桃栗三年柿八年





 幻想郷は今日も平和だ。
 たまに弾幕やら魔法やらが空を飛び交っているが、まあそれを含めて大概平和だった。
 平穏な森の中、霧雨魔理沙は自宅の庭でぶつぶつと愚痴っていた。彼女以上に人生を楽しんでいる者はいない、と良い意味でも悪い意味でも言われている魔理沙がこうして不平不満を垂れているのは、おおよそ不自然だという他なかった。
「まずいぜ……こいつはどうもまずいぜ」
 片手に携えた箒も小刻みに震えている。
 魔理沙の視線の先には、大きな大きな栗が転がっていた。
 秋の味覚、栗。桃栗三年柿八年。濡れ手で粟の一掴み。……ああ、これは字が違う。
 おそらくは、自宅の工房で試しに使ってみた魔法と、そこらに巻いた薬品やら霊夢の呪符やら、埋めたアリスの人形とかが科学っぽい反応を起こし、なんだかんだで巨大化したのだろう。
 まさにびっくりだ。
 ……ひゅう、とタイミングよく秋風が吹き抜ける。
「まずいぜ……折角のボケも冴えないぜ」
 元からあんまり面白くないという心の声は遮って、とりあえず自宅の屋根より高いデカ栗をどうしようか考える。いっそのこと、マスタースパーク的なもので何も無かったことにするのも魅力的な提案だったが、衝撃の余波で自宅がやんごとなき状態になりかねない。いつもは悠々自適に空を飛びながらぼんぼこ撃ちまくっているから心配はないものの、流石の魔理沙も自分の家を気まぐれで破壊するほど考えなしではない。
 しかし、このままでは洗濯物すら干せない。元からあんまり干してもいないという心の声は捻り潰す。
「焼いたら弾けるしな」
 昔話の二の舞にはなりたくない。
「煮たら柔らかくなるかな」
 殻ごと食べる気でいるらしい。
「割ったら太郎が出てきそうだしな」
 あるいはそれも面白いかもしれない、と思い始めたのが運の尽き。スターダストレヴァリエ的なものだと太郎ごと火葬してしまいそうなので、ここは斬る裂く庭の手入れをする達人を召喚すべきだと魔理沙の良心が告げていた。
 結界はまだ張ってあるだろうか。そうでなくても強引に突貫するから問題はないし、中心に近付けばあの娘が警告にやって来るだろうから無駄足を踏む心配もない。
「まったく、面倒くさいが面白そうだぜ」
 前半と後半で意味の繋がらない台詞を零して、魔理沙は妖の漂い始める夕闇の空へ飛び上がった。


「お前も案外暇なんだな」
「また負けた……」
「人の役に立つって、素晴らしいことだぜ?」
「お前が言うととても軽薄そうに聞こえる」
「ははは、面白いことを言う」
「こんなのに負けた……納得いかない……」
「まったく波乱万丈だぜ」
「ヒトゴトみたいに言うな!」
「ヒトゴトだからな」
 と、騒がしい二人が霧雨魔理沙の自宅付近に降り立つ。ひとりは家主の魔理沙、そしてもう一人はベテランの庭師こと魂魄妖夢。押し問答を繰り返しながらも、ちゃんと付いてくるのだから相当律儀である。というか確実に損をしている。
 二人の前には、朝と変わらずに聳え立つ雄々しきデカ栗がある。半分人間半分幽霊の妖夢でさえ、目の前の異様な光景には目を疑った。無意識のうちに白楼剣の柄を取る。
「……これは一体」
「ウニだぜ」
 真顔で返す。
「……確かに海の栗とは書くが。それとこれとは関係ない」
「だったらリスでも構わないぜ」
「……確かに栗の鼠とは表記するが、だから全然関係ないと」
「じゃあナマコってどう書くか判るか?」
「……海の鼠だけど、それが何なの」
「どこが鼠なんだろうな」
「知らない」
 そもそも本題から外れまくっている、と妖夢が指摘するより早く、魔理沙はやれやれと頭を振った。
 妖夢は完全にペースを握られていると感じたが、今更それを覆すことは出来そうになかった。それが出来たら、自分は今頃こんなところに来ていない。
「この中にはきっと、栗太郎がいる」
「栗太郎?」
「あ、栗田太郎の方がいいか?」
「どっちでもいい」
「まあ、とにかくそんなのがいてもおかしくない。ほら面白そうだろ」
 同意を求められても困るが、話が進まないのでとりあえず頷いておく。
「そんな訳だから、その斬鉄剣でひとつ」
「斬鉄剣ちがう」
「ああ、間違った。その山梨県と和歌山県で」
「どこよ其処は」
「違うのか……」
 魔理沙は本気で悩んでいる。これ以上黒いのに付き合わされると頭痛が酷くなりそうなので、妖夢はさっさと用件を済ませることにした。肩越しに挿した楼観剣を抜く。
「まあ、名前はなんでもいいか。その森林伐採悪逆非道ソードでさくっと斬ってくれ」
「そんなに長くないし。庭の手入れをしているだけよ私は」
「庭師なんだから、森林伐採くらい大目に見ようぜ」
「庭師は関係ない」
 と、再び頭を振って自分のすべきことを見直す。
 改めて、力強く地面に転がっている……むしろ刺さっていると表現すべきデカ栗と相対する。巨大すぎる対象は、恐怖を通り越して畏敬の念すら抱きかねない。ましてやそれを斬り刻もうなどとは、考えるだけでもおぞましい。まあ実際は栗なのだから別に構わないのだが、真面目な妖夢はいろいろと思索にふけってしまう。
 果たして、斬ることが出来るのか。技術や体力うんぬんではなく、言うなれば魂の問題だ。畏れを押さえ付け、なおかつ征服できるかどうか。この試練を越えられるか否かで、自分の未来が決まると言っても過言ではない。
 また、この課題を差し出してきたのが後ろで適当なエールを送ってくる黒い魔法使いだということは、綺麗さっぱり忘れておく。
 妖夢は、腰だめに刃を構える。
 直後、空気が息を潜める。魔理沙は静謐な空気とは無関係に『おー』とか気の無い声を発しているが、彼女は周りを気にしない性分なので例外だ。
 張り詰めた空気を割っていくように、妖夢が動く。
「妖怪が鍛えたこの楼観剣に、斬れぬものなど無きにしもあらず!」
「どっちなんだ?」
 刃が栗に肉薄する。
 瞬間、デカ栗がいきなり爆ぜた。


 栗を甘く見ていた。
 天津甘栗という言葉があるくらいだから、さぞかし甘いんだろうと思ってはいたがまさかこれほどとは。
 魔理沙の家に鎮座していたデカ栗は、単一の栗が肥大化したものでは断じてなかった。ひとつひとつは小ぶりの果実でも、イガイガで覆われた実は結構な破壊力を有している。それが力を合わせれば、奇跡を起こすことすら難しくないだろう。
 妖夢が振るった刃は、確実にデカ栗の表面を剥いだ。しかし、その代償はあまりにも大きいものだった。
「あぅ、つっ!」
 弾ける栗、爆散する殻、あたり構わず飛来するイガイガは、まさしく彼女らの日常に欠かせない弾幕そのもの。
「痛い痛いいたいっ!」
「おおぅっ」
 離れて見ていた魔理沙はともかく、妖夢はイガイガ弾幕最前線に配備されていたのが裏目に出て、捌き切れない数の栗を被弾してしまった。無論、顔面や心臓、丹田といった致命的な箇所の衝撃は受け流しているが、それ以外の部位は惨々たるものだ。
 袖は裂け、裾は破れ、透き通った白い肌には無数の切り傷が。しかし血が一滴たりとも零れていないのは、やはり彼女が幽霊と人間のハーフだからだろうか。
 幸いだったのは、イガイガ弾幕が妖夢の斬った表面でしか放出されなかったことだ。妖夢は、周囲に散りばめられた栗の海の真ん中で、楼観剣を携えたまま呆と佇んでいた。
 相も変わらず、棘の一部を失ってはいるものの悠然と聳え立つ栗のモニュメント。それをぼんやりと見上げれば、妖夢の頭に乗っていた栗がぽとりと足元に落ちる。
「……帰りたい……」
 泣きが入っていた。
「こんなの、庭師の仕事じゃない……」
「庭師マスターの仕事だぜ」
「どんな職だ……」
 つっこみにも覇気がない。なにせ魔理沙との一戦を終えてからまた予想外の戦闘を繰り広げているのだから、疲労で身体が重くなるのも無理はない。幽霊とはいえ半分は人間、疲れもするし腹も減る。あちこち痛むわ擦り剥くわ、ろくなことがないと妖夢は深く溜息をついた。
「溜息ばっかりついてると、老化が進むぜ」
「いっそ隠居したい……」
「引導を渡してやろうか?」
 結構、とばかりに妖夢は首を振る。どうにもやる気がないらしい妖夢に代わり、魔理沙が重い腰をあげる。
 原因は何か判らないが、とにかくここに栗があると邪魔なことには変わらない。もしかしたら中に栗田太郎がいるんじゃないかと勘ぐってもみたが、あと少しで宴会も始まることだし、残念だが栗田さんには諦めてもらうという方向で結論を出す。
 よし、と魔理沙はなるだけ自宅に被害が及ばない角度に立ち、何かしらを溜めていく。このあたりは割りとブラックボックスなので気にしてはいけない。
 妖夢は魔理沙が何をやらかそうとしているかに気付き、慌てて栗の海から脱出する。そのさい何個がイガ栗に足を取られて痛い目にあったが、代わりに幽々子様へのお土産にすべく何個かかっぱらうことで気持ちを割り切った。切り替えを早くするのが幸運を掴み取るコツ。
 一方、普通の魔法少女はというと、左手に何やら装飾の施されたカードを添えていた。どうもマスタースパーク的な何かを解き放つことに決めたらしい。妖夢は耳を塞いだ。
 どこからか、静電気が弾けるような音が響く。極小の光が、魔理沙の手元から誕生しては弾けて消える。
 一触即発、全てが灰燼に帰してしまいそうな騒々しい空間において、当事者たる霧雨魔理沙とデカ栗だけはやけに大人しかった。尤も、それは風前の灯ではなく嵐の前の静けさである訳だが……。
 やがて、小さく魔理沙が笑った。
「じゃあな。御伽の国でまた会おうぜ」
 脈絡もなく、両腕を突き出す。
 彼女が放つ閃光は、まだ頂点にも達していない陽光を遥かに凌駕していた。


 その日、霧雨魔理沙は『庭師マスター』の称号を得た。
 尚、魂魄妖夢は相変わらず白玉楼で庭師をしている。たまに魔理沙から『師匠の頼みだ』と言われてあちこち借り出されることもあったが、妖夢の主人である西行寺幽々子が何も言わないので面倒ながらも付き合っているらしい。
 結局、魔理沙の家に置かれたデカ栗の正体は世間的に不明のままだが、後日行われた人間と妖怪たちが一堂に会する宴会にて、人形遣いのアリス・マーガトロイドが片手にギプスを嵌めていたのを、妖夢は実に興味深く眺めていた。




−幕−







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2004年12月21日 藤村流継承者

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