※ 星蓮船のネタバレ注意!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ダウザー・ダウン

 

 

 

 感度は非常に良好である。
 かといって、探し物がすぐに見付かるとは限らない。なまじ感度が良すぎるから、余計なものにまで反応してしまうのはよくあることだ。
 一匹の大きな鼠が、腕組みをして空に佇んでいる。時折唸り声を上げ、皺の寄った眉間を指で擦り、尻尾の先に引っ掛けた籠の中にいる小さな鼠を睨む。
「困ったな」
 呟く。差し迫った様子はないが、疲弊していることは明らかだった。
 このまま探し続けても、いつ当たりにぶつかるかはわからない。探し物なんて大抵はそんなものだけれど、ダウザーとしての役目、ささやかな矜持、依頼主との約束が、探索を断念させることを許さなかった。
 先程は空飛ぶ人間と遭遇して一悶着あったから、ここらでひとつ休憩を取りたいと思っていた。どこか休める場所はないものかと、高い空から眼下の景色を見渡す。何かを探すためのダウジング技術も、何もない場所を探すのには役に立たない。皮肉である。
 自重しながら、適当な空き地を探す。大して時間もかからず、その場所は森の中に見付けられた。
「あの辺りが適当かな。……と、思ったんだが」
 降下するべく、片手にまとめて携えていた二本のロッドを大地に差し向けたところで、彼女は地上から飛来する何者かの存在に気付いた。
「そう簡単には行かないみたいだ」
 やれやれ、と冗談ぽく肩を竦める。厄介な仕事を引き受けたものだと、依頼主の前でなら決して言えない言葉を溜息に変え、ナズーリンは再びダウジングロッドを正面に構えた。
 向かってくる影は、先程と同じような人間の女性だった。のんきな少女と異なり、表情には見せないようにしているものの、いくらか切羽詰った様子が見て取れる。眉間に刻まれた薄い皺の跡も、彼女が人知れず抱いている苦悩を表しているようにも感じられた。
「人も浮かれて空を飛ぶ季節か。春だね」
「何を言ってるんだ」
 銀と蒼の入り混じった長い髪を、空の風に雄々しくなびかせている。同じ腕組みをするのでも、ナズーリンが素直な困窮を示しているのに対し、彼女は追及の意味合いが濃い。知らずと、ナズーリンも何を訊かれるのだろうかと困惑の色を露にした。
「見たところ、まっすぐ私の方に向かって来たみたいだけれども」
 問いかける。
 彼女は一度腕組みを解き、呼吸を整える。何度か瞬きをした後には、顔のそこかしこに散らばっていた疲労の色はだいぶ薄れていた。
「……失礼。理由にはならないが、疲れていたようだ」
「無理はよくない。疲れたら休むべきだよ」
 かくいう私も休みたいんだが、と言葉を続けるのはやめた。
 彼女もふっと表情を緩ませて、胸に手のひらを置き、静かに自己紹介をする。
「上白沢慧音と申します。此度は、あなたにお願いしたいことが」
「まあまあ」
 先へ先へと話を進めようとする慧音を制し、ナズーリンはこほんと咳払いをする。
「その言い方だと、私のことは知っている様子だけど」
「風の噂で」
 ナズーリン自身はあまり自分が有名だという自覚はなかったが、身元をひた隠しにしているわけでもないからそういうこともあるかもしれない。
「まあ、一応名乗っておくと、ナズーリンという。ダウジングが得意な只の鼠だよ」
 握手を求めることはしない。相手の素性が知れない以上、依頼を装ってナズーリンを攻撃する可能性も考えられる。何が疎まれるかわからないのは、人も妖も同じことだ。
 しばし、腹の内を探り合うように対峙する。
 痺れを切らせたのは、やはり慧音が先だった。
「あまり時間がないんだ。人探しをお願いしたい」
 彼女の表情にも険しいものが戻る。慧音には焦る理由があって、ナズーリンにはそれがない。ナズーリンにも先に引き受けた依頼があるのだが、そちらは慧音ほど急ぎの用件ではなかった。
 この交渉は、ナズーリンが主導権を握っている。
 ふたりともそれを理解しているが、慧音にはあれこれ策を講じている余裕などなかった。
 ナズーリンは、返答によっては今にも掴みかかろうという慧音を焦らすように、ひとつ深呼吸を挟む。
「もし私が依頼を断ったとして、それで説得のための戦闘に移行すれば、無駄に時間を取られることになる。私はそれでも一向に構わないが、困るのは君の方じゃないのかい」
「……何が言いたい」
 なおも警戒を怠らない慧音に、ナズーリンは苦笑する。
「そんなに怖い顔をするなって話さ。始めから喧嘩腰だと、まとまる話もまとまらない。君が普段どういった手合いと付き合っているのかは知らないけども、今は状況が違う」
「……善処する」
 慧音もひとつ息をつき、少しだけ声の調子を落ち着かせる。
「けれど、急いでいることに変わりはない。不躾なお願いだという自覚はある、無理だというのなら仕方がない。別口を当たろう」
 彼女の瞳に、うっすらと諦観の色が滲み出ているのを、ナズーリンは見逃さなかった。
 いるかどうかもわからないダウザーを頼って来た時点で、彼女が既に頼れるところを調べ尽くしたことは明白だった。神頼みをするかの如く、天を仰いでいたときに風の噂で聞いたダウザーを発見した。それはまさしく天の恵みに等しいものだったに違いない。
「ふむ」
 腕組みをする。彼女のそれは熟考の意味合いが濃い。
 片手に二本、まとめて掴んでいるロッドがかちゃりと鳴り、慧音の眉を潜ませる。
「わかった。引き受けよう」
「……ありがとう。助かる」
 慧音は、ほっとする間もあればこそ、謝辞を述べて頭を下げる。厳しい表情は相変わらずだが、その厳しさはナズーリンに対するものではなく、自分に対して課している重みだ。言動からわかるように、真面目で堅苦しく、若干柔らかさに欠ける。交渉事に向いているかといえば、そんなことはないだろう。
 それでも、何かがあれば先頭に立って動く。
 ナズーリンは、そんな彼女の無骨さを買った。
「なに、十二支で世話になった縁さ。今度は鼠が牛の役に立つ番だ」
「……気付かれていたか」
「確信はなかったけれどね。気を悪くしたのなら謝る」
「いや、構わない。いずれにしても小さなことだ」
 妖であれハクタクであれ、人を超える能力があっても何の役にも立たない場合もある。ハクタクは人捜しには向いていない。対して、ナズーリンは失せ物探しのスペシャリストである。頼られて悪い気がしないのは、妖怪ネズミも同じこと。仕事に誇りを持っていれば尚更だ。
 ナズーリンは、右手と左手に一本ずつ、ダウジングロッドを握り直す。
 あまり悠長に構えている時間はない。最低限の情報を得るため、慧音に話を聞く。
「その人物の特徴は」
「二十代の若い男。魔法の森に薬の材料を採りに行ったきり、姿が見えない。短い黒髪で、中肉中背、これといった特徴はないが……。おそらく、指輪を嵌めていると思う。金剛石の」
 口の端を緩ませて、ナズーリンは小さな笑みの形を作る。
 足元はちょうど魔法の森。これ以上ない位置関係である。
「わかった。何とか捜してみよう」
 頷き、瞳を閉じる。
 ロッドを回し、胸の前で交差させる。金属同士がぶつかり合う耳障りな音が鳴り響き、知らずと心が昂る。
 人に焦点を合わせるか、宝石に焦点を合わせるかでダウジングのやり方は異なる。魔法の森に存在するものとしては、人間も宝石も希少であることに変わりはない。だからどちらに焦点を合わせてもよかったのだ。が。
 ナズーリンは密かに呟く。
「頼む」
 直後、籠の中で眠りに就いていた子ネズミが目を覚まし、鼻をひくひくと動かし始める。
 ロッドを金剛石に、子ネズミを人間に、それぞれ焦点を合わせる。金属の反応はロッドの方が顕著で、人間の匂いは子ネズミの方が敏感だ。下手をすれば、発見した際に人間の部位を喰い散らかしてしまう可能性もあるが、連れて来た子ネズミは籠の中の一匹のみだ。抜かりはない。
「……」
 ナズーリンは、ロッドを地面と水平に保ち、歩くような速度で空中を移動する。慧音はナズーリンが動いた距離だけ自分も移動し、呟きも瞬きもろくに行わない。歯軋りの音は聞こえないが、もし眉間に寄った皺が音を奏でていたのなら、それはきっと歯軋りに似た音を発するに違いない。
 目を瞑っていても、ナズーリンはその音が確かに聞こえた。
「……来た」
 開眼する。
 直後、直角に大地を指していたロッドの先端が、地上から噴き上がる間欠泉に弾き飛ばされるように、あるいは万歳でもするかのように、ふたつとも天上に向く。
 同時に、鼻をひくつかせていた子ネズミが、籠から這い出てナズーリンの尻尾を伝い、彼女の耳元までよじ登って何事かを囁きかける。
「そうか、わかった。……うん、いい子だね」
 微笑む。
 そうして最後に、子ネズミに唇を重ね、ナズーリンは慧音に向き直る。子ネズミは籠の中に舞い戻り、再び眠りに就く。ナズーリンの表情は実にさばさばしたもので、依頼を達成したことの喜びすらも感じられない。ただ、それが仕事だと言うように、あっけらかんと彼女は報告する。
「見付かったよ。案内しよう」
 慧音は神妙に頷く。
 魔法の森に降下するナズーリンの後に続き、追い越しそうになるたびにナズーリンに制される。焦るな、急ぐな、だとしても何も変わらない、とナズーリンの視線が告げる。それでも慧音は、身体が戦慄くのを抑えることが出来なかった。
 二本のロッドを片手にまとめ、またかしゃりと甲高い音が響く。
 それが数珠の音に聞こえたのは、鼠と、牛と、果たしてどちらが先だったのだろう。
 鬱蒼たる森に飛び込み、木の葉に服を擦り付けながら、目的の場所に辿り着く。
「ここだ」
 地面に降り立ったのは、ナズーリンが先だった。次いで、駆け下りるように慧音。
 長く、硬く、尖ったロッドを柔らかい地面に刺し、ナズーリンは腕組みをしてそこいらの木の幹に背中を預けた。子ネズミが入った籠を地面に下ろし、薄暗い森の中から乾いた空を見上げる。
 少し、疲れた。
「……あぁ」
 慧音が、肺の底に溜まった息を吐き出す。
 彼女の前には、まだ瑞々しい死体が横たわっている。
 左手の薬指に嵌めた金剛石の指輪が、わずかに漏れ入る天の光に煌めいている。
 既に事切れた男の傍らで、跪き、彼の胸に手を添える。心音はない。血が巡っている音も聞こえない。死体が妖や獣に喰われていないことが、唯一の救いだった。生きて帰って来るのが最善だけれど、死してなお、死体さえ帰って来ないのは惨すぎる。
 ナズーリンには、彼が二十四時間以内に死亡したであろうと察していたが、それを慧音に報告することはなかった。言えばきっと、もう少し早く探し始めていれば、初めからナズーリンを頼っていれば、寄り道さえしなければ――と、彼女は自分を責めるだろう。
 だが、もう遅い。結果は既に出てしまった。
 打てる手を全て打ち、それが間違いでないと信じていたのなら、己の所業を憂う必要はないのだ。
 ただ、その言葉も彼女には同情にしか聞こえないだろうから、ナズーリンは何も言わなかった。
「すまない……」
 声は震えておらず、涙ぐんでもいない。掌を合わせ、黙祷を捧げる。
 ナズーリンもまた、慧音に倣って合掌をする。思うことは何もない。相手のことを何も知らないのだから当たり前だ。ただ人間が死んだ仲間の前でそうするように、ナズーリンもそうしてみようと思っただけの話。
 先に黙祷を解いた慧音は、ナズーリンも同じように合掌していることに驚く。けれどもすぐに表情を殺し、ナズーリンがまぶたを開けるのを待ち、言い忘れていたことを告げる。
「……申し訳ない。礼を言うのが遅れてしまった。……彼を見つけてくれて、ありがとう」
 頭を下げる。
 傾いた首は、なかなか上がらない。暗い地面を見つめたまま、再び顔を上げて前を向くことが恐ろしいとでも言うように。
「彼のために、手を合わせてくれてありがとう」
 謝辞の言葉を続ける。
 ナズーリンは、静かに首を振った。
「いいんだ、人間がしていることを真似ただけだから。別に、名も知らぬ彼を思ってのことじゃないさ」
「それでも」
 ナズーリンの声を遮るように、慧音は声にならない言葉を紡ぐ。
 たとえ誰かの真似事だったとしても、手を合わせることに意味があるのだと。
 名前も、性格も、何も知らなくても、祈りを捧げる誰かが側にいたことで、彼の魂がどれほど救われたか。
「ありがとう」
 ナズーリンは、小さく首を振るだけだった。

 

 

 見通しの悪い森の中でも、手のひらを見る余裕は与えられている。かさかさと乾いた手だ。ロッドを握り締めるたび、嫌な手触りがする。だからもう少し潤いのある場所に行きたいのだが、今はまだ地面から立ち上がれないでいる。
 彼は飢餓のうちに森の瘴気に当てられ、毒性のある植物の胞子を吸い込んで中毒を起こした。助けを呼ぶことも出来ず、今際の際に地面を引っ掻くことしか出来なかったのだろうと、ミミズがのたくったような地面の跡を見てナズーリンは思った。
 慧音は、彼の死体を抱きかかえて里に帰って行った。「報酬はどうする」と尋ねる慧音に、ナズーリンは肩を竦めて「暇を潰せただけで十分だよ」と答えた。その後、慧音は何度か食い下がったが、最後はナズーリンに礼を述べて魔法の森を後にした。
 今はひとり、死の匂いが立ち込める空虚な墓場に佇む。
「……やれやれ」
 何に対してか、ナズーリンは嘆息する。
 その吐息に、眠っていた子ネズミが目を覚まし、ナズーリンのご機嫌を窺うように身を乗り出して鼻をひくつかせる。我が子の健気な姿を垣間見て、ナズーリンは力なく微笑む。
「大丈夫だよ。ほんの少し、疲れただけさ」
 そう。ほんの少し、足を止めてしまっただけ。
 立派な大樹に身体を預けて、座り込んで休んでしまえば、もう一度この広い空に向かって歩き出せる。問題ない。
 子ネズミは、ナズーリンにしか聞こえない小さな声で、何事かを囁く。
「……ふふ、屍肉はあんまり好きじゃない、か。彼女がいる時に言わなくて正解だったね」
 ふざけるなと激昂するか、妖怪ならば仕方ないと嘆息するか。不謹慎だが、彼女の表情を想像すると顔が綻ぶ。
 冗談混じりに呟き、ナズーリンはゆっくりと立ち上がる。
 ロッドを抜き放ち、尻尾に籠を引っ掛けて、からからと乾いた空を仰ぐ。
 もうひとつの探し物は、まだこの空のどこかに隠れている。既に見付けられた探し物に気持ちが引きずられるのは、ダウザーとして情けない。未熟者と罵る声が、己の内側から聞こえてくるようだ。
「行こうか」
 誰にともなく告げて、ナズーリンは空に飛び立つ。
 眩しい光が瞳を焼き、思わず目を瞑りそうになるけれど、今はその光を存分に浴びて空に舞い上がる。
 最後に一度、死体跡地を見下ろして、申し訳程度に手を合わせる。
 ロッドが重なり、かしゃりと鳴った金属音は、確かに数珠の音を彷彿とさせた。
 それから振り返りもせず魔法の森を飛び去って、頼まれ事を果たすべく空を散策する。
 太陽はまだ高い位置にある。
 探し物を見つけるには、まだ長い時間がかかるだろう。
「やれやれ……」
 そう言って、ナズーリンは苦笑した。

 

 

 

 



SS
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2009年3月31日 藤村流

 



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