変な人間と普通の妖怪
〜第二回東方最萌トーナメント・ルーミア支援SS〜





 曰く、妖怪は人間を食べるという。
 しかし、実際にその様を目の当たりにした人間は少ない。
 当たり前だ、妖に出会ったら最後、脆弱な人間は抵抗もむなしく貪られるだけ、強靭な人間は妖を蹴散らすからである。
 偶然にも、半端な能力を持った人間、あるいは仲間を見捨てて逃げた人間が、妖怪が人を食うその瞬間を目撃してしまうことになる。
 彼らの目撃談を聞いて、その他大勢の人間は『妖怪が人を食う』というイメージを深める。
 中には、殺された人間のために復讐を試みる人間も居るだろう。
 しかしそれは無駄なことだ、捕食する妖怪は一匹のみではないし、捕食される人間もまた、一人だけではないのだから。




 もともと薄暗い森に夜が降りてくれば、闇の色が平地より濃くなるのは当然のこと。
 そこに妖が舞い降りるのも、幻想郷に居を構える人間であれは周知の事実であるが、たとえ危険であっても、避けて通れない道というものは存在する。
 夜の森を千鳥足で闊歩する男にも、危険を押し殺してでも進まねばならない理由があった。
 本当は家に帰って酒でも煽っていたかったのだが、依頼は依頼として応える必要がある。

「面倒な……」

 くい、と瓢箪を傾ける。仕事の最中に酒を飲むのは、嫌な仕事をする時の憂さ晴らしみたいなものだ。
 ――先ごろ、妖怪が人を食ったそうだ。
 それ自体はよくある話でも、如何せん食われた人間が問題だった。
 何でも、もう少しで祝言を迎える女だとかで、腹の中に小さな子どもがいたらしい。幸い赤ん坊だけは助かったのだが、片割れの男はたいそう嘆き悲しんだ。
 とはいえ、人の世に人の死は溢れかえっている。ひとつの悲しみは、幻想郷の天秤を揺らすまでには到らない。
 ただ、男はその天秤を壊してやりたいほどに妖怪を憎んだ。
 しかし、自分ではどうにもならない。だからせめて、女房を食った妖怪を捕らえ、自分の前に差し出してほしいと願った。

「……しかしなあ」

 傾けた瓢箪の中身もだいぶ軽くなってきた。木々の隙間から差し込む月光に目を細め、そこに妖の姿がないか確認する。
 何でも屋、という胡散臭い看板を掲げて生きていけるのは確かに楽だが、そのせいで楽ではない仕事を押し付けられるのは厄介だ。
 それに、信頼が全ての商売だから無碍に断ることも出来ない。
 火照った頬を冷えた手のひらで撫でつけ、不意に足を止める。
 今日に限って、なぜか妖の影も形も見当たらない。
 月が欠けていても妖怪は常に存在する。夜雀の囀りさえ聞こえないのも妙な話だ、と男は首を傾げ、懐から一枚の護符を取り出した。

「――や、某は人を食う妖と見て相違ないか?」

 姿なき人外に、時代がかった前口上を吐く。
 前方、やや上空には闇がある。月の光を遮って、それ個人が夜であるかのように闇を振りまく人の形。
 欠けた月を思わせるような金の髪、そして額のちょっと上につけた紅いリボンが印象的。
 あとは、誰が見ても判る普通の女の子であるくらいか。

「……う、あやかし?」

 年端もいかない少女の形は、男の台詞を理解しきれていないのか、不思議そうに問い返した。

「ああ、つまりは妖怪のことだよ、お嬢ちゃん」
「……うー、違うもん。私、お嬢ちゃんじゃないよ。ルーミアだよ」

 子どもっぽい言い回しが気に入らなかったのか、あからさまに拗ねるルーミア。
 相手が妖怪と知りながら、男は全く緊張しておらず、護符を指に挟むだけで構えすらしない。

「そりゃすまなかった。あんまり女の子と話す機会もないもんでね、少し緊張してるんだ」
「……別にいいけど。おじさん、こんな夜の森でどうしたの? お酒くさいし、ふらふらしてるし。……もしかして、自殺志願者?」

 目を輝かせながらルーミアが聞いてくる。
 いきなり襲い掛かられても困るので、男は苦笑気味に手を振った。

「いやいや、そんな殊勝な趣味は持ってないよ。それに、おじさんって年でもない」
「嘘だー」

 男の顔を指差してルーミアは即答する。やはり無精髭のせいだろうか、と男は多少傷付きながらも結論付けた。
 雑談はこれくらいにして、そろそろ本題に入ろう。

「ところで、君は人を食べたことがあるかい?」

 瓢箪の胴に括った紐を肩に掛け、自分にとって致命的な質問を投げかける。
 何が致命的かというと、それはルーミアを見れば簡単に判る。

「あるよ? それがどうかしたの?」
「最近、若い女を食べたことは? お腹に子どもがいて、片腕と胸がごっそり無くなってたらしいが」
「……う〜ん」

 覚えがあるのかないのか、空中にふらふら漂ったまま考え込む。
 その隙に、手持ちの呪符を叩き付けることも出来た。依頼人の希望は妖怪を生け捕ることだが、それが厳しければ生死は問わないと言っていたし。

 ――殺すこともやむなし。ただし、首だけは持ってきてくれ。

 ……妙な話だ。
 妖怪は片腕と胸を頂くだけで留めたのに、人間は首を刈れという。
 どちらも結局は大差ない。殺し殺され死に死なされて、泣き嗤い憎み苦しむ無間地獄はどちらにも平等に訪れる。

「……ごめん、なんか覚えてないや。牛とか鶏とかは、結構食べてた記憶があるんだけど……」
「ああ、家畜を襲った方が君なんだな。……まあ、村長から相談は受けていたが、別にいいか。消化したもんは返せやしないからな」

 どうせ報酬もなさそうだし、と男は護符を突き出した。
 それに反応して、ルーミアは一瞬顔をしかめる。朴訥な殺意は、つまるところ無邪気に人を殺せる程度の能力ということ。

「え、なに。……おじさん、私を取って食べるつもりなの?」
「食わない食わない。第一、君みたいな女の子のどこに食べるところがあるっていうんだ」
「……えっと、男のひとは、女のひとを食べると書いて送り狼と読む、みたいなー」
「よく判ってないことをひとに言わない」
「うー、いじわるー」

 口を尖らせる。
 もし自分の子どもがルーミアのように可愛かったのなら、それはどんなに素敵なことかと男は思う。
 しかしながら、夢想は夢想。過ぎたことを取り戻したいと思うには、男は少し長く生き過ぎた。
 ある意味、おじさんと評されるのも間違いでないくらいには。

「まあ、それは他の誰かに聞くといい。私が教えると差し障りがあるからな」
「どうして? 別に変なことじゃないでしょ?」
「……確かに変じゃないけどね」

 気まずそうに呟いて、男はルーミアの方に歩き出した。
 護符を一枚だけ片手に添えて、瓢箪の紐は腰に巻きつけ、それ以外は敵意も悪意も善意もなしに近付いていく。
 ルーミアは、その天衣無縫さを不審に思いながらも、接近する男を黙って見過ごす。
 おそらく、この男は自分にとって害にならないと感じたから。

「……うわ、変なことなんだ……。へんたいー、おじさんのへんたーい」
「変態じゃないっ。まして、君が初めに言い出したことだろう」
「知らなーい。……おっと、そのあたりにしておいた方がいいよ。それ以上近付いたら、おじさんがいくら酒くさくても我慢できないから」

 牽制してから、どうしてそんなことを言ったのか気になった。
 妖怪が人を食べるのは道理。
 ルーミアもまた妖怪であるなら、人を食べるのも間違いではない。
 それなのに、自分はどうしてこの男を食べないという選択をしたくなったのか。
 もしかして、この人間ともう少し話をしていたいと――妖怪ながらに思ってしまったのか。
 少女の中にぽつんと浮かんだ疑問符は、男の言葉によって即座に霧散することとなる。

「――そうかい。それは、良いことを聞いた」

 男は笑って足を止め――。
 そして、大きく右足を踏み込むことで戦闘の開始を告げた。




 護符と呪符の違いは、守りと攻めに集約される。
 自らを生かすか、他を殺すか。
 男が掴んだ符が護りを意味しているのなら、この戦いの意味は自然と理解できる。

「――っ!」

 命知らずな人間と話をするべく、低く飛んでいたのか仇となり、たかだか人間の跳躍はルーミアに肉薄する。
 瞬く間に近付いてくる男の顔は、いやににやけていた。
 極度の酩酊状態がそうさせるのか、それともこれが男の本質なのか。
 あんなに穏やかに話をしていた人間が、蓋を開けてみればただの戦好きだったというのか。
 ――裏切られた、と思うまでもなく、ルーミアは至近距離での弾幕を展開した。
 事此処に到り、遊びではないと判断。
 油断があったことを認め、全身全霊で目の前の敵と相打つ――!

「――『ナイトバード』!」

 闇に踊る新緑と紅葉、続いて月光の煌きが男を撃墜せんと襲来し――。

「『一重結界』」

 『遮るもの』と名付けられた符の効力が、ものの見事にルーミアの障壁を相殺した。
 その時点で双方の武装は皆無。
 お互いの表情が手に取るように判る。唖然とするルーミアに対し、男は喉元まで出掛かっていたげっぷを抑えるのに手一杯で。
 ……馬鹿だー、と変なところで笑いそうになり、一瞬殺すのを忘れてしまう。
 隙があったとすればそれくらい。ルーミアの正体を知らなければ、不意に魅入ってしまいそうな笑み。
 そこに、ルーミアの正体を知り、降下の始まった男がその闇に手を伸ばして――。

「わっ……」
「捕まえた」

 にやり、と人懐っこく笑って、十字に伸びたルーミアの腕を掴んだまま地面に墜落した。




 視界は闇、意識も闇……とくれば、次は命がお先真っ暗ということになるだろうか。
 ただし、男の場合は運命が明るかったようで、背中を走る閃光のような痛みが男を目覚めさせた。
 身体を起き上がらせようにも、身体は軋むし視界は暗い。仕方なしに目の前が晴れるのを待っていると、耳元で何やら女の囁く声が聞こえた。

「……ねー」

 まだ幼さの残る耳障りの良い声。
 それが聞いたことのあるものだと気付いて、男はようやく返事を返すことが出来た。

「……ああ、君か」
「……だからー、ルーミアだって言ってるでしょー? いいかげん、小ばかにした呼び方はやめてほしいと思います」

 子どもを窘めるような口調に、思わず顔が緩む。

「む、また笑った」
「……いやいや、すまない。君が――ルーミアがあんまり可愛いことを言うから」
「……そーなの?」

 追撃の声が緩んだので、男は暗闇に塗り潰されていた視界を押し開けた。
 ――ああ、なんてことはない。目の前が暗かったのは、ただ闇をまとった少女が傍に居ただけのこと。
 しゃがみこんだまま、心配しているのか呆れているのか判然としないけれども。
 妖怪なのに、弱った人間を食べずに黙って見続けていたのだ、このルーミアという少女は。

「そーだよ。……っ、と、あまり長居もしてられないか。腰も痛いし」
「……そういえば、おじさんって一体なにがしたかったの?
 いきなり襲い掛かってきたと思ったら、私を空から引きずり降ろしただけで……。
 やろうと思えば、殺せないはずはなかったのに」

 それぐらい出来るんでしょ、と男の懐を指差す。どうも、手を抜いたことには気付かれていたらしい。
 軋む背中を押さえながら、地面に胡坐をかく。さほど高い位置から落ちた訳でもないので、打ち身程度で済んだようだ。

「別に殺すつもりはなかったからな。やる意味もないし、そんなことで護符を無駄にする気もない」
「だったら、どうして」
「それはな……ルーミアに頼みたいことがあったから。
 まあ、下手を打つと逃げられる可能性もあったし、力が対等であることを明示して、それから交渉に持ち込みたかったのだ」
「……ん?」
「よく判らなかったか。すまん。
 よーするに、だ。ルーミアは首を切られても平気か?」

 ぶん、と無造作に振り抜かれた拳は、男の顔面に深々と突き刺さった。

「……なにをする、きさま」
「ルーミア、怒りの鉄拳ぱんち」
「名前はいいから。
 ……まあ、そりゃそうか。くび切られたらやっぱり痛いよなあ」
「当たり前でしょ! おじさん、さっきから何が言いたいのか全然判んない!」
「うーん、これでも簡潔に説明してるつもりなんだが……」
「どこがなのよ!」

 ぷんすか怒るルーミアに、男は今度こそ丁寧に説明する。
 ――近所の男が、妖怪に食われた自分の女房の敵を取ってほしいと頼んできたこと。
 ――その妖怪は出来れば生け捕りにしてほしい、でなければ首を持ってきてほしい。
 ――でもそんなのは面倒くさいので、そこらに居る妖怪に首やら何やらを捏造して貰いたい、と男が勝手に思っていること。
 その一部始終を話し終えた後、ルーミアは眠たそうに首を傾けていた。

「こら、寝るな」
「…………うはー、もうたべられないよー」
「寝言もベタだな……。とにかく起きろー」

 うつらうつらと平行移動する肩を揺する。
 途端、ルーミアの瞳がぱっと見開かれた。

「……はっ! もうこんな時間!?」
「まだ夜だが。……というか、寝てないだろ。自分」
「起きてるわよー」
「……まあ、別にいいけどな。ともあれ、ルーミアが頼みを聞いてくれてとても助かる」
「……え、私そんなこと言った?」
「言った、と思う」
「嘘くさい……」

 むむむ、と眉間に皺を寄せる仕草にも愛嬌がある。

「でも、指一本くらいだったらどうにかなるから、おじさんの頼みを聞いてあげてもいいよ」
「……指一本って、それでも結構な代償だろう」
「そんなことないよー。ちぎり方さえ良ければ、二日三日で生えかわるから」

 トカゲの尻尾みたいだな、と素直な感想を述べたくなったが、それは言わないで正解だろう。
 ルーミアは女の子だ、酷い言い方は避けねばならない。

「……ああ、でも助かる。ルーミアが話の判る妖怪で良かった」
「うんっ。私も、おじさんが変な人間で良かったよ。
 ふつうの人間だったら、きっと殺し合いにしかならないから」

 そう、悲しいことを何でもないように告げて、右の爪を左手の薬指に添え。
 ――痛みはあるのだろう、少し顔が歪んだ。
 紅々とした血が流れていくまでの過程を、男は目を離さずにずっと見続けていた。
 相手の痛みを希望したからには、しっかりその光景を目に焼き付けなければならない。
 それで相手の痛みが和らぐ訳ではないし、男自身の罪を誤魔化すための欺瞞に過ぎないのかもしれない。
 けれども。
 ほんの少しだとしても、そこに意味はあるだろうと思った。

「……っ。いたた……。
 ちょっと加減を間違えたかな……。あ、でも形はきれいよ?」

 はい、と差し出された小さな指を受け取る。
 それを清潔な布と、酸化しないために護符で包む。
 少女の血肉、加えてほんの少しの痛みと熱を手の中に仕舞い込んで、男は小さく頷いた。

「確かに、ルーミアの欠片は受け取った。ありがとう。
 出来れば、何かしらの形でお礼をしたんだが、生憎と殺されてあげる訳にもいかなくてな。
 私の命が欲しければ、あと三十年ほど待っていれば賞味期限切れでお安くなっていると思うが」
「でも、それって腐りかけでしょ? そんなの食べたらおなか壊しちゃう。
 ……だけど、私も望みはあるかな」
「よし、聞こう」

 胸を張って、ルーミアの希望に耳を傾ける。
 一応は聞く姿勢を整えたが、男はなんとなく次に言う言葉が判っていた。
 それでもルーミアが言うまでは完全に納得できないので、今しばらくは沈黙という闇の中で待機する。

「それじゃあね……」

 こほん、とわざとらしく咳払いをして、それから。

「――また、私とお話ししてくれない?」

 決まりきった願いを口にして、女の子らしく笑ってみせた。

「――ああ、勿論」

 男も当たり前のように頷いて、初めて顔を合わせた時と同じ笑顔を返してあげた。




 曰く、妖怪は人間を食べるという。
 しかし、実際にその様を目の当たりにした人間は少ない。
 簡単な話だ、妖怪だって人間だけを食べている訳ではないし、そもそも人間を食べない妖怪も居る。
 中には、人間と話をしたがる妖怪もいるだろう。
 そんな妖怪が全てではないが、しかし楽観は出来ない。
 普通の妖怪は一匹のみでも、変な人間が一人だけ居れば、それはそれでたくさんの妖を惹きつけるものだから。

 ――たとえば、博麗大結界の境目にあるという、不思議な神社に居る誰かのように、ね。





−幕−







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2005年2月27日 藤村流継承者

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