すいみんぶそく

 

 

 

 梅雨も明けようかという時節とはいえ、三割の確率で曇りのち晴れを打ち出した天気予報を全面的に信用し、傘も持たずに外出するのは無謀であると言わざるを得ない。
 そんなことだから、すっかり日も暮れて仕事も終わろうかという頃合いに雨が降り出し、事務所に余っている傘もなく、車を持っているプロデューサーにすがりつく羽目になるのだ。
 秋月律子にしてみれば、これは大いなる失態である。
「すみません……あの、駅までで大丈夫ですから」
「そうかー? 折角だから、部屋まで送ってもいいんだが」
 シートベルトを回しながら、律子は力強く首を振る。
 勢いあまって、眼鏡が飛びそうになってしまった。
「いえ! 私とプロデューサー、帰りは逆方向じゃないですか。そこまでご面倒は掛けられませんよ、もう夜も遅いですし」
「……ま、それに関しては、おれの仕事が片付くまで待ってもらったところもあるし。別に、律子は気にしなくてもいいんだぞ」
「プロデューサー……お気持ちは嬉しいですけど、お疲れなの、知ってるんですからね。無理はしないで、休めるときは休んでください。アイドルたちも心配しますよ」
「それを、お前が言うか」
「言いっこなしってことですよ」
 お互いを気遣いながらも、意地を張り合うようなやり取りの後、ゆっくりと車が動き出す。
 車体を叩く雨粒はそれほど大きくないけれど、ワイパーはひっきりなしに往復を繰り返す。駅までは数分もかからない。明日の仕事、事務所の展望、プロデューサーのプライベート、秋月律子のプライベート、諸々話したいことはあったけれど、そのどれも、数分で済ませられる話ではなかった。二人ともそれを解っていたし、律子の言うように疲れているのも確かだったから、お互いに口を閉ざしていた。
 短い付き合いでもないから、少しくらいの沈黙なら気負わずに受け入れられる。雨はちょうどいい音量で車内に響き渡り、あるいは子守唄のような心地よささえもたらした。
 プロデューサーはその誘惑に耐え、信号に引っ掛かった時に頬を抓ったりガムを噛んだりして気を紛らわせていた。
 が、助手席に座っている彼女には、対抗する術がなかった。
「……、……すぅー」
 静かな、本当に静かな寝息が、雨音の隙間からプロデューサーの耳に忍び込む。
 よく引っ掛かる赤信号に感謝して、しばし、睡魔に誘われて首を傾ける律子を見る。
 街灯の明かりがずれた眼鏡の縁を照らして、律子の凛とした表情を浮かび上がらせようと試みるも、今回ばかりは、とろんとまぶたを落とした年相応の可愛い寝顔があるだけだった。
「ん……ぅー……」
 律子は今、まどろみの中にある。
 おそらく、声を掛ければすぐに起きるのだろうけど、寝顔を見られたと悟らせるのも気の毒だ。始終気を張っている、というふうでもないのだけど、仕事も終わって、ふっと気が抜けた時には、何も知らない振りをして、せめてその休息を遮らないように努めていたい。
 だから後続車にクラクションを鳴らされる前に信号機を睨んで、なるべく車体を揺らさないよう、ゆっくりと前進する。
 プロデューサーの選択はきっと正しかったし、誰だって、彼女の寝顔を見てその眠りを妨げようとする者はいなかっただろう。それくらい、女神の休息なんていう手垢の付いた言葉がよく似合っていた。
 ただ、問題があったとすれば。
「――おーい、律子ー」
「……すー……くー……」
 駅前に着いても、声を掛けても肩を揺すっても、律子が全く起きないということだけだった。唯一にして最大の問題である。予報外れの雨のせいで渋滞した駅前に、そう何分も停めていられない。いつまでも駅前をぐるぐると回っていても、それぞれの帰る時間が遅くなるだけで、そもそも律子を起こさなければ始まらない。また、目覚めた律子が電車に乗っても、睡魔に取りつかれた彼女が目的の駅を乗り過ごさない保証はない。
 後ろからクラクションを鳴らされても、それくらいで起きる律子ではなかったのだ。残念なことに。
 苦笑する。
「……やれやれ」
 それでもどこか微笑ましい思いに駆られ、幼子にするように頭を撫でようと手を伸ばしかけて、堪える。子ども扱いも、女性扱いも、この場で行うのはきっとフェアじゃない。
 プロデューサーは車を発進させ、まっすぐ秋月律子のマンションに向かう。
 確かに遠回りにはなるが、彼女の貴重な寝顔を拝めたとあれば安いものである。気を許してくれていたのか、単に疲労がピークに達していただけなのか、それはわからないけれど。
 何となく嬉しい気持ちになって、プロデューサーは己の疲れも忘れて雨の街を行く。

 結果、マンションの前に着いても起きることのなかった律子を、プロデューサーがおんぶしようとしたところで彼女の目が覚めるのだが――

 それからしばらく、律子がプロデューサーの送迎を避けるようになったのは、蒸し返すのも恥ずかしい笑い話である。

 

 

 

 



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2012年6月30日  藤村流
THE IDOLM@STER シンデレラガールズ
二次創作小説






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