げそれいむ

 

 

 

「むう……」
 朝起きると、霊夢の下半身がタコの足になっていた。
 まあそういうこともある。

 

「ねえよ」
「現実を見るのよ、魔理沙……もぐ」
「真面目な顔して自分の足咥えんなよ」
「もぐ……」
 寂しげに足を唇から抜くと、吸盤付きの足がぷるぷる揺れる。生々しい。
 霊夢の言い分では、八本もあるから一本くらい食べても構わないとか。千切っても勝手に生えてくるというし、水っ気が多く、歩くと廊下や畳がべちょべちょになる以外は問題ないらしい。
「おいしいのに……」
「他に食べるものくらいあるだろ。なんだって自分の足を食べる必要があるんだ」
 魔理沙の言葉を受けて、霊夢はキリッとした。
「これが自給自足の究極形態だと考えれば、私が自分の足を食べるのも頷ける話だと思うのよ」
「お前はどこに向かおうとしてるんだ」
「足だけに自給自足ってちょっとうまいこと言ったわよね」
「そうだな」
 魔理沙はとりあえず煎餅をかじった。忙しなくぷるぷると蠢く霊夢のタコ足と対照的に、煎餅はいつもどおり中まで硬かった。
 霊夢は再び自分の足を咥えた。
「多分答えられないとは思うが、どうしてそうなった」
「もぐ……うちの裏の池に、古い壺があるんだけど。どうもタコ壺らしいのよね、それ」
「ほー。初耳だな」
「幻想郷が隔離される前の遺物みたいだし。……もぐ、途中で悪いんだけど、醤油持ってきて」
「お前が取ってこいよ。お前の足だろ」
「まだ足の動かし方に慣れてないのよ……畳も張り変えなくちゃいけないし、廊下も掃除しないと……もうさんざんだわ、もぎゅもぎゅ」
「怒るのか食べるのかどっちかにしとけ」
「もぐもぐ」
「食べるのか……」
 結局、醤油は魔理沙が持ってきてあげた。
 ワサビ醤油がいちばん合うらしい。
「……で、そのタコ壺がどうしたってんだ」
「もぐもぐ……うん。こないだ、その壺から異様な瘴気が感じられてね。正直祓うのも面倒だったから、そのまま池に沈めたのよ」
「おい」
 手抜きにも程がある。
「そしたら、こうなったわ」
 霊夢はどこか誇らしげである。理由はよくわからない。
 魔理沙も完全に思考が行き詰まり、声を失っていると、霊夢が救いの足を差し出した。
 食べろ、ということらしい。
「……マスター」
「ちょっと焼くのは切り離してからにしなさいよ」
「焼くのはいいのか」
 どんな状況であれ、霊夢が霊夢らしく居られるのは一種の才能だなと魔理沙は感心し、けれども尊敬は保留したまま霊夢のタコ足を軽く摘まんでみた。
 柔らかく、押し潰そうとすると水を噴き出す。吸盤の吸いつきも健在である。
「……食べないの?」
「食えってか」
「おいしいのに……」
「それは知らんが、霊夢の足と知って食べる奴はいないと思うぞ……」
「……じゃあ、私の足と悟られなければいいのね」
 嫌な予感がした。
 すっと立ち上がった霊夢は、案の定身長が低くなっていた。
 パッと見、宇宙人に似ている。
「おい、どこへ行く霊夢」
 霊夢はうねうねしている。主に足が。
「今の私に、どれほどの可能性が眠っているのか――試そうと思ってね」
 ある種、悲愴ともいえる横顔を垣間見て、魔理沙は思った。
 ――あぁ、こいつ自分の足を売り物にする気だな、と。

 

 事実、霊夢のタコ足は売れに売れた。
 魔理沙は頑として口に含まなかったが、霊夢産のタコ足は非常に歯応えがあり、美味であるとされた。噂が噂を呼び、売り子に徹する萃香や宣伝担当の文の活躍もあり、霊夢の足は瞬く間に品薄状態となった。
 霊夢自身は、売り物が自分の足であると悟られては商売がままならないため、神社から出ることも少なくなった。魔理沙を初め、何人かの知り合いには気付かれてしまったが、幸か不幸か霊夢の真実を世間に公表する者はいなかった。
 とはいえ、霊夢も稼ぎが目当てではない。いわば自分の足が如何に美味しいか、有用であるかを世に知らしめるためのパフォーマンスなのである。
 都合のいいところで切り上げようと考えていた霊夢だが、事はそう簡単には収まらなかった。
「霊夢! おい霊夢!」
 相変わらず、自分の足を切り身にして美味しそうに食べている霊夢のもとへ、息咳切らした魔理沙が文字通り飛んできた。
「あら魔理沙どうしたの。やっと私の足を食べる気になった?」
「誰が食うか!」
 霊夢はしょぼんとした。
「残念だが、落ち込んでる場合じゃないぞ。まずいことになった」
「えっ……」
 驚きを隠せない霊夢を更なる混乱に陥れるため、一人の刺客が姿を現す。
 凛と佇み、瞳に宿ったほのかな輝きをして上白沢慧音と成す。
「なんだ、慧音じゃない」
「なんだ、とはご挨拶だな。……いや、今日はそういう話をしに来たわけじゃない」
 力強く砂利を踏み締め、慧音は地面を責めるように一歩ずつ前に進む。
「博麗霊夢。その足、改めさせてもらう」
「ああこれ?」
「ちょ」
 慧音の検査を待たずして、霊夢はふよふよと浮遊しながら外に出てくる。無論、八本のタコ足は完全に露出している。
 ますます宇宙人ぽい。
「これがどうかしたの」
「これがどうかしたのっておまえ……むしろおまえがどうかしてるぞ」
「だよなあ」
 魔理沙が同意した。
「失礼な連中ね……。たかだか水っぽい足が増えて、ちょっと歯応えがよくなった程度じゃない。誤差の範囲よ」
「どの世界の誤差だそれは」
 ちなみに、紅白の巫女装束は健在である。下半身がタコであれ、下袴を外す行為は乙女としてどうかと思ったようだ。
「ともかく。最近、博麗印のタコ足が好評を博しているようだが」
「ああこれ?」
「ちょ」
 試食しろと言わんばかりに、霊夢は自分の足を懸命に伸ばして慧音の唇に突っ込もうとするが、慧音は頑なにその侵入を拒んだ。さもありなん。
「やめろばか! まだ昼だぞ!」
「じゃあ夜ならいいのね」
「いや別にそういう意味では……と、ともかく!」
「ごまかした」
「ごまかしたな」
 慧音は無視した。
「何の意図があるのかわからないが、自分の身体を切り売りするなど正気の沙汰ではない。加えて、その事実を教えずに売りさばくとは言語道断」
「おいしいのに……」
「味の問題じゃない」
「でも、切ったところでまたすぐに生えてくるのよ。ほら」
 霊夢が足の一本を適当に引き千切ると、開いた口が塞がらない慧音をよそに、霊夢のタコ足はむにゅるむにゅると生え替わる。驚異の再生能力を前にして、慧音は外れかけた顎を自分の手で強引に嵌め直す。
「……だからといって、このまま営業を続けさせるわけにはいかない。どんな効果を及ぼすかわからないものな」
「なんであんたにそこまで決められなくちゃいけないの」
 霊夢は憤慨している。魔理沙は疲れたので縁側に寝転がっている。
 慧音も霊夢もお互いに引く様子はなく、事態は膠着状態に陥りかけていた。
 そこへ。
「ちょっと待ったァー!」
 迅雷一閃。
 矢印状の物々しいエネルギー塊と共に、博麗神社の境内に着地する影がひとつ。一拍遅れて、砂煙が晴れた頃に登場する瀟洒な従者がひとり。
「全く、霊夢の足の味も知らないハクタクが、随分と大きな口を利くものね!」
「貴様……レミリア・スカーレット!」
「まあ私も食べたことないんだけど!」
 何かを催促するように霊夢を見るレミリアだが、霊夢は自分の足を千切るのに夢中だった。ぶちゅぶちゅと艶めかしい音が境内に響く。
「お嬢様、お肌が若干灰になっています」
「ちょっと急いたようね。傘をちょうだい」
 煤けたレミリアと対峙する慧音に、一片の動揺もありはしない。毅然とした態度を維持し、飄々と構えるレミリアから傘を奪って再び灰まみれにさせるくらいの余裕はあった。
 おろおろするレミリアであったが、何とか全身が溶ける前に傘を奪還することに成功した。
「咲夜。お願いだからこういうときは早く助けてちょうだい」
「申し訳ございません、右往左往するお嬢様のお姿が非常に貴重だったもので」
「えーそれ従者としてどうなのよー」
 レミリアはたいそう不満げである。が、慧音はレミリアに駄々を捏ねる隙を与えはしなかった。
「ともあれ、博麗印のタコ足は生産中止だ。いくら何度でも生えてくるとはいえ、人の足を売買するなど」
「はんッ。そんなことは今更だよ、上白沢慧音。あなたも私の種は知っているだろう――そう、吸血鬼だ。私は人の血を売買している。あくまで合法的に、ではあるけれど、そういうものがまかり通る世界にとって、人の足なんていくらでも替えの利く食料なんだよ」
「だが、里の人間はあれが霊夢の足であることを知らない。その事実を知れば、暴動が起こる可能性もあるんだぞ」
「ふふ、視野の狭いハクタクもいたものね。こう考えることはできないのかしら……? 『むしろ、霊夢だから良い』と」
「なッ……、おまえ、正気か……!?」
「霊夢の足がタコ足になった時点で、忌々しいけれど正気も狂気もスキマ妖怪の境界の中。ならば、己の望みを達成するためにみずからを奮い立たせるのが、妖怪の本分ではなくて?」
「くッ……」
「何だか話がでかくなってきたな」
 正直、魔理沙は話に付いていけなくなってきた。
 そもそも、霊夢の足がタコになったところから既に付けていけていない。
「ていうか結構気色悪いこと言ってるわよねレミリアって」
「物理的に食べちゃいたいってのは、妖怪にしちゃあ健全な発想かもしれないけどな……」
 やれやれね、と呟いて、霊夢は火花を散らすふたりの間に割って入る。
 そして、ふたり仲よく「邪魔するな」と開かれた口の中に、思い切りよく霊夢のタコ足の切り身を放り込む。
「いい加減、あたま冷やしなさい」
「もぐ……」
「もご……!」
 突然の試食にも動じないレミリアと、目を白黒させて食感を確かめられる状態ではない慧音。だが、咀嚼を続けるレミリアが頬を綻ばせるのと同時、慧音の表情も驚愕の色に染まりつつあった。
「こ……これは……」
「むぎゅ……んー、げに恐ろしきは博麗の血といったところね」
 よくわからないが、雰囲気だけは伝わってくる。
 一方の慧音は、独特の歯応えを味わいながら身体を小刻みに震わせていた。
「なんという……いや、私も海鮮物を口にしたことはないが、これがそれと言うなら確かに……いやいや、私がここで屈するわけには……」
 何やら味覚と理性の狭間で葛藤しているらしい。
「霊夢! もう一口!」
「しょうがないわねえ」
 先程引き千切っていたのはこのためかと思わせるほど、霊夢は一口大に千切ったタコ足をぽいぽいとレミリアの口に放り込む。レミリアもそれを一切落とすことなく口で受け止める。その執着、食に対する業の深さが窺えようというものだ。
「噛めば噛むほど旨みを増し、歯応えは硬すぎず柔らかすぎず、舌の上を抵抗もなく滑り下りていく……なんと丁寧な仕事なんだ。まさか、これが天然の力だとでもいうのか……」
 がくり、と膝を落とす慧音。どうやら霊夢の味に屈したらしい。
 やはりどことなく誇らしげな霊夢に、魔理沙は何を言うべきか迷い、とりあえず唇の上で指を交差して×印を描く。
「いや食べないし……」
 霊夢はしょんぼりした。

 

 折衷案として、今まで売りに出したものは霊夢のタコ足であるとを公表し、その上で買うのであればやむなしという形になった。
 霊夢が里に下りてタコ足だと公開できれば話は早いのだが、さすがの霊夢も見世物になるのは嫌だと表に出ることを拒絶した。
 結果、霊夢の商売がどう転んだかというと。
 大半の購買者は「足がタコになるとは考えにくい」「そもそもタコってなんだ」「おいしければなんでもいい」といい、一部の愛好家は「霊夢……だがそれがいい!」と叫んだ。霊夢は非常に複雑な表情を浮かべていた。
 売り上げはほぼ横ばいだったが、おおむね順調といって差し支えなかった。
 霊夢のタコ足も、いつかは元に戻る。ならばその時までこの異常を楽しもうじゃないかと、幻想郷の住民は結論付けた。博麗印の霊夢産タコ足は、人里のみならず妖怪にまで幅広く食べられる珍味となった。
 だが、臨界は既に迫っていた。
 これ以上ないほどの、明確な終わりが霊夢の肩を叩いたのだ。
「……あら」
 ついに、霊夢の足の再生が止まった。
 一度千切れば、二度と再生することはない。今の今まで、何の痛みも喪失感も無かっただけに、霊夢はしばらく千切れた足を呆然と眺めていた。
 そんな呆けた霊夢を現実に引きずり出したのは、なんだかんだで霊夢を案じていた魔理沙であった。
「おい、おい霊夢! しっかりしろ、まだ終わっちゃいない!」
「……うん、大丈夫よ。意識はあるわ。ちょっと寂しかっただけ」
「またよくわからんことを」
 霊夢は、みずからが千切った足の欠けらを皿に移し、少し疲れた笑みで魔理沙を見る。
「私の足を、おいしいって言ってくれる……ばかみたいだけどね。ちょっと嬉しかったのよ。だから、自分の足を千切り続けて、長いこといろんな人たちに食べてもらってた。……でも、それももう終わりなのよね」
「霊夢……ここは笑うところか」
「泣きなさいよ」
 しみじみと語る霊夢の横顔は本当に寂しげだったが、魔理沙はさすがに涙は出なかった。
「とりあえず、足を元に戻すぞ」
「え、どうやって」
「お前がいちばん最初に言ったろ。タコ壺を池に沈めたって」
「ああ、そんなこともあったわね」
「あれを引きずり上げて、ちゃんと祓えばいいんじゃないのか。それで駄目ならもうタコ霊夢として生きろ。そういう需要もあるだろ多分。知らんが」
「なんだか最初から最後まで酷いわよね魔理沙」
「こんなのに真正面から付き合ってたら疲れてしょうがないんだよ」
 若干疲れ気味の霊夢の手を引き、魔理沙は裏の池に訪れた。
 仕方のないことだが、池の水は濁り、鼻を近付ければ身体によろしくない類の気体が発生している気さえする。
 霊夢は、その汚れ切った水面を指差す。
「え、ここに入れって?」
「ああ。どうせタコなんだからお手の物だろ」
「タコだからって何でも出来ると思わないでよ」
「タコならせめて潜るくらいは出来ないと」
「だって濁ってるし……」
「いいから早く潜れよもう。一生タコの吸盤を背負って生きていく気か」
 悩むことでもないのに、霊夢は難しい顔をして首を傾げている。
「……げそれいむ?」
「それはイカだ」
 魔理沙は、直接的に霊夢の背中を押した。
 完全に不意を突かれた霊夢は、どぶんと池の水面を波打たせて一気に底まで沈んでいく。
 待つこと三十分。
 霊夢の溺死体が上がることまで考慮に入れていた魔理沙は、霊夢がタコ壺を頭から被って浮き上がってきた瞬間、ミニ八卦炉を力の限り壺に叩き付けた。
 ――ばりん。と壺にヒビが入り、それを切っ掛けに壺はばりばりと音を立ててまっぷたつに割れた。
 そこから現れた霊夢の顔には、数限りない藻が絡み付いており、新種の霊夢が誕生したと確信した魔理沙は再び鈍器を掲げ、危険を察知した霊夢にきれいなカウンターパンチを喰らって撃沈した。
「……やれやれ、ね」
 割れた壺と、伸びた魔理沙を見下ろす霊夢の足には、しっかりと人間の足が備わっていた。
 小さな異変は終わり、幻想郷の食卓を賑わせていた幻の料理はその姿を消す。
 販売の再開を願う声にも、今の霊夢は応えようがない。ただ寂しげに首を振り、「食べてくれてありがとね」と感謝の意を述べるばかりである。
 そして。

 

「ねえ、私の足、おいしかったかしら」
「何のことだかさっぱりわからんな」
「嘘つきなさい。最後に私が千切った足、いつの間にか無くなってたんだから」
「萃香か紫が勝手に食べたんじゃないか」
「ふうん。じゃあ、そういうことにしておくわ」
「そういうことにしとけ」
 縁側に座り、出されたお茶を素直に飲む。
 もう畳や廊下がびちょびちょになることもなく、大して水っ気も食い気もない普通の博麗霊夢だ。
「でも、たまに思うんだよ」
「何よ。改まって」
「霊夢の、上半身と下半身の境目が、一体どうなっていたのか……」
「……はむ」
「指を噛むなよ……」
「やっぱり、ただの魔理沙はおいしくないわね」
「おいしく食べられるくらいなら、私はただの魔理沙でいいよ」
 魔理沙は、湯呑茶碗を傾ける。
 あの日、口に含んだ霊夢の味を一刻も早く忘れるために、とびきり熱いお茶を喉に流し込んで。

 

 

 

 



SS
Index

2010年7月20日  藤村流
東方project二次創作小説





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