俺たちの失敗






 当たり前になった俺と風子の帰り道。夕暮れ時の帰宅路に人影は見当たらない。みんな部活に勉強に忙しいんだろう、俺はしばらく前に脱落しているが。
 そんな俺の隣にいるのは伊吹風子。ヒトデを愛し、その次に俺が好きという女の子。正直、好かれているのかどうか微妙すぎる。
 なにせ、俺が風子に告白されたのは夏休みが終わってすぐの放課後、名前も知らない一年に呼び出されて、ヒトデを渡された上での『恋人になってくれますか』と来た。
 普通なら、なんだかよくわからんヒトデ型の物体を押し付けられての告白など断るのが当然である。
 だが、俺はその彫刻がヒトデであることを理解していた。第一印象ならまず星と答えるであろう、五本足の物体を。
 だから、その理由をどうしても確かめたくて、俺は風子と付き合うことにしたのだ。
「はぁ……」
 風子は今日もヒトデを思い浮かべては幸せそうに和んでいる。
 なんとなく興味が沸いて、俺は風子に尋ねてみた。 『ヒトデを食べようと思ったことはないか』、と。
 それは純然たる好奇心であり、やましい気持ちなど一切なかった。
 だが、思えばこの質問こそが後々の悲劇を生むことになったのである。好奇心は犬も食わないとはよく言ったものだ。
 ……あれ、猫だったっけ?
「おまえ、本当にヒトデは食ったことないのか」
「ありません」
「本当か?」
「しつこいですっ、あんなに可愛いものをどうして食べようなんて思うんですか」
「いや、『食べちゃいたいくらい可愛い』ってよく言うじゃん」
「それを言うなら『目に入れても痛くない』ですっ」
 別の格言になっていた。
「でも、ちょっとどんな味がするかなぁとか思ったことくらいはあるだろ」
「岡崎さんは、どうしても風子を大量虐殺犯に仕立て上げたいようですね」
「そんなに食えとは言ってない」
「……わかりました。それなら風子にも考えがあります」
 風子は、懐からいきなり彫刻刀を抜き放った。目に宿っている光は狂気と呼んで差し支えない。
 これは……来る!
 俺は確信した。
 なんか話の展開がいきなりっぽい気もするが、それはあえて気にしないことにする。
 そういう物語ということになってるから。
「前言を撤回してください。でなければ、風子は岡崎さんを――してしまうかもしれません」
「ん……? よく聞き取れんかった。もいっかい頼む」
「ふ、風子は、ヘンな岡崎さんを……」
「失礼な形容詞つけんな」
「思わず、八つ裂きにしてしまうかもしれないですっ!」
 ――来た!
 なかば予測していた俺は、背中にしまっていたヒトデの彫刻を取り出し、風子の刀に向けて突き出す。
「……くぅ!」
 刃の切っ先がヒトデに触れる直前で、風子の腕が苦悶と共に停止する。
 やはりだ。こいつは作り物だろうが何だろうが、ヒトデと意識したものには手を出せない。
 ならば、こっちにも手はある!
 俺は力強く、風子の右後ろ斜めに人差し指を突き出した。
「あっ! あんなところでアカオニヒトデが体外受精してるっ!」
「えぇっ!? 生物学上珍しいヒトデの繁殖現場に出会えるなんて風子感激です――」
 間違った方向に感激しながら凄い勢いで振り向く風子の手首に、かなり強めの手刀を加える。ヒトデごときに乱心した罰と思え。
 くぁ、と小さく悲鳴をあげて、風子は彫刻刀を取り落とす。俺は物騒な刀を踏み付けて、手首を抑えながら屈みこむ風子を見下ろした。一応、風子の反撃を考慮してヒトデは腹の中に仕込んでおく。
「勝負……あったな」
「ちぃ……まさか、ヒトデをダシに使えるほどの知性が岡崎さんにあるとは思いませんでした」
 俺はミジンコ以下か。
「おまえな、刃を人に向けちゃいませんって公子さんあたりに言われたことあんだろ。いくら将来の伴侶であるヒトデを愚弄されて頭に血が昇ったとはいえ、やっていいこととダメなことの区別ぐらいはだな――」
「……話はそれだけですか?」
 不敵に、今まで見せたことのない黒い笑みを浮かべる風子。
 武器を失い、手首を押さえ、助けすら呼べないこの状況にあって、風子のこの余裕は一体なんだ。
 というか、こういう言い方だと俺がすげえ悪役みたいんなんだけど。違うよな。
「か、観念しろ! ひとこと謝りゃあ済む話じゃねえか!」
「いいえ、違います。風子、自分では癒しきれないほどのトラウマを抱えてしまいました。ヒトデさまを食べる? ……なんて愚かな。だから人間は嫌いなんです。たかだか四本しか手足のない俗物が、五本以上も手足を持つヒトデさまさまに近付こうなど、ましてや食しようなどとは、ああ恐ろしや恐ろしやです」
 ぶるぶるっ、と身を縮こませる。
 ……まあ、つっこみどころは腐るほどあるんだが。
 全部つっこんでやる。
「おまえ口調変わってるし『さまさま』って繰り返すと意味が違ってくるし、大体ヒトデは立ちもしないし全部腕だしむしろ触手じゃねえか。
 つーかつっこむのめんどくさっ!」
「自業自得です」
「おまえのせいだろ」
「愚かな……」
 くっくっく、と分かりやすい悪役の嘲笑を浮かべる。どうも気に入ったようだ。
 察するに、これは風子のアドリブと見える。慣れないくせしてベテランっぽく振舞うのは、子どもが背伸びしたがるのと同じ心理だろうか。
「さっさと次の台詞行けよ……」
「わけのわからないこと言わないでください」
「おまえが言うな」
 何事も無かったかのように不気味に笑う風子。不気味とか不敵とかいうより、滑稽と表現した方が近いのが余計に滑稽である。
「もしや、人の身でもヒトデの楽園に導けるかと思ったのですが……。やはり、人間にヒトデの崇高さは理解できませんか。布教もなかなかうまくいかないです。ていうかノルマ高すぎだと思いません?」
「知らねえよ」
 腰を叩きながらしんどく溜息を漏らす風子構成員。信者には信者なりの苦労があるらしい。
 ――って、何の話だ。
「ていうか、その前におまえって人間じゃなかったのかー」
 明らかに棒読みと分かる口調で俺が言うと、風子は悪の幹部ばりの――訂正、一話ごとに出て来る悪の怪人クラスの邪悪な笑みを浮かべる。
 あー、すげえ微笑ましい。
「そうです。あなたにだけは秘密にしておきたかったのですが、別に最後まで一緒にいたいからとかそんなんじゃなくて、体のいい実験材料だから最後まで風子が監視しなくちゃいけなかったんです。本当ですよ?」
 嘘をつくのが下手なやつだ。というか、演技自体が素人だ。
 それでもなんとなく騙されてやるのが、風子と上手く付き合うコツである。
「人間じゃないなら、おまえは一体……」
「聞きますか。それを聞いてしまいますか、岡崎さん……いえ、変態の岡崎さん!」
 レベルアップしていた。
 そんなの自信満々に言われても困る。というか泣く。
「えーい、変態さんに発言権はありません! というかヒトデ王国のことがばれたら人間たちに抹殺されてしまうこと請け合いなので、岡崎さんは可及的速やかに死んでもらいます!」
 なんていうか、駄々をこねているようにしか見えなかった。まあ、初めての役だから仕方ないか。俺も初めてなんだし。
 よし。ここからはテンポを早くして風子の負担を軽くしてやろう。
「くそー! まさかおまえがヒトデ星(海星星)からやってきたヒトデ星人だとは思わなかったぜ! まさか、あのとき交わした俺たちの約束も嘘だったってのか!?」
「……え、あ。は、はいっ、そんな感じでいいんじゃないでしょうか!」
 勢いで誤魔化していた。ミステリアスな空気を重んじていた頃の面影はどこにもない。
「なんてこった……。じゃあ、古河が離岸流にさらわれたまま帰って来なかったのも」
「はい。第一ヒトデ神であるヤツデスナヒトデさまの生贄として」
「伊吹先生が、裏山に生えているという幻の野草を獲りに行ったきり戻って来なかったのも……」
「はい、第八ヒトデ大魔王であるエチゼンクラゲさまのおやつとして」
「春原が金魚蜂にはまって出られなくなったのも……」
「あれは春原さんのせいです」
「それもそうだな」
 どこからか『違うでしょ!?』とかいう絶叫が聞こえたが、気にしないことにする。つっこみどころもいっぱいあったが、時間の都合で綺麗にスルー。
 怒涛の展開に脳の処理速度が追いつかなくなり、つい感情的になってしまう俺。対する風子は、圧倒的不利な立場にありながらも不遜な態度を崩すことはない。いつも不遜ではあるが。
「……そうか。所詮、俺とおまえでは住む世界が違ったってことかよ」
「陸と海ですから」
「それでもっ! ……今のおまえは、こうして俺の前で息をしてるじゃないか。エラじゃなくて、肺で呼吸してるじゃないか!」
 みっともなく、それでいて真剣に絶叫する。
 他に台詞なかったのかよと思いながらも、あくまで真面目に風子と相対する。
 風子はそんな俺を前にしても、冷たい表情のままで佇んでいる。夕焼けに染まった横顔に、嘲りとは違う種類の笑みが挿したように思えた。
「……話は、それで終わりですか」
 いつの間にか、その手にはもう一本のナイフが握られていた。今度は彫刻刀のような一般的なものではなく、ただモノを刺すためだけに作り上げられた無骨な刃。
 それを、風子は唇の端にかざす。
 舐めるような真似をしなかったのは、あくまで風子の趣味の範囲だろう。
「安心してください。岡崎さんは、風子が料理してあげますから」
 あんまり嬉しくない表明の後、風子は二メートルもない距離を一足で詰める。俺は足元の彫刻刀を拾い上げる間もなく、仕込んだヒトデを盾に使うことも許されず、首筋に明確な殺意を突き付けられて――。
「――風子のこと、忘れてください」
 今際のきわに、その願いを聞いた。


 ――ぱちんっ。
「はい、カットですっ」
 古河渚監督の弱気なオーケーの後、お疲れさーんとカメラ係の春原が気楽に話しかけてくる。
 だが、俺にはそれに答える気力など残されていなかった。
「……風子よ」
「なんですか」
 俺たちは抱き合うように寄り添いながら、一瞬の殺し合いを閉じ込めた体勢のままにお互いを確認する。
「このナイフ、ホンモノじゃねえか」
「はい」
「はい……じゃねえこのヒトデ娘っ!」
 とりあえず持てる限りの力で風子に頭突きをかます。実のところ、ナイフの刃は俺の首すじ約二ミリばかりにまで食い込んでいた。血もちょっとばかし出てます。流血沙汰です。
 あほか。
 超あほか。
「ぎゃっ!」
 女の子とは思えない鈍い悲鳴を最後まで聞かずに、俺は叩き付けるようにまくし立てた。
「ていうか死ぬかと思ったぞ! おまえ頚動脈って言葉知ってるか、そこ傷付いたら人間終わりなんだぞ!
 俺はニワトリか、出荷されて羽むしられて首切られる直前のニワトリかぁぁぁっ!」
「お、落ち着いてください。岡崎さんは人間ですよ?」
「ひとを気が触れた人間みたいに扱うなっ。俺は基本的なことを言っている!」
「はい。岡崎さんのようなひとでも基本的人権は尊重されます」
「だから違う!」
 ……おかしい。コミュニケーションってこんなに難しいものだったか。
 後ろから、古河と春原の悲しそうな視線を感じる。
「岡崎さん……」
「や、やめろっ、俺をそんな目で見るなっ!」
「岡崎……。おまえがたとえヒトデ星人だったとしても――俺たちはずっと親友だぜ?」
「それは違う!」
「認めろよっ! いいシーンなんだからさっ!」
「もう、今日の分の撮影は終わりましたけど」
 古河が控えめに口を挟んでくる。
 ――そう。これは演劇部の練習兼撮影。
 普通なら部室や体育館、あるいは裏庭とかを活用すればいいのだが、うちの部室は合唱部と兼用しているだけにどうしても動けない時間が出来てしまう。
 それは何か勿体ないし、俺たちはこの夏休みを過ぎればいよいよ就職戦線に乗り出さねばならない。古河の夢だった学校生活の最後に、何かひとつ大きなものを残せたらいいと思って――。
 俺たちは、長いようでやっぱり短い映画を撮ることになった。
 こうして路上で堂々と撮影できてしまうのも、デジカメがちゃちいのと田舎だからこその特権である。ナイフ取り出してる時に誰か通りがかったら大変だっただろうが、そんなイベントもなく順調に撮影は進んでいた。
 が。
「あのさ、根本的なこと聞いていいか」
 せっせとヒトデやら彫刻刀やらを手入れしている風子をよそに、俺は演劇部部長に質問する。
「はい、なんでしょう」
 そうだ、俺たちは演劇部なのだ。だから。
「映画製作って、演劇部のすることじゃないだろ」
「そう……でしょうか。素敵だと思うんですけど」
「素敵なのはいいが、いろいろ段階をはしょりすぎではなかろうか。大体、俺も風子も古河だって演技は素人なんだぞ。音響だっていない――でもないが。いつも付きっきりって訳じゃないし」
 言うまでもなく仁科・杉坂コンビなのだが、あいつらは俺らと違ってあと一年ある。焦る必要はない。
「って、僕は? なんか出番が少ないんだけど」
「ADは黙って機材片付けろ」
「アシスタントディレクターっ!?」
 要するにパシリだった。
 報われない奴め……俺のせいだが。それでも泣きながら片付けるあたり病根は深い。
 手持ち無沙汰なのは俺と古河だけなので、この際だから言いたいことを言っておく。
「あとな、おまえ部長なのに途中退場してるだろ」
「はい。とても残念です……」
「じゃなくて、シナリオ書いたの古河じゃねえか」
「でも、次の章で悪のヒトデ部部長として再登場するから大丈夫です」
 えへへ、と何が嬉しいのか、にこやかに笑う。
 得体の知れない役どころなのに、健気なものだ。
「んで、タイトルがまた……」
 呻くようにもらすと、すかさずタイトル発案者である風子が切り込んでくる。
「この『第二次すーぱーヒトデ大戦』が何か」
「一次があったのかよ……。つーか、それ以前にこれのどこかラブコメなんだよ。おまえ、演劇部に入るときラブコメじゃないと認めませんだの言ってたじゃないか」
「ラブコメです。特に風子が岡崎さんを殺そうとするシーンなんて秀逸ですっ」
「どこがだよ……」
 激しく項垂れる。
 ちなみに、台本製作には風子と古河が携わっているが、あと俺の勘ではオッサンと早苗さんも深く関わっていると見た。第八ヒトデ大魔王のくだりなんかあの人以外に書けない。
 まあ、それを推敲もせずに黙って演じてしまうあたり、俺もかなり罪作りな人間であるらしい。
 何にしても、今日はやたらストレスが溜まった。そりゃあ何回も刃物を突き付けられてたら、贅肉まみれの太い神経もすり減らすってなもんである。
「あー、はら減ったー。ヒトデでも食うかー」
「ひ、ヒトデさまを食べるなんて!」
「役を引っ張りすぎだ」
「それでもですっ。あの愛らしい腕を一本一本ひきちぎって、あまつさえパン粉にまぶして170度の油に放り込むなんてこと……あぁ、想像するだけで食欲をそそりますっ」
「おまえの方が凄惨だからな」
 恍惚とした表情を浮かべている風子に言ってやるが、まあ聞いちゃいないだろう。
 と、不意に思いついて俺は古河に尋ねてみる。
「そうだな、ヒトデは無理かも知れんが……クラゲならいけるか?」
「はい、大丈夫ですよ。中華風の和え物なら」
 にっこりと笑って言う。
 マジか。半分くらい冗談で言ったのだが、あると言うのならそれもまたよし。
 今夜は古河宅でクラゲ祭りだっ。
「それじゃあ風子」
「あぁ、卵のぷちぷちって食感がまた…………って、なんですか岡崎さん」
「今日はクラゲ料理といくか」
「く、クラゲさまを食べるなんて!」
「だから役を引っ張りすぎだと」
「最高ですっ!」
「クラゲはいいのか?」
「当たり前ですっ!」
 当たり前なのか。新常識だ。
 というか、さっきエチゼンクラゲさまとか言ってたじゃねえかよ……。意味わかんねえ……。
「あのさ、この前おまえの告白オーケーしたけどさ」
「はい」
「あれ、考え直してもいいか?」
「最高ですっ!」
 そうなのか……?
「あ、間違えました。最悪ですっ!」
「もうどっちでもいいよ……」


 ところで。
 わざわざ別にシナリオを用意しなくても、俺たちの日常をつぶさに描いていけば、それなりに面白いものが出来上がるんじゃないだろうか、と。
 ふと思いついてはみたが、そのことはあえて言わないでおく。
 ――当たり前だ。
 俺たちの人生が見ず知らずの他人に爆笑されたりなんかしたら、もしかして生き方を間違えたんじゃないかと本気で悩む。
 だから何も言わずにヒトデ大戦を続行する。
 必ずや爆笑を取れるであろう、俺たちの日常を続けていくことにする。

「あぁっ! あなたは第八ヒトデ大魔王さまっ!?」
「くそっ、触手に足を取られて――星の船が行っちまうじゃねえか!」
「こんにちは。悪のヒトデ部部長です」
「世界中のみんな……俺にヒトデを分けてくれ……」
「それでも、岡崎さんは……陸で生きることを選ぶんですね」
「ふぅちゃぁぁぁんっ!」
「さよなら……」

 ――『第二次すーぱーヒトデ大戦』、近日公開!

 ……だから、第一次はどうした。





−幕−







・くらなどSS祭り2−4お題「料理・調理」用の作品。勢いのみ。
 ただ風子に料理させるのも何なので、朋也を料理してみようと思ったのが運の尽き。
 ちなみにヒトデは卵が食えます。熊本は天草地方の名物らしいです。



SS
Index

2004年11月14日 藤村流継承者

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