって注射するもんじゃないでしょ。少量を気化させて吸わせて呼吸困難とか酸欠とかそんなでしょう。というか萃香死んじゃうような気が」
「鬼の出鱈目な体にはそれくらいがちょうどいいのよ。肝臓強そうだから大丈夫でしょう」
「うわ、嘘くさい……」
 永琳は、胸の前に注射針を構えながらに悠然と語る。
 確かに、年がら年中飲んだくれていれば、薬物に対する耐性は嫌でも付くだろう。それ以前に、アセトアルデヒドそのものが発現していない印象すら受ける。
 今の萃香が酔っ払った挙げ句に倒れ伏した姿なら、いくばくかの可愛げもあるというのに、白目を向いて弛緩した身体を他人の身体に預けている現状は、いくら自分に正直な鬼と言えどもそう易々と他人に見せていい姿とは思えない。
 放っておいても丑三つ刻になれば自動的に霧と化し、勝手に個人情報を保護するものと思われるが、毒殺される寸前にまで追い込まれた者を野ざらしにするほど、霊夢も人間をやめていない。
 よいしょ、と急激に成長した萃香を担ぎ込み、いそいそと永遠亭を後にしようとする。
 その背中に、ちょっと待ちなさいと永琳が声を掛けた。
「はい、この薬を処方箋として出しておくから。この子が寝てる間に飲ませておきなさい」
 彼女が差し出したのは、紫と黒を足したような、怪しい色の丸薬が入った小瓶だった。先程の、豊乳剤と偽って注入したクロロホルムの瓶と同じ材質である。
 受け取ってはみるものの、知らずと目が細くなってしまうのはやむを得ない。
 ラベルを見れば、いつかどこがで読んだことがあるような、そうでもないような名前を発見する。
「……胡蝶夢丸? なにこれ」
 それはね、と永琳は前置きして、人差し指を唇にかざし。

「夢の中で夢を叶える薬よ」

 と、実に厭らしく囁いてみせた。

 

 ☆彡

 

 一晩明けて、良い天気である。
 朝の博麗神社には、運が良ければ味噌汁や鮭のおいしい香りがたちこめる。今日はその幸運な日なのだが、引きずってきて力尽きた居間に転がっている萃香を見るたび、どうにも死体に社務所を占拠されているかのような罪悪感を覚えるのだった。
 たまに、レム睡眠とノンレム睡眠の移行に関する断絶と結合の不和だか知らないが、いきなり身体が消滅したり部屋の隅に移動してたりするのは心臓と頭に悪いので勘弁して欲しい。ごはん(五分盛り)もろくに喉を通らない。
 そんな厄介な朝が、太陽と共に昇って行こうかという時、霧散していた萃香が凄い勢いで実体化する。
「んー。うだー」
 寝返りを打って、その拍子にふらふらと半身を起こす。彼女の肉体は、まだ成長しきったままのパーフェクトスイカ(一部不具合)を維持している。
「萃香。起きた?」
 梅干を箸でつまんだまま、横目で萃香を確認する。萃香は、五秒ほどほへーと呆けた後。
「あ、あれ? なんでいつのまに博麗神社に戻ってきてるの?」
「瞬間移動とか優先順位高そうね。夢でも見てた?」
 自分が運搬したことなどおくびにも出さず、霊夢は白々しく言い放つ。
 萃香も、嘘は見抜けても隠し事までは見通せない。特に疑問を持った様子もなく、夢というキーワードに敏感に反応する。
「あー、そう、なんか知らないけど死神が出てきたのよね」
「……そりゃあ、クロロホルム直接体にぶち込まれたらね」
 やっぱり鬼でも無理だったぽい。
 呼吸しなけりゃ誰だって死ぬ。
 が、今現在の萃香は無茶苦茶元気なので、結果オーライとしようか。疲れたけど。
「そう! それで聞いてよ!! その死神のやろー、信じられないほど巨乳だったの!!」
「呪われてるわね」
「それでもう我慢できなかったから、この世全てのでか乳よ呪われろー、って死神に襲い掛かったのよ」
「落ち着けよ」
 どっちが呪われてるのか分かったもんじゃない。
 ぶっちゃけ両方とも呪縛が掛かっているということで丸く収めろ。もう。
 同じおっぱいだろう、何を争う必要があるっていうんだ……と、霊夢は声高に叫びたい思いだった。
「そしたら閻魔が出てきて、痛く私に共感してくれてさー。現世に生き返らせてもらった」
「貧乳同盟は生死さえ覆せるのね」
 奴も同類か。
 ていうか同盟員だったのかあの閻魔。
 バストサイズが一定値より下であれば、自動的かつ一方的に加入許可が下りるのか。そうなのか。
「で、転生した私は胡蝶になってて、しかも巨乳なの! いやー、楽しい夢だったなあ」
「あぁ、胡蝶夢丸ってそんなんなんだ……」
 事の顛末を飲み下し、梅干までも口の中に放り込む。
 現実は偽れない。真実は覆せない。胡蝶夢丸は、そんな簡単なことを教えてくれた。
 でも夢の方が現ってことすればいいんじゃね? 紫に頼んでみねえ? という心の声は綺麗に無視する。黙れ。帰れ。もういいかげん締めさせろ。
「んまあいいや、今日はこれで満足満足」
 萃香は手前勝手に満足してしまったらしく、ほくほく顔でよっこらしょと立ち上がる。
 ちゃぶ台の前に座する霊夢と比較すると、シマウマとネコくらいの差がある。ただひとつ、二者に共通する一点のみ同格であることを除けば。その一点とは何かとか聞くな知るな取材するな。
 梅干の種を骨までしゃぶって、切りのいいところで玄米の上にぺっと吐き出す。返す刀で、萃香に手を振ってやる。
「はいはい、お帰りはあちらよ」
 だが、なかなか萃香は立ち去らない。不思議に思って彼女を見上げれば、また何か面白いことを思い付いたような、意地の悪い笑みに変わっていた。
 思い出した。
 これが、真の伊吹萃香だ。
「じゃあさ、霊夢。ちょっと私の横に並んで立ってみて」
 ちょいちょい、と指を上下に動かして催促のポーズ。
 そこはかとなく嫌な予感に苛まれながらも、箸を置き、やたらモデライズされた萃香の横に立つ。
「ん? こうかしら」
「えーと……」
 横目で、自身と霊夢の身体を見比べる。
 初めに霊夢、次に萃香。
 そしてまた、萃香と来て、霊夢。
 主に、視点は胸の位置に収まっている。

 

 ……。

 

「ふ……」
「!? なによ萃香、その勝ち誇った笑顔」
 不安的中。
 しかもその流麗な赤い瞳で見下されると、萃香に対して絶対的な弱者であると思い込んでしまいそうだ。今は、萃香がふっと目を逸らしたので事なきを得たが。いやあんまり得てもいないが。
「いやーべつにー。急斜面よりは絶壁のほうがまだましかなーってね」
「な――」
 そして致命傷。
 しかるのちに、凍結。氷結。
「んじゃね、私帰るから」
 やりたいことだけやって、言いたいことだけ言って、周りをしっちゃかめっちゃかに掻き回し、自分だけ満足して消え去ってしまう。
 それが、伊吹萃香。
 成長しても変わらない。
 ……とか、綺麗に収められるか。
「待て。こら、霧散するなー! 急斜面ってなんだよ! えぐれてるのかよ!! おいー!!」
 朝霧が晴れてもなお静謐な空気に、伊吹萃香が溶けて消える。
 そこに箸や茶碗や御札を投げ付けても、返って来るのは自信たっぷりの笑い声だけ。
 霊夢は、とっくに消えてしまった鬼の姿を顧みて、ふと、自身の平坦な身体を見下ろす。見下ろす。見下ろす。どこかの誰かとは違って、地面までよく見える。
 すう……と息を吸い、吐き、思う。

 

 誰が貧乳やねん。

 

 

 

 

 


先手 会話文:うにかた
後手 地の文:藤村流


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2006年1月15日 藤村流とうにかた

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