猫は隙間が大好きだ。
 その理由はハッキリとしていないが、まあ、その方が何かと安心するのだろうというのが藍の見解であった。あとは抜け道が作りやすいとか恥ずかしがりやだとか、考えられる理由は多々あるのだが……。
「紫様。橙は発見できましたでしょうか?」
「ZZZ……」
「寝るし」
 ため息は止まらない。いつものことではあるが、やはりいつものように酷く疲れる。
 ――何しろ。
 好きでもなければ、紫が展開するところのスキマに嬉々として入り込むことなど、考えられないではないか。
 紫色のスキマをこじ開けて見るも、中に寝転んでいるのはひとりの妖怪のみ。あとはうじゃうじゃうねうねした空間に満ち満ちており、たまにギョロリと血走った眼球なども見え隠れするからおぞましい。
 というか、スキマって何だ。
 前々から聞こう聞こうと思っていたが、あまりに正体不明×三乗すぎて聞くに聞けなかった。
 藍は、これも良い機会だと思ってスキマの向こう側に尋ねてみた。
「紫様、このスキマというのは一体……?」
「這這煤c…」
「なるほど……」
 腕を組んで感心してみる。
 ……ところで、シグマって何だろう。
「紫様。適当なこと言わないでください」
「這煤i ̄□ ̄;」
「いや、ですから……」
 何を言っても無駄か。そうなのか。
 形が似ているからと言って、誤魔化しが利くという訳でもあるまいに。一応、おざなりにつっこみを入れておいて、後のことは時の流れに任せることにする。
 心配していないと言えば嘘になるが、さしもの藍も強制的に触手プレイに移行してしまいかねない空間に足を踏み入れたくはない。そもそも、空間という定義に即しているかどうかすら怪しい。時間も場所も概念も無視してるっぽいし。
 しかしながら、橙とてベースは黒猫といえど、式になる以前から化生する程度の能力は身に付けていたし、こちとら得体の知れなさでは幻想郷一どころか宇宙一といってもおかしくはない八雲紫に仕える式、その八雲藍の式なのだ。だんだん不思議レベルの規模が縮小している気もするが、橙もそういう身分なので、滅多なことでは滅びたりしないだろう。多分。
「まあ、水に入らなければ……」
 世の中に水分は満ち満ちているのだが、まあ、そのあたりには目を瞑ろう。
 だらしなく広がったスキマに背を向けて、ちゃぶ台に積まれた食器を片付ける。異様に庶民的な団欒風景であるが、これは藍の趣味だ。割烹着をまとっているのも同じ。そもそも食事を摂るという作業自体が趣味の範疇なのだから、少しぐらい凝ってみるのも面白いと思っている。
 尤も、紫は毎日決まった時間に席に着くのが面倒くさいなどという不精極まりないことを言っては、いつも藍に窘められるのだが。この時に限り、主と式の立場は綺麗に逆転する。
「……全く。橙にも困ったものだ」
 ため息の裏にも密やかな不安を滲ませて、藍はその手と尻尾に十数枚の青磁器を乗せた。





くろねこの不思議なだんぢょん





「にゃー?」
 と、呟いたのは橙ではない。猫のナリをしていれば誰もが「にゃー」とか「なぅ」と言うと思ったら大間違いである、という弁を橙はどこかで聞いたことがあるのだが、一体どこの誰が熱弁していたのかまでは覚えていなかった。
 それはともかく、橙は純粋な好奇心から主の主たるスキマに飛び込み、一種の触手プレイを経て、なんだかよく分からない場所に転移した。後ろを振り返れば、相も変わらぬスキマが伺える。
 紅い色彩が目立つ内装に、ベッドと家具がわずかに四隅を埋め、縫いぐるみや積み木がそこらに転がっている。そのどれもが、欠損し、決壊していることに気付くも、その事実が何を意味するかまでは察しえなかった。
 ぱっと見は雑然とした子どもの部屋。片付ける必要も手間も理由もない、在るがままに仕立て上げられた空間。
 その中で、薄紅を縫い潰すように降下した黒猫は、どうしようもないくらいの異端だった。
 無論、橙もそのこと自体には気付いている。
「……ありゃ、ここはどこー」
「にゃー」
 気のない声に感応するのは気楽な鳴き声。その慣れた声がする方には、お誂え向きに一匹の黒猫がどっかり腰を落ち着けていた。
 何かしらが欠けた空間にあって、橙とその猫だけはどこも崩れていなかった。罅がなく、完全。満ち足りていると言ってもいい。
「もしかして、あなたがここの主?」
 身を屈めて、人間の言葉でもって問いかける。猫の鳴き声は、言語としての機能を持たない。人間ほど難解な行動をする訳ではないので、言語機能を必要としないのだ。ただし、感情は備わっている。昔、黒猫として泰平の世を生きていた橙には分かる。
 そんな訳だから、鳴き声や表情ひとつで彼――もしくは彼女――の言いたいことは理解できる自信がある。とはいえ、橙も式化してかなりの時間が経っているから、もしかして完全には理解出来ないのかもしれない。まあ、その時はその時だと主の主並の気概でもって、見知らぬ猫の返答を待つことにした。
 ……答えは、ない。
 ただ、不思議そうに首を傾げるだけ。
「……うぅ。是か否かぐらいは言ってくれると思ったんだけどなぁ……」
 頭を抱える。
 が、猫がここにいるということは、少なくとも飼い主はいるということ。そこに希望を見出し、とりあえず出入り口らしい扉へと歩み寄る。その際に、猫が後ろから付いて来ていたが、特に追い払う理由もないので彼の意思に任せておく。
 縫いぐるみの綿を蹴り払いながら、なぜか紅い染みが付いた取っ手を握り締める。てっきり施錠されていると思い込んでいたから、扉があっさりと開いたことに必要以上に驚いてしまった。
 だから、なのだろうか。

「……待ってよぉ」

 行かないで、と懇願する声が聞こえたのは。
 無視すれば良かったのかもしれない。いや、初めは見えていなかった。姿すら見えず、気配すら感じなかった。動物的な本能と式の能力を掛け算しても、そこに何があるかという解答を導き出すことは出来なかった。
 ……いや、そうじゃない。
 そこに何もなければいいと、計算式が勝手に思ってしまっただけの話。
「うん?」
 恐怖を抱くのにはまだ早い。振り返ってからでも遅くはない。
 橙は何気なく振り返って、初めからベッドに寝転び、縫いぐるみを抱き締めていたはずの何者かを確認する。
 ――七色の羽。翼。童顔。帽子。
 ――部屋を染め尽くす紅。おまえも紅に染まれ。吸血する悪魔。
 ――禁忌。スカーレット。
「うわぁ……」
「うわぁって何よ」
 やっちまった、という声に、監禁され続けていた悪魔の妹は不満げに答える。
 話には聞いていたのだ、湖の真ん中に轟然と佇む(マヨヒガの純日本式住居なんて比較にならないくらいの)豪邸と、そこに棲む悪魔のことは。そして、その人外たちをいてこました人外っぽい人間と、495年の歳月を地下で過ごしていた破壊魔を解放に導いた逸話も。
 しかし、いくら外に出る機会が増えたからといって、基本的には地下暮らしなのは変わっていない。弱点が多いのは姉と同じであるし、この娘がまだまだ世間知らずだというのは幻想郷の共通認識なのだから。
 ――だから。
「えっと……。フランドール?」
「そ。フランドール・スカーレット、ね。ようこそ、不法侵入の黒猫さん」
 片腕のもげた縫いぐるみを放り投げて、ベッドの上から飛び降りる。踏み潰した綿が少女の足元を白く染め直し、その一瞬のみ官能的な空気を醸し出した。
 にゃあ、と黒猫が鳴く。この場に充満する緊迫感と緊張感、違和感と好奇心を劇的に無視して。
「うぅ。不法侵入じゃないよ、言わば不慮の事故だよ。海で溺れて海の向こうの国に着いても、不法侵入にはならないと思うの」
 地面に線を引くなんて愚かだよ、と橙は格好いいことを言って逃れようとする。
 が。誤魔化しが通用する相手とは、少なからず策を弄する程度の能力を持つ者に限られる。
 すなわち、初めから言葉で解決しようなどと考えていない相手には、そんなものは無意味なのである。
「でもまあ、溺れる方が悪いと思うし」
 ぶん、と振ったフランドールの右手が燃えている。
 正確には、燃え盛る何かを手に掴み、振り回して、その感度と威力を試している。
 ……嫌な予感がした。なまじ黒猫だけに、こういうのはよく当たる。
「だから、お・し・お・き。ね?」
 無邪気に、フランドールは笑った。
 ……確かに、橙は水が苦手である。
 でも、水が苦手だから火が得意、という訳ではない。逆が真になることは稀である。肉が嫌いな者は大概魚も苦手で、動物が嫌いな奴は人間もあまり好きではないのだ。
 故に、橙も火にくべられるのは好きではない。というか、大好きな猫はあまり居ないと思う。曲芸でもしていない限り。
 そんな訳で、可及的速やかにこの切迫した事態を回避せねばならない。
「え、え? ちょ、ちょい待ち」

「遊べ。『レーヴァテイン』」

 駄目だった。




 不可避だ、と判断した瞬間、橙は隣りで呆然としている黒猫を抱えて横に跳んだ。
 同時に、背後で扉を消し飛ばす爆音が轟く。加熱しすぎた炎が、酸素を求めて地上へと続く階段を練り歩く。その様を背筋の冷たさで感じ取って、橙は改めて「禁忌」と名付けられた者の業を思い知る。
 勝てるとか、勝てないとか。そういう次元の問題じゃない。
 戦わずに済むのなら、是が非でもその手段を選ぶだろう。しかし、火蓋は切って落とされてしまった。もう逃げられない。戦うしかない……!
 本能が否定せざるを得なかった敵と、真正面から。
 橙とて、高尚な天狐の式として長年やって来たのだ。ここで卑屈に頭を下げるなんて、そんな下卑た真似はしたくない。猫にだって獣の意志くらい備わっているのだ。
 覚悟を決め、灼熱の杖を肩に掛ける暴君に焦点を合わせる。もともと紅に染まっていた部屋は、フランドールという存在を認識してより一層の鮮烈さに溢れているようだった。
「あーもー! しっかり捕まってないと駄目だからね!」
 にゃぁ、という黒猫の返事を待たずして、橙はやけくそ気味に絶叫する。
「豪腕よ! 『青鬼赤鬼』!」
 宣符し、軸足を床に叩き付ける。
 容赦も手加減もその一切合財を無用とし、ありとあらゆる枷を解き放って式としての全力を尽くす。吼えると同時に発生した青赤の弾丸は、橙の命じるがままにフランドールを襲撃する。
「やっと、その気になってくれたんだ……」
 縫いぐるみの綿を蹴り上げて、少女は足を踏み出す。
「嬉しいっ!」
 顔を綻ばせ、フランドールは次々と襲い来る青赤の弾丸に立ちはだかる。炎の剣を両の手で強く握り締め――殺到する数多の弾丸を、真一文字に切り伏せていく。
 弾の威力に中和されているとはいえ、暴君の剣は一山いくらの弾で殺しきれるほど生易しい存在ではない。灼熱は、弾幕を突き破って橙に肉薄する。
「うわぁぁぁっ!?」
 後方への回転と飛翔をこなし、どうにか剣の猛襲をやり過ごす。少し服が焼け焦げてしまったが、それくらいで済んで僥倖だったと思うべきだろう。黒猫もそう言っている気がする。
「むちゃくちゃだー! こんなのー!」
 四の足で綺麗に着地し、次なる攻撃に備える。
 が。異変は既に起こっていた。
 橙の周囲を、一定の距離を保ったまま取り囲んでいる紅い弾丸。見れば、それらはこの部屋全体に敷き詰められている。動かず、揺れず、留まり続ける弾の向こう側に、炎の杖を解いたゲームマスターが佇んでいた。
 フランドールは、やや遅れて宣符する。その表情はとても純粋で、汚れなど一切見当たらない。ゆえにそれこそが汚れなのだと、橙は知っている。
 自分もまた、無邪気なままに鼠を嬲り殺した頃を経ているから。
 でも……ねぇ?
 それにしたって、自分と彼女ではちょっとばかし規模が違いすぎるんじゃないですか。藍さまー。

「囲め。『クランベリートラップ』」

 遊戯は続く。
 黒猫が無節操に啼き、橙は、違う意味で泣きそうになった。




 今日は焼きたてのほやほやだよ! という洒落を思い付いたが、あんまり笑えそうになかった。熱くて。
 熱と破壊が繰り返されても、なぜか部屋の壁は焼け爛れることなく、木っ端微塵になったはずの扉もいつの間にか元通りになっている。ただ、部屋を染める紅色だけは、フランドールが暴れるたびにその色を濃くしているように思えた。
 が、逃げ惑っている橙にとって、そんなものはどうでもよかったのであった。
「うぅぅ……。疲れる〜……」
 罠を飛び越え、迷路をくぐり、度重なる剣の乱舞を飛翔韋駄天および飛翔毘沙門天で突破しながらも、その弾幕自体はレーヴァテインで悉く打ち落とされてしまう。橙も自分は元気が取り柄と思っていたタイプだが、フランドールが相手では比較にならない。なにせ495年分の鬱積が溜まりに溜まっているのだ、ちょっとやそっとの遊戯でその全てを放出しきれるはずもない。
 ぽてくり、と疲れ果てて床に倒れる橙を、フランドールは詰まらなさそうに眺める。
 こんな状況下であれ、黒猫は白々しく抱かれるままになっているのだから、相当肝っ玉が据わっている。
「なに、もうこれでお終い? ……つまらないなぁ、泥棒猫としての意地はないの?」
「泥棒じゃないし……。大体、何もしないで出ようとしたじゃん……」
 軋む身体を、壁に寄り掛かりながらゆっくりと押し上げる。抱えられた黒猫は、初対面にも拘らず泣き喚きも暴れ出しもせず、穏やかな瞳のままで腕の中に収まっていた。
「――ん?」
 その瞳に、フランドールが反応する。
 彼と彼女の視線が交錯した瞬間、黒猫がひときわ高く啼いた。
「ちょっ、どうしたの――うわ!」
 懸命に身をくねらせ、橙の腕から逃れようとする黒猫。突然の暴走に、橙も思わず腕の力を弱めてしまう。
 するり、と彼女の腕を抜け出し、何の躊躇いもなく紅い悪魔に駆け寄って行く黒猫。
「あっ、そっちは!」
 フランドールは、接近する黒猫を黙って見下ろす。
 腕を一振りすれば、彼のような小さい命など簡単に吹き飛ばすことが出来よう。わずかに力を込めるだけで、彼の身体はそこら中に散らばる綿くずと等価な存在となる。
 橙が予想した通り、フランドールは蚊を追い払うように仕草で腕を振り上げ、真っ逆さまに猫の首元に振り下ろした。
 橙は咄嗟に目を瞑り、即座に耳を塞いで、眼前に繰り広げられたであろう悲劇から逃避する。
「――きょ、恐怖の惨劇がっ!」
 にゃー、という声がそれに同意する。
 恐怖とは正反対の、実にほのぼのとした周波数だった。
 とても和む。
「……へ?」
「くさーい」
「いや、そういう意味じゃなくて……。えと、猫は」
「ここにいるよ」
 と、黒猫の首根っこを掴んだままの、フランドールが目に映る。
 まさに、親猫が子猫を支えているかのような体勢である。
「うぅ……。てっきり食べられたのかと思ったよ……」
「食べないわよ。だって、食べるとこ少ないじゃん」
 当たり前のように言う。
 表情が変わっていないところを見ると、本気でそう思っているようだ。末恐ろしい。
 が、どこか憎めない。
 あちこち熱くて、生半可じゃない恐怖を味わったのは確かだけど、それも彼女なりの愛情表現なのだと思っておく。橙の主は、よく式に向かってこう言っていた。
『何でもかんでも自分の都合良いように解釈していれば、とりあえず自分だけは守ることが出来る。
 ただし、その場合は、自分以外の誰もに嫌われる覚悟をしなければならない』
 ……いろいろと苦労してるんだろうなあ、と思ったものだ。
 主たる藍が残した台詞は、『八雲藍 笑う角には福きたる』からの引用が主らしい。とにかく紫様には見付からない場所に仕舞い込んであるらしいが、あのスキマから掻い潜れるような隠し場所があるのかどうか、橙は常々疑問に思っている。
「でも、もう少し丁寧に抱いてくれるとありがたいんだけど」
 黒猫はやけに満足そうだが、どうも乱暴に扱っているように見えてしまう。
 小首を傾げるフランドールに、鉄の意志を持って歩み寄る。この際だから、多少熱くて発汗の量がとんでもないことぐらいには目を瞑ろう。
「……なに、まだやる気なの? ……いいよ、ちょうど物足りないと思ってたとこ――」
「違うわよ。じゃなくて、猫っていうのはね――」
 彼女の手から、優しく黒猫を引き寄せる。
 右手を腰元に、左手を首元に。二の腕が枕に、腕全体が揺りかごになるように。
 橙が猫だった頃にはどうしても出来なかった抱き方も、人間の形をした今ならちゃんと出来る。
 昔、自分を飼っていた人間に、こう抱かれたことがある。暖かくて、優しくて、耳元で囁かれる言葉の意味はよく分からなかったけれど、その人に包まれていて、とても幸せだったことは覚えている。
 だから、こうしてあげるのが良いと思った。
 出来るなら、フランドールにも、この黒猫を優しく包み込んで欲しいと思う。
 腕の中で、黒猫が大きな欠伸をする。リラックスしている証拠だ。
「生意気ー」
 フランドールは、猫の鼻を摘まもうとする。
 随分と空気の読めない吸血鬼だ。だけど、それも仕方ないか、と橙は諦めの息を吐く。子どもっぽい姿はお互い様だが、自分より遥かに年上であるフランドールには、もう少し分別を付けてもらいたい。
 でないと、ここにやって来たもの全てが消し炭になってしまうから。
 もしかして、この猫が黒いのもそのせいかと思ったが、流石にそれを聞く気にはなれなかった。




 橙のいない食卓に、藍と紫が座っている。
 三名全て揃わなければ始まらない夕食に、今日は珍しく一名足りていない。
 それもそのはず、その一名こそ件のスキマに飲み込まれた橙だからだ。
 かち、かち、と神経質な柱時計が時を刻む。
 紫は箸を構えたまま船を漕いでいる。
 藍はしゃもじを構えたままスキマを見詰めている。
 ちょうど橙の席の真上に設置されたスキマを眺めながら、そういや猫も杓子もなんて妙な言葉があったよな、とどうでもいいことを思い出す。
 ――あぁ〜……。
 何処からか、気の抜けた悲鳴が聞こえる。
 その声が徐々に大きくなって来たことを確認し、あと一秒というタイミングで座布団を二枚同時に滑り込ませる。
「――っあぁぁぁっ!?」
 ぼすん、とお尻から座布団に着地するマヨヒガの黒猫。
 伊達に百年そこら猫をやっていないだけあって、着地のタイミングもなかなかのものである。
 多少服が焦げていたり服が焦げていたりするが、致命的な外傷は見られない。橙も初めこそ混乱していたが、ここがいつものマヨヒガ宅であることを理解した時には、
「あ、う……。ただいま」
 そう、口にするしかなかった。
 後でしこたま怒られるんだろうなぁ、と思いながら、ひとまずはにこやかに出迎えてくれる主に感謝する。
「お帰り、橙。――さぁ、ご飯にしよう」
「はいっ」
「――はっ」
 目を覚ますマヨヒガの主。
 反射的に伸ばした箸の先には、既に白米が盛られているという不思議。
 絶妙なコンビネーションに感心する間もあればこそ、橙の前にも山盛りのご飯が並べられる。
「疲れただろう。今は、とりあえず食べること」
「はいっ」
「説教は、その後だ」
「……はいっ」
 返事だけは、とにかく元気に。
 箸を掴み、熱々のご飯を掻きこむ。
 舌を滑り、喉に触れるその熱さは、あの妹に与えられたものより遥かに低かったけれど。
 今の橙には、何よりこの熱さが身に染みた。




 扉のようなものをノックする。返事が返って来ることはまずないが、一応の礼儀は払う。
 特に急ぎの用事でもないし、慌てず騒がす、たとえ地下室への階段が跡形もなく融解していたとしても、優秀な従者は唾一滴飲み込むことなく冷静に対応しなければならない。
 息を吸って、失礼しますと口にする。
「フランドール様、レミリアお嬢様がお呼びでございます……が」
 別段、信じられないものを見た訳ではないはず。
 だのに、咲夜はフランドールが見た目丁寧に黒猫を抱いている様を目の当たりにして、思わず言葉を失った。
 猫がいることには驚かない。あれは、黒い魔法使いが与えたものだ。
 だからこそ、少女は黒猫を大事にする。けれども、その抱き方までは知らなかったはずなのに。
「あ、咲夜。お姉様が、何だって?」
 当の本人は、綿くずの海の中に平然と佇んでいる。腕の中に抱かれた猫は、静かに目を閉じ、穏やかに眠っているようにも見える。
 慈愛に満ちた行為だった。
 たとえ、それが誰かの真似事だったとしても。
 紛れもなく、この光景は美しい。
「……咲夜?」
「……あ、はい。申し訳ございません。少しばかり呆けておりました」
「変な咲夜ー」
「そのようですね」
 屈託なく笑うフランドールに、咲夜も慈悲深い笑みをこぼす。
 まあ、いいか。
 普段から熱い剣を振り回している少女の腕は、さぞかし暖かいだろう。
 少女の腕に抱かれて眠る猫を放っておいても、しばらくはその熱が冷めることもない。
「あぁ、そうだ。さっき、変わった猫に会ったんだけど――」
 フランドールは、ゆっくりと話し始める。
 抱いた猫が眠りから覚めないように、ゆっくりと、少女も含めたやんちゃな猫たちの騒挿話を。
 その話に相槌を打ちながら、レミリアお嬢様にはどう言い訳したものかと、咲夜は必死に考えを巡らせていた。





−幕−







SS
Index
2005年6月27日 藤村流

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル