或いは空を舞う小鳥のように

 

 

 

 河城にとりは河童であるからしてつまるところ禿頭である、という妄言を彼女に放つと「これは皿なんだよ!」と手持ちの草でさんざんひっぱたかれるであろうことは想像に難くない。ちなみに、叩かれた後の皮膚はかぶれる。
 帽子を取っても皿はないじゃないのかと問えば、ごにょごにょとお茶を濁す。しばらく蒲の穂と草を絡ませたり指を突付き合わせたりして思い悩み、最後には「まあいいじゃない」と開き直る。なんとなくもやもやとした気分を晴らすために帽子を奪うと、遥かな昔に「ハゲを隠すために帽子を被っている」「ちがうよそうじゃないよ」という問答の果てに掻っ攫われた帽子を泣きながら追いかけ続けた淡い心的外傷が思い出されるため、のびーるアームで鼻にキューカンバーを突っ込まーれる。
 そんなお茶目なにとりであるが、昨今は人里と魔法の森の境目にあるという、香霖堂に興味津々であった。なんといっても、外の世界からにょろりんとやってきた謎グッズがあらかた揃っているという暇人ぷりが良い。エンジニア気質のにとりは、明らかに複雑そうなものをバラして晒して並べて元に戻すのが大好きだ。下手すると猟奇殺人者になりそうな気もするが、人工物じゃないからやんないもんとは彼女の弁である。まあある意味では人工物なのだと気付いたときのにとりの態度ときたら以下略である。
 ただひとつ問題があるとすれば、店主が一応人間であるということだ。噂によれば半分妖怪の血が混ざっているらしいが、だからと言って四足で店番をしているわけでもなし。光学迷彩スーツにも耐久性に不備があるみたいだから、ここは徒手空拳で行くしかない。
「いざとなったら、牙突零式でもお見舞いすればいいし……」
 刀の代わりはキューカンバーである。
「ふう……」
 店舗を前に、陸の上で呼吸を整える。
 深呼吸しんこきゅう。
 ……あれ、河童って両生類だったっけ……?
「ああ……水分が……」
 緊張すると、喉のみならず頭もかわく。
 霧吹きで髪の毛に潤いを与え、意気込みも新たに香霖堂の古めかしい扉を叩く。
 手の甲と亀の甲って響き似てるよなあ、とか思った。
 特に意味はない。
「こんちはー……」
 こわくないこわくない、だって河童は人間の盟友なんだし。
 ああでも相手は人間と妖怪の合い挽きみたいだからどうなのかなあ、「貴様に売るようなキュウリはない!」とか言われたらヤだなあ、てかキュウリなんぞそこらにうぞうぞ生えてるから別に改めて買わんでも……。
「いらっしゃい」
「うあぁっ!?」
 びっくりした。
 びっくりついでに、声のした方に甲羅かばんを押しつけ、「うごっ」みたいな悲鳴が聞こえたか否かという刹那に、牙突オブキューカンバーを雄々しく繰り出した。
 「ぐぼっ」と鈍い声が漏れた。

 

 

 勘定台越しに向かい合い、腰掛けるのは香霖堂店主の森近霖之助と、彼の寝首を掻いたとされる河童の河城にとりである。にとりは照れくさそうにはにかみながら後頭部を掻き、霖之助はむすっとした仏頂面を晒しながら腕組みしている。口の端を流れていた血河の痕跡が痛々しい。
「いやあ、面目ない。私としたことが、不測の事態に対応しきれなくて」
「にしては、的確に突かれたけど。急所」
「キュウリ食べます?」
「間に合ってるよ」
 友好の証にと細長い緑のこりこりいぼいぼした野菜を差し出すも、にべもなく断られる。
 おいしいのに、キュウリ。
「客に暴行を加えられたのは一度や二度じゃないが……流石に、キュウリで突かれたのは初めてだよ」
 折れなかったしねキュウリ。
「あ、次回は何がいいでしょ?」
「そうだね……突かれなければ何でもいいかな……」
 霖之助は疲れているようであった。
 にとりはしゅんとした。
「あぁいや、特に責める気はないんだ。ただ次からは気を付けて欲しいと」
「あ、でしたら、河童の軟膏でも」
「……気持ちだけ受け取っておくよ」
 謙遜する霖之助の気持ちを汲んで、にとりは彼の喉に軟膏をぺとぺと塗りたくった。
 ついでに瑞々しいキュウリを彼の口に突っ込もうとしたが、非常に激しく抵抗されたので自分で食べた。
 こりこりする。
「時に、君は河童ということだが」
「もきゅ」
 べとべとする喉を気にしながら、霖之助は話題を転じる。
 にとりはキュウリに夢中だった。
「河童が人間の前に現れるというのは、珍しいことなんじゃないか」
「ばりばりぼりばり」
「……食べ終わってからでいいから」
「むぎゅ」
 頷く。
 やめられなかったし、とめられもしなかった。
 かっぱえびせん。
「……ん、ぎゅ……っ、あぁ、おいしかったあ……」
「それはよかった」
 感嘆の息を漏らすにとり。
「じゃあ、二本目いきますね」
「待った」
 霖之助は止めた。
「あ、やっぱり食べたいんじゃ」
「ないよ、食べないよ」
 否定すると、えー、またまたー、みたいな顔をされる。
 霖之助はむすっとした。
「とにかく」
「おいしいよ?」
「それはもういい」
「おいしいのに……」
 しゅんとするにとりを他所に、霖之助は問いたいことを単刀直入に問う。
「そんな河童が、人里に近いところに現れたというのは、何か由々しき事態が訪れていやしないかと思っ」
「暇だったから」
「……暇だったのか」
 にとりは頷いた。
「それに旦那も暇そうだったから、ちょうどいいんじゃないかと」
「仕事はしてるよ。これでも」
「またまたー」
「話を聞くように」
 窘める。が、それで動じるにとりならば霖之助もこれほど手を焼かない。
 このあたりが、人と妖の差と見える。基本、自由奔放なところは香霖堂に訪れる者たちと大差ないのであるが。
 にとりは解説する。
「私がここに来たのは、純粋な好奇心からだよ。河童は全ての好奇心を歓迎する、たぁ彼の幻想郷縁起にも書かれなかったことであるけれども」
「確かにね。目撃できなかったものは書かれない、至極当然のことだと思うよ」
「恥ずかしがりやさんだからねえ、河童」
「自分で言うことじゃないと思うよ」
「まあ別にいいじゃないですか」
「まあ別にどうでもいいけど」
 どうでもいいらしい。
 にとりが恥ずかしがりやであることは霖之助も邂逅の瞬間に理解していたから、それに関してあれこれ追究する気にはなれなかった。
 突かれると痛いし。
「時に、旦那」
「何でしょう」
「何か、面白そうな物はございませんか」
 丁寧に、しかし大仰な口調で質問する。
 ずいと身を乗り出してくる亀甲縛りぽいにとりを直視するのはどこか背徳的な趣を秘めていたが、当人はお洒落のつもりなのだろうから無粋な劣情を抱くこともあるまいと霖之助は考えた。
「面白そうな物と言われても、一概には言えないが」
「あ、これなんか面白そう」
 髭のない顎を撫でる霖之助から、銀縁の眼鏡を拝借するにとり。
 くらりと揺れる視界に翻弄され、霖之助はにとりの暴挙を止めることができなかった。
「ふむ……意外としっかりした作りになってるのね……」
「君ね……」
 辛うじて出た言葉も、解体作業によるネジ回しの音に遮られた。
 河童の手の中で徐々に分解される眼鏡、真剣な眼差しでぶつぶつ独り言を呟きながら作業を続けるにとり、そして出来ることもないから頬杖を突いて事の成り行きを見守るしかない霖之助。
 下手をすれば、店内にある品物にも手を出されるかもしれない。魔理沙、霊夢の被害と単純に比較することはできないが、営業妨害になることは確かだ。それ以前にこの店が賑わっているかどうか、それを判断する能力は霖之助にはない。
「最小限の装備で最大限の効果を……あぁでも、鼻や耳が痒くなるなあ。それも素材によるのかしら」
「そろそろいいかい」
「こんな薄暗いところで本ばっか読んでるから目が悪くなるのよね……自業自得だわ……キュウリ食べればいいのに」
「間に合ってるよ」
 バラバラになった眼鏡を前に感想を垂れ流していたにとりは、思い出したかのように眼鏡を組み立て始めた。これまた解体と同じように鮮やかな手並みで、独り言を漏らすことも忘れない。
 独りの生活が長いのだろうか。
「よし! できた!」
「返してもらうよ」
「あぁっ!」
 会心の笑みを浮かべるのと同時、霖之助は帳場の上から眼鏡をひったくる。にとりは残念そうに眉を寄せていた。
「元通りになったから良いものの……元に戻らなかったら、弁償ものだったよ。以後、軽率な真似は控えるように」
「元通りに出来るから分解するのよ、元に戻らないと知っている物をバラしたりはしないわ」
「しないのか」
「まあ、初めて見る物は、興奮のあまり知らぬ間に分解してたこともあるけど」
 霖之助は立ち上がり、何故か誇らしげな態度を崩さないにとりを強引に立ち上がらせる。
 甲羅かばんに何が入っているのか、見た目以上ににとりは重かった。がしゃこんと物々しい音がするのも気になる。
「え、なに? 河童軟禁して河童の里でも作るの?」
「僕は、自分の店を危機に晒すような真似をするほど好奇心旺盛じゃなくてね」
「え、え?」
 動揺するにとりの背中をぐいぐい押し、ついに開け放たれた扉の向こうにぺいっと押し出す。
 抵抗した様子もないところから察するに、香霖堂そのものに重要な用件があったというわけでもないのだろう。
 霖之助は安堵した。
「もうちょっと、解体癖を自制できるようになってから来店してくれ。眼鏡がないと満足に生活できない、僕のような者も少なからずいるからね」
「えぇ……でも、ちゃんと元通りにするよ。河童なめんな」
「痛い、痛いから、キュウリを鼻に詰めるのはやめてくれ」
 しなびたキュウリは地面に植えつけられた。
 ふんふん鼻を鳴らす霖之助を睨みつけるにとりも、女の子の姿をしているとはいえ一応は河童であるから、半人半妖といえどもろくな戦闘能力を持たない霖之助が彼女と力比べをしたところで到底敵うわけがない。
 だから、霖之助は考えた。
「尻子玉抜いてやろうか! やり方よくわかんないけど」
 わからないらしい。
 時代は変わった。
「わかった、わかったよ……じゃあ、僕から君への宿題だ」
 怪しげな手付きを見せるにとりを一旦放置し、店内に引っ込む霖之助。その隙に香霖堂を制覇しようと店内に飛び込んだにとりだったか、何か、とても硬くて角張った物に遮られて「ぷぎゅっ」と跳ね返された。
「ん、いま、膨らんだカエルが踏み潰されたような音が……」
「だ……だれがカエルよ……」
「あぁ、河童か。似てるから間違えた」
「色だけじゃないのよー……」
 鼻っ柱を押さえるにとりの前に、霖之助は腕に抱えていた物をどかっと無造作に置いた。
 それはやたら角張っていて見るからに硬そうな箱であった。表面は滑らかで、小さな穴が空いている箇所もあるが、おおよそは灰色の素肌を晒したままである。付属物はやたら多くのボタンが配置された板で、巨大な箱と紐のような物で繋がっている。
 これが、霖之助がいうところの宿題であるらしい。
「これが、僕から君に送る宿題だ」
「これ……なに?」
 流石のにとりも、初めて見る物体だった。不意に工具を取り出しかけるが、霖之助の手前、好き勝手に行動することもできない。
 うずうずする。
「これは外の世界における式神のようなものでね。名をパーソナルコンピュータ、用途は簡単な命令でありとあらゆる情報を集め、計算するというものだ。が、使い方はわからない」
「ふむ……」
 にとりはそのこんぴゅーたとやらをぺたぺた触りながら、コイツをどう分解してやろうかと心を躍らせていた。瞳は爛々と輝いている。嫌な予感がした。
「そこで、だ」
 霖之助は、あぁ、コイツもう他人の話なんて聞いちゃいないんだろうなあと思いながら、ポケットに手を突っ込んでいるにとりに告げた。
「これを綺麗に解体し、そして元通りに組み立てることが出来たら、香霖堂の品物を分解、再構築する許可を与えても構わない」
「…………え、何か言った?」
 聞いちゃいなかった。
 霖之助は諦めて、ひらひらと手を振る。
「いいから、それを持ち帰って好きに扱ってくれ。店に飾っても場所を取るだけだからね、暇潰しになるなら君みたいな好事家に預けた方がいくらか役に立つ」
「じゃ、分解してもいいのね」
「ん、まぁ、そうだが――」
 言うが早いか、にとりは霖之助がへーこら抱えていたこんぴゅーたをひょいと持ち上げ、物凄い勢いで香霖堂を後にした。駆け抜けた後の地面から程無くして砂埃が立ち、嵐のような、河童に例えるなら洪水のような来訪劇は、河城にとりの性癖に付けこむ形で一応の結末を見た。
 しん、とする。
 河童一人いなくなっただけだというのに、穏やかなものだ。
「やれやれ……」
 誰もいない空と大地を見渡して、天から降り注ぐ日差しに目を細める。
 眼鏡のレンズ越しに映る太陽の輪郭はくっきりと、眩いばかりの輝きをもって湿気た霖之助を照らし出していた。

 

 

 後日、香霖堂を訪れた河城にとりは、甲羅かばんに入れたこんびゅーたを自信満々に取り出してみせた。
 見事に分解し綺麗に再構築したと語るにとりを前に、香霖堂店主・森近霖之助は、
「しかし解体して修復したという証拠が無い。これではいけない」
 として、店内にある物品の解体許可を与えなかった。
 憤慨したにとりが霖之助の服を解体し始めたところに顧客である霧雨魔理沙と博麗霊夢が姿を現し、一つや二つの悶着があったのはもはや語るまでもないことであった。

 

 

 

 



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2007年5月23日 藤村流

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