うまにく

 

 

 

 朝起きて気が付いたら、境内から何か物音がするではないか。巫女の勘に従い、襦袢姿のまま勢い勇んで障子を開け放った霊夢が見たものは、砂利の隙間からまろび出る草を啄ばむ、縞模様をした馬らしき生き物だった。
「……ウマ?」
 霊夢の声に反応し、その馬が彼女の方を向く。
 そして一声。
「メェー」
「……え、ヤギ?」
「モー」
「ウシ?」
「パオーン」
「調子に乗るな」
「ごめんなさい」
 謝られた。
 意外と素直な馬だなあと霊夢が感心していると、彼は心なしか項垂れた様子でとことこと軒先にまで近付いてくる。
「あ、喋ってる」
 ようやく、ただの馬ではないということに霊夢の思考が追い着いた。かといって、兎だの鴉だの猫だの鼠だのが縦横無尽に駆けずり回り、やかましいくらいに喋り倒す幻想郷において、人の言葉を話すだけの馬など物珍しくもなんともない。辛うじて、縞模様であることが個性にはなっているが。
「で、あんたはなんでひとんちに居座って草食べてるの」
 手持ちの祓い串で馬の背をぺしぺし叩きながら、霊夢は馬を問い詰める。馬も申し訳なさそうに首を垂らし、鼻息も荒く弁解を始めた。
「いえ、私も何が何やら。気が付けば身も知らぬ土地に佇んでいたのです。しかしながらお腹は空くものでございまして、申し訳ないとは思いながらもこちらの草を頂いていたのでございます」
 やたら慇懃な口調にかえって不審なものを感じるが、嘘は言っていない気がする。だからといって、働かざるもの喰うべからず。たとえ雑草とて博麗神社に生えている以上は博麗神社にて管理すべきものであるため、それを侵したとなればそれ相応の代償は払うべきである。
 霊夢は祓い串の先端を馬の眉間に押しつける。馬が何となく嫌そうな顔になってきたところで、決意をこめて祓い串をはねあげた。
「話はわかったわ」
 何故縞模様をした馬が幻想郷に現れたのか、何故こうも流暢に喋っているのか、そういう細かいことはどうでもよい。
 ただ、相互的に利益のある行為は優先されるべきである。
 霊夢はそれなりに可愛く、それでいてそこそこあくどい笑みを浮かべた。
「あんた、ちょっと此処で暮らしなさいな」

 

 要は、体の良い見世物、客寄せとして飼うことになったわけだ。暇潰しと、興味本位の人間がついでに神社を参拝してお賽銭を落とすかもしれないし、乗馬などという瀟洒な趣味を嗜むのも悪くない。
 実際、縞模様の馬は人気を博した。それなりに客も訪れた。が、大抵はいつもの妖怪といつもの人間が物珍しげに足しげく通うくらいなもの。それでも賽銭はちょこちょこ増えたので、霊夢は連日ほくほく顔であった。出てくるお茶も出がらしでない場合が多い。だがたまに出がらしも出る。
 今日はわりと高級なお茶の葉だなあと魔理沙が感心しながら茶碗を傾け、その隣には穏やかに目を細めている霊夢の姿がある。基本的に糸目である。
 さほど広くもない境内に放牧されている縞模様の馬――早苗が言うにはシマウマという種類らしい、そのまんまだ――を囲んでいるのは、幻想郷が誇るマイペース集団の一角、レミリアと咲夜の紅魔組である。この身長差が、えもいわれぬ哀愁と愛嬌を振りまいている。
「咲夜! 馬よ!」
「そうですね」
「しかも縞模様の! なんで!?」
「さて」
 よくわからないが、腰に手を当てたレミリアのテンションが異様に高くて不気味である。曇り空で太陽が隠れているから元気いっぱいなのかもしれないが、どちらかというと徹夜明けのテンションといった方が近い。目もギラギラしていることだし。
「ふふ、甘いわね咲夜。これはシマウマよ。縞の馬だからシマウマ。パチェが言ってたわ、こんな単純な名付け方は他に類を見ない、と!」
「その点、私の名前は斬新でしたね」
「そうね! 流石はヴァンパイアといったところかしら!」
「ヴァンパイア関係ないんじゃね?」
 魔理沙が遠巻きに呟いても、レミリアの耳には当然入っていかない。やっぱり夜明けのテンションだ。
「こんにちは」
 不意に、シマウマが話しかける。
「こんにちは」
 咲夜が挨拶を返す。レミリアは鼻を鳴らした。どちらも動じている様子はない。
「これはもう、あれね! あれをやるしかないわ!」
「あれですか」
「そう、ばじゅっぶ! ばじゅつぶよ!」
「噛まれましたか」
「噛んでないわよ!」
 そのわりには舌が痛そうである。
「ふん、私を甘く見ているようね。咲夜」
「いえ、そのようなことは」
「まぢゅつぶじゅじゅつちゅう!」
「魔術部手術中」
「訳さなくていいわよ! ちゃんと言えたし!」
「柔術部充実中。はい」
「じゅじゅじゅぶじゅじゅじゅう!」
 響きが卑猥だ。
「確かに、乗馬を嗜むのも一興かと思います」
「なんで聞かなかったことにするのよ」
「私も、貴女様のような瀟洒な方に乗られると思うと、心が躍るというものです」
 シマウマも意外と乗り気のようである。鼻息も荒い。
 レミリアは最後にもう一回、馬術部手術中と呟いて舌を噛んだ。
「じゃあ、咲夜! 乗馬の準備をしてきて!」
「はあ。私がですか」
「今ちょっと舌が痛いのよ!」
 言わずもがな。
「では、承知致しました」
 言うが早いか、咲夜の姿が瞬時に掻き消える。
 シマウマが瞬きをし、驚愕を露にしていると、五分と間を置かずに咲夜が再登場する。
「如何でしょうか」
 ほう、と感嘆の息を吐いたのは霊夢と魔理沙である。が、霊夢はちょうどお茶を飲んでいたのでそのせいかもしれない。
 紺のジャケットにキュロットのズボン、革の長靴とグローブ。カジュアルなデザインのキャップを被り、この短時間によくぞここまでと言いたくなるほどの着こなしっぷりだった。異様なくらい似合っている。
「咲夜にしては、時間がかかった方ね」
「少々、服を揃えるのに時間が。件の小悪魔がコスプレ趣味で助かりました」
「怪我の功名ね」
「それ意味合ってんの?」
 霊夢の呟きは例によってスルーされた。
 そんな中、咲夜がシマウマの背中に鞍を取り付け、手綱を装着させる。シマウマもあながちまんざらでもない様子だったが、「できれば直で座って頂けると……」と直訴したら咲夜に鞭で叩かれてヒヒーンと啼いていた。
 正直者である。
「では」
 革の足場を踏み台に、よいしょとシマウマの背中に乗る。心なしか、彼の表情も歓喜に溢れているようだった。鞍に遮られているというのに、やはり乗られているという感触には得がたい喜びがあると見える。
「流石、私の従者だけのことはあるわね。嵌まってるわ」
「ありがとうございます」
 まだ馬に跨っているという不安定さは否めないが、それも踵でシマウマの胴を軽く蹴り、手綱を巧みに操作して彼を歩かせることに成功すると、ぎこちなさが嘘であるかのように咲夜は馬上の人と成った。
 馬術といえども形だけのものであり、競技用の馬でもないから出来ることといえば神社の境内を漫然と歩くことくらいである。
 だが、馬ですらロクに見たことがないレミリアにとって、シマウマの馬術はまさしく興奮に値するイベントであった。瀟洒な咲夜をして意外とまんざらでもない表情を浮かべているため、余計に楽しそうに見えるのかもしれないが。
 そうして、しばらくのあいだ境内を闊歩していた馬上の咲夜。だがしかし、傍観に徹していたレミリアの興奮度もいよいよ最高潮に達し、最早一刻の猶予もないとばかりに日傘を振り上げて咆哮した。
「咲夜! 私も乗りたい!」
「では、私のお膝の上に」
「わあい! ッてそういうお子様扱いするんじゃないわよ! いい度胸してるわね!」
「失礼致しました」
「もう、どうしたのよ咲夜……柄にもなく興奮しているんじゃない?」
「おまえが言うなよ」
「キリがないからいちいち横槍入れない方が楽よ」
 ついでに言うとリアクションもない。
 かくいう咲夜は相変わらず無駄のない動きで馬から降り、鼻息も荒く仁王立ちで構えるレミリアを一瞬のうちに乗馬スタイルに仕立て上げる。客観的に見れば明らかにお子様ファッションだが、本人はみずからのスタイルに恍惚として飛び跳ねているものだから、誰も無粋なことは言えなかった。
 準備体操の要領でぴょんぴょんジャンプしたのち、レミリアはじりじりと獲物を追い詰めるようにシマウマににじり寄る。ある意味で気迫に満ちた表情に、流石のシマウマも少々及び腰である。
「……なんで逃げるのよ」
「貴女様には、少々貫録がありすぎて……」
「ふん、恐れをなしたというわけね。でも、その畏怖は嫌いではないわ。私を畏れるものを乗りこなしてこそ、真の上位者というもの」
「流石です、お嬢様」
「まあね!」
 びしッ! と自分に親指を差すあたり台無しである。
 いまだ落ち着かないシマウマをよそに、レミリアは咲夜の手を借りて鞍に足を掛ける。飛べば楽だろうに、それだと咲夜との体格の差を認めることになるから癪らしい。馬に乗るのが目的ではなく、乗馬を嗜むのが目的であるから、跨るまでの過程も重要なのである――と咲夜が霊夢たちに語っていた。主の名誉のために奮闘する彼女は実に美しい。
 多少のまごつきはありながら、レミリアはすっぽりと馬の上に収まった。傍らに日傘を持った従者を控えさせ、ぎこちなく手綱を握るレミリアはまさにお嬢様の英才教育そのものだ。手綱を引くたびにシマウマが震え、悪魔の食指から逃れようともがくたびに吸血鬼は微笑む。
「いいわ、ゾクゾクするわね……!」
「ご、後生です……!」
「あ、こら、暴れるんじゃないわよー!」
 ヒヒーンとばかりに鳴き喚き、シマウマはレミリアの無茶苦茶な手綱捌きに苦悶する。振り落とされまいと必死に手綱を握れば握るほど、悪魔の剛腕はシマウマを苦しませる。悪循環であった。
 そして咲夜は特に何もしない。
「ぎゃぁー! やめろぉー!」
「飛べばいいのになぁ」
「振り落とされるのが嫌なんでしょ。矜持だか何だかで」
 ロデオさながら振り回されるレミリアを、誰も助けようとはしない。救いの手を差し伸べたところで、素直にそれを掴むような殊勝な性格でないと知っているからだ。
 一方、レミリアは半泣きである。
「こ、このぉ……!」
 鞍からずり落ちそうになってなお、シマウマの首根っこを掴むことで堪える。当たり所が悪かったのか、シマウマの表情も芳しくない。より激しく身体を揺さぶらせ、レミリアを振り落とそうと暴れ回る。
 が。
「ヴァンパイアなめんじゃないわよ……!」
 ――かぷっ。
「のー!」
 もはや形振りなど構っていられず、シマウマの首筋に噛みつくレミリア。身体は完全に鞍から離れているが、首に回した腕と歯の力でシマウマにしがみついていた。
 目的のためには手段は選ばない。それがレミリア・スカーレットという吸血鬼であり、主が切羽詰まっていてもあまり助けにいかないのが従者の十六夜咲夜である。
「これ、乗馬か?」
「馬肉かな」
「桜肉か」
「吸血鬼っていうより、蚊か蝙蝠かチュパカブラね」
「馬刺し食べたいよなあ」
「でも人語を喋る馬はちょっと、ね」
「ちょっと、なあ」
「食べてらっしゃる方もいらっしゃいますけれど」
「お前あいつ助けてやれよ」
 木陰でロデオプレイに勤しんでいるレミリアとシマウマをよそに、人間三人は他愛もないやり取りを肴に傍観者を気取っている。お茶が美味しい。おおよそ人を喰ったような性格だけれど、実際に齧りつかないだけマシかもしれない。
「あぐ、はぐ……!」
「あ、血、血ぃ吸ってますよ! やめてください、私にはまだ可愛いお嫁さんを貰うという壮大な夢が!」
「んが、種付け馬が偉そうな口叩くじゃないわよ……! でも馬の血も悪くはないわね……! しっとりしてる!」
「のー!」
「うぎゅ、でも、量が……」
 飲み切れない血をだばーと唇から垂れ流し、やっぱりジャケットを赤く汚す幼い悪魔。彼女が雑食であることが証明された直後、ぽてくりとシマウマの首から落ち、あわや地面に激突しようというところで咲夜の腕に掬われた。
 シマウマも特に吸血鬼化するといった変化は起こさず、ぶるるッと身体を震わせて悪魔の感触を振りほどこうとするばかりである。若干、畏怖の裏に恍惚の色が見えるのはご愛嬌といったところか。
 そんなほのぼのとした雰囲気の中、湯呑茶碗に残ったわずかなお茶の水面を覗き込みながら、魔理沙はぼそりと言う。
「ていうか、あのシマウマなんで喋れるんだ」
「さーねー」
 霊夢は、湯呑茶碗の底に残った濃いお茶を一気に煽った。

 

 

 

 



SS
Index

2010年4月14日  藤村流
東方project二次創作小説





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