たったひとつの冴えないやりかた

 

 

 

 最近、チルノが小難しい本を読んでいるらしいという噂を聞き付け、彼女の友人であるところの大妖精はふらふらと氷精の元を訪れた。巫女や魔法使いのように揶揄するのが目的という訳ではなく、単に知恵熱でも出していないかしら、といった純粋な親切によるものだった。
 彼女が普段遊んでいる紅魔の湖をしばらく散策していると、湖のほとりにある岩に座って何やら首を傾げつつページをめくっている氷精の姿があった。
「あ、チルノちゃーん」
「……」
 大妖精が声を掛けても、チルノは微動だにしない。
 何となく、意図的に無視されている気がした。どうせ馬鹿にされるから、あるいはもう馬鹿にされたから、あえて気にも留めない振りをしているのかもしれない。普通の取り巻きであれば愛想が悪いなあと白けてしまうのだけど、そういうところが可愛いなあと思えてしまうところが大妖精の大妖精たるゆえんであり、多分に貧乏くじを引いてしまう原因であったりする。
 つと、と大妖精はチルノの正面に降り立ち、食い入るように分厚い本を見つめている彼女に再び言葉を投げる。
「チルノちゃーん」
「……何よ」
 やはり返答しないのは好ましくないと感じたのか、チルノは充血した瞳で大妖精を一瞥する。うわっ、と大妖精が怯む姿を見て、こめかみと眉間をしきりに指で押し付ける。
「いたた……」
「一体、何を読んでるの?」
「うん……何でも、読むだけで頭がよくなる本なんだけど……」
 胡散臭さが充満しているのだが、当人がそう信じているのでよしとする。大妖精もあえて止めない。
「それ、誰から貰ったの?」
「落ちてた……」
 ほら、と表紙を大妖精に向ける。
 タイトルには、『頭がよくなる108の方法』とあった。
 まんまだった。
 大妖精としては、この題名をチルノが理解出来たことに少なからぬ衝撃を受けていたのだが、チルノとていつまでも同じ場所に留まっている訳ではない。子が巣から離れるように、芽が幹となり葉を支えるように。一介の氷精もまた、知識を得、経験を経て更なる高みに上り詰めるのだろう。チルノならそれが出来る。間違いない、と子煩悩な母親の面持ちで大妖精は感銘に浸ったりなどしていた。
 要は親ばかということで全て集約されるのだが、大妖精はチルノの親でも何でもなく、ましてや子どもでも姉妹でもない。妖精にそのような概念が存在するのかも彼女たちは知らず、日々をただ呑気にふらふらと生きているだけの愉快な生命体なのであって、つまるところ、大妖精の思いは一種の妄想だと断じることさえできてしまうのだった。
「……あんた、なんか変なものでも食べたの……?」
 一方のチルノは全く元気がない。ページをめくる手も止まり、はぁぁと溜息を繰り返してはしきりに目を擦っている。不慣れなことをした代償だとしても、彼女自身が望んだことならそれすらも甘んじて受け入れる覚悟ではあるのだろうが。
「チルノちゃんこそ、あ、いや、別に馬鹿にしてるんじゃなくてね?」
「……」
 痛みも相まって半眼になったチルノが大妖精を睨み、仕方ないかと言わんばかりに溜息を吐く。元気が売りのチルノが嘆息ばかりというのも珍しい。チルノが知識と地位向上のために立ち上がったのは素直に嬉しいのだけれど、その反面、どこか寂しい思いもある大妖精だった。
 もしこのままチルノの頭が良くなって、紅魔館の魔女を凌駕し、魔法の森に居を構える魔法使いたちを睥睨するような立場になったら、その姿を見て素直に喜べるのだろうか、と大妖精は思う。かゆいー、と両手で目をこすりまくるチルノにそのような武勲を期待するのは早計に過ぎるだろうが、離れていく寂しさ、見知った者が見知らぬ者になってしまう空しさは、必ずどこかで味わわされるものだ。
 妖精と言えど、生きていれば、必ず。
 それでも、前向きに何かを考えているチルノを止めることはできなかった。
「――どうして」
「んー?」
 少し元気が出てきたのか、岩に腰掛けたまま足をバタつかせるチルノ。時間を忘れるくらいに読み込んでいた――あるいは、嘘偽りなくただ「見つめていた」だけなのかもしれない――本を傍らに置き、何年来かも定かではない友人と向き合っている。
 チルノは近視になりかけていた瞳の焦点を空に合わせ、今にも落ちてきそうな青く広い空を眺める。湖の色は空に似て、チルノの髪も、服も、能力も、周囲をめぐる冷えた空気も、形は違えどみな涼しげに光り輝いている。
 その輝きを、大妖精も、チルノも、綺麗だと思わずにはいられなかった。
 世界を彩る原理を知らなくても、そこにある輝きを知ることは決して難しくはない。無論、その構造を知ることで得る楽しみもあるのだろうけど、それでも、全てはこの喜びから始まるのだと信じたい。
 大妖精は、改めてチルノに尋ねる。
「どうして、チルノちゃんは頭がよくなりたいと思ったの」
「んー」
 ばたばたさせていた足を止め、ぼんやりと空を見ながらチルノは呟く。
「えんまにさー」
「うん」
「もっといろいろ考えろーみたいなこと言われたから」
「うん、うん」
「考えてみたよ」
「うん」
「よく分かんなかったけど」
 よっ、と岩から飛び降り、一直線に湖の中に飛び込んでいく。大妖精が止める暇もなく、寄せては返す波の彼方に氷精は泳ぎ出す。そのうち、途中で力尽きて波間にごぼごぼと白いあぶくが立つのだろうけど、それまでは、彼女なりに宿題を終わらせた報酬として、好き勝手にやらせておくのもいい。大妖精はそう思い、いつでもチルノを救い出せるようにと湖の上空に飛び立った。
 森の合間を抜ける爽やかな風が、置き去りにされた本のページを一枚一枚丁寧にめくっていく。真っ白な紙面は折からの陽光を見事に反射して、その中に詰め込まれてある、魔法使いにとっては有益な、妖精にとっては無益な情報を白い光で塗り潰している。
 風向きが変わり、めくられたページが落ち着いた先には、こんな一節が書かれてあった。

 

 ごはんをよくかんでたべると、あたまがよくなります。

 

 

 



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2006年5月11日 藤村流

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