幸せの黄色いヒトデ






「岡崎さんは今、幸せですか?」
 太陽が燦々と照りつける中庭で、俺と風子は昼食を取っている。
 ちなみに、春原という春めいた行動を本分とする人間も先程までは在籍していたのだが、隣りのクラスに巣食う藤林杏と呼ばれる最終兵器姉に襟首を掴まれ、体育倉庫という名のこの世の果てへと連行されてしまった。
 俺たちは、止めることが出来なかった罪を一分間の黙祷であっさりと還元し、今日も天気だ弁当が旨い――という日常に回帰しようとしていたのだが。
「……は?」
 忘れていた。
 春めいた行動をプライオリティとする人間が、俺の隣りにも居たということを。
「お前、この期に及んで昼飯はヒトデ弁当が最適だなんて有明漁民的発想を……」
「いえ、岡崎さんの言わんとすることは分かります」
 分かってくれたか。
「そうでしょうそうでしょう、岡崎さんが今現在幸せを噛み締めているというのなら、どうしてその手にヒトデを握り締めていないのですか!」
「どんな幸福だ」
 というか、やっぱり分かってなかったか。薄々そんな感じはしていたが。
 風子は箸を掴んだまま立ち上がり、視線を遥か彼方に飛ばす。ぱっと見ヘンな奴である。まあ、どんだけ見てもヘンな奴なんだが。
「しかし、安心してください。そんなカタストロフな人生プランを建てている岡崎さんでも、喉から孫の手が出てしまうくらいの幸福アイテムをお見せいたしますっ」
「とりあえず、座れな。お前はドラえもんかってくらい右手を伸ばされても、正直リアクションに困るし」
 ぶっちゃけ、知り合った当初からリアクションの引き出しは閑古鳥が鳴いているんだけども。
 つーか、いつになったら弁当が食えるのだろう。わざわざ公子さんが作ってくれたのになあ。仕方がないので、先に食べてしまうことにする。
「でろでろりーん! 童話『幸せの青い鳥』ー!」
「呪われてるぞ」
 タコさんウィンナーを一口。焼き加減が絶妙である。
 風子の弁当からも拝借するのは忘れない。
「この童話によれば、青い鳥を見付けた人間は必ず幸せになるそうです。眉唾くさいですね」
「だったら紹介すんなよ」
「ところがどっこい!」
「古いな」
「この青い鳥を青いヒトデに入れ替えると、なんと驚いたことに97%の消費者から『幸せになった』『恋人が出来ました』『生き別れの親に会えた』『肩凝りが治った』『ぷひー』というメッセージが!」
「そっちの方がマルチ商法くさいぞ。しかも明らかに人じゃないのが混じってたし」
「『美味しかった』、という意見もありましたっ」
「やっぱり食わすのかよ……」
 お口直しに、ハンバーグの隣りに鎮座していたキャベツに箸を伸ばす。
 デザートのリンゴはきっちりウサギさんになっている。巧みの技だ。
「んぐ……。で、俺にもそのヒトデを食べさせようと」
 口の中に詰め込んでいたものを飲み込んで、何故か目を輝かせている風子に向き直る。
 さっきまでヒトデFMらへんにキープされていた風子の周波数も、テンションの降下と共に一般人レベルにまで下がってくる。これでようやく話が通じるようになる――ってのも、なんだかなあとは思うが。
 俺の返事を待ちかねている風子の表情はやたら活き活きしていて、幸せってなんだろうとか下らないことを考える自分が馬鹿らしく思えて来る。
「はい! どうですか岡崎さんっ!」
「断る」
「最悪ですっ!」
 衝撃の告白を受けた風子は、ついでに弁当の中身がごっそり持って行かれていることにも気付く。
「わーっ! 天変地異です! 悪鬼羅刹です! 夜露死苦です!」
「四字熟語じゃないし」
「最悪ですーっ!」
 で、まあ。
 お決まりの台詞と、腹の隙間から取り出した鈍器によって、俺の頭蓋骨は陥没の危機に立たされるのだった。
 ほんの少しだけ、杏のエンサイクロペディアスペシャルを喰らった春原と、頭部裂傷の苦しみを分かち合う。
 ……悪戯するのも、程々に。




「そんな訳で、幸せの黄色いヒトデを探しましょう」
「文脈って言葉、知ってるか?」
 流れから言って、昼休みの続きなんだろうが。頭蓋骨にはまだ鈍い痛みが残存している。五つ星の角が命中したので、しばらくはこの鈍痛と付き合わねばなるまい。寝る時に苦労しそうだ。
「ふぅ……。岡崎さんも困り者です」
「お前の方が困りスキルは高いけどな。まあ今更そんなこと言っても始まらん」
「ですね。話が早くて助かります」
「どういたしましてー」
 適当に受け流し、放課後の帰り道を並んで歩く。
 ちなみに春原は、ミス・広辞苑こと藤林杏の手によって体育館裏という名の処刑場に連れて行かれた。理由は不明だが、卒業するまでに一通りの恨みを晴らしておきたいのだろう。
「ていうか、ヒトデって黄色くなくね?」
「どことなくカチンと来る言い方ですが、それに関しては問題ありません。ノープロレタリアです」
 さらば賃金労働者。貧乏人は麦でも食っとけ。
「……うろ覚えなら言うなよ」
「と、とにかくっ! ヒトデを愛する風子に不可能はないのです! きっと黄色いヒトデは実在します! ムツゴロウさんもそう言ってましたっ!」
「またえらいところから情報拾ってくるな……」
「それだけではありません!」
 その情報ソースだけでは不安だったのか、風子は再び制服の中にもぞもぞと手を伸ばす。
「ちゃらっ、ちゃらっ、ちゃらららーん……。映画『幸せの黄色いハンカチ』ー!」
「何かしら没収されたが」
「取られたら取り返せばいいんですっ。ともあれ、この映画によると……」
 パッケージの裏側を必死に読み進めているところからすると、内容はよく知らないらしい。
 面倒なので、助け舟を出してやる。どうせ行き着く先は同じだし。
「あー、はいはい。幸せになるんだったよな、確か」
「……投げやりな態度が鼻につきますが、おおむねそんな感じです。と、いう訳で」
「探さないからな」
「なんでですか。幸せになりたくないんですか、岡崎さんはっ」
 むっと唇を引き締めて、じっと俺の目を覗き込む風子。いつになく真剣、というかいつでも真面目に空回りしている風子だが、その中でも比較的シリアス度は高い口調である。
 あー、と後頭部を掻き毟り、打撃を受けたタンコブに指が触れる。軽い痺れに顔が歪み、それに連動して風子の表情も揺らぎを見せる。
「……いいか。一度しか言わないから、耳かっぽじいてよく聞いとけ」
「……むっ。なんか偉そうです」
 と言いながら、小指でしっかり耳の穴を掃除する。素直じゃないな。
 まあ、それは俺にも言えることだから口にはしない。
 何より、もっと恥ずかしいことをこれから言わなければならないのだし。

「最初に聞かれた質問だけどな、お前が遮ったから答えられなかったが……。俺は今、幸せだと思う。
 それはな。お前が隣りにいるからなんだよ」

 目を逸らさなかったのは、自分でも偉いと思う。
 ……その代わり、時が、完璧に止まる。
 カラスの鳴き声が邪魔しなかったら、車に轢かれていたに違いない。それくらい呆然としていた自覚はある。
「俺の言ってる意味、分かるか?」
「……わっ!」
 とりあえず、敬礼してみせる風子。意味は分からんが、まあ、俺でもそうする。
「分からんかったら、分かるまで今の台詞の書き取りしてろ。小指の下らへんが黒くなるくらいでもいい」
「そ、そんなにですかっ! 風子、あの色はあまり好きじゃないです」
「……つーか、本当に分からなかったか?」
 火照る顔を手のひらで冷やし、横目で問い掛ける。
 もしこの時に風子の手を握っていたら、俺たちの関係はあらぬ方向にテイクオフしていたことだろう。
 だが、幸いにも――と言っていいかどうか分からないが、兎にも角にも、離陸するのはまた今度。

「ば……。バカ言わないでください。風子も、岡崎さんがちゃんと隣りに居て……。幸せじゃないわけ、ないです」

 むちゃくちゃ赤い顔をして、それでも俺の目を見て堂々と言ってのける。
 ……いい答えだ。頭を撫でてやりたくなるが、それをすると激怒するので如何ともしがたい。
 子ども扱いされるのが嫌だとはいえ、実際に子どもっぽいのはどうしようもないことだと思うが。
「それでは、満を持して青くて黄色いヒトデを探しに行けますね」
「行くなよっ! 話し聞いてなかったのかよっ!」
「耳をかっぽじって聞いてました。でも、公衆の面前であんな恥ずかしい台詞を吐くとは……。岡崎さんも、祐介さんと同じ境地に達してしまったようです。これも、愛の力ですか」
 ぷぷっ、と口を押さえて笑いを堪えてやがる。こいつ、なかなか口が達者になってきたな……。俺が毎回毎回弄くり倒しているだけのことはある。
「……そうだよ。伊吹家は魔性の一族だな、まったく」
「そ、そういう言い方はないと思いますっ! 破廉恥姉妹みたいに言わないでください!」
「言ってないし」
「……はぁ。岡崎さんの相手をしていると、普段の五倍は疲れます」
「その言葉、お前にそっくりそのまま返してやる」
「ならば風子はそれにヒトデを付けて返却します」
「いらんっ!」
「最悪ですっ!」

 今日も平和だ、会話が弾む。
 幸せの証はすぐ隣りに。バカ騒ぎが出来るというのも、少し前の俺には考えられなかったことだから。

「――痛え! おまえ腹ん中にいくつヒトデを隠し持ってんだ!? 本当にネコ型ロボットか貴様!」
「失礼なっ、風子はれっきとしたヒトデですっ!」
「ヒトデなのかよっ!」

 俺は今、幸せだ。
 そんな漠然とした確信を得て、俺はいつものように風子につっこみを入れるのだった。





−幕−







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2005年5月16日 藤村流

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