河川敷は河川敷であるから広く、空が晴れているからこそ雨は降っていない。
 地面は乾いているから走りやすい、風か止んでいるからこそボールを投げやすい。
 ……つまり、何が言いたいのかというと。
「――士郎ー。野球教えてくんなーい?」
 とかいう、某タイガー教師が言い放った一言により、野球を教えてやることに相成ったのだった。





藤ねえとキャッチボール





 初めに注釈しておくと、藤ねえは奇跡的に野球の才能がない。ベースボールの神様に見放されていると言っても過言ではない。
 そんな人物に野球の教えを施すのは、カニに『胸はって歩け』とかゾウに『これ裾上げしといて』とか言うようなもんである。無理なもんは無理だ。
 それなのに、
「大丈夫だよ。士郎が手取り足取り愛情込めて教えてくれたら、ちゃんとボールも投げれるようになるし、バットも振れるようになるから」
 ろくに根拠もない台詞で押し切ってしまった。俺だってそんな詳しいわけじゃないんだけどな、野球は。
 でもそんなのは関係ないらしい。藤ねえは、俺に教えてほしいと言ったんだから。
 セイバーも藤ねえの提案に賛成し、『私にも是非教授していただきたい』と申し出たのだが、今日はちょっと藤ねえだけで手一杯になるだろうから、やんわり断った。セイバーも、『虎砕き』の異名を取る藤ねえの大暴投を目の当たりにしているためか、唇をかみながらもなんとか了承してくれた。
 遠坂は、『いいんじゃない?』とのこと。技術なら遠坂の方が上だし、教えるのも好きそうなんだが。藤ねえは俺をご指名なので、まあ頑張るとしよう。
 ……で、河川敷なワケだ。公園でも良かったのだが、休日とあって子どもが多く、当たったら大変だ。こっちには暴投王がいるのに。
「……ま、こんくらいかな」
 お互いに距離を置く。だいたい20mくらい。藤ねえは、超至近距離だと狙った的を外すことはないのだが、その的が20m以上離れると、野球の神ではなく笑いの神が降臨する。
 藤ねえはなぜか赤いハチマキに縦縞の野球帽、某虎をモチーフとする球団の縦縞ユニフォームを着用している。でも、常にトラ柄の服を着込んでいるせいか、あんまし違和感がない。
「……ったく、野球うまくなってどうすんだか」
「えー!? なんか言ったー!?」
「なにも言ってねえよー! まず、そっからボール投げてみろー!」
「うん。わかったー!」
 ぐるるるるー、と無駄に肩を回して、構えもへったくれもない体勢から、思い切り放り投げる。
 ふよよよよ〜 タンポポの綿毛なみに無軌道な弧を描き。
「――あてっ」
 ボールは、藤ねえのあたまに不時着した。
 ……なんていうか、期待を裏切らない人間だな。藤ねえって。
「? なに!? いまのは殺し屋の一撃!? わたしの首に600万ドルの賞金が!?」
「掛けられてるワケねえだろ。落ち着け。そしてボールの位置を把握しろ」
「え……?」
 で、足元に転がっている真っ白な球を発見する。
 あ。藤ねえが眼をしぱしぱさせて、きょとーんとしてる。
「……まさか、あの橋の上から狙ってきたというの……?」
「狙ってねえよ。いいかげんスナイパー説から離れろ」
「……解ってるわよう」
 本当に解ってるのかどうかは不明だが、野球帽の上からあたまをぽりぽりかいて、もういちど大きく振りかぶる。
「とうーっ!!」

ひゅん! ばいん、ずどっ。

「あべしっ!」
 悶絶する藤ねえ。つくづく神にサジ投げられっぱなしなひとだ。
 藤ねえの投じた一球は、地面に思いきり叩きつけられ、たまたま転がっていた石に跳ね返って、藤ねえの腹部に『ただいま〜』とばかりに帰ってきた。
「うくく…………。まさか、この球にもカーネル・サン○ースの呪いが掛かっているの……?」
「だから違うって」
 あくまで自分の未熟さを認めない藤ねえ。まあ無理もないけど。
「仕方ない。もうちょっと近い位置からやるか」
「……近めは大丈夫だもん。ちゃんとキャッチボールできるもん」
「『できるもん』じゃない。こういうのは基礎から始めないとダメなんだ」
「……そう。士郎がそう言うんなら、いいけど」
 半分くらいふてくされながら、それでも距離を縮める。
「まずは力を抜くんだ。あと相手をよく見て」
 こっちから投げる。2mも離れてないからすぐに届く。
「……うん。えいっ」
 藤ねえも投げ返す。やはり近距離には強いらしく、無駄な力は入っていない。
「よし。ここから少しずつ距離を置くんだ。藤ねえの場合、肩とか腕とか肘とか手首とか指先とかに力を入れすぎてるのが問題なんだ」
 一歩後ろに引いて、放り投げる。小さな弧を描いて、藤ねえのミットに収まる。
「解ってるわよ。解ってるけど、力が入っちゃうのはしょうがないじゃない」
 少し後退りながら、さっきと同じように軽く放る。俺も無理なく受け止める。
「それが藤ねえの悪い癖だ。手を抜くのと力を抜くのは違うんだよ。気楽に、ひょーいと投げればいいんだ。お気楽なんて藤ねえの代名詞じゃないか」
 言った通り、ひょーいと投げる。気負わず、簡単に取れるであろう軌道を、藤ねえが遮る。
「……気楽に、て言ってもねぇ。気合はいっちゃうんだよ、士郎と久しぶりに二人っきりで遊んでるとね」
 優しく、丁寧にボールを放り、その行く末を確かめる。自然に、俺と目が合う。
「いつも俺んちで好き放題遊んでるじゃないか。もしかして、リミッター解除した状態で暴れたいとか……?」
 ぞっとしながら投げ返す。お互いの距離は、いつの間にか10mも離れていた。
「ううん、そうじゃなくてね。二人きりっていうのは、わたしと士郎の二人だけでこんなふうに遊んだの、本当に――久しぶりから」
 微笑み、空にボールを預ける。ちょうど、太陽の位置とボールの残像が重なって、その行方を見失う。
「――っ――。」
 いまは受け止めることに専念する。後退しながら掴んだボールは、思ったより熱があった。
「桜ちゃんもセイバーちゃんも、遠坂さんもよく来るようになって、前と比べてとっても賑やかで、楽しいし、幸せだよ? でも、なんだかね、おねーちゃんは淋しいのよう」
 だから――。
 続きを口にされる前に、俺も強めのボールを送る。
 力を抜けと言っておいて、俺がこんな力んだ球を投げたんじゃ世話がない。でも、怒りじゃないけど、どうしても乱暴な球を投げたくなった。
「……だから。おねーちゃんにも構ってくれないと、しまいにはグレちゃうぞー、みたいな」
「もう半分くらいグレてるじゃねえか」
「むっ! いくら士郎でもその言い草はひどいよぅ。わたしのどのへんがグレて捻くれてるって言うのよう」
 頬を膨らませて、ちょっと暴投ぎみに投球する。俺も、左に大きく曲がったボールを必死で捕る。
 俺は、自分でもなんだか恥ずかしいから、ボールを投げると同時に言った。
「――そういうトコだよ。いつもの藤ねえなら、『わたしは士郎のおねーちゃんなんだから、もっと一緒に遊んでくれないとダメなんだからー!』とか言いそうなもんなのに」
「え?」
ぽくっ。
 捕球し忘れて、ボールを直接あたまで受ける。その痛みもアホさ加減も忘れて、俺の言葉を胸のうちで反芻してるらしい。
 ……しまった。こんなにダメージを受けるとは思わなんだ。
「その意味じゃ、グレてるんじゃなくて丸くなったって言った方が近いのかもな。俺にしちゃあ、藤ねえが真に姉っぽくなってホッとしたというか――」
 フォローのつもりで言ったのに、藤ねえからは何の反応もない。ただ黙ってボールを拾い上げ、手の中にある球をじろじろ眺めている。
「――あの。藤ねえ?」
「うん。そういえばおねーちゃんだったんだよね、わたし」
「……はい?」
 俺の方さえ見やしないで、呟くように言う。今までさんざん自分のことを『おねーちゃん』と言ってたじゃないか、藤ねえは。
「だんだん、士郎がわたしの手の届かないところに離れていってるような気がして、なんだか怖かったのかもね。うん、たぶんそうかも」
「……別に、そんな遠くに行きゃしないけど」
「ありがと。――でも、士郎だっていつまでも同じところに居られないでしょ? そのとき、わたしはおねーちゃんとして、ちゃんと士郎のことを見送ってあげられるのかなぁって」
 言って、15mくらい離れたところから、俺めがけてボールを投げる。
 力まず、ただ目標である俺に向けて放たれたボールを、少し右に身体をずらしながらキャッチする。
 さっき、なんで乱暴なボールを投げてしまったのか。
 その理由はきっと、藤ねえがいつもの藤ねえじゃないみたいに見えたから。俺にとって、藤ねえはただ闇雲に元気で、俺のことをしつこく気に掛け手を掛けてくれる女性だったから。
「――そう、だな。いつかは」
 俺は立ち止まっているワケにはいかない。
 未来の自分を垣間見てしまった代償として、あいつの決断を跳ね返した責任として、何より俺の理想として、俺は――
(俺は俺のまま理想を貫く。アーチャー――おまえのようにはならないからな。絶対に)
 ――舌を噛みながら、ボールを投じた。藤ねえはちゃんと捕ってくれる。
「そっか。うん、やっぱそうだよね。でも、それでも――わたしはいつまでも士郎のおねーちゃんなんだから。いつでも遊んであげるし、遊んでくれないとダメなんだからね」
 その顔に、寂しさとか悲しみは全くない。でも、そんな顔を見てるとこっちがまで悲しくなる。
 やっぱり藤ねえには笑っててほしい。そうじゃないと、俺が困る。
「解ったよ。解ったから、早くボール投げろ。これくらいの距離でキャッチボールできる程度じゃ、野球ができたことにはならないぞ」
 挑発してみる。途端、頬を引きつらせて対抗心をむきだしにする解りやすい藤ねえ。
「……む。おねーちゃんのお株を奪う教育者っぷり。……いいわ。わたしがこの短期間でどれだけ成長したか、しかとその眼に焼き付けるがいいわよう!」
 ざっ、と地面を踏み締めて、腕を振りかぶる。
 そうだ。藤ねえはこのくらいのテンションがお互いに心地いい。出来れば、俺のわがままで縛りつけちゃいけないんだけど――ずっとそのままでいてほしいんだ。
(あぁ。キャッチボールくらいならいくらでも付き合うよ。だから――)
ぽちゃん。
(……ぼちゃん?)
「あれ?」
 藤ねえの不思議そうな声が聞こえる。俺には、なんとなく予測できていた未来ではあるのだが。
 二人の距離が20mほどに達した時点で、藤ねえの放ったボールが未遠川にクリティカルダイブしたのだ。やはり、20mの鬼門を越えることは出来なんだか。
 どんぶらこっこと流れ流れる白い球。水流って結構速いんだねえ。今ごろ気付いたよ俺。
 ……あぁ、兎にも角にも五大元素の精霊よ。水面を汚してごめんなさい。
「――だから、野球ができたことにはならねえんだって」
 ――本日の被害、硬式球1個。
 唯一のキャッチボール必需品が紛失したため、本日の球技はこれにて終了いたしました。
「えー? これからが楽しみなのにぃー」
「誰のせいだと思ってんだ」




 4月○日

 今日はかわいいかわいい弟の士郎とキャッチボールをしたのでしたー。
 途中でちょっとおねーちゃんらしくないことをグチっちゃったのは反省。あんなの弟に聞かせるようなことじゃないよね。わたしのことは、わたしの中で整理をつけないと。
 でも、士郎に言えてよかったとも思ってる。
 だっていつかは言わなきゃいけないこと。
 いつかは士郎から言われること。
 それを、フライングして聞いちゃうのは反則かもしれないけど。覚悟くらいはしとかないといけない。
 わたしはそんなにいいおねーちゃんじゃないし、わがままばっかり言うし、落ち着きだってないかもしれない。

 だけど、わたしは士郎のおねーちゃんなのだ。そう、ずっと前に決めた。
 その気持ちは今でも変わらない。
 士郎がどこにいても、誰と一緒にいても。
 わたしがどこで何をしてても、その想いはずっと繋がってるんだから。

 だから、淋しくなんかない。悲しくなんてないのだ。
 だって、士郎はまだ近くにいるから。
 離れて行っても、ずっと繋がってるから。
 そのときが来ても、わたしはおねーちゃんらしく、ちゃんと笑って士郎を見送ろう。
 それがわたしにできること。


 わたしにしか、できないことなんだから。





−幕−





・あとがき
 とりあえず周りの人間を問答無用で笑わせることが出来るのは、彼女をおいて他にないのではないかと。
 貴方にとって、藤村大河が日常の象徴でありますように――
 ――との願いをこめて。読了ありがとうございました。





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