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0.

 

 

 葬送の列が流れている。
 喪に服した人間は誰も彼も辛気臭い顔をしていて、呑気に歩いているのは子どもばかりだった。その女の子も、見知った大人たちがみんな神妙な顔をしていたから、気安く声を出してはいけないのだと分かっていた。
「ねえ」
 隣を歩く女性の袖を引いて、ずっと聞きたかったことを尋ねる。どうしてみんな黒い服を着ているの。これからどこに行くの。なんでみんな悲しそうな顔をしているの。
 それから。
「お母さん、どこに行ったの?」
 無邪気な問いは女性の表情を悲しげに凍り付かせて、それでも、またすぐに優しく女の子に微笑みかける。丁寧に漉かれた髪の毛を撫で、むずがゆそうに唇を尖らせる女の子の手を握る。
「痛いよ、おねえちゃん」
 女の子の懇願も聞かず、硬く掌を握り締める。
 晴れやかな空の下を、葬送の列が流れて行く。
 遥か遠くの山の上から、鐘を打ち鳴らす音が高く高く響き渡った。

 

 

1.

 

 

 湿気た煎餅も腹に入ればみな同じ。
 霊夢は何日か前から竹の編み籠に入っていた煎餅をかじりながら、境内に降り注ぐ光の絨毯爆撃に顔をしかめていた。
 目がちかちかする。
 ごしごしとまぶたを擦っても、指の脂と煎餅の醤油が瞳に付着して余計に目が痛くなるばかりだった。切りがないなあ、と瞳を潤ませながら悪態をつく。
 庭掃除を終え、食事の後片付けと洗濯が終われば他にすることもない。無論、妖怪があちらこちらでこちゃこちゃと暴れ回ることも往々にしてあるものの、よほどの大事でない限り霊夢が手を掛けることもない。
 全てはあるがままに、である。
「ふあ……あー」
 欠伸と一緒に、体の中から大切なものが抜け落ちていく。
 眠気は体の隅々に沈殿し、日陰にありながら心地良い気温に包まれている霊夢が、午睡に導かれない訳がなかった。
「だめ……だ……」
 眠りと死は似ている、と初めに説いた者の名を思い出す。
 けれども意味のある言葉が口の端から滑り落ちることはなく、霊夢は糸の切れた操り人形のようにばたりと畳に崩れ落ちた。
 頬に感じる畳の硬ささえ心地良く、霊夢は九十度回転した視界の端に見慣れた白黒の衣装が現れたことも気に留めず、二の腕を枕代わりに束の間の休息に落ちた。
「霊夢ー!」
 どたん、がたん、どすん。
 ばり、ぼりり、がりごりばりぼり。
「……あーもう、うっさいなあ……」
「起きたか」
「初めから眠ってないわよ……」
 無粋な来訪者の横柄な態度に辟易しながら、霊夢は眠りに落ちかけた体をゆっくりと起き上がらせる。視界が揺らぎ、目の前にいるはずの友人さえ曖昧に映る。
「……誰?」
「薄情者だなあ、霊夢は。私は私、霧雨魔理沙だよ」
「……あぁ」
 確か、そんな名前だったっけ。
 記憶の残像が照合したモノクロでアナクロな魔法使いは、霊夢の薄情な態度もからからと笑って受け流す。起き抜けと言えども、見慣れた人物の名前さえ咄嗟に出すことができなかった。確かに薄情者なのかもしれないな、と霊夢は自戒した。
 魔理沙は霊夢が食べ残していた煎餅の残りを引き継ぎ、その欠片を卓袱台にこぼしながら豪快に消化していた。霊夢は呆れ、それでも慣れたことだからため息のひとつも出て来ない。
 その代わり、欠伸はよく出た。
「あふ……ねみ……」
「なんだ、夜更かしでもしてるのか」
「……別に、変なことしてるわけじゃ」
「だろうな。霊夢にはまだ早い」
「魔理沙もでしょ」
 全くだ、と煎餅をかじる。
 姦しくも穏やかな会話は、魔理沙の一声で唐突に切りかえられた。
「そうだ、霊夢」
 頬杖を突き、ぼんやりと境内の砂埃を眺めていた霊夢は、魔理沙の言葉に目を向ける。
「何よ」
「お彼岸のお参り、行かなくていいのか」
「……あー」
 確か、そんなものもあったっけ。
 胡乱な脳味噌を掻き回すように、髪の毛をわしわしと撫で付ける。毛先が明後日の方向に跳ね、枝毛も数多く見られるようになった。
 これからは、ますます水が冷たくなるというのに。
 手入れを続けるのも、大変なものだ。
「なあ」
 業を煮やした魔理沙が、身を乗り出して回答を急かす。
 霊夢は面倒臭そうに鼻の頭をさすり、残り一枚になってしまった煎餅を摘む。醤油の塗りが甘く、指先にねっとりとした油が付いた。
「私にも、いろいろと都合めいたものはあるし……魔理沙も、何かと厠に付いて行きたが女の子じゃないんだから、行きたいなら一人で行けばいいじゃない」
 柄杓なら貸すわよ、と物置小屋がある方を指す。
「お彼岸はな、七日しかないんだぜ」
「けど、七日もあるのよ」
 指折り数えて、あと三日。
 噛り付いた煎餅は硬く、欠片がぽろぽろと卓袱台に落ちた。
「お前も、まだまだだな」
「あらそう」
 微笑ましく見守る魔理沙の態度にも動じず、霊夢は湿気ていながらもそれなりの硬さを備えた煎餅を食べることに集中した。
 日は高い。神社に降り注ぐ光の束は、社務所の中をもじりじりと暖める。
 秋と呼ぶのは、少し早いかもしれない。
 そんなことを考えた。

 

 

 松明を掲げた人々が、森の中にぽっかりと空いた広場を占拠している。その場所には何柱もの御影石が置かれていて、暗闇の一部であるかのように凛々しく佇んでいた。
 取り立てて珍しいところもない霊園の一角、周囲と同じく黒い石柱が立っているはずの空間には、存在するはずの石がきれいに取り払われていた。先頭に立つ女性が首を横に向けると、家銘の刻まれた墓石が横倒しにされていることに気付く。
 自警団の動揺を表すように、松明が揺れる。
 寺の住職からの一報を受け、彼女たちが現場を訪れて数分。
 墓石が倒されている。
 そして、収められていた骨壷が消えている。
 百近くある墓石の中で、被害にあったのはこの一柱のみだった。
 女性は歯噛みし、今はどこにあるか知れない故人の魂を仰いだ。
「あなたも、振り返るのか」
 黄泉比良坂の、暗い道程を。
 苦々しく呟いた声が、夜に流される。
 がらんどうの箱には夜気が入る隙間もなく、ただ、収められるべき人の欠片を探し求めていた。

 

 

2.

 

 

 墓参りをするつもりもなく、けれども友人の言葉が頭から離れなくて、霊夢はぼんやりと人里に近い墓地の上空を飛んでいた。いつかの異変を思わせる彼岸花の群れが大挙を成し、けれどもそれが本来のお彼岸の光景だと知る。
 大地に巨大な御影石が突き刺さっている以外は何の変哲もない場所だけれど、そこに忍ぶべき人が眠っていれば話は別だ。残されたものは一様に掌を合わせ、その意味も知らない稚児もまた親にならって小さな手を合わせる。
 秋のお彼岸とあって、霊園には多くの人が見受けられた。
 その一方で、不自然に固まっている集団を見ることもできる。
「……ん?」
 見るからに物々しい連中の中に見知った影があったから、霊夢は興味本位でその中心にふわっと降り立った。
 どよ、と人の輪が広がる。
 若干、気に障った。
「……何だか、妖怪が現れたみたいな顔するのね」
「それは、お前が里の者に何と呼ばれているか知らないからだろうよ」
 冷たく答える影の名前は、上白沢慧音と言った。
 重箱のような帽子を被り、銀の混じった蒼い髪をなびかせている。霊夢の登場に、少し呆れているようでもあった。
「ま、いいわ。こんな墓場にたむろして、一体何してたの」
 真相を尋ねる霊夢に、慧音は遠巻きに輪をなしている男衆に目配せする。
 祓い串を肩に担ぎ、眠たそうに欠伸をする霊夢の存在があまりに異様なのか、慧音以外は誰も近付こうとしない。困ったもんね、と霊夢は心の中でため息をついた。
「実はな」
 慧音は、霊夢の背後を指す。
 それにつられて霊夢が振り返ると、あるべきはずのものがないことに気付かされる。
「……あれ?」
 首を傾げる。
 灯篭も石碑も地蔵もあるのに、何故か墓石だけきれいさっぱり無くなっていた。周囲を見渡せば、それらしき石は草むらに投げ出されていた。剥き出しになった箱の中身は、既に空っぽだった。
 卒塔婆の後ろに、何本かの彼岸花が風に揺れている。
「骨壷も消失している。箱のふたを開けるように犯人は墓石を外し、内側の骨壷ごとどこかに移動した」
 淡々と、情を挟まずに説明する慧音の表情にも、幾分か感情の揺らぎが見て取れる。霊夢はそれを指摘しなかった。慧音が感情を押し殺すことをよしとしているのなら、部外者が口を挟むのは無粋だろうと思った。
「時折、こういうことがある」
「……墓泥棒?」
 慧音は首を振った。
「未練を残したものが、現世に蘇るんだ」
 涼しい風が吹いた。
 霊園の一角で、誰かが嗚咽を漏らしていた。
 耳ざわりのいい音じゃないな、と霊夢は思った。
「境界が揺らいでいる時期に起こりやすく、未練が強いほど現世に干渉する力も強い。すなわち、自身の肉体、あるいはその一部を媒介にして、一時的に再生するんだよ」
「それは、問題ね」
 問題だ、と慧音は口惜しげに言い放ち、霊夢に背を向ける。
「あ、ちょっと――」
 いきなり踵を返した慧音に手を伸ばすものの、慧音は立ち止まっただけで振り返ろうともしない。
 来るな、と暗に命じられているような気がして、霊夢は口を噤む。
「悪いが、あまり構っている余裕はないんだ。幽霊が現世に留まりすぎると、元の輪廻に戻れなくなるかもしれない。それに」
 一旦言葉を区切り、一呼吸置いた後に。
「寂しさのあまり、残されたものを引きずり込むことも考えられる」
 そう言い残し、慧音は人の輪に戻った。
 有志の仲間たちにあれこれと指示を出し、みずからも墓地を後にする。残されたのは現場保存に当てられた人員二名と、することもなくぼんやり佇んでいる霊夢一人だった。
 どこからともなく、誰かの泣き声が聞こえる。
 声のする方を見ると、妙齢の女性が御影石にかじりつくように泣き喚いている。親族たちも一様に暗く俯き、ただ年端も行かない女の子だけが母親の背中を撫でていた。
 どうして泣いているの。
 悲しいことがあったの。
 教えてよ。
 ねえ――
 そんな声が、聞こえたような気がした。
 唇を噛む。
「……大変ね」
 管理を命じられた男に労いの言葉を掛け、彼らがどう答えたものか逡巡しているうちに、霊夢は彼らの間を通り抜け、陰鬱な泣き声を背にゆっくりと歩き出した。
 日が暮れるにはまだ早い。
 暇潰しをしよう。
 そう思った。

 

 

 縁側に座り、ぶらぶらと足を投げ出して鼻歌をくちずさむ。
 夕焼けに染められた庭を眺めながら、愛しい人の帰りを待つ。
 どこに行っちゃったんだろう。
 いつ帰ってくるんだろう。
 おねえちゃんは難しいことばかり言う。
 でも、優しくしてくれるから嫌いじゃない。
 瞳は移り気に橙色の雲を映し、母親から教わった歌も尽きてしまった。続きを教えてもらわなきゃ。教えて欲しいことなら、まだたくさんある。
「……あっ」
 階段から、見知った人影が現れる。
 母親でないことに落胆し、おねえちゃんであることに喜ぶ。
 彼女はこんばんはと言い、女の子も元気にこんばんはと返した。
 夜になると、女の子のところに髪の長い女性が訪れた。
 女の子は彼女のことをおねえちゃんと慕い、彼女も女の子にいろんなことを教えた。
 それは、料理であり、裁縫であり、農耕の知識であり――たった一人でも生きていけるような、必要最低限の知恵であった。
 女の子は、それと知らずに彼女の言うことに従い、楽しく、明るく、生きる術を着々と身につけていった。基本的なところは母親に教わっていたから、彼女が教えることはそう多くなかった。
 女の子の髪を撫でる彼女の手は、母親のように優しく、だから女の子も母親のことを思い出す。
「ねえ」
 お母さん、いつ帰ってくるの。
 そう尋ねるたびに、彼女は悲しそうに微笑んだ。
 それが、女の子には辛かった。

 

 

3.

 

 

 特にすることもなかったから、河川敷の土手に腰掛けて、明るく楽しくはしゃぎ回っている子どもたちを眺めていた。
 たまに、見慣れない人物ゆえに注目を集めることもあったが、霊夢が適度に威嚇すると適当に散ってくれた。どちらが子どもか分かったもんじゃない。
 水切り、縄跳び、球を投げたり打ったり蹴ったり、秋口と言うのに泳ぎ出すやんちゃ坊主までいた。後で怒られるんだろうなぁ、と他人事のように欠伸をする。
 子どもたちの喚声が、いやに遠い。
「……は、ふ」
 切りがないから、霊夢はばたんと仰向けに倒れこんだ。
 草の葉が頬にこすれ、石ころのごつごつとした感触が背中を圧迫する。
 風邪をひくかもしれないとか、子どもに悪戯されるかもしれないとか、細かいことは全く何も考えなかった。眠いから眠るだけだった。正直、余計なことを考えている余裕もなかった。睡魔はまぶたの裏に潜み、刻一刻と霊夢が夢に落ちる時を待ちわびている。
 清流から漏れ聞こえる水音が、心地の良い子守唄だった。
 それから、霊夢は瞬く間に眠りに落ち、予期していたような干渉も何もなく、当たり前のように日が傾いた。
 子どもたちは、一人、また一人と遊び場を後にして、残された子どもたちも言いようのない寂しさに駆られて家路につく。
 騒がしかった河川敷に、遮るもののいない静寂が戻る。
「……ん……」
 涼風に覚醒を促された霊夢は、頬にこすれる草を払い、背中に付着した土埃を払いながら、橙色に染め抜かれた河原を望む。
 そこには、ぼんやりと川の流れを見守っている女の子がいた。
「――なに、してるの」
 口を突いて出た言葉は、霊夢が意図して放ったものではなかった。ただ、女の子がぽつんと佇んでいるのを見て、不意に口から滑り落ちてしまった。
 女の子は、霊夢の方を向き、それから周りに誰もいないことを確かめて、
「……あ」
 逃げた。
 追いかける間もなかった。
 黒い髪をぱたぱたと揺らしながら、一目散に土手を駆け上がっていく。あまりの必死さに、霊夢はそんなにひどい顔してたかしら、と自分の頬をぷにぷにと触ってみた。
 女の子の行方を目で追っていると、土手の向こうから見知った影が現れた。案の定、女の子はその女性に正面からぶつかり、受け身もなしに転がりかけたところを彼女にすくいあげられる。
 ごめんなさい、と健気に謝罪しているのを見、喋ることはできるのね、と的外れなことを考える。
 顔を上げた女の子は、霊夢と相対した時とは打って変わって嬉しそうな笑みを浮かべ、突然の来訪者に思いきり抱きついていた。
「おねえちゃん!」
「……あぁ、おかえり」
 彼女もまた困ったように微笑み、女の子の髪を撫で、河川敷に突っ立っている霊夢を見た。
 彼女の目が何を言おうとしているのか、それは分からない。
 分からなければ、それでも構わないと思った。
「……慧音、か」
 独り言のように呟き、慧音と女の子が手を繋ぎながら去っていく姿を見送る。親子と言ってもおかしくない背中が見えなくなってから、霊夢はふわふわと浮き上がって土手の上に降り立ち、彼女たちがどこに向かったかを推理し、思うがままに歩き出した。

 

 

 夜更かしなんかしないで早く寝るんだよと言いつけられても、女の子は布団の中にくるまったままなかなか寝付けずにいた。
 窓から漏れる月明かりは、子ども一人には大きすぎる部屋を鮮明に照らし出す。一人きりの夜は、寂しさに打ちのめされそうになる。泣くな、泣いてもいい、繰り返し同じことを言われても、女の子は頑なに唇を噛み締めて待ち続けた。
 必ず帰ってくる。
 太陽の熱を吸い込んだ温かい布団が、小さな体に覆いかぶさる。叶うなら、もう一度この布団で一緒に眠りたい。
 手を繋いで。
 子どもみたいだねと笑われても、子どもなのだから背伸びをする必要はないと思った。
 会いたい。
 あれから、確か一ヶ月と半月が過ぎた――
「……来た」
 物音がした。
 稲妻のような光も見えた。
 来たんだ。
 布団をめくり上げ、襦袢が乱れていることも気に留めず、砂利を一歩一歩丹念に踏み締める足音に会いに行く。
 廊下を駆ける騒がしい足音で、かすかな足音は掻き消される。だが、庭にいることは分かっていた。焦る。早く行かないと、またどこかに行ってしまう気がした。
 子どもの歩幅で五十歩もないはずなのに、その歩数がやけに多く感じられた。
 廊下を駆け抜け、庭が見渡せる縁側に辿り着く。
「……あ」
 月明かりに彩られた黄金色の世界に、悠然と佇む一人の影があった。巫女の衣装に身を包んだ女性は、ぼんやりと、空に輝く月と星を見上げていた。
 女の子は、乱暴に靴を履き、空を眺めている女性に駆け寄っていく。砂利を踏む音も、獣の鳴く音も、何も聞こえなかった。頭が熱く、ただ彼女しか見えなかった。
「お母さん!」
 艶やかな黒髪が、夜風になびいている。
 女の子は、しゃがみこんだ母親に抱きつき、その胸の温かさにしばらく浸っていた。母の掌が、女の子の髪を撫でる。透き通るような黒髪を携えた親子が、月光の下で四十九日ぶりの再会を喜んでいた。
 母が、愛しげに女の子の名を呼ぶ。
 幼子の鼓動を感じながら、震えるようなか細い声で。
「……ただいま、霊夢」
 おかえりなさい、と女の子は言った。
 嬉しかった。
 抱き締められて、名前を呼んでくれることが。
 本当に、嬉しくて仕方がなかったのだ。

 

 

4.

 

 

 肩にかかる程度の黒髪が、吹きすさぶ風に煽られて口の中に数本入り込む。鬱陶しそうに髪の毛をすくい取り、風に乱された髪を掌で撫でつけた。
 夜が迫り、妖怪が出没する森に近くなればなるほど道は荒く細く狭くなる。それでも、人間が通れない道とは言えない。
 霊夢は、里の外れに位置する民家の竹垣に立っていた。
 あの女の子は、慧音と一緒にこの家に入った。慧音の家はまた別にあるから、ここは女の子の家なのだろう。
 人通りが少ない――と言うより、獣の遠吠えの方がよく聞こえる場所に、長らく居座っている道理もない。霊夢は部外者だった。気紛れに霊園を訪れ、興味本位で女の子の行方を探ったが、本来的には何の関係もない。
「……さむ」
 風が吹く。前髪が視界を覆う。
「伸びたわね……」
 生来の黒髪に想いを馳せ、竹垣に細い背中を預けていると、不意にぶしつけな足音が聞えてきた。
 振り返る。
 彼女は、何も喋らない。
 長く透き通った髪を風になびかせたまま、横目で霊夢を一瞥する。その所作から、慧音が抱いている感情の機微を推し量ることは難しい。
 霊夢は先に尋ねた。
「あの子、一人なんでしょう。側にいなくていいの」
「そう思うのなら、お前が行けばいい」
「私は……ほら、懐かないし」
 夕べの河川敷を思い出す。改めて頬をさすり、だろうな、と苦笑する慧音をくっと睨みつける。冗談だよ、と笑う彼女の仕草もやけに腹立たしく、だが憤ったら負けだと思い懸命に口を噤む。
 それを見て、慧音も微笑む。
「……さて」
 夜も更けた。フクロウの鳴き声が不気味さを煽る。
 いい加減、子どもは眠りに就く時間だ。
「私は帰る」
 切り捨てるように告げて、慧音は背を向けた。
 霊夢も、追いすがることはしない。彼女があえて口にする意味も、なんとなく理解していた。理解はできても、納得はできなかったけれど。
「……私も、帰っちゃうかもしれないわよ?」
「そうか」
 慧音は適当に手を振り、そのまま夜の道に消えていった。
 霊夢の仮説に取り合おうともしない。どういう訳なのか霊夢にも分からないが、慧音は霊夢が帰らないと信じているようだった。
「……信頼されたもんね、私も」
 吐き捨てる。
 無条件の信頼は、どこかむずがゆい。
 取り残された霊夢は、物音ひとつしない家の玄関を覗きこんだ。死んだように静まり返ったこの家に、本当に誰かが住んでいるのかと疑いたくなる。
 あの子は、もう完全に眠ってしまったのかもしれない。
 霊夢も気を抜けば簡単に眠ってしまいそうだったが、女の子が死者に連れて行かれる可能性がある以上、事の行く末を見守る必要があった。
 子に別れを告げることもできず、土に還ろうとしていた親が現れる。
 閉め切られた箱から抜け出し、束の間の形を得て現世に蘇る。
 今日か、明日か、明後日かは分からない。だが、期限があるとすれば彼岸の明けだ。それ以降になれば幽明の境も安定し、修復するものが律儀に働けば問題なく季節が巡る。
 仮初の肉体を得たものも、本来の彼岸に帰る。
 あるべき場所に帰るのだ。
「……悲しいかな」
 霊夢は満天の星を仰いだ。
 その中心からわずかに外れた月は、雲に遮られることもなく雄々しく光り輝いている。霊夢は目を細め、次に、全く別の方向から放たれた閃光に無理やり意識を引き戻される。
 弾幕ではない。妖気も感じられない。
 線香花火のような、か細くも確かな明かりだった。
 再び淡い暗闇に包まれた空間の中で、霊夢はかすかな足音を聞く。慌しく家の中を駆け回る、ずっと待ち続けていた誰かに会えると理解した瞬間のような――純粋で、疑うことを知らない無垢な足音だった。
 やがて、乱暴に板を踏み抜く音がとまり、裸足のまま外に飛び出て力いっぱいに土を踏み締める。
 普段は聞こえるはずのない小さな音が、耳から離れようとしない。だから、振り絞るように唱えられた声も、霊夢の耳に深く突き刺さった。
「おかあさん……!」
 歩み寄る音、重なり合う音がする。
 誰かの名を呼ぶ声が聞こえ、霊夢は、固く握り締めていた祓い串を取り落とした。
 空は蒼く、天球の切れ間から黒い雲がこぼれている。
 吐く息は常に重く、吸う空気には魂の欠片が染み込んでいるような気がして、やけに飲みづらかった。
「あるがままに……」
 全ては、あるがままに。
 霊夢は落とした祓い串を拾い、その柄を額に突き合わせる。
 痛い。
 当たり前のことを知るだけでも、得るものはある。
 後は、自分ができることをやるだけだ。
「あの優等生、私に全部押し付けて……今に見てなさいよ」
 絶対に、痛い目見させてやるから。
 鼻息も荒く、霊夢は竹垣の境を抜け、家の敷居を跨いだ。

 

 

 いろんなことを話した。
 お母さんがいなくなり、家に一人ぼっちだったこと。寂しかったけれど、意地でも泣かなかった。お母さんは必ず帰ってくると思った。そして、帰ってきてくれた。
 おねえちゃんが毎日のようにやってきて、たくさん遊んでくれたこと。おねえちゃんはいろんなことを教えてくれた。今度、お母さんにもそれを教えてあげたい。包丁も使えるようになったから、お母さんのお手伝いもできる。
 話は尽きない。
 この一ヶ月と少しの間に体験したことを、女の子は全て母親に伝えようとする。母も無邪気に語りかける娘の言葉に耳を傾け、薄く溶けそうな体を揺らしながらそっと微笑む。
 生温かい風が境内に吹き抜け、砂埃が女の子の目に入る。懸命にまぶたをこする女の子に対し、母親は目に砂が入った様子もない。
 不思議だな、と思ったが、大して気にも留めなかった。
 それより、安心したら急に眠くなってきた。
 母が消え、気丈に振る舞っていてもまだ幼い。緊張で張り詰めていた糸が切れ、目尻には涙のようなものが浮かんでいた。
 目にごみが入った、などというありきたりな言い訳しかなかったから、女の子はあれこれ問われる前に母の手を引いた。
「中に入ろう」
 もう眠いよ、と涙を誤魔化すように目をこする。
 重ねられた掌は、以前に握ったものよりいくぶんが弱々しく感じられた。
 絶えず吹き続ける風に、母の黒髪が揺らめいて彼女の姿を幻想的に飾り立てる。その様子を窺い、女の子も呆然と母親の容姿に見入った。
 お母さんみたいな髪の毛がいい――そう言って、伸ばし続けている髪の毛は肩を覆うくらいまで伸びた。母がいない間は、おねえちゃんに手入れをしてもらった。
 おねえちゃんは嫌いじゃないけれど、明日からはお母さんに梳いてもらえる。
 それが嬉しくて、顔を綻ばせた。
「ねえ、早く――」
 急かすように、くい、と母親の手を強く引っ張る。
 けれども、掌はするりと抜け落ちてしまった。
 不思議そうに自分の掌を見る女の子と、今にも泣き出しそうに俯いている母親の間に、明確な境界が引かれていた。
 女の子は理解できなかった。
 勿論、自身がそういった教えを受けていたから、そういう現象が起こり得ることも知っている。幻想郷には幽霊も妖怪も吸血鬼だって立派に存在する。幻想郷に身を置く以上、人外のものたちを避けて通る訳にはいかない。
 けれど、どうしても信じられなかった。
 温もりを感じることができた。髪の毛も撫でてくれた。自分を見てくれた。笑ってくれた。
 今、目の前にいる人が。
 本当は、もう。
「霊夢」
「……おかあ、さん」
 ぎゅ、と強く抱き締められる。
 苦しいよ、と耳元で囁いても、娘を抱く力が緩まることはなかった。背中に当てられた掌の感触は、もうほとんどない。耳を澄ましても、胸の鼓動は聞こえなかった。
 ただ、抱き締められていた。
 かすかな熱を体に感じながら、母の泣き声を聞いていた。
「……どうして」
 言葉にはならなかった。
 どうして、こんな声を聞かなきゃいけないんだろう。
 また、一緒に眠れると思ったのに。手を繋いで、何でもない森の中を散歩して、たまに怒られたり、褒められたり、そんな当たり前の生き方ができると思ったのに。
 酷い話だ。
 こんな未来だったら、もっと早く泣いていればよかった。
 無理に我慢しているから、情けないと知っているのに、母親の胸で泣いてしまうんだ。
 本当に、酷い。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 くしゃくしゃになった声で、くしゃくしゃになった謝罪の言葉を繰り返す。
 謝らなくてもいいよ。
 誰も悪くないんだから。
 そう言いたかったけれど、結局、最後まで何も言えなかった。
 優しい言葉のひとつも、かけてあげられなかった。
 胸が軋む。
「……あなたに会えて、よかった」
 そんな言葉は、聞きたくなかった。
 けれども、どんなに酷い顔をしていたとしても、聞かなければならなかった。
 こぼれた涙が地面に落ちる。砂埃は小さな雫を瞬く間に覆い隠す。
 温もりも、掌の感触もなくなり、母に抱かれているのか、空気に溶けているのかさえ分からない。きれいな髪の毛が揺れている。ぱらぱらと、光の粉を撒き散らして夜の空に舞い上がっている。
 美しかった。
 母親に抱かれたまま、母親が空に昇っていく光景を眺めていた。
 母親だったもののひとつひとつが、光の灰となって空と大地に還る。
 その意味を、輝ける光に包まれながら、深く噛み締めるしかなかった。
「霊夢」
 最期に、潤んだ声が耳元に響く。
 涙を拭い、唇を引き結び、大好きなお母さんの顔を正面から見据える。

 あなたが、幸せでありますように。

 光は、凍えるような夜気に溶けて、すぐに消えた。

 

 

5.

 

 

 残酷な話だ、と霊夢は思った。
 それくらいなら、二度と目覚めることがないように、固く封印を施してほしい。結界が強力であればあるほど、箱のふたが開くことは少なくなる。まして博麗のものならば、その類の術は入念に施されてしかるべきだったのに。
 だから、何度も何度も繰り返してしまう。
 それとも、幻想郷だから、この程度の奇跡は飽きることなく繰り返されるのだろうか。考えるだけ無駄だと知りながら、霊夢は考えざるを得なかった。
 霊夢は、あの日の焼き増しを見ている。
 母と子が抱き合って、これが今生の別れと知りながら、明日への希望を捨て切れないでいる。こんなことなら、会わない方がよかった。胸を裂くような痛みに襲われても、それが喜びから来るものなのか、悲しみから来るものなのかも分からない。
 声をかけるのは無粋に思えた。あの時も、声はかからなかった。
 けれど、誰かがいたはずなのだ。
 今、遠巻きに終わりの光景を眺めている霊夢のように、あの日、少女の別れを目の当たりにした人物が。
 光となって消えてしまったものを、天上に送り届ける役目を負ったものが。あるいは、悲しいけれど、幼子を冥界に連れて行こうとする魂を、強引に引き剥がす役目を負ったものがいる。
 嗚咽が漏れ聞こえる。
 邂逅が終わる。
 繰り返し巡り行く輪廻に終わりはなくても、命に終わりは来る。受け止めなければならない。背負う必要はないけれど、できるなら、その想いと手を繋ぐように。
 今は亡き者の手を握るように、これからの生を歩いていけたら。
「……良い天気ね」
 涙は流れなかった。
 これはあくまでも他人の現実で、霊夢の現実はまた別の場所にある。無理にだぶらせる必要はない。
 二人は何事かを語り合い、頷き、泣きながら懸命に笑った。
 淡く、か細い光が放たれる。
 蛍のように点滅しながら夜の空気に溶ける体を、女の子は必死に抱きとめていた。感触はないかもしれない、体温も感じていないのかもしれない。それでも、残りわずかな時間を母の体に預けた。
 静謐な時が流れていた。
 知らないうちに噛み締めていた唇は、歯の形が残るくらい歪んでいた。
「行こう」
 霊夢は、気付かれないように空に舞い上がる。
 ありとあらゆる念が込められた物質を媒介にして現世に再臨しても、何の力もない人間は一日としないうちに仮初の体を失う。
 体が砕け散り、幽霊となって再び冥界に帰ることができればいいものの、下手をすれば帰り道が分からず現世で迷うこともある。幽霊は基本的に無害だが、漂っていればいるだけ輪廻の輪に戻る時間が遅れてしまう。
 だから、その手助けをする。
 霊夢は彼女たちの風下に浮かび、夜風を浴びながら待機する。
 そして、光の粒が空に舞い上がった。

 女の子が掌をかざす。
 母もそれを掴み、お互いの存在を確かめる。
 繋いだ手は、光が弾けるようにこぼれおち、一陣の風に煽られて空に溶ける。
 大切なものが、掌をすり抜ける。
 抱き締める母の腕が光の灰となり、囁く声が女の子の顔を歪ませる。
 うん、と頷き、よかった、と笑う。
 そんな気がした。

 瞑想する。
 空に舞い上がった光の粒が、霊夢を中心に引き寄せられる。
 光は渦を巻くように霊夢の周囲を旋回し、緩やかに上昇する彼女に付き従い、空に昇っていく。
 女の子は天を見上げているだろうか。
 心配しなくても、そうであるように思えた。
 宙に漂い、夜の風を一身に受ける。ふわりふわりと空に浮かび、光の衣をまといながら遥か天上を目指す。
 魔法使いが星屑を抱くように、巫女もまた光の粒を抱く。
 人には過ぎた力だとしても、力があることに意味はあると思った。
「行きましょうか」
 答える声もなく、自分の耳にすら届かない囁きを残し、霊夢は一気に飛び上がる。霊夢を道標として、光は緩やかに浮揚する。遅れそうになると、霊夢は早く来なさいと光を急かす。光もそれに答える。
 大地は遠く、星は近くなった。
 風が髪を乱し、気を抜けば吹き飛ばされそうだった。
 結界に近付けば近付くほど、光はあるべき形に復元していく。光の粒は、揺らめきながら、瞬きながら、幽霊に戻ろうとする。
 霊夢は、上昇をやめた。
 結界が近い。
 幽霊も、光の粒を点滅させながら、風船のような形になりつつあった。
「お疲れ様。ここからなら、迷うこともないでしょ」
 振り仰げば、それと分かる壁がこの世とあの世を隔てている。
 分かりやすい境界だ。
 確かに、これならば迷うまい。
 大仰に肩を竦め、祓い串を肩に担ぐ。早く行きなさい、と結界を指差しても、幽霊はふよふよと漂うだけでなかなか境を越えようとしない。
 霊夢に幽霊の声は聞こえない。どこぞの死神なら助けになれるかもしれないが、人間が死者の声を聞くのは過ぎた行為だ。
 だから、霊夢は幽霊の心を推し量ることもしなかった。
 ただ、彼女の気が済むまで待って、幽霊の中に埋もれていた光が完全に消失し――突然、骨壷となって霊夢の目の前に現れるまで、霊夢は吹きすさぶ冷風の中に浮かび続けていた。
 落ちかけた骨壷を抱え、しっかりふたが閉められていることに驚く。
「……重い」
 遺灰はともかく、骨壷はどこに隠し持っていたのだろう。
 疑問はあるが、いちいち尋ねるのも無粋に思えた。
 どうせ、答えてはくれないだろうし。
「これは、ちゃんと返しておくから」
 腕に重くのしかかる骨壷を掲げ、霊夢は幽霊を見送った。
 白く透き通った塊が、糸の切れた風船のように、ふわふわと頼りなく空に昇っていく。
「全く、どいつもこいつも面倒事ばかり押しつけて……」
 吐き捨てる。
 彼女がこの世に生きた欠片を抱き、霊夢はふらふらと大地に帰る。もう眠い。いい加減、親も子どもも巫女も半人半獣も眠りに就く頃合だ。
 その前に、骨壷を返却しなければならないのが厄介だが。
 きっと、墓泥棒だと言われるに決まっている。慧音のところに寄る暇もないのがややこしいところだ。やれやれ、とため息を吐く。
 空には、薄く雲がかかろうとしていた。

 

 

 女の子は、今も元気に暮らしている。
 多少なりとも傍若無人で、みずから厄介事に首を突っ込みたがる傾向にあるけれど、人間にも妖怪にも好かれ、やりたい放題の自由気ままに過ごしている。
 お茶を飲むのが趣味で、掃除をするのが仕事だった。
 たまに妖怪を退治したり、その妖怪と親交を深めたりして、いまや博麗神社は妖怪に乗っ取られた、と噂されるようになっている。その是非はともかく、今が幸せなら別に構わないんじゃないかな、と女の子は考える。
 女の子は、昔のことをあまり思い出さない。
 それよりも今は、やたら天気のいい空を見上げてめいっぱいに伸びをする。欠伸もする。
「ふ、あぁ……あー」
 それが、博麗霊夢の仕事だと言わんばかりに。

 

 

6.

 

 

 彼岸の明け。
 墓前に手を合わせる少女の背中を、なんとはなしに眺めている女性がいた。
 線香の煙が空に昇り、墓石にまかれた清水が朝の光に照らされて輝かしく煌いている。彼岸花は最後の力を振り絞り、その煌々とした紅い輝きを周囲に撒き散らす。その様が忌まわしいと嘆く者があっても、彼岸花は何かを悼むように天上を仰ぐ。
 お彼岸の最終日、普段は日々の生活に明け暮れている人々も、今は過去の思い出に浸って束の間に合掌する。ありふれた光景の中に埋もれている少女もその一人で、風が冷たいのか衣装の上に薄い肌がけをしていた。
 よっこらしょ、と爺むさく立ち上がり、先程から浴び続けている視線の主と相対する。
「……覗き?」
「覗きの方がよかったのかお前は」
「ご想像にお任せします」
 茶化すように返答し、霊夢は慧音を見据える。
 お互いに、三日前のことが脳裏を掠めていた。
 また、それ以上に、記憶に陰りが見えるくらい昔のことも。
「ねえ」
「なんだ」
 尋ねる。
「おねえちゃんは、おねえちゃんなの?」
 雀の鳴き声は珍しくもないけれど、今はやけにうるさく感じられる。
 慧音は、ようやく気付いたか、と言いたげに口元を綻ばせた。
「気付かれなければ、別に構わないと思っていた」
「ふうん……おねえちゃん、おねえちゃーん」
「……やめろ、今のお前に言われると鳥肌が立つ」
「はーいおねえちゃーん」
「お前なあ……」
 上目遣いに復唱する霊夢に呆れ果て、慧音は深々と嘆息する。あの頃は可愛い女の子だったのになあ、という意味合いが込められていることを察し、少し癪に障る。
 それと同時に、時の流れは残酷なものだと知る。
 思い出したくないことは、思い出さないようになるから。
「墓石の件は、本当に感謝している。彼女も喜ぶ」
「……だといいんだけど。あんなに泣いてたから、ちょっと不安だわ」
 安心しろ、と俯きかけた霊夢の髪の毛を撫でる。
 ふわりと乗せられた掌は、冷えた体には温かかった。
 子ども扱いされていることの苛立たしさより、誰かの熱を感じていることの安堵が勝った。
 しばらく、慧音に髪の毛を撫でられる。
「……髪、伸びたね」
「折角だから、手入れしてもらえないかな。枝毛も増えちゃったし、一人で整えるのは面倒になってきたというか」
「ずぼらなだけだろう」
 でも、霊夢がいいなら、やってあげよう。
 慧音は霊夢の申し出を受諾し、頭から手を離す。
 名残惜しげに掌の行方を眺めている霊夢に、今度は慧音から提案を持ちかける。
「折角だから、手を繋いで帰ろうか」
 霊夢は躊躇した。
「……何が折角なのよ、何が」
「それはこちらの台詞でもある。まあ、繋ぎたければ繋ぐといい。私の手は空いているから」
 そう言い残し、慧音は一足早く墓を後にする。
 霊夢は、桶の中に柄杓を突っ込み、慌しく墓を離れる。最後に一度、墓石に刻まれている名前を眺め、それから振り返ることなく歩き出す。
 彼岸花が、秋の冷たい風に揺れていた。
 投げ出されている慧音の掌を、掴むか掴むまいか何度も躊躇い、結局霊夢は霊園を出た直後に彼女と手を繋いだ。
 掌は、温かすぎてむずがゆい。
 恥ずかしさで、寒さが気にならなくなるほどだ。
 けれど。
 懐かしすぎて、泣きそうになる。
「……良い天気ね」
 涙が出るわ、と額を押さえる。
 慧音は、そうだな、と言った。

 秋の空に、光の群れが押し寄せる。
 太陽から降り注ぐ光の粒をまぶたに焼き付けながら、この空の上に、安らかな世界が広がっていることを祈った。
 晴れやかな空の下を歩きながら、二人、手を繋いで。

 

 何度も、何度も。

 

 

 



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2006年11月21日  藤村流
東方project二次創作小説





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