温泉に行こう、という話になった。
 それというのも、商店街のくじ引きで俺がたまたま当ててしまったのである。
 他に誘う奴もいないので――。
 あるいは、そいつを誘いたかっただけなのかもしれないが。
 伊吹風子。通称『ヒトデの鬼』。オニヒトデともいう。
 突然の告白と、無意識といって差し支えのない反射でその回答を出してしまった結果、俺たちは恋人同士になった。
 それでもいいかと思って、友達なのか恋人なのかよくわからない――その違いをはっきり区別したいとも思わなかったが――そんな関係を維持しながら、とにかく仲良くはやっている。
 不安がないといえば嘘になる。風子のことも、どこか頭に引っかかっている部分がある。
 温泉に付いて来てくれるかも微妙なところではあったのだが、
『もし断ると岡崎さんが自殺しそうなので、仕方なく付き合って上げます』
 てな感じで了承してくれた。えらく高い位置から物を言っているのだが、いつものことだからデコピン一発で勘弁してやった。
 最終的に、ひとつの部屋で一泊二日という運びになった。商店街の安いペア旅行だから仕方あるまい。
 俺には風子に手を出さないという確信があったのだが、風子の方でその確信を得られなかったようで、寝るときに半径2メートル以内に近付いたら火曜サスペンスみたいな展開になることもやぶさかではないと声を大にして主張していた。
 でもまあ、それはないと思うが。
 だいたい、風子じゃ決定的に色気が足らないだろうし。





今、そこにある星





 温泉は混浴の露天風呂だった。しかも水着を着ても着なくてもいいんだそうだ。
 俺の心の中で勝訴を叫んだ。
 しかしやはりそこは高校生ということで、監督役である公子さんから水着着用条例が施行された。
 二審であっさり敗訴した。
 風子は俺に着用を強制してきた水着はブーメランだった。なぜ。芳野さんが履いてるからなのか。そうなのか。
 対する俺は風子にスクール水着の着用を義務付けようとしたが、その場に居合わせた芳野さんに殺されそうので棄却せざるを得なかった。思春期を半端に過ごした青年の他愛もない冗談なのに……。
 妥協案ということで、俺はトランクス型、風子はワンピース型に落ち着いた。
 まあ、無理して一緒に入る必要もない訳だが、いつの間にか二人で入ることを前提に話をしているのがちょっと滑稽である。
「――――ふう」
 季節は秋、紅葉が始まっていないこともあってか客は少ない。田舎の温泉宿はやたらのんびりしていて、俺が今まで生きてきたものとは別の時間を過ごしている錯覚さえする。
 少しずつ身体が火照ってきて、頭がぼーっとしてくる。ときどき吹いてくる風が熱を冷ましてくれるけれど、しばらくこの温かさに浸っていたい気持ちもある。
「……いい湯だねえ」
 ぼそりと呟く声も、心なしか上ずっているような気がした。
 やたらじじむさい感傷に浸っていると、木彫りのなんかを小脇に抱えた風子がひょっこり現れた。なんだかんだ言って、やっぱり一緒に入るんじゃん。
 てっきり年相応の乙女っぽい恥じらいを見せつつしおらしく現れるのかと思いきや、なんら臆することのない堂々とした態度で、あまつさえ無い胸を張り誇らしげに木彫りの星型を掲げている。その目が見据える先には、ほこほこ湯気を立ち上らせている温泉があった。その中に俺もいるんだけどそこは綺麗に除外しているらしい。視線を全く感じない。
 で、あんまり悲しくもないのが自分でもやや問題あると思う。
 ヒトデを持った少女は、ふふふと笑い声を上げそうな顔をした後、一気に駆け出した。
「風子……行きます!」
 どこへだ。
 サーフボードのようにヒトデを持ち、忍者のように岩間を疾走する。そこから導き出される結論は、
『悲劇! 温泉に飛び込み少女溺死!!』
『紅葉に潜む悪夢! 行楽気分が一転、取り返しの付かない事態を引き起こす!』
 てな感じだった。
 もう言い訳のしようがないくらい子どもである。
 俺もやろうとしたことあったけどな、ビート板の上に乗るとか。かじるとかはしなかったけど。
「とぅ――!」
 ここで忠告をしない俺も俺だが、話しかけるのが躊躇われるくらい元気いっぱいの風子を見てると、放っておいた方がこいつにとって良いんじゃないかとさえ思えてくる。てな訳で、俺はこの件に関して放任主義を貫き通すことにする。
 慣性のままに飛び込み――すかさず足の裏にヒトデを敷き――そして重力のままに着水する。
 風子のイメージでは、ハワイらへんのサーファーのノリで向こう岸にまで滑りきることが出来たのだろう。
「――――がぽぽっ!」
 ただ残念ながら、ヒトデの材質が木片であったこと、でもって風子の体重が見た目以上に重かったことが仇となり、なんだか訳のわからない体勢で温泉に浮かぶ溺死体と化していた。ヒトデもしゅぽーんと吹っ飛んでしまっている。行き場も無く遊泳しているヒトデを、俺は思わず確保していた。
 風子も、これは流石に……。鼻からお湯を飲んだか?
 ……あれ、なんか前にもこんなアクシデントというかプレイがあったような……。
 気のせいか。うん。
「――――ぷふぉあっ!」
 復活した。
 ちん、と鼻と耳から水を抜こうとするが、どうも鼻の抜け具合が悪いらしくかなり納得のいかない顔をしていた。
「……出てこないです」
 首を傾げている。完全に風子のひとり相撲だが、俺という観客に気付いてくれないのは少し寂しい気もする。
 と、無くしたヒトデを探している最中に俺と目が合った。
「よぅ」
「あ、温泉のヌシです」
「誰がやねん」
 つっこみの代わりにヒトデを投げてやる。
 手裏剣のごとく回転したヒトデは、苦い顔をしている風子の手前に落ちた。
「……失敗です。しかし、風子は苦い経験すら活かして成功を掴みます」
「いや、無理だろ」
 過去にビート板に乗れた人間は、誰一人として存在しない。
 だが、風子はその事実すら受け止めて、力強く頷いた。
 ……顔が引きつってるのは、足をつったからだと推測。心構えもなしに飛び込むからだ。
「だ……だだいじょうぶです。……ふふ、風子は、舌切りスズメでも小さいヒトデを選ぶ思慮深い女性ですから」
「その物語にヒトデは登場しないぞ」
「金の斧と銀の斧でも普通のヒトデを選択しますし」
「斧はどこ行った」
「金のヒトデ……」
「欲しいんかい」
 欲望まるだしだった。
 マニアの間では高く売れるんだろうなあ。いらないけど。
 そもそも、思慮深かったら公共の場で水上スキーかまそうとはしないだろうから、その時点で激しく間違っているのだが。
 とかなんとか、しょーもないやり取りをしているうちに足の痺れが収まったようで、風子は神妙に息を整える。
「――風子、次のミッションに移行します」
「あー、どうぞどうぞ」
「次こそはリベンジンします」
「『ん』が一個多いぞ」
「……間違えました。リベジンです」
「そっちじゃねえ」
 春原みたいな間違いを犯していた。いっそコンビでも組め。どっちもボケ属性だから成り立たんとは思うが。
 こんなふうに、どこか遠くに瞳の焦点を合わせている風子は見ていてかなり面白い。
 というか、どんなことにも真剣になれる性格は尊敬に値する。
 一緒にいるとかなり苦労するのも事実なのだが。
「――ごぽぽっ!」
 ……本当に。


 太陽は西へ傾き、まだ青い葉を一足早く染め抜いているようにも見える。
 その隙間から覗く夕焼けが目に痛かったけれど、今現在真下に目を向けるのは障りがあるので仕方がなかった。
 風子の小さな目蓋が開き、どんぐり眼に光が戻る。
「――――あ、性格の悪い青鬼が見えます」
「俺のことかい」
 ひとしきりチャレンジして、やっぱりリベンジが成功することは最後までなく、風子の場合はリベジンだからネーミングの時点で挫折していた訳だが、とにかくあくせく駆けずり回った挙句に本気で溺れかけていた。あんだけお湯を飲み込んでたいたのなら当然である。
 その風子もようやく復活し、現状の確認を急いでいるようだった。
 周りが硬い岩石だらけということで、特別に膝枕をしてやってるのは秘密である。
 通常のシチュエーションとは真逆だから、なんとなーく切ない気分になってるのはもっと秘密だ。
「喉は潤ったか?」
「……潤うわけないです」
 風子・おん・ざ・すたーふぃっしゅ(ミッション名)が頓挫したせいか、いささか不満げに答える。
「おまえなー、ぼーっとしてるのは前から知ってたが、口ん中にお湯が入っても相変わらずぼーっとしてるのには呆れを通り越して嘆きすら覚えるぞ」
 額をぐりぐり親指で刺激しながら、わずかばかりの怒りを込めて叱り付ける。
 当の風子はわかってんだかわかってないんだか、それとも溺れかけたショックから回復していないだけなのか、ともかく妄想ヒトデ天国の時とは違う感じでほーっとしていた。
「……岡崎さん。風子がヒトデに乗ろうとしたのには、隠された理由があります」
「ん? ああ、おまえが子どもっぽいのはある意味立証された訳だが」
「……昔の人は言いました」
 聞いちゃなかった。
 風子は構わずにうつろな瞳で続ける。
「まわるーまーわるーよじだいーはまわるー……」
 中島みゆきだった。
「……で?」
「地軸って、傾いてるっぽいですよ」
「知っとるわ」
「23.4度くらい」
「……それは知らなかったけど。どうしろと」
 それを聞いた俺のリアクションを教えてくれ。
「……間違えました。これじゃないです。……えーと」
 教えてくれなかった。
 風子は記憶の奥底から歌詞を引き出している模様。放置されながらしばらく待つ。
 ところで、膝枕に関してはスルーの方針ですか。
 一旦閉じた目を開き、風子は思い出したとばかりに唇を滑らせる。
「つーばめーよー、ちじょーのほしーはー、いまどーこーにー、あるーのだろー……」
 プロジェクトXだった。
「……だから?」
「どこにあるんですか?」
「知らねえよ」
 つばめに聞け。
 それより、どっちも中島みゆき作品であることに意味はないのか。
「風子が考えるに、その星はヒトデを指しているのだと思います」
「……は?」
「なぜなら、ヒトデは漢字で海の星と書きます。海もある意味では地上のひとつです。――ほら、ミッシング・リンクが繋がりました」
 ……それが言いたかっただけなんだな。
 難しい言葉を覚えるとすぐに使いたがる、それもまた子どもの習性。
「で、それがどうしてヒトデライダーになるんだ」
「木で出来ていても、ヒトデはヒトデなので水中にいるべきだと思ったんです」
「俺には子どもがビート板に乗るのと同じくらいの使命感にしか見えなかったんだが」
「……そんなわけないじゃないですか」
 尻すぼみに口答えしながら目を逸らす。どうも図星っぽい。
 遊びに本気を出すのも子どもである証拠だ。だけど、風子は元気に遊び回れるはずだった何年もの時間が空白で埋まっているのだから、別に恥じいる必要なんかない。俺だって、受け入れてやらない訳でもない。
 しかし、風子はそれを絶対に認めないだろう。
 子どもであることも、子どもでいられる言い訳が成り立つことも。
 こいつは空っぽだったはずの時間でさえも、自分のやりたいように生きてきたんだ。何故かは知らないが、そんな気がする。
 その時間も含めて自分だから、昔より今は、今より明日はきっと成長している。そう信じている。
 悲しいかな、現実はそうそう都合良くもなく、風子は自分が思ってるより無茶苦茶お子様な訳だが。
 ――なんてことはない。こいつは、呆れるくらい立派に生きてやがる。
 不意に吹き抜ける風が、温泉で火照った身体を隅々まで冷ましていく。湯冷めするとまずいし、そろそろ上がった方がいいかもしれない。
 だけど、もう少しこのままで居たいとも思った。
 風子の顔色が元に戻ってきたところで、風子が訴えかけるように俺を見上げる。
「時に、温泉のヌシさん」
「どうした。ヒトデライダー」
「その称号は正直魅力的ではありますが、それはともかく。
 なんとなく、頭がふわふわしてます。なぜでしょう」
「それはな。後頭部が痛くなったら可哀想だと思って、あまえの頭の下にやわらかいものを敷いてあるからだ」
「なるほど、ナマコですか」
「なんでやねん」
 素でつっこんでしまった。不覚。
 こいつはナマコを枕にして嬉しいのか。……嬉しいんだろうけども。
 というか、俺の太ももってナマコと同レベルですか。
「そうでないとしたら、そこはかとなく嫌な予感がしないでもないです」
「別に、嫌とか不快とか言われる筋合いはないけどな」
「最悪です」
 臨界値に達していた。
「いーから黙って俺の膝枕を味わってろ。まだ頭くらくらしてんだろうが」
「それは、岡崎さんから発せられる硫黄のせいです」
「腐った卵かよ」
 ひでえ言われようだった。もう慣れたが。
 ――結局、風子は俺の意見を素直に聞き入れてじっとしていた。視線は宙を泳いでいる。
 受け入れる人を無くした温泉には、ついぞ自分の居場所を見付けられなかったヒトデがぷかぷか浮かんでいた。
 もうすぐ日が落ち、そうすれば空に星が浮かぶ。水の底にヒトデはいないが、水の上にはヒトデがあるし、空にはたくさんの星が回る。
 ついでに言えば、膝の上には風子がいる。
 俺をさんざんヘンな奴だと罵っておいて、今はそれ以上にヘンな呆けた顔をさらしている風子。
 それ以上にヘンな俺らの関係。
 ――でも、まあ。
 こんなのも悪くないか。
「風子。おまえ、星は好きか」
「海の星なら」
「いや、親指立てられても困るが……」
「わかってます。岡崎さんは、海の星じゃなくて空の星でもいいんじゃね? と言いたいわけですね」
「まあ、間違ってはいないな」
「ですが、風子はあえて海の星であるヒトデを推します」
「いや、だからピースされても」
「温泉の星となって、この宿が五つ星と評価されることを期待します」
「……それがオチなのか?」
「岡崎さん……。ここは、五つじゃなくて一つだわさ! とつっこむのが正解です」
「どこの方言だそれ」
 しかも残念そうな顔をするな。おまえはツッコミの師匠か。
 ――と、吹き込む風も冷たさを増してきた。しばらく膝枕をし続けていたから、温泉で暖められた分の熱は冷めている。
「……寒いか?」
「いえ、案外そうでもないです」
 恥ずかしそうに目線を外して、独り言のように答える。
「……温かいですから。岡崎さんの、太もも」
 言われなくても、その声は確かに温かかった。
 そうか、と俺は風子の顔を見ずに呟く。
「そいつは良かった。まあ、実を言うと、俺もそんなに寒くないし」
「……どうしてですか?」
 俺たちは、お互いにわかりきっている答えを交換する。
 そうすることでしか繋がりを感じられない不器用な関係。
 だけど、それでいい。
 俺は、笑いを噛み殺しながら言った。
「おまえの体が、温かいからだよ」





−幕−







・第二期CLANNADSS祭り第2回、テーマ「お風呂」への投稿作品。
 温泉でもありじゃん、と思って書いたらこんなんなりました。やっぱりほのぼのオチ。
 ちょっと風子っぽく無かったかなあとも思います。



SS
Index

2004年10月19日 藤村流継承者

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