自殺本願





 俺が望むものはそうそう手に入るもんじゃないってことに気付いたのは、左腕を失ったまさに直後だったのかも知れない。
 無くしてしまったものは、所詮それまでのこと。カイエがいくら“アリカの左腕はまだ繋がっている”と言われたところで、既に誰かの腹ン中にあるだろう落とし物に興味はない。それよか、この危機をどうやって乗り越えるかを考えた方が身になるってもんだ。
 ――そう。おれ、石杖所在。必死に死にかかってます。


 その家を見上げる。ごくごく普通の何の変哲も無い家。たぶん木で出来てて、土台はコンクリートとか敷き詰めてあって、ネズミかゴキブリかどっちかはいると思う。
 問題はそんな些細なところではなく、全体的な雰囲気なのだ。
 温かくもなく冷たくもない、要するにぬるま湯に浸かってる変な感覚。これが、危機感を無くしてしまった俺の嫌な予感みたいなもんだとすれば話は早いのだが、実際はよくわからん。
 あんまり行きたくはないのだが、いないはずのマトさんに急かされるようにして木崎宅へ侵入する。
 ――事の発端は些細なことだ。
 支倉坂二丁目で、殺人事件が起きた。これがいま流行りの悪魔憑きだとかで、何の因果か悪魔と付き合いの深い俺が狩り出されることになった訳だ。
 カイエが残した台詞は、『目を見たら死ぬ』という素敵なお言葉。
 これを見た時には、さすがにどうだろうと思った。悪魔付きなんてものが世間に出回り、俺の極近距離にホンモノの悪魔が常駐しているとはいえ、俄かに信じがたい話だ。
 まあ、その忠告はあながち間違ってはいなかった訳だが。間違っててくれることに越したことはない。つーか嫌な予感だけ当たってどうするよ、俺。
 無警戒にも施錠されていない扉を開け、おそるおそる中を覗く。
 奥まで続く廊下の先には台所が見える。玄関の右手は二階へ続く階段、左手にリビングとなっている。人間の気配は全くしないのだが、ナマモノの存在ならとっくに知覚している。
 ナマモノと言っても二種類あって、ひとつはちゃんと生きて活動してるなんか変なモノ、そしてもうひとつはもう既に動かなくなった肉体である。
 ……腐敗してないのがせめてもの救いか。リビングに転がっている二つの人間だったものを見下ろして、俺は考える。誰がやったのか? そんなのは簡単だ。俺んちにも電話してきた木崎さんちの旦那だ。
 そうじゃなくて、考えなくちゃならんのはもうひとつ。なんでこの人たちは二人して首が捻じ曲がった状態で死んでいるのか。
 もしかすると、カイエが言ったらしい『目を見たら死ぬ』ってーのと何か関係があるのかも知れない。ないのかも知れない。正直どっちでもいいが。
 居間にはもう興味を引くものもなくなったので(某家族の平和を祝うアニメも終わったし)、台所に顔を出してみる。ここの奥さんは通販好きだったのか、穴あき包丁やら食器洗い機などがごちゃごちゃと置かれてあった。元から整理していなかったと言えなくもないが、どうもヒステリー起こして適当にばらまいたって線が有力だろう。ほら、床に落っこちてるボウルの中に腐った卵があるし……くさっ。
 無論、ここにも木崎氏はいなかった。いたらたぶん大変なことになると思う。具体的には、殴り合いとか。罵り合いとか。あと、俺って一応悪魔祓いみたいな感じだから、説法なんてのもありかも知んない。やんないけどね。金くれるんだったらするけど。
 疲れた身体を引きずって、二階へ上がる。黒い犬も鼻をふんふんさせながら付いて来る。階段も無理なく上る。偉い偉い、と頭を撫でて噛み付かれるとアレなのでやめとく。
 警戒は怠らずに上ってみたが、顔を出した瞬間に木崎氏が攻撃してくるという気配は無かった。あんまり好戦的ではないらしい。……そりゃそうか。だったら捕まえに来てくれなんて言わないだろうしな。でもあっさり捕まってもくれなさそうだ。
 二階の廊下はひとつだけで、奥に扉がひとつあって、右手にふたつ扉がある。手前の扉は飾りっ気が無いが、次の扉には『無断進入禁止!』という丸文字が刻まれたプレートが掛けられている。少女趣味にしても言葉は選ぶべきだろう。が、それを言って聞かせる相手は残念ながらとうに眠りこけてしまっている。
 ここにきて、不穏な空気は最高に濃くなっている。もはや吐きそう。おそらく、手前の扉の向こうに木崎さんっぽいのがいるんだろう。……ヤだなあ、あんまり物騒なことはしたくないんだけどなあ、俺。
 でも、ここまで出張ってきたら同じことだと、俺は一気に扉を開けてみた。


「――君がその、なんだ。憑かれた人間を楽にしてくれるっていう悪魔祓いかね。
 ……ん? 君、石杖さんところの所在くんじゃないか」
 俺の目の前にいるのは、俺が住んでるトコの三軒隣りにある木崎さん。なんでも、会社でミスを犯した責任を取らされそうになり、逆ギレして目に入るもん全てブチ殺すという結論に至ったらしい。
 初めはあっさり自殺しようとしたのだが、木崎さんの中にあるなんかのスイッチが入ってしまったようで、彼は悪魔に憑かれた。
 カイエが言うところのニセモノ。弱者に取り憑き、自己の内から湧き出る疾患。それを世間では悪魔憑きという。
 だもんで、
「こうして閉じこもっているのも、悪魔祓いが来るまでひとりになりたいからなんだ。出来るだけ関わりたくないんだよ、他人と」
 なんてことを仰る。その帰結は間違いでもないんだが、それなのに話も聞かずに俺を殺っちまうのは良くないと思いますよー。あーでも喋れねー。息できねー。
 木崎さんが首をキリキリ回すごとに、俺の首も同じ方向に強引に回って行く。俺の意思なんざ介在しない。見たところ、患部は首、新部は扇動。つまり、相手と同じ行動を強いられる。めちゃくちゃ容赦ない催眠術みたいなもんだろう。そしてその発動条件が、目を合わせるという行為に該当する。
 ……て、どっちにしろヤバイってことに変わりねえし。いででで!
「全く――繋がれた家族愛というのは、無自覚の地獄だな」
 なんてことを言いながら、木崎さんは120度の限界を超えてそして180度に至り、ぼきっ。


 ――だらんと落ちた首の後ろで、呼吸を荒くしている黒犬がいた。
 そいつは俺が意識を手放した一瞬で、俺の腕から現れる。
 名前を憎悪(仮称)ちゃん。多分、そういうもので出来ているからだろう。ちなみにこのセンスの悪さは俺ではなくカイエの所為だ。ださ。
 木崎は――もう“さん”など付けてやらん――首をだらんと下げた俺を見て、胸の辺りに十字を切った。クリスチャンなのか知らんが、だったら自殺なんぞするなよバカ。ついでに家族も殺すな。
 んで、何より俺を殺すんじゃねえ。
「これでは……。いつになれば終わりが来るのやら」
「もう終わりだっつの。バカ」
 言う。だらんと落ちた首――ではなく、既に元通りになっている喉から声を掛けてやる。
 こんなものはかすり傷にもならない。木崎みたいなニセモノとは違って、俺はホンモノに憑かれてるんだ。悪魔ってのは無能だから人間と関わり合う。自分が好きで関わってるのに、人間を介在しないと表に出られない。
 だったら――その門としての石杖所在を、こいつは簡単に死なせやしない。
 ちょうど、木崎の首が止まった。振り向いた体勢で、首が異様に捻じ曲がった状態で停止している。
「き、きみは――」
 戸惑いの呟きは無視する。俺は俺で、いろいろとクソ面倒くさいことをしなければならないのだ。
 ――さあ、待たせたね憎悪(仮称)ちゃん。
 食事の時間だよ。


 左腕が掴んだ獣、盲目の黒犬が走る。
 悪魔憑きの副作用か、それとも超能力者の本能か――木崎は、その異常にも至極冷静に対処した。
 おかしな話だ。そのまま食われてりゃ、簡単に逝けただろうに。
 ――尤も。彼に待っているのは簡単な黄泉じゃなくて、人を殺した罪悪感と永遠に付き合いながら、それでも生きて行かなければならないこの現実なのだが。
 一方その頃、俺はそれどころじゃなかった。何しろ、腕が痛いったらない。
「あは、はははは! っ、この、痛えっつーのがわかんねえのか!? ははは、痛い、痛えよバカ!」
 左腕が繋がったから、というのもおかしな話だが、溜めに溜めた痛覚は怒涛のごとくに俺を切り裂く。つまり腕より先に脳みそがズタズタに引き裂かれてるようなもんだ。ヘンな話、首が折られた時よりもこっちの方が痛いんだからたまんねえ……!
「くそ、このぉ……! はははは!」
「な……」
 木崎は呆然としてる。まあ無理もねえ。死人が叫び出しゃあ誰でもビビる。
 だけどこいつが偉いのは、それでも目の前の危険を回避しようとしたことだ。凄いね、生まれた場所が中東だったら立派に活躍できたかも知れないぞ。
 で、その手段なんだが、彼はまず黒犬の目を見ようとした。俺にやったみたいに、無理やり相手の意識に同調して首を捻じ切ろうってハラだ。
 ところが困った。その犬には目がないじゃないか。だったらどうして目標を捉えることが出来るのか。
 それも当然。こいつは他人の目を使って獲物を狩る。借り物の視界に捉えられたニセモノが、はれてホンモノの餌食になるというワケだ。
 だから――おめでとう。木崎さん。
「ア――あぁぁああ!」
 行った。
 死体を蹴り、超能力なんて必殺技も無力化して、黒犬は真っすぐに木崎の首に噛み付いた。
 ぞぶり、なんて気が狂いそうな効果音が響く。実際、木崎も気が触れたに違いない。それで、今まで違えてた分も含めて、ちょうど一回転してフツーに戻るという寸法である。
 もう一度、寝覚めの悪い咀嚼音が聞こえた。勢い余って木崎を押し倒し、細切れに、幾度となく噛み砕く。なんていうか、それは美味しいから堪能してるんじゃなくて、食わないと気が済まないから貪り尽くしているような、そんな中毒っぽい印象を受けた。
 まあ、実際にそう思ってるのかは知らんが。聞きたいとも思わんし。
 ――暴食は続く。俺はその様をただ眺めている。
 首を擦ってみると、少し痛みはするが折れている様子はない。姿身を一瞥しても、いつもの俺がそこにいるだけだった。どうやら蘇生は完了したらしい。
 もっとも、いつから死んで、いつ生き返ったのは全く実感できないのだが。そも、自分は死んでいたのだろうかとさえ思う。途中で意識の手綱を黒犬に明渡しているから、そのへんの記憶が曖昧だ。
 そういう意味じゃ、俺は記憶と引き換えに悪魔と契約していると言えなくもない訳だ。
 さて、不気味な咀嚼音も終わりに近付いたようなので、俺は木崎の様子を窺う。
 ……うん。ちゃんと生きてるな。でないと報酬が振り込まれないんで困る。
 黒犬はどこに行ったのだろう、姿が見えない。
 あちこちを漂っていた目の焦点がようやく合って、目に光が戻る。こいつもようやく臨死体験ツアーから帰ってきた模様。
 初めまして。ここからは、念願の地獄巡りがあなたを待っています。
「――あ――」
「……で、そろそろ人の話を聞く気になりました?」


 後悔とかするんなら、初めから殺さなきゃいい。
 殺したんなら、責任を負うのが当然だろうに。それが故意であれ過失であれ、罪は自分に返ってくるんだし――。
 と、人も殺してない俺が言うべきことじゃないか。
「いっそ、殺してくれれば良かったのに……」
 木崎さんは泣き言を吐く。死ぬのがいいだなんて、酔狂な。
 地面に項垂れ、俺と目を合わせようとしない。今やフツーの殺人者となった木崎さんと視線を交わしたところで、首が捻じ切られたりはしないのだが。あっちが気を遣っているのか、そんな気力もないほど衰弱しているのか。
 何にせよ、仕事は終わり。金が俺の手元に入るかは正直微妙なのだが、これで何もなかったらホントに泣く。
「――で、どうします? 呼ぶなら呼びますけど、警察」
 超エリートの公安特務(サディスト)で良ければ。まあ、普通の人間には無害だけど、悪魔憑きに対してはアレだからなあ、木崎さんもアレかも知れん。
 もうどうでも良くなってしまったのか、彼は力なく首を振った。今となっては何も出来ないのだから、何もしないのは当然の流れではある。
「一応、聞いておきますけど。報酬、よろしくお願いします」
「――――あぁ」
 枯れた声で答える。その時に上げた顔はやっぱり泣き疲れていて、けれどもどこか憑きものが落ちたように晴れやかで――。
 いや、違うか。晴れやかに見えるのは、何にも無くなってしまったからだ。何も無いってのと、綺麗なのはおんなじ意味じゃない。
 とにかく、泣きながら不自然に笑っている木崎さんは、最後にこう言った。
 初めからそう言ってくれたら、俺もこんなに痛い思いをせずに済んだんだろうが。
「私を殺してくれて、ありがとう」
 それはただ、それだけの意味でしかなくて。
 俺にとっては、あんまり興味の持てない言葉であった。


 午後8時ジャスト。残念ながら、今日の戦闘は俺の記憶にバッチリ刻まれることになる。
 俺はカイエから借りた左腕を右手で持って、三軒隣りの自分の家に帰る。誰もいない、静かな空間。こういうところで長時間ぼーっとしてると、ツラヌイの馬鹿騒ぎとかカイエのうんちくが懐かしくもなったり、遠い昔の出来事のように思えたりする。
 考えてみりゃ、木崎さんは自分でその家族の団欒めいたものを切り捨てたワケだ。それが悪魔の囁きだろうが自分の弱さだろうが、心のどこかで「邪魔だ」と思ってしまったことはどうしようもない事実なんだろうし。
 そうやって、いろんなものを切り捨てていくと――もしかして、カイエとか俺みたいな人間になったりするのかも知れない。俺にはまだ切り落とされていない部品はあるが、それもいつ壊れてなくなるんだか。出来ればポンコツであっても無事に完走してもらいたいもんだ。
 電気も点けないで、そのままベッドに寝転がる。やっぱり首は痛い。幻視だろうが蘇生だろうが、一度『折れた』と認識したものをきれいさっぱり無くすことは難しい。既に『在った』ことを『無かった』にするのは、アカシックレコードを書き換えることになるから普通の人間には無理だとか、カイエのやつがしたり顔で言ってた気がする。
 その辺の理論はどうでもいいとして。どうせいつかは忘れるんだし。
 メモに何を書こうかと思って、事の顛末を全部思い出せなくなっている自分に気付く。
「あ、ちゃ……。やっちまったか?」
 そういえば微妙な時間ではあった。最初の方は日が完全に暮れていなかったから、首が折れるかした時にまとめてデリートされた可能性はある。
 でもまあ、最後の方はまだ頭にこびりついている。この調子だと遠からぬうちに今夜の記憶がソールドアウトしてしまう可能性も否定できないので、なるだけ細かくメモに書き残しておくことにする。
 それも終わって、後は寝るだけという段階まで来て、俺はふとどうしようもない不安に捕らわれた。
 その不安とは、俺が稼いだ筈のお金が、さも当然であるかのようにマトさんに接収されないかどうかだった。
 俺の中じゃあ、悪魔憑きより人間の方がよっぽど怖いのである。





−幕−







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2004年10月19日 藤村流継承者

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