ある意味、幸福な日々
目標は、毎日を楽に生きること。
正直言うと、初っ端から挫折しそうではある。
何故なら、俺の雇い主はこれでもかっていうくらい性格の悪いクソガキで、こいつに関わっている以上はどうあっても楽になんか生きられっこねえ。
たとえ俺が、昼間のことを全部忘れちまってるとしても、だ。
経験したことは身体に残るから、なんか嫌だったなーってことは理解できる。
――だからなのだ。楽に生きるのも、意外に難しいもんだと思ったのは。
「……む」
「なんだよ」
「そんなに見つめられたら……なんか、あげたくなっちゃいますよぅ」
ぃやん、と両手に頬を寄せるのは、後輩の貫井未早。なんつーか、パワーストーンくらいなら直に購入してしまいそうな人間である。
俺は毎日の日課を終えて、『星雲』で腹ごしらえをしようと企む。
すると、ストーカーじゃねえかと思わせるほどの遭遇率でツラヌイと出会う。……むぅ、よもや『星雲』とはM78とかイスカンダルとかその辺を指しているのではなかろうか。だとすれば、ツラヌイが宇宙の電波を感じ取って俺を待ち伏せしていることにも納得がいく。
――そんな訳ないか。ただのストーカーと考えるのがよろしかろう。
「何かは知らんが、食料なら貰っておこう」
と、ツラヌイの領地に君臨するチャーハンライスに手を伸ばす。
しかし敵も堅牢で、握ったフォークによる威嚇射撃を開始する。いて、ちょっと掠ったぞ馬鹿。
「……むむ。先輩、それでも男ですか? 男なら、こうわたしみたいな水をバシバシ弾くような女の子に『あげたくなっちゃいますぅ……ぽ』とか言われたら、そう、なんかこう、ぐねぐねっと……」
「あー、わかったわかった。ぐねぐねっとね」
「全然わかってませーん」
……見てのとおり、貫井未早は酔っている。だが、年がら年中酩酊状態に近いテンションなので、たまに吐くぐらいは平常時と大差ない。
……いや、ノーマルでも吐くか。あー、あったなそんなこと。なんでこんなトコで記憶が戻ってくるんだ。
「……むむむ! なんかこう、ビビっと来ましたよ。先輩、いまわたしのことを考えてましたね?」
「ああ、正解。ツラヌイ、女なのにゲーゲー吐くなよ」
「吐いてませんー」
「いや、吐いたことあるだろ。俺の前で」
「そんな、先輩の前でなんて……恥ずかしいじゃないですかぁ」
言って、テーブルに突っ伏す。なんか嗚咽してるくさいのだが、もしかして本気で具合が悪いのだろうか。なまじノーマル時と飲酒時のテンションに変動が見られないので、呂律の回り具合とかで一線を越えたかどうか判断しないといかんのだ。その見極めには熟練の功を要する。ていうか俺でも無理。
恐るべし、ツラヌイミハヤ。
「あー、そうか。悪かったな。おまえは吐いてないし、これからも吐かねえよ。多分」
それじゃ、俺は何と勘違いしたんだ? まさか、知らねえ誰かが勢いよく戻してるトコに出くわした、なんてことは無いだろうし――。
俺が考え事をしてる最中でも、ツラヌイはあくなき抵抗を続ける。めげない奴だ。そーいうトコだけは尊敬する。
「吐いてませんてー。ですから、コレ行きましょうコレ。メロンのダブルフロート、ストロー二本挿しー」
「却下する。ソフトドリンクはダメっつったろ」
「えー。……でも、二本挿しってなんか厭らしい響きですよねえ。ぃゃん」
「心底どうでもいいな」
むぅ、と不満げに起き上がるツラヌイ。思ったより平気らしい。酒飲んだ状態で演技されると、マジで扱いに困る。もしかして、そんな善人じゃないんじゃねえかコイツ。蟻の巣にホース突っ込んだことぐらいはありそうだ。
だが、結局はライスだけ奢ってくれた。……後輩に白飯を提供してもらう俺。惨め。
「ですけど、どうしてそんなにお金ないんです? カイエさんから沢山ふんだくってるって話じゃないですか」
「ふんだくってねえ。相手が払ってくれるだけ。……金がないのは、そうだな。俺の甲斐性がないとだけ言っておこう」
言っておいた、が、言った後で凄えブルーになった。見方を変えれば、俺って美少年に囲われてるんだよなあ……。
そこで、なんでか知らないがカイエの顔を思い出した。
『ふふ、素晴らしいよ石杖所在。君の身体は理想的な――』
ぐああああ! こーいう時に限ってそーいう台詞を思い出すな俺!
……あー、本気で別の職を探した方が良いんじゃなかろうか。カイエに身体求められたら逃げ切れる自信ないぞ。犬とかいるし。
で、ツラヌイはツラヌイで同情心まるだしの眼で俺を見よるし。やめれ。
「そっか。先輩って甲斐性ナシさんなんですね。
でも大丈夫ですよ! たとえどんなに自暴自棄になって暴力を振るわれても、わたしは先輩を諦めませんから! もし先輩が勢い余って誰かを殺しちゃっても、そのときはわたしが責任を持って背中からズドン! と大口径の銃で」
「殺すな。声がでかすぎる」
ぱかん、と投擲する。頭の中が空洞になってるのか、景気の良い音がする。
「いたぁっ!? せせせんぱい、手加減なしですね今の!?」
「当たり前だ。勝手に殺人鬼呼ばわりされて黙ってられるほど、温和な性格してないんだよ俺は」
「むー」
「つーか、おまえん中の俺ってそんななのか? だとしたらすげえショックだ。このショックはチャーシューメンでなければ癒されないくらい深い傷だぞ。
てな訳で、奢れ」
「ああ! 凶悪犯がここに!?」
勢いあまってマトさんの本拠地に通報してしまいそうなツラヌイを無視して、勝手にチャーシューメンを注文する。トッピングしないだけ有難いと思え。
――その後、ツラヌイは俺のことを射殺さんばかりに凝視していたが、俺が見つめ返してやると『いゃん』とばかりに目を逸らしてくれたので事なきを得た。
……どうでもいいけど、俺らって傍目にはバカップルにしか見えんわな。くわばらくわばら。
ツラヌイに会うのはいつも夜。それは俺のお勤めが終了した直後に出会うから、あんまり特別な意味合いはないのだが。
昼に会えば記憶は霞む。その記憶がどこに行ったかは知らんが、多分もう自分じゃ取り返しのきかないモノなんだろう。別に掘り返したところで意味がある訳でもなし。
夜に会えば、記憶は連続する。わりと簡単に、ツラヌイに会ったこと、他愛のない話をしたことを思い出せる。そのことに、何か特別な意味があるとは到底思えないが――。
「? どうかしました?」
「いや、なんでも。結局吐かなかったなと思って」
「だから吐きませんてー」
そう言うツラヌイは千鳥足だ。よろけるたびに俺に寄りかかっては『ぃゃん』などと口走るから見てて飽きない。
一応、飯を一通り奢ってもらった(奢らせたともいう)恩義で、家まで送ってやることにした。見たことがあるような、無いような住宅街。その視界の端に工場が映り、少し頭が痛くなる。
少しばかり、沈黙が続いた。
なんとなく気まずい空気を感じ取ったのか、ツラヌイが沈黙を破る。
「あのですね、せんぱい」
「なんだ」
「もしわたしが――」
「悪魔憑きになんぞならんから心配するな」
先手を取った。あまり下らんことを言わせるのも良くない。こいつが悪魔憑きになったら世の中に救いなんぞ無いことになる。こーいう奴は最後の最後まで、のほほんと明るく楽しくやっていける。笑う角には福きたる。根拠は無いが、それが世界に残された良心ったもんだ。
で、そのツラヌイさんは俺に心を読まれてしばし呆然と立ち尽くしていた。
「おーい。ツラヌーイ」
我ながら変な呼び方だ。
「……はっ! もしかして、せんぱいアレですか? サイコキネシスとかいう超能力者ですか!?」
「……それは遠まわしに、俺のことをサイコな奴だと言っているのだろうか」
「え?」
もしそうだとしたら、マトさんに言いつけてキツイお仕置きをして貰わねばなるまい。その前に『下らないことで呼びつけるんじゃない』とか言われて蹴られそうな気もするが。
ツラヌイは俺の言ってることを理解して、首をぶるぶる振る。……あー、わかったからその辺にしとかないと、取れるぞ。
「わかった。わかったから落ち着け」
「はぁ……。すると、つまり先輩はエクソシストだと」
「それも違う」
「なるほど」
ぽん、と手を打つ。コイツ絶対に解ってねえな。期待するだけ無駄だとは思ったが。
それにしても、最近は俺のことを神父さま呼ばわりする奴が多すぎる。俺ってそんな霊験新たかな人間に見えるんだろうか。
「なあツラヌイ。俺はどんな人間に見える?」
「せんぱいですか? ……えーとですね、うわ。格好良いですねー」
「……おまえに聞いた俺が馬鹿だった」
「大丈夫ですよぅ。見た目には解りませんから」
慰めのつもりか、肩を何度も叩いてくる。どこが大丈夫なんだ。
――そんなどうでもいいやり取りの後、ツラヌイが生息しているアパートに辿り着く。元女子寮であったせいか、例に漏れず男の出入りは禁じられている。別に入りたいとも思わんが。もしツラヌイみたいな人間の巣窟だったら、五体満足で脱出できるかどうか不安すぎる。
正門の少し前で別れる。あまり近付きすぎると、他の入居者に目撃されてえらいことになるとかなんとか。とはいっても、噂になる程度で実害はない。つーかツラヌイは喜んでそうな感じがする。
「んじゃな。俺と別れたからって気ぃ抜いて吐くなよ」
「む。わたし、そんなに節操なしじゃありませんよぅ。それとも、せんぱいはそんなに吐かせたいんですか?」
「そんな訳ねえだろ。それに関してはもう飽きた」
もしくは見飽きた、と言った方が近いかもしれないが――。
少し、靄が掛かっている。
「飽きたんですか? もしかしてせんぱいも吐いたり戻したり」
「ん――あぁ、そうだっけか」
何か頭の中で引っかかっている感じがする。――が、それはすぐに消えてくれた。昼間に起こったことで、なんか印象深い事件があったんだろう。なんかこう、酔っ払いの介抱をするとか、老人ホームに行って介護するとか。
……なんだそりゃ。介抱はカイエで手一杯だろうに。
「まあいいや。とにかく、なんかあったらメールで連絡よこせ」
「はーい。ラヴメール打ちまーす」
いらねえよ、と手を振ってその場を後にする。
家に着いて、メモを取り出す。
そこに書くべき言葉を探して、数秒の間もなくその一文に辿り着く。
慣れた手つきで、『特になし』と刻み込む。
刻んだところで、俺に還っているモノはない。読み返しても、『ああ、いつもと変わりなかったんだな』と納得して終わる。
ただこうしてなんとなく過ぎる一日は、いつか過ごしたはずの当たり前の一日と同じ質量なのだから、そこに生じる小さな差異を拾い上げるような面倒くさい真似はしない。
まあ、その。なんだ。
何もない、ていうのは、ある意味でとんでもなく幸福なことなんだろう。
少なくとも、カイエの義手を借りて、きったはったを繰り広げているよりはなんぼかマシだ。
そんな下らん妄言を残し、俺はベッドに転がった。
――願わくば、明日も同じ日が来ますようにと。
−幕−
SS
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