雨色吐息に温もりを





 学校の昇降口に二つの影がある。
 ひとつは多少目付きの悪い男子、ひとつはすこぶる背の低い女子。
 立っている少年はぼんやりと泣き出した空を眺め、しゃがみこんでいる少女はのんびりと校庭を流れるささやかな雨の川を観察している。
 楽しいか? と少年が訊くと、はい、と嬉しそうに少女は答えた。
 少年は、きつく締まった表情を少しだけ緩ませて、それならいいけど、と小さく笑った。




 夢中になって身体を動かしていると、時を忘れて遊び呆けてしまうことがある。
 朋也と風子もその類で、さあ帰ろうと鞄を担いだ直後に曇天の空から幕が降りて来た。
 夕立だから早くやむだろうと待ち続けてはや三十分、雨足は収まる気配すら見せない。時刻は放校時間を過ぎた七時になろうとしている。
 ふと、自分の馬鹿さ加減に嫌気が差す。いくらなんでも遊びに我を失いすぎだ、と。
 しかし、自分ひとりではこれほど真剣に走り回れなかったのは確かだ。
 重たかった朋也の足を動かしたのは、隣でしゃがみこんでいる少女に他ならない。
 かといって、疲れきった身体を思えば感謝する謂れもないのだが。

「……雨、やまないな」
「そうですね」

 お互いに話す内容も尽きて、交わす言葉は空模様の経過ぐらい。
 一定のテンポで落ちては跳ねる雨粒が、朋也たちをあざ笑うかのようにとめどなく天地を上下する。
 たったそれだけの反復なのに、それが何千何万と繰り返されれば積み重なるストレスは並大抵のものではない。
 もっとも、雨音のリズムを子守唄と思えるのならそれはそれで幸せだろう。
 風子もまた、単純な旋律にその身を委ねられる幸福な人間の一人だった。
 うつらうつらと、しゃがんだままで左右に振れる風子の肩に、呆れた顔をした朋也の手が置かれる。

「眠いのか?」
「……少しだけ」

 少しの沈黙の後、風子はこくんと頷いた。朋也は肩を竦めながらも、腰を落として風子に寄り添う。
 風子の頭を自分の胸に預け、しっかりと肩を抱く。
 照れくさそうに顔を背けるが、風子に逃げ場はない。自分から眠たいと告白した以上、この作り上げられたベッドから逃げることは出来ない。
 もし逃走経路があるとするなら、それは夢の世界に落ちることであり。

「おやすみ」

 気恥ずかしさと懐かしさに抱かれて、少女はひとときの夢を見ることにした。
 今ならそれが許される。あのときは出来なかった、誰かの胸で安らかに眠るという在り来たりな夢を叶えることが。
 今なら、それが出来る。




 ひとりで雨音を聞いている。
 風子はそれを子守唄に変えられたけれど、朋也にとってはただの雑音でしかない。
 抱き締めあうように眠り、支えあうように連なっているふたりを揶揄するように、雨粒はしつこくリズムを刻み続ける。
 いつになれば終わるんだろうかと頭を悩ませていた時間は、もうとっくに過ぎてしまった。
 今は、この腕で安らかに目を瞑っている少女に触れていたい。出来るだけ長く、この少女を支えてやりたい。そう思うようになった。
 静かに時が過ぎる。
 風子の寝息と朋也の呼吸、そこに雨音が重なり合って奇妙な和音を作り上げる。
 擦り切れたような音階は、その実とても穏やかに流れていく。
 それと同じように、身体全体で感じる風子の温もりが、徐々に朋也を犯していく。
 無邪気で、明朗快活な、誰に対しても臆するところがなく、まっすぐで。小さい身体全体で弾けている少女は、それでもやはり女性なのだ。
 柔らかく温かい肌はそれだけで凶器になる。

(……俺は何を、考えて)

 言い訳はすぐに消えた。
 認めなければならない。
 岡崎朋也が伊吹風子に抱いている感情が、どのような衝動であるかを。




 いつまでこの体勢でいるんだろうかと、そんな疑問を抱きながらもじっと待ち続ける。
 雨音と吐息の和音は、天候が回復していくに従って足並みが揃わなくなっていた。
 風子は相も変わらず眠り姫を気取っている。まさかキスするまで起きないんじゃないだろうな、なんて愚にもつかない妄想を振り払ってくれたのは、他ならぬ風子本人だった。

「……お、おはようございますっ」
「あぁ、おはよう」

 照れ隠しなのか、お互い目を合わせない。
 起きたのなら早く離れればいいものを、風子も朋也も自分からは離れようとしない。
 夏の暑さと肌の温もりが混ざって、ふたりの身体を制服の上まで変な汗がまとわりつく。

「……暑い、ですね」
「そう、だな」
「離れ、ませんか?」
「じゃあ、風子から」
「いえ、岡崎さんからどうぞ」
「俺はパス」
「風子もパス、です」
「続いて、パス」
「パスは一回までです」

 そんなルールは知らない、だから離れようとはしない。
 風子も抵抗せずに、肩を抱かれたまま、頭を預けたままで朋也の熱を感じている。
 笑い出したくなるくらいむずがゆい触れあいの中で、風子はたまらず吹き出してしまう。
 信じられない。
 夢から覚めても、ここは夢のように幸せなのだ。

「……なんか、おかしいか?」
「おかしいです。何がおかしいのか分からない岡崎さんが、いちばんおかしいです」
「そう、か。俺もそんな感じがしてたんだ」

 言って、朋也も笑った。
 その笑顔がなんだかおかしくてまた笑っているうちに、いつしか雨音は聞こえなくなっていた。
 今はただ、風子と朋也の笑い声だけが奏でられている。




 雨上がりの空の下、手を繋いで歩いているふたつの影がある。
 ひとりは目付きの悪い少年で、ひとりは背丈の高くない少女だった。
 繋いだ手は指の第二関節あたりまでで、手のひらを結び合うくらいには強くない。
 それがふたりの関係を反映しているようでもあったが、その指と指が離れる様子は全くなかった。
 繋いだ手と手は付かず離れず。お互いの心だけを固く結び合って、ゆらゆらゆらゆら揺れている。
 何も語らない帰り道、どこかで小さく雨粒の落ちる音が聞こえた。





−幕−







・放課後SSSシリーズ最終章(仮)、とどめは初のらぶ。
 書いてて背中がかゆくなったのはここだけの秘密。
 というかしばらく書かん。難しっ。



SS
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2004年11月24日 藤村流継承者

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