for you

 

 

 

「ぱるぱるー」
「ぱるぱる言うな」
 何やら重たそうな下腹部を引っさげて、黒谷ヤマメがどたどたと駆け寄ってくる。その姿を見て意味もなく深々と嘆息する前に、水橋パルスィは無駄ににこやかなヤマメに鋭い視線をくべた。
 だが、それでめげるヤマメではない。
「んじゃ、パルちゃん」
「……まあいいけど」
 妥協する。
 二人ともお互いに面識はあるけれど、別段仲が良いというわけでもない。時折、こうして駄弁ったり愚痴ったりして暇を潰しあう程度の関係である。
 と、パルスィは思っている。
「で、何か用?」
「いや特に」
「でしょうね」
 やはり、と言いたげに肩を竦めるパルスィに、ヤマメはぷくーと頬を膨らませる。
「それじゃあ、私がひまじんみたいじゃんよー」
「違うの?」
「違わないけどさー」
「……まあ、私も似たようなものだけどね」
 嘆息する。
 やたらと溜息の多いパルスィにも慣れたもので、ヤマメは嫌な顔ひとつ見せない。お互いにどういう能力者なのか熟知しているため、今更相手の根本を深く突っ込むことはないのである。
「……ふう」
「お疲れ?」
「さあね……私は一体、何に疲れてるのかしら」
 自問する。ヤマメは首を傾げている。
「ごめんなさい。独り言よ」
「なんだ、謎かけかと思ったよ」
「ふふ、それならもっと、あなたが胸を掻き毟って煩悶するような謎を提供しているわ」
 不意に、その表情が緩む。それにつられて、ヤマメもにやける。
 パルスィは、地下水脈に架けられた、それなりに豪奢な橋のたもとに立っている。橋といっても、十歩も歩けば渡り切れてしまうほどの小さなもので、ただ欄干を染める赤の煌びやかさと、橋を踏む靴音の高らかさが、その橋の造りの良さを窺わせる。ヤマメなどは、よく橋の上で飛び跳ねては、その何かが宿っているとしか思えないお腹をぷるぷる揺らしている。
 パルスィが橋の欄干に寄りかかり、橋の下を流れる水の音に耳を傾ける。瞳は斜に傾げ、顔に陰が落ちる。
 こういうとき、ヤマメは決まって口を噤む。
 それは、パルスィが何も求めていないと知っているから。
 言葉も、愛嬌も、ヤマメという存在の質量さえも。
 あるいは、水橋パルスィという存在の質量さえ、必要としていないと思わせるほど。
 今の彼女は、酷く軽い。
「……綺麗な音」
 ぼそり、と言う。
 呟いた声は、岩の間を静かに流れる水のせせらぎに溶け、反響するまでもなく消える。
 橋姫。
 渡る者の絶えた橋を守り続ける意味。
 その役割を冠せられた、水橋パルスィという存在。
 理解しようと思えば、理解することはできるかもしれない。しかし、それでも彼女を知ることはできないだろうと思う。どうあっても、今の彼女が、何を考え、何を思い、何を嘆き、何を妬んでいるかなど。
 わかりようもなければ、実感しようもないのだ。
「…………」
 だから、ヤマメはいつもこうして側にいる。
 押し黙って、彼女が我に帰るときを待っている。
 つまらないとは思わない。これも含めてパルスィだから、待つことが退屈だとも思わない。
 だって、暇潰しなのだ。
 暇なのはヤマメもパルスィも一緒なんだから、少しくらい時間が潰れたって、そんなのは些細な問題なのだ。
 じっ、と。
 手のひらに汗を掻くくらいのことは、涼しい洞窟ならむしろ助かるくらい。
 そして。
「……あぁ、ごめんね。少しぼーっとしてた」
 パルスィが、目の焦点をヤマメに合わせる。
 ヤマメは、起きたばかりのパルスィに、さっきと同じようなにこやかな笑みを浮かべる。
 彼女はそれを見て少し妬ましげに口の端を歪めるだろうけど、それもまた慣れた光景だ。
「……何だか、腹立つくらい満面の笑顔ね」
「褒めても何も出ないよ」
「蜘蛛の子を散らす趣味はないわ」
 ヤマメは、じりっとあとずさる。
「……ぼ、暴力?」
「……あなたが私をどういう目で見てるのかよくわかったわ」
「や、やだなあ、別に陰鬱だとか死相浮かべてるとか思っちゃいないよぅ」
「……弾幕喰らいたい?」
「お、そのポーズすごく可愛い」
「……」
「おー、照れてる照れてるー。かわいー、ぱるぱるかわいー」
「ぱるぱる言うなぁッ!」
 パルスィは叫ぶ。ヤマメは笑う。

 

 洞窟に木霊する声は高らかに、混じり合い、重なり合い、螺旋を描きながらやがてその暗闇に飲み込まれるだろう。
 闇は深く、そこに潜む者の影など、誰にも見えはしなかった。

 

 

 

 



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2008年8月27日 藤村流

 



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