セイバーとキャッチボール





 ある日、セイバーが言った。
「シロウ。野球の試合をしましょう」
 と。
 ……唐突な申告だが、セイバーが野球に(ただならぬ)興味を抱いていたのは知っている。
 予想できることなのだが、ライオン好きなセイバーがパリーグの西武ライ○ンズを目撃すれば、興味を持たない方がおかしい。
 でも、細かいルールは知らなかったと思うんだが。親父も、セイバーと遊びでキャッチボールなんかしてないだろうし。
「うん。とりあえず、お茶でも飲もう」
「はい。できれば玉露が望ましい」
 最近、セイバーは食に関して注文をつけてくるようになった。この前までは『シロウの作るものなら全て美味しい』などと嬉しいことを言ってくれたのに、嘆かわしいことだ。
 まあ、こっちも良い審査員がいて助かってはいるのだが。
 ――こぽこぽ。
 セイバーお気に入り、藤ねえデザイン・ライオン印の湯のみにお茶を注ぐ。
「……まず、野球は9対9でするスポーツだ。これはいいか?」
「無論です」
「そうか。なら、試合をするには圧倒的に人数が少なすぎる――ていうか、チームすら組めないし」
「ですね」
「加えて、野球をやるには敷地面積が足りない。うちもけっこう広い部類に入るんだろうけど、それでもテニスぐらいが関の山だ」
「切嗣の甲斐性なし、といったところでしょうか」
「それは違うぞ。そもそも庭でさくっと野球の試合をする方が無茶ってもんだ。まあ――アメリカとかイギリスあたりになら、あるかも知んないけど」
「マイ○ル・ジャク○ンですね」
「言うな」
 それはたぶん、言っちゃいけないことなんだろう。なんていうか、世界の意志、宇宙の法則として。
「あとはデ○ット・ベッカムですか」
「……なんか知らんが、えらい詳しいんだな」
「ニュースは常に絶えず回り続ける世相を把握するのに必須です」
 やたらと誇らしげに語っているが、見ているのは昼間2時くらいからやってる芸能ニュースの類いだろう。まあちゃんと新聞も読んでるみたいだけど。
「……まあいいや。で、諸々の理由から試合はできない。ここまではいいか?」
「はい。シロウなら、もしや2人でも野球の試合を可能にする術を知っているかと思ったのですが」
 肩を落とし、テーブルに置いた湯のみの水面を見詰める。
「…………(本当は全く知らないワケでもないんだけど)」
 ただ、その方法はセイバーがいうところの野球とはまた違うものだ。
 土蔵の隅に転がっている、旧式PS(破壊済み)。そして、一応は無事なまま棚に収められている『熱チュー! プロ野球20××!』のソフト。この2つと、あとはメモリーカードさえあれば、2人で野球の試合をする、という名目上の義務は果たすことが出来るのだが。
 セイバーは実際に身体を動かす方が性に合ってるだろうし。PSを直す術も持ってないことだし。
「――続いて、第2の壁だ。参ったことに、うちには野球用品が無かったりする」
「? そうですか? 私は先日、道場の片隅からこのようなものを見つけ出したのですが」
 と、懐からトラ縞の野球ボールを取り出す。なんていうか、自分の胸元に手を差し込むセイバーは、全く不意打ちだった。
 セイバーにその気がないのは当たり前だが、なんかこう、胸の辺りでもぞもぞされるとこっちもいろいろ思ってしまうことがあるというか、とりあえず落ち着け士郎。
 ……テーブルの下で己の脇腹をつねり、必死で自制する。
「――ああ、それはたぶん、藤ねえが戯れに買ってきちゃった『阪神タイ○ース優勝記念硬式野球ボール』だな」
 優勝記念というより、優勝する以前から発売されてたような感じもする製品だが。
 ちなみに藤ねえは野球が超弩級の下手くそだ。高校時代、遊びでピッチャーの真似事をしていたら、えらい暴投をして人を殺しそうになったことがあるとか無いとか。
 一方、セイバーはタイガーという名称に関して思うところがあるようで。
「む。虎が何か関係しているのですか」
「まあ、ライオンズみたいな野球の球団だよ。あんまり深く考えないでくれ、頼むから」
 てーか、野球の内容よりライオンとかタイガーとかに興味があるのね。そのあたり藤ねえと通じるところがあるような。
「そっか、ボールはあるんだな。でも、素手だと結構痛いし……。せめてミット代わりになるものがないと……」
 ボールがあるとなると、藤ねえが密かに野球用具を土蔵あたりに仕舞いこんでいる可能性が高い。ここはいっぺん、土蔵を探してみる必要がありそうだが――
「……まさか……」
 なんか、セイバーが考え込んじゃってる。そんなにじっとお茶を凝視して、茶柱でも立ってたのかな? まさか、茶柱が立つのは安いお茶だけ、という通にしか解らない伝承をご存知なワケでもあるまいて。ばれてないよな。どきどき。
 非常に重苦しい雰囲気をまとわりつかせて、セイバーが俯いたまま呟く。
「――シロウ」
「なんだセイバー? そんな苦虫を噛み潰したような顔されても、対応に困るが」
「三味線という楽器がありますね。あれの胴の皮は、猫の表皮で作られているそうです」
「……へー」
「同様に、このトラ縞の硬式球も、ベンガルトラの表皮を引き裂いて丹念に作られたものだと――」
「違うわ!」
 そうですか、と納得するセイバーさん。真実を知って安心したらしい。……つーか、そんだけの知識があるのに、どうして思考が変な方向に突き進んじゃうかなー。
「とにかく、土蔵に行って必要最低限のものを探してくる。セイバーも手伝ってくれないか?」
「了承しました、シロウ。ところでこれは玉露ではありませんね」
 セイバーのお茶には、見事な茶柱が立っていた。うぐっ。
「あのなセイバー、これには列記とした理由があったり無かったり」
「シロウ」
「はい。すんません」
「……勘違いされては困ります。私は、シロウがそのような瑣末な嘘を吐くのが悲しい。別に番茶が嫌いだという訳でも、選り好みしている訳でもありません。ええ確かに玉露が望ましいとは言いましたよ。けれども、無ければ無いで妥協をするだけの器くらいあります。それに、シロウは私のマスターだったのですから」
 なんか最後のは付け足しくさい。特に過去形のあたりが。言い訳しているのは、果たして俺なのかセイバーなのか。
 ……疲れるのは俺だから、もうどっちでもいいけど。


 土蔵を必死こいて探してみたら、あるわあるわ。そのことごとくが埃を被り何らかの損傷をきたしてはいたが、致命的なものはない。
 ボールはもちろん、ミットにバット、あとはスパイクとかホームベースなんてものもあった。
 いちばん謎なのは、巾着袋に『1999甲子園』と記されている赤黒い砂。
 ……どっかからパクって来たのか?
 また、ユニフォームもかなりの数がダンボール箱に収まっていた。我らが私立穂群原学園の硬式野球部ユニフォームを初め、日本の全12球団のユニフォームが何故か一通り揃っていた。
 ……あと気になるのはPL学園。どうやら甲子園の砂はここ繋がりである可能性が高い。
 俺は西武ライオンズのユニフォームを取り出して、興味津々にバットを振ったりしているセイバーに進言する。
「なあ、その服装じゃちょっと動きにくいだろ?」
「はい? それはそうですが。……しかし、いくらライオンズやドラゴンズの公式な制服とはいえ、サイズの問題がありますし……」
 セイバーは歯切れが悪い。
 関係ないが、いつの間にか中日ド○ゴンズもお気に入りになっている。
 そういや、セイバーには竜の因子があるとかないとか、遠坂が言ってたっけ。
「そうだよな。ビニールに入っちゃいるけど、綺麗とは言えないしな」
「――シロウ。もしかして、私にその服を着て欲しかったのですか?」
「ん? あーいや、似合うかなーとか思っただけだから」
 こういうと着せ替え人形してるみたいで怒るかも知れないが、そう思ってしまったのだから嘘は吐けない。思えば、セイバーがあの蒼明な鎧ではなく、和式で清楚な服装で佇んでいたのを目の当たりにしてとき、えらく衝撃を受けたもんだ。
 それと似たような新鮮な衝撃を、俺は甘んじて受けてみたいと思った。
「まあ気にしないでくれ。キャッチボール程度だったら、その服でもなんとかなるだろ」
「はい。……期待に添えられず、申し訳ありません」
「だから気にすんなって」
「いつか必ずその制服を着用できるよう、立派な西武ライ○ンズの一員になってみせます」
「そこまで決意を固めんでいい」
 セイバーなら本気でそれを成し遂げてしまいそうで、ちょっとこわい。
 ――そこらに放り出した野球用具の中から、ミットだけを拾い上げる。あとは適当に隅に追いやる。中でもいちばん小さいものをセイバーに渡す。
 ……が、やっぱりセイバーの手のサイズには合ってないみたいだった。
「シロウ。これは嵌めにくい」
「それは我慢してくれ。女性用とか子供用じゃないから、すぐに外れるのはしょうがないんだ」
「……む。訂正してください。私は子供ではありません」
「だからそういう意味で言ったんじゃないって。セイバー、ちっちゃくて可愛い手してるからな。あんまり野球向きじゃないかも知れないぞ? 指が短いと、変化球がうまく投げられない――って、どうしたセイバー?」
 セイバーの顔が赤くなっている。これは、照れている……のだろうか。
「――いえ、特には。シロウがそう言うなら、止むを得ません。こちらも前向きに検討しましょう」
 と、ぎくしゃくしながら土蔵を出る。途中、審判が着用するプロテクターにつまづいたりしていた。
 いつもと様子が違うセイバーの後に続いて、俺も土蔵を退出した。片付けるのが面倒だが、そんなのは二の次だ。
「――と、その前に。セイバーはちゃんとボール投げられるのか?」
 キャッチボールを始める前に、根本的なことを尋ねてみた。
「む。たびたび失礼ですねシロウは。この身はあらゆる生命を超越したサーヴァントです。テレビの向こう側にある対戦風景を観れば、自ずと投げ方や打ち方は理解できる」
 ふ。なぜか胸を張るセイバー。
 ……あー、あれか。セイバーも試合をよく観てればスポーツがうまくなると思ってるタイプか。知識は経験を補う、なんて言葉もあることだし、別にいいんだけども。
 ――お互いに距離を置く。俺は壁に背中を預けて、セイバーは俺から20mくらい離れた位置に立つ。だいたい、ピッチャーとバッターが対する時のような距離感。
 その気になってミットを叩いたりしてるが、俺もたいして野球が上手くない。あんまり詳しい方でもないと思う。それでセイバーにどれだけ教えられるかわからないが、暇潰しくらいなら何とかなるだろう。
「行くぞー」
 ぐっ。身を振りかぶって、空高くボールを投げる。
 構えも投げ方も我流で、もしかしたら20メートル程度も届かないかもしれない。が、それなりに自信は持っていたので、なんとか道場を背にしているセイバーまで届かせることができた。
「――とう!」
 セイバーも、自信満々に素手でキャッチする。……ミットは?
「おーいセイバー。サーヴァントだからって、それじゃーあまりにも意味がないぞー」
「この程度の球、このような防具で保護するまでもありません。……それでは、行きますよー」
 いい感じで間延びしたやり取りの後、セイバーは身体を斜に構えて、ミットの中にボールを収める。いろいろと基本を無視してるわりに、投球フォームだけは堂に入ってるなあ。
 ……うん。ちょっと待て。なんでそんなにマジな目をしてるんだ。いま確実にピカッて光ったし。
「おいセイバー! その構えはセットポジションといって、つまりキャッチボールのようなストレッチ程度の運動で発揮するような構えじゃあ――!」
 聞いちゃなかった。うわあセイバー強引だねっ。
 地を這う左足、小さく振りかぶる右手。
 しなる腕、うなる指先。その球種は、セイバーの性格からいって文句なしの直球ストレート!
 セットポジションからの投球は、他の構えよりも投げるまでが若干速い。その差はほんのわずかだけれど、瞬間的な時速が100キロを越える世界では、そのわずかな差が打者をも切り裂く騎英の手綱と化す!
 あーもう自分でもナニ言ってるかわかんねー!
「――――っっっ!!」
 速い。
 俺のミットまで届くのに0.5秒と満たない。下手に逃げると身体に当たる。
 当たると痛い。たぶん苦しむっ。
「いっ!」
 つーかあいつは無敵か。
 すんでのところで逸らしたミットがあった位置に、寸分の狂いもなく白球を投げ込んでくるとは。
 ――額が、ほのかな疾風を感じる。

ごっ。

 背後から、ボールが壁に衝突した音が聞こえた。ゴムと糸のカタマリが放つ残響音とは思えない。もしかして、壁の方がぶっ壊れてんじゃないだろうな?
 ころころ。
 足元に硬式球が転がってくる。幸い……かどうか知らないが、球自体に損傷はないようだった。壁も、妙なへこみがあるのを無視すれば、なんとか無事なご様子。
 魔球『タイガーボール』を拾い上げて、なんとか五体満足で済んだ我が身を案じていると、セイバーがピッチャーマウンド(仮)から大股で歩み寄ってくる。
「――なぜ避けるのですシロウ。練習にならないではありませんか」
「当たり前だ! あんなの受けたら手首が粉砕骨折するわ!」
「む……。シロウは、出来ないことを出来ないからといって簡単に投げ出すような人間ではないはずだ。たとえ出来ないと解っていても、挑戦することに意義を見出す――」
「いくら美談にしてもダメだ! いくらなんでもムリなもんはムリ! てーかセイバー、本当に野球の素人さんか!?」
 初出であんな剛速球を投げ込まれたら、高校球児が泣きわめいて暴れ狂うぞ!?
 と、セイバーはミットを肩に当てながら、『ああそのことですか』なんて素っ気なく応える。
「テレビで拝見した構えを、見よう見まねで再現しただけです。……いちど投げてみて、どこを修正すべきか解りました。基礎練習を怠ると、ある一定のレベルから伸びなくなりますからね。我流では限界があるのです」
 さあ、とセイバーはこっちを見ながらミットを叩く。私にも、シロウの球を投げ込んでみてください、という期待に溢れた視線。
 ……ごめんセイバー。俺では君の希望に応えられそうもないや。
「セイバー。これキャッチボールと違う」
 いや完全に違うって訳でもないんだけど、キャッチボールに対する双方の見方に違いがありすぎるというか。
「え!?」
 本気で驚いている。
 つーか、サーヴァントの能力をこんなことに費やしていいもんなのか? 言峰の野郎も地獄の釜で泣き入れてるぞ、きっと。
 ……まあいいか。誰に迷惑かけるでもなし、俺が一人でびくびく怯えてれば済む話だし……。
 ………………やっぱり嫌だなぁ…………。


 セイバーの剛速球は、セイバーがボールにありったけの魔力を込めた結果であると判明した。確かに、全身が魔力のカタマリみたいな存在だから、ちょっと力を込めてもボールに魔力が注入されてしまうのだろう。
 なんていうか、まさに魔球だ。あるいは魔弾って言った方が近いかも。
 その証拠として、自らの筋力だけで投げてみたら、俺のもとに届きもしなかった。
 ぽてくり。ころころ。
 むなしく地面を転がる虎ボール。それを乾き切った瞳で見詰めるセイバー。
「………………」
「……いや誰でも最初はこんなもんだって」
「………………ふ。とんだ道化ですね」
 何やらひどくショックを受けているらしかった。
 その後、肩の力を抜いて、最短距離で俺に投げようとするのではなく、上空に弧を描くイメージで放り投げることを推奨したら、飲み込みが早いのかすぐに届くようになった。
「うん。やっぱりセイバーは素質があるのかも知れないなー」
「……そうですか?」
 気を良くしたのか、またセットポジションに構えるセイバーさん。
「だからそれは禁止! 基礎が固まってないのに実践モードになるんじゃない!」
「……そうですか」
 えらい落ち込むし。今日のセイバーは感情の起伏が激しいなあ。
 もしかして、戦い以外で認められたことが無かったから、それ以外のことで褒められるのがこんなにも嬉しいのか。子供の頃、あんまり遊び回ってたって感じもしないし。
 戦いには関係のない遊びで、自分が本当にやりたいことをやって、それを認められて。
 そのことが、嬉しくないはずがない。
「なあ、セイバー」
「なんでしょう?」
「いつか、野球の試合ができたらいいな」
「そうですね。――本当に」
 それが、いつかきっと叶えられる夢であると信じ切って。
 セイバーは、天高くボールを投げた。





−幕−





・あとがき
 やっぱり野球ネタはタイピングのノリが違います。依存しちゃいけないのは解っているのですが。
 野球大会の前振りとして今回は軽めにお送りしました。それでは最後まで読んでいただいてありがとうございました。






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