虚数限界

 

 

 

 パイプオルガンの、荘厳な音色も幻想。
 見習いの神父が醸し出す、荘重な雰囲気も所詮は仮想。
 一人のサーヴァントは言った。『どうして』ではなく『どうやって』と。
 ならば、この箱庭を楽しまずしてどうする。
 響く演奏に熱は入らず、精神に皹が入る余地もない。
 長く長く伸びた空洞から、重々しくも儚い旋律が縦横無尽に迸る。
 可憐でも柔和でもない、神を重んじるだけの淡白な結界にあって、それでもこれを素晴らしいと称えられるのならば、永遠に続き得る四日間の庭園にあったとしても、大抵のことは笑い飛ばせるだろう。
 ――と。
 そんなことを、青い英霊は思う。
 長椅子の背もたれに寄り掛かり、大仰なだけのステンドグラスを仰ぐ。
 子守唄には程遠い賛歌でも、まどろみを得ることくらいは出来る。無神経なのか神経が図太いのか、当の本人にも判断が付かないが、積極的に意味を求める必要もない。
 何にせよ、人を眠りに誘えるだけでそれは神秘足り得るのだ。
「――珍しいわね、ここに来るなんて」
 耳鳴りが続いていたから、まだ演奏が続いていると思っていた。
 その思い込みも、いつの間にか自身を見下ろしている神父見習いのせいで、呆気なく霧散した。
「私のことが嫌いなのではなかったの」
「……うーん、とな」
 果たして、どう答えるのが最善だろうか。
 女との付き合い方はこなれているが、扱い方はさして手馴れていない。
 わざと面倒臭そうな顔をして、ぼろい椅子をぎしぎし軋ませる。彼女――カレンの眉間にかすかな皺が寄ったところで、ランサーは適当に答えた。
「嫌いじゃねえよ。ただちょっと使い方に文句があるだけだ」
「それは心外ね。使われてこそのサーヴァントでしょう」
「そりゃあ、全くもってその通りだけどよ」
 どう言ったらいいものか、首の後ろを乱暴に掻き毟る。
 オルガンの姿はとうになく、教会はほぼ完全な静寂に包まれていた。
 港なら、静かであってもウミネコの鳴き声や波打つ音、魚が跳ねて竿を引き上げる水飛沫――等々、無音とは掛け離れた空間である。生者の世界には、無音など有り得ない。胸に手を当てずとも、心臓の鼓動は耳朶の内側から響き渡る。呼吸気の擦れ合う音も、関節が軋む音も、全てこの世に生を受けていればこそだ。
 ならば。
 この不愉快な静寂は、この空間に生者が存在していないことを意味するのか。
 仮に意味するのなら、青い英霊は、敬虔なる信者は、一体どんな存在なのだろう。
「何か、可笑しいですか」
 にやついてしまった顔を見て、カレンが訝しげに問い掛ける。
 適度に火照った顔の表面を撫で付けて、ランサーは飄々と語り始める。
「ま、細かいことはいいじゃねえか。アンタを守るんなら、別に俺の身体をどう使おうが――まあ問題ない訳でもねえけど、基本的には命令に従うさ」
「当たり前のことね。言うまでもない」
 この神父見習い、血も涙もないように見えて実は博愛主義者である。
 だからこそ、その性格は相当に歪んでいる。
 慈悲深いようで、残酷。
 愛することと虐めることが同義であると、半ば本気で信じているような娘だ。
 本気で付き合うと、かなり痛い目を見るだろうとランサーの直感が告げていた。
 だから、彼には珍しく口説くのも控えた。
「ただ、な」
「はい」
「身体が鈍ってしょうがねえ、とか思ってよ。まあ釣りだの水泳だの徒競走だのは日常茶飯事だが」
 後ろに垂らした青い髪を、肩の上に乗せる。
 見下ろされているという立場も、気には食わないが、慣れてはいる。
「それなら――」
「断る」
「あら、残念」
 肩を竦めるカレンが本気だったかどうかなど、ランサーには知る由もない。
 身を売ることに対する貞操観念は、神話時代を生き抜いて来たランサーと比較しても然程大きな差異はない。ただ単に、ランサーはこういうタイプが苦手なのだった。というか張り合いが無くて困る。よほど女に困っているのならまだしも、興味本位でカレンを抱くのは毒手に捕まるのと同等のリスクを負うものだと考えている。実際、その認識は正しいだろう。
 カソックに身を包んでいれば敬虔な空気くらいは醸し出せようが、彼女の底から這い出てくる悪意のような好意は、決して布皮一枚で覆い隠せる類の瘴気ではない。カレンも態々それを隠蔽しないものだから、羊の皮を被った悪魔、という表現が非常に的確なのである。
 だが、人間の社会に紛れるのなら、中身が悪魔でも外見が羊である限り問題はない。
 カレンも、それがよく分かっている。
 ランサーは背もたれに寄り掛かり、後頭部を長椅子の縁に落ち着ける。カレンも、何を思ってかランサーの視線と交わるように、長椅子の後ろに立って彼の瞳を覗き込む。
 へ、とランサーは失笑せざるを得なかった。
 カレンもついでに笑ったが、それが嘲笑以外の何ものでもないことは、二人ともよく分かっていた。
「似てんなあ」
 ぼそりと、本音を漏らす。
「心外ですね」
 それもきっと、彼女にとっての真実だろう。
 誰が誰に似ているのかは、当事者よりも傍観者の方が的確に判断出来る。ランサーは、しばらくこれをネタにしてカレンを虐めようと考えていた。必要以上に突っつくのは好ましくないし、そもそも過度に接触したくない人物ではあるが――、まあ、それでもだ。
 何にせよ、弄り甲斐のある人間には違いあるまい。
 それ相応のリスクが伴うにしても、それがまた面白いのだと笑えるのだから。


「面白いよな、アンタ」
「前から思ってたんですが、犬にはそれなりの調教が必要ですよね」

 

 ――まあ、楽しくはなるのだろう。

 

 

 



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2005年11月20日 藤村流

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