brassiere
彼女は、出会い頭に言った。
「ぶらじゃー置いてません?」
嫌がらせか、と霖之助は思った。
これは魔理沙がしたり顔で言っていたところのセクハラに値するかもしれない、と覚悟しておいて、霖之助は悪意のない客を観察する。
鮮烈な赤髪、時代がかった和服、低く逞しい声色から察するに、豪胆な気質なのだろう。
それなりに丁寧な言葉遣い、片手に収まった銭の束等々から推測する限り、店主と顧客という関係性も理解している。そこまではいい。
ただ。
「置いてないっすか。ぶらじゃー」
嫌がらせなのか、と霖之助は思う。
その前に、何故うちの店を頼るのか。
「いえ、ね。だって紅魔んとこのメイドが、此処になら売ってるんじゃあないかって言うもんでして」
悪びれる様子もなく、彼女はそう言ってのける。
世にも素晴らしい誤解であるが、霖之助は女性の下着に相当するものを仕入れも売出しもしていない。そう彼女を説得する。が。
「そんなこと言って、どっかに隠し持ってるんじゃないんですか? ぶらじゃー」
嫌がらせだ、と霖之助は確信する。
そも、どうして彼女は件の下着を欲しがっているのか、と訊くのは酷く無粋な気がしたが、散々恥ずかしい思いをさせられたのだから、霖之助にはこれを訊く権利がある。
渋々――というより、霖之助が覚えたような羞恥心は全く感じさせず、
「いやあ、仕方がないんすよ。手持ちのサラシじゃあ如何ともしがたいくらいになっちまいまして。あ、どこのことかは聞かないでくださいよ? これでも一応、女としての慎みはあるつもりなんで」
屈託なく、からからと笑い飛ばす。
冗談じゃない。嗜みとやらを重んじる人間が、おいそれと女性用下着の名称を口にするはずがないではないか。
「うーん……。そうは言っても、現物を見たことないから実感がないんですよ。まさか、メイドに見せてもらう訳にはいかんでしょう」
困った素振りを見せる彼女に、女同士なのだから気にする必要もないのではないかと尋ねる。
すると彼女は張りのある胸の前で腕を組み、体格に相応しい低音で唸り始める。霖之助への説明をまとめるのに、酷く苦心しているようだ。
「例えば、旦那が男の方にそういうことをする、てのを想像してみれば」
霖之助は、想像するまでもなく首肯した。
彼女も、満足げに頷いた。問題はその解決の糸口さえ見えていないのだが。
誰が何と言おうと、この難題は自分じゃどうしても解決出来そうにないのだから仕方がない、と霖之助は素直に告げた。
「いや、だってサラシがきついんですよー」
知りません。
と、霖之助は言った。
きついんだろうな、と思ったことは胸の中に秘めておく。
とりあえず、そのメイドさんにこっそり見せてもらえばいいんじゃないかと適当な打開策を提示する。
「でも、あんまり好意的じゃないんですよねえ。理由は分かりませんが」
霖之助にも詳しいことはよく分からなかったが、恐らく思春期的な意味合いだろうと強引に納得する。正直、その辺の深い話には首を突っ込みたくないというのが嘘偽りのない本音だった。
「どうしても駄目っすか」
駄目も何も、そんなものは始めから存在しないと口を酸っぱくして言っていた。
「あー、あれだ。実は旦那が愛用してるとか」
成る程、と手を叩かれても非常に困る。
それでいて、彼女には何の悪意もないのだから対処にてこずる。
断固として違います、と至極丁寧に釈明した。彼女も、霖之助の鬼気迫る表情に理解を示してくれただろう。霖之助はそう信じている。信じたい。
「……ないんでしたら、仕方ありませんねえ。現物だけでも見たかったんですけど、今後のために。……あ、じゃあ他に誰がブラジャー付けてそうなひと知りませんか?」
知りません。
と、霖之助は繰り返した。
確かに、付けていそうな人物に心当たりはあるが、それを言ってしまったら自分が培ってきたイメージが水泡に帰してしまうこと請け合いだ。迂闊なことを口にしてはいけない。それが、信用を維持するための秘訣である。
「分かりました。面倒をお掛けしてどうもすみません、しかしこっちも物入りなもんで」
申し訳なさそうに会釈し、彼女は慌しく店から退出しようとする。
そうして玄関の扉に手を掛けたとき、唐突に彼女は振り返った。
どうしました、と訊くだけ訊いてみる。
「あの、もしブラジャーが手に入ったときはですね」
はあ、と生返事を返す。
彼女は、悪びれる様子もなく自身の胸元を指差して。
「使い古しのサラシ、買い取ってくれます?」
お断りします。
店主として、霖之助は言った。
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