椛ハンター文

 

 

 

 椛が山の見周りに精を出している時、上空から並々ならぬ殺気を感じ、ふと空を仰ぎ見てみれば、高々と長刀を掲げ、椛の脳天目がけて振り落とさんとする射命丸文の姿があった。
 ――あぁ、またか。
 椛は目を凝らして己の太刀を抜いた。
「――ふんッ!」
 相手がそのまま振り抜いてきたので、手加減も何もなくその刀身を弾き返す。
 並の刀ならば呆気なく折れてしまうところだが、どちらも妖怪が鍛えた刃である。弾き飛ばされた文も、痺れた手のひらをしきり振っているくらいで、特に目立った外傷はない。
 時折しも、紅葉の季節だ。
 この見頃の時節において仕事に徹しなければならない滑稽さもあるが、何より管轄の違う鴉天狗に要らぬ邪魔をされた苛立ちの方が強い。
「……して、何用ですか」
「いちち……全く、情けも容赦もあったもんじゃないですね。こちとら素人ですよ、それなのに恥も外聞もなく本気を出すとは、いやはや」
「不意打ちを仕掛けた側の言う台詞じゃないですね」
「千里眼を持つ貴方相手に不意打ちも何もないでしょう。それとも貴方は、自分の能力も十分に活かせないような愚図だと自覚しているの?」
「そうですね。少なくとも、私は挨拶もなしに刀を振り下ろすような卑怯者でも、不測の事態に対処できずに遅れを取るような愚図でもありませんが」
「……むぅ」
「だから何か用なんですかって言ってるじゃないですか。仕事の邪魔しに来ただけなんですか」
「半分は」
「半分もありゃ十分ですよ」
 椛は抜いた刀を腰だめに構え、身を低くして一閃必殺の姿勢を取った。
 その殺気を吹き散らすように、文はひらひらと気だるげに手を振る。
「まあまあ、落ち着きなさい椛」
「そういう台詞はせめて落ち着けるだけの状況を整えてから言ってください」
 お互いに刀を鞘に収めていない段階で、双方共に退く意志がないのは明確である。そもそも、文に至っては収めるべき鞘も用意していないのだ。これでは矛が収まるわけがない。
「ほら、下を見なさい椛。綺麗でしょう、紅葉が」
「はあ。そうですね」
「紅葉狩りという言葉あるくらいだから、紅葉も狩る対象になるということね」
「それはよかったですね。十分に狩ればいいと思いますよ」
「あと椛は猛獣だからそっちを狩るという意味もあるわよね」
「紅葉を? ……え、あぁ、私のことですか」
「そう。もみじ狩り」
 文は再び刀を無造作に構える。
 視線の先にあるのが、紅葉ではなく椛だという点が重要である。椛の向こうに紅葉が広がっている点を考慮すれば、あながち的外れというわけでもあるまいが。
「たぶんね」
「はあ」
「椛に流れてる血も赤いと思うんですよ」
「まあ私も哺乳類ですからね」
「その赤が、暮れなずむ紅葉により鮮やかな彩りを加えるとは思いませんか……?」
「射命丸様」
「何」
「バカなんですか」
 切って捨てる。
 文は唇をへの字にして呻き声を上げた。
「仮にも格上の天狗に向かってその口の利き方はなんですか! バカにしてるんですか!」
「だからバカなんですかって聞いたじゃないですか。バカなんですか?」
「天才です!」
 非常にバカっぽい。
 椛は浮かんだ涙を拭うように目頭を押さえ、くっと唇を噛む。
「……とても残念です。射命丸様のこと、もう少し好きになれる余地があると思っていたのですが」
「私は椛のこと結構好きだけど」
「そうですか。私は嫌いです」
「じゃあ私も嫌い」
「子どもですか」
「美女です!」
「はいはいわかりましたわかりました」
 基本的に文が椛に突っ掛かってきて、椛が文を受け流す展開が通例となっている。千里を見る椛が文を発見すれば落ち着いてはいられず、風を纏い空を翔ける文が椛を見れば看過せずにはいられない。
 憎悪ほど重くはなく、嫉妬ほど醜くはない。翼をはためかせれば刃が返り、刃を躍らせれば羽根が落ちる。目が合えば鍔ぜり合うのに、通るべき道は譲らない。だからこぜり会うのだと忠告する声など聞かず、お互いの身分を罵り合って天狗は哂う。
 椛にしても紅葉は美しいと思うけれど、それそのものを己とするのは無理がある。犬走椛は太刀と盾を持って妖怪の山を護る白狼天狗である。それ以外の銘は瑣末なものだ。
 刀を立てて、敵を見据える。目の前の天狗は今や外敵であった。へらへらと笑い、そのくせまるで心の内を見せぬ諸悪の根源である。彼女がいなくなればおそらく平和にはなるだろうが、同時に退屈にもなるだろうと理解してはいる。
 それでもなお、打ち倒さずにはおれぬのだ。
「つくづく、残念です」
「それまた、どうして」
 文の構えは適当で、柄を握ってはいるものの、切っ先は地面に向いている。彼女自身が語ったことだが、彼女は刀よりも風の扱いに長けている。わざわざ刀を持ち出したのは、椛への挑発に他ならない。
「もし貴方が完全な敵であったなら、誰にも気兼ねせず貴方を斬り捨てられるのですが」
「もし貴方が私を斬り捨てられるだけの技量と能力もなくそう囀っているのなら、これほど滑稽な話もないのだけど」
「囀るのは鴉の本分でしょう」
「弱い犬ほどよく吠える。牙を刃に持ち替えたところで、格上の相手に噛み付けはしない」
 柄を握る手に力がこもる。怒りではなく、己の意志で力を込める。
 日は高い。太陽の熱は肌を蝕み、その光は瞳を焼く。風は空を切り、声を彼方に飛ばし、鳥を自由に加速させる。狼はどうか。狼の足場は大地にあり、虚空にあっては寄る辺がない。だが椛には牙がある。手に持ち替えた刃がある。
 いざ。
「――さあ。手加減してあげるから、本気で掛かって来なさい!」
 椛は目を凝らす。文の視線と交錯する。
 刀が風を斬り、意のままに文を襲う。風は刃を殺ぎ、思うがままに椛を喰う。
 振り抜く。力強く。
 接触は一度。
 大きく、鋼鉄の塊が砕け散る音が響き渡り、風が爆ぜた。

 

 

 

 また、刀が駄目になってしまった。
 鍛冶屋の天狗は怒るだろうか。その皺交じりの脹れっ面を思い出すたび、椛はこみ上げてくる笑いを押さえるのに苦労している。
「あー……」
 荒い岩肌に寝転がって見る空は、大抵雲ひとつない晴天だった。そんな椛に都合の良い日を選んで、射命丸文がちょっかいを掛けてくるわけでもあるまいが。単に、天気が悪ければ椛に構う気力が失せているだけの話かもしれない。それは、椛にとっても言えることだった。
 つくづく、嫌気が差す。
「おや、起きましたか」
「……なんでいるんですか……」
 視界の端に映り込んだ、澄んだ黒髪を目の当たりにして、椛は眉間に皺を寄せた。勝負が着いたのなら適当に口上でも垂れて、さっさとその場を去ればいいものを。
「いやまあ、約束通りに椛を狩ったので、見ていたのです」
「何を」
「椛を」
 愚問であった。
 聞かなければよかったと、椛は本気で後悔した。
 文は酷く優しい笑みを浮かべる。射命丸文とは、こういう女なのだ。刀があれば、無かったとしても追い払いたい気分に駆られるが、敗者の身分か動くことすらままならない。身体を起こすのが精々だ。手加減すると言っておきながら、死なない程度には本気を出す厭らしさも兼ね備えている。
 才能の無駄遣いとはよくいったものだ。
「……そんなにじろじろ見ないでください」
「負け犬」
「否定はしませんが……」
「負け狼、と言った方がいいのかしら」
「どっちでもいいです。負けは負けですから」
「あら、随分と潔いのね」
「未練たらしくないだけです。誇り以前の問題です」
「弱い犬ほどよく吠える……」
「……否定はしませんが」
 けれど、悔しさが消えるわけではない。事実、文を見る目付きは鋭く、下手に手を出せば噛み付かれそうなほどだ。文はその距離を弁え、言葉通りに椛を狩り、背後に広がる紅葉を楽しんでいた。
 川のせせらぎ耳を潤す。耳聡い椛には河童の声も聞こえる。日はやや傾き、午睡の空気がそこかしこから伝わってくる。
 眠りに就きたい衝動を堪え、目の前の鴉天狗を睨み、屈辱を甘んじて受け入れる。
 椛狩りの憂き目に遭い、それでも当たり構わず飛び回る鴉天狗の足を止める。そう思えば哨戒天狗としての面目も立つ。が、座して構えている以上、みっともないことに変わりはなかった。
 がっくりと、力無く項垂れる。
 そんな椛をまじまじと見つめ、文は悩ましげに口を開く。
「……やっぱり、もうちょっと赤が欲しいですね」
「バカですか」
 介錯のごとく刀を振りかぶる文に、椛は冷たく言い放った。
 天才です! と自信満々に答える文の手から刀が落ち、その刃が椛の首の薄皮を斬ったところで、椛は己の限界を越えて立ち上がり、とりあえず文をグーで殴った。

 

 

 

 



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2011年11月3日  藤村流
東方project二次創作小説





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