ファイア

 

 

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!」
 藤原妹紅は、その拳にありったけの力を込める。強く、強く。目の前にそびえる岩壁を破壊するために、慧音から貰った安全第一のヘルメットを装着し、紅蓮の炎に包まれた握り拳を叩き付ける。
 打ち付けるたび、がつんがつぅんと鈍い音が響き渡る。天高くそびえる竹の群れにあって、その壁はひとつの異界だった。何故こんなものが、と考えている余裕はない。妹紅に考えられることは、この障壁を破壊しない限り永遠亭に辿り着けないということだけであり、妹紅にできることは、己の持ちうる体力、放ちうる能力の全てを持ってして、眼前の城壁を全身全霊でもって叩き潰すのみである。
「どりゃあぁぁぁぁぁ!」
 十度、百度、千度。
 回数なのか温度なのか、それさえも判然としない打倒が続く。その様は修羅か悪鬼か千手観音、あるいはかつてこの大地を創生した遥かなる時の御子とでも言うように、炎をかぶった人の形は、飽きもせず、飽かせもせずに殴り続ける。痛み、熱には頓着しない。全ては、我が道を作るためにあり。
 ここから、永遠亭の秘奥に潜む、蓬莱山輝夜へと続く道を築くために。
「おぉぉぉぉおんどりゃあぁぁぁぁぁぁ!」
 人工の削岩機は、今も確かに漸進している。
 ――全ては、三日前。慧音の和屋で和んでいた妹紅に、悲劇が訪れた。
 無意味に十枚重ねた座布団に座って遊んでいた妹紅は、どこをどう間違えたのか、歪曲した空間から降ってきた輝夜のフライングニードロップによって畳というマットに沈められた。崩れ落ちた座布団と相まって、ブリリアントドラゴンプレスからの「仏の御石の型 ― 砕けぬホールド ―」が妹紅を極限まで追いつめ、いつの間にか現れた審判てゐのスリーカウントが綺麗に決まり、第二万三千六百五十一回『輝夜vs妹紅・永遠を掴むのは誰だ! 〜 上白沢別邸特別試合』の勝者は、永遠FC所属の蓬莱山輝夜の手中に収まったのだった。
 妹紅は、その屈辱を忘れない。
 ベルトを巻き、意気揚々と去って行く輝夜の誇らしげな背中が、今もこの目に焼き付いている。
 ――あれから、三日が経った。
 体力気力共に全快した今において、あの輝夜からベルトを奪い取る機会はない。チャンスなどと言うものは、目を凝らさずとも結構あちこちに転がっているものだ。要は、それを手にするだけの意志、覚悟、力があるかどうかの問題である。そして、妹紅にはその覚悟がある。並々ならぬ信念がある。
「せぃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 と思ったら、この有様である。
 なんでやねん、と妹紅は思った。
 慧音の家で静養し、万全を期して永遠亭に向かってみれば、永遠亭を取り囲む無骨極まる鉄壁の牙城がそびえ立っていたのだ。
 それだけならば空を飛ぶなりして対処できる。だが、この鉄壁は半端じゃなく高い。冥界の白玉楼に通じているであろう結界に届くか否か、あるいはそれさえも突き抜けて白玉楼をも囲っているのではないかと思わせるだけの、威風堂々とした佇まい。
 圧巻だった。
 と同時に、もうアホかと。
 ついでに言えば、どす黒く染まる壁のせいで、南を通る太陽が物の見事に遮られている。暗いし寒いし、洗濯物が乾かない。慧音の嘆きが聞こえてくる。
 なんとなく、竹林の麓にある里が可哀想になった。

 

 

 この難題の解法を慧音に相談したら、無言で黄色いヘルメットを譲り渡された。安全+第一、とりあえず安産祈願のようなものだと思っておく。
 流石は慧音、長い付き合いだけあって妹紅の思考回路をよく理解している。
 そうだ、飛んでも届かないなら、叩ければいい。
 叩け、叩け、叩け!
 叩くのだ!
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 妙なノリに侵されていることに気付きながらも、妹紅は殴るのをやめない。ここでやめてしまったら、生けるファイアーボールと化した自分のやってきたことが水泡と帰してしまう。それは嫌だ。どうせ死ぬなら前のめり、ついでなら輝夜も道連れにコンクリ詰めでどっかの海溝に沈んでしまえば、流石に永遠亭のドラッグ・オブ・蓬莱でも蘇るのはちょっと困難だろうと思うのだ。
 それはいつか実験するとして。
 今は、終わりの見えない鉄の防壁に挑む。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
 やや舌を噛んでしまったが、全身が灼熱しているからあまり意味はない。精神と肉体が極限に至れば、苦痛も熱感も全く同等に扱われる。右を打ち、左を叩き、おまけに右足、ついでに左膝。気付けば額、思えばエルボー。全身兵器の異名は伊達じゃない、この身体はとうに永遠と化したが、この身体を尖らせたのは他ならぬ妹紅の意志である。
 壊せ、壊せと。
 かつて輝夜を憎み、己を鋭く尖らせるしか能の無かった藤原妹紅は、遥か遠くに過ぎ去ったけれど。
 今もまだ、輝夜の存在を意識することで、似たような熱を感じることができる。その熱が、極限に至った痛みが鈍化したものであることは、とっくの昔に理解しているけれど。それでも。
 それにしたって、戦うことをやめられはしない。
 そうだ。死ぬことができないなら、戦えばいい。
 戦え。
 戦え。
 戦え……!
「でぇりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 燃え盛る岩窟王の周囲には、厚く閉ざされた鉄しか存在しない。どこまで掘り進めばいいのかわからない。どこに出口があるのか、真っすぐ進んでいるのかさえ判然としない。
 だとしても、叩く。
 壊すため、戦うため、生きるため。
 藤原妹紅は、これと定めた道を歩こう。己の掌で、己の脚で。
 それじゃあ、もう一発。
「せー……のぉ!」
 振りかぶり、腰を捻ってためを作る。
 光もない、夢も癒しも安らぎもない、暗い空洞で灼熱が咆える。
 燃えるのが問題なんじゃない。真に大事なことは、そう。
 この心を、さあ、どこまで燃やし続けられるかということ。

「いっぺん死んどけぇ! 不生滅殺、『鳳翼天翔』ぉぉぉぉ!」

 とどめの一撃を、向こう側へと続く鉄板にお見舞いした。

 

 

 べこん、と空いた洞窟の向こう、歩くハロゲンヒーター妹紅は永遠亭の庭に倒れ込んだ。
 燦々と降り注ぐ太陽の下、噛み砕かれた鉄粉にまみれた妹紅がひとり。
 かぽんかぽんとシシオドシが踊り、滔々と揺れる池の水面に、ぼうと映り込む輝夜の姿。
「あら」
「よう」
 すぐに起き上がり、さりげなく応える。池の鯉にエサをやっている様子だが、そもそも池に鯉などいない。
 それに、今はちょうど太陽が真上に来ているからいいものの、こうも壁に阻まれていては陽がわずかでも傾いたなら途端に闇に覆われてしまう。因幡の群れの嘆く姿が、障子越しにも見て取れる。
「お前もさ、大概考えなしだよなあ」
「あなたほどじゃないと思うけどー」
「ふーん」
「へえー」
 適当に交わす会話も慣れたもの。輝夜もまた縁側からふわりと降り立ち、ぼろぼろになった妹紅の身体と相対する。二人の間に言葉は要らない、たったひとつの、拳と弾があればいい。
 お互いに構え、太陽が頂点に達し、影が無くなる一瞬を待つ。
 観客はなし、審判も抜き、奇襲もなければ正道もない。
 さあ。

「行くよ」
「来れば」

 一体どこまで、燃え尽きるだろう。

 

 

 



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2006年3月13日 藤村流

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