ミサンガドリーム





『国境の長いトンネルを抜けると、そこは赤道ギニアだった。』


 ……ナニモノだ、これは。
 ルーズリーフのてっぺんに記された謎の暗号を目の当たりにして、俺は思わず呻いた。
「見てわかりませんか。小説です」
「わかるか」
「風子が描く輝かしいストーリーの数々、要約すると風子文庫ということになります」
「一話どころか一行しかないぞ」
「それはこれから書くんですっ」
 キャラクターに命を吹き込みます、と意気込みながら学校の机に向かう。
 木彫りのヒトデでは枚数をはけない、岡崎さんも役に立たない、渚さんは身体が弱い、春原さんは……誰でしたっけ? という結論に至った風子は、美術ではなく文芸の方でヒトデのシンパを増やすという方針に転換した。正確には風子の姉である公子さんの結婚式への布石だが。
 まあ、彫刻刀振り回して流血沙汰になるよりは遥かに人道的な作戦かも知れんが、いかんせんパクリじゃな……。
「……『俺たちは泳ぎ始める。長い、長い赤道を。』――はいっ、もうこれで短編が完成してしまいました」
 差し出された小説のタイトルは、『世界の中心でヒトデを叫ぶ』。
 叫べねえよ。
 超ぱくりだし。
「……つーか、赤道好きなのか?」
「熱帯気候ではヒトデの生息率が高いんです」
 ふんぞり返るも小さき胸部が涙をそそる。
 自信満々に語っても、確証がないのが痛い。でもまあ適当に頷いておく。
「ふぅん。それじゃ、おまえもいつかは赤道ギニアに嫁いでいくんだな……」
 しみじみと呟いてみる。
 すると、風子は決まってこう言うのだ。
「はいっ!」
「否定しろよ」
 ちなみに、その短編とやらはB5の紙面一枚きり。
 新人賞、落選確実。
「――で、第二編はどうした」
 風子を見れば、やる気なさげに机に突っ伏しながら、どこからか取り出した彫刻刀で机に次々と突起を増えしてゆく。もしかすると、あれはヒトデの表現にあるぶつぶつを再現しているのか。そうなのか。
「この時間は休刊日なんです」
「新聞かよ」
 しかも休刊『日』って言っちゃったし。
「あ、でも4コマなら描けます」
「そりゃ、おまえにそこそこ絵の才能があるのはわかるが……って、話聞けよ」
「できましたっ」
 仕事が早い。
 小説と同じくルーズリーフに描かれた大胆かつ大雑把なストーリー構成。というか8コマくらいあるし。
 タイトルの欄には、『ヒトデ太郎』とある。
 ……嫌な予感がびんびんします。
「風子。これは俗に言う盗作だ」
「大丈夫ですっ。仲間になるキャラクターをウニとナマコとタツノオトシゴに変えてますから」
「一匹だけ種類が違うぞ」
「その辺りは気合でどうにか」
「ならねえよ」
 肩を落とす風子。タツノオトシゴの前に、パクリであることを問題視しろ。
 マンガにも飽きたのか、風子は文庫の二編目をちまちま書き始める。
 空き教室の中には鉛筆を走らせる音と、風子のやわい肌が紙と擦れ合う音、時折り窓の外から響いてくる陸上部の掛け声、それくらいしか響いていない。静かではあるが、何故か退屈はしなかった。
 その理由の根底に、黙々と鉛筆を走らせる風子の存在があるのかどうか。
 よくわからんが、楽しいならそれでいいだろう。
 ……うん。そう思え、俺。
「こんにちは……。あ、もう来てましたか」
 ドアを開けて入ってきたのは、古河渚。
 姉のためにヒトデの彫刻を配る風子を助けてやりたいと、健気にも手を挙げた心優しい女生徒。体は弱く、若干頭も弱い気配が漂う古河だが、だんご大家族を語る目付きは尋常ではない。
 って、全く褒めてないな。
「あっ、今日はヒトデじゃないんですか?」
「そうだ。ヒトデよりは小説の方が一般ウケしやすいという事実にようやっと辿り着いたらしい」
「残念ながら……」
 第二編を書きつつも口惜しげに言う。
 古河は、そんな熱心な風子を見て何か感じ入るものがあったのか、カバンの中からメモ帳を取り出す。
「ふぅちゃん、これはどうですかっ」
 真剣な目付きで風子に差し出すは、何やら細かく書き記された文章の列。
 暫定で演劇部の部長である古河渚、シナリオを書いた経験もあるだろう。これは期待できるか……?
 タイトルの欄には、
『だんご太郎』
 と、あった。
 ……風子と同レベル。
「むかしむかしあるところに、幸せいっぱいのだんごたちがいました。それはそれはたくさんのだんごたちで、おじいさんだんごは江戸時代から続く老舗のだんごです。おばあさんだんごは田舎の貧しい兄弟が丹精こめて練り上げたとされる幻の――」
 朗読するし。しかも風子とは比べ物にならないくらい真剣な眼差しで。目の焦点がどこに合っているのか分からないのが若干恐怖を誘う。
 朗読がいつまで続くのか、しばらく放置してみよう。こんなにはきはきと喋る古河も珍しいことだし。
「渚さんもなかなかやります……。風子も負けてはいられません……!」
 そんな古河のどこに感化されたのか全く持って不明瞭だが、とにもかくにも第二編を怒涛の勢いで書き綴る風子。その横にはだんご太郎を語り続ける古河の姿が。
 全くもって異様な光景だが、まあ平和であると言えなくもない。
 多分ね。
「できましたっ!」
 ずばっ、と最後の一字を記し終え、天高く鉛筆を掲げる。
 もう小説の中身なんてどうでも良くなっていたが、風子の気が済むまで付き合ってやろう。暇だし。
 相変わらず、タイトルからは盗作の匂いがぷんぷん漂ってくる。
「『我輩はヒトデである』……か」
 著作権切れてるから、大丈夫か……な?
 横で風子が今か今かと感想を待ち構えているので、とりあえずさっさと読んでしまうことにする。今度は第一編と違ってルーズリーフ五枚ほどの分量だ。風子なりに、手の腹の部分を黒くして頑張ったと見える。

 物語は、一匹の名も無いヒトデの独白から始まる。
 幼いヒトデは、手も足もない状態から寿司屋の長男坊に育てられた。
 水槽の視点で人間とその社会の滑稽さを面白おかしく、時に辛辣に描き出す。
 そして、ヒトデの生は寿司屋の長男坊の手によって幕を閉じることとなる。
 それもまた運命、拾われたのが寿司屋でなければ生きていられたが、寿司屋でなければ拾って育てようとすら思うまい。ヒトデはこの瞬間まで生きられた喜びを噛み締めながら、珍味として海水と同じ塩分濃度の水で茹でられ、捌かれ、身篭った卵ごと食われてしまうのだった――。

 おしまい。
 ……と、よくもまあ紙切れ五枚にこれだけ濃いストーリーを織り込んだもんだ、なんてちょっと感心してしまう。
「どうでしたか。あまりの感動に言葉も出ないですかっ」
「いや、あっさり出るけど……。これ、一般ウケはしそうにないぞ。ヒトデだし」
「そんな、ヒトデだからと言って差別するんですかっ! プチ最悪ですっ!」
「というか、パクリだしな……」
「失礼です、おまーじゅと呼んでくださいっ!」
「似たようなもんだ。……それじゃ、古河にも読ませてみようか。あんまり客観的な意見は得られそうにないけど」
「わかりました。第三者の決断にゆだねます」
「……だ、そうだ」
 古河に視線を送る、と。
「――そのとき、東方三キロメーターの位置から無数のごまつぶがっ! まさに無差別攻撃です、先陣を切っていただんごは次々にごまだんごとなり、さらにおいしくなってみんなに幸せを運びました――」
 大長編になっていた。内容は意味不明だが。
 しかしながら、だんごひとつでこれだけ恍惚とした表情を浮かべられるとは……なんかに呪われていると考えた方が自然である。たぶんオッサンがなんかやらかしたに違いない。
 ……うーん、ありえるだけにかなり嫌だ。
「おーい、古河ー」
「――あ、あれはあんこっ! 今年一番早く出来上がった小豆から作られたつぶあんですっ!」
「渚さーん」
「――きなこって喉につっかえますよね、とだんご太郎は静かにほほえみました……」
「あっ、あんなところに生き別れのだんご八郎太が!」
「えぇっ!」
 がばっ、と俺が指差した方向に寸分の狂いもなく焦点を固定する古河渚。
 やっと振り向いてくれた。ここまで来ると、だんご大家族が本当に実在するんじゃないかと不安になる。
 呼びかける俺と風子に気付き、指差す方向にだんごがいないことを知った古河は、急に表情を曇らせた。
「……あぁ、またやってしまいました……」
「そんなに落ち込むな。風子のヒトデ狂いに比べれば大したことない」
「風子、狂ってないです」
「あぁそうかい」
「ただ、ヒトデを愛しているだけです」
 それもどうだろう。
「とりあえず、古河もこのパクリっ気まんまんの小説を読んでくれ。で、忌憚ない評価を風子に下してくれれば、今日のところは解放してくれるらしい」
「なんだか風子が極悪人みたいです」
「ふぅちゃん……誰にでも間違いはありますっ、次から頑張りましょう」
「しかも同情されましたっ!」
 くぁ、と頭を抱える風子。その背中を優しく撫でる古河、ていうか小説読め。
「……それでは」
 ごくり、と息を飲み込んで、ゆっくりと文章を追っていく。
 その間に、風子は早くも第三編の執筆に取り掛かっている。仕事だけは早いが、今回もタイトルが『ウミウシのなく頃に』であることから、過度の期待は避けた方が懸命である。
「……ずび……」
「ん……?」
 どこからか、鼻をすする音が聞こえてくる。空き教室にいるのは俺と風子、古河の三人だけであり、俺は何ともなく風子はたまに『た……たをぬく?』とか荒唐無稽なことを呟いているので、残るは風子のエセ小説を読んでいるはずの古河渚のみ。
 俺は、若干の恐れを抱きながら古河を見た。
「ぅぅぅ……びどでざん、がわいぞうでず……」
 泣いていた。涙ぐんでいた。泣きじゃくっていた。
 しまいには、机がティッシュに埋もれていた。
 どこから取り出したのか、全くの謎である。
「ふ、古河っ!? どうした、紙片に毒でも織り込んであったのか!?」
「プチ最悪ですっ! 風子、そんな卑怯な手は使いませんっ!」
 それじゃあ正々堂々と闇討ちするのか。
 ――って、それどころじゃないか。
「いえ……ちょっと、感動して……ひ、ひとで……」
「まずいな、病状が悪化している……。このままでは、だんご依存症とヒトデ網膜下出血が併発して狭心症になるぞ!」
「そ、それは大変ですっ! 心筋こーそくがエキスプレスですっ!」
「ぐずぅ……さ、三枚に下ろされるなんて……」
 誰もつっこんでくれない。つっこみのない世界とはかくも恐ろしいものか。
 もしやこの天然ボケ包囲網の中にあって、正気のまま立っていられる俺こそが一番の人格者なのではなかろうか。あるいは、こいつらが間違っているじゃなくて、俺の方が間違っているということなのか。
 ……まあ、そのへんはどっちでもいいか。
 考えれば考えるだけ損するし。
「で、第三編は終わったのか?」
「あ、はい。特に、たぬきを描いて『た』を抜くと読ませるところが大変でした」
「それ暗号だろ」
 風子からテキストを奪い取り、今度は倍額の十枚にランクアップした小説をざっと流し読む。長いからと言って、魅力的な内容になっているとは限らない。かえって冗長さを読者に与えてしまい、飽きさせる要因にもなる。そこのところは注意だ。
 なんだかんだ言っても、内容が全てを凌駕する訳だが、さて……。
 俺はページをめくる。

 誰か、このウミウシの鳴き声をとめてくれ……。
 って、ウミウシは鳴かないじゃん……。
 海だから、声も聞こえないしね……。

 俺はページを戻した。
 風子が緊張した面持ちで俺を下から見上げている。そのくりくりした瞳を見ていると、たまにどうしようもなく目を突きたくなる衝動に駆られるが、そこはなんとか自制。
「ど、どうですか?」
 俺は黙って手を挙げる。
 なんとなく、風子もつられて手を挙げた。
 古河は引き続き泣いていた。
 そして、引き寄せられように俺と風子の手のひらが重なり――。
「おまえに……スターフィッシュ」
 ぱん、と俺らは強くハイタッチした。
「って意味わかりませんっ!」
 咆えた。風子がつっこむのはこれが初かもしれない。
「気にするな。まあそれなりに面白かったから、よくやったという意味で」
「ほ……ほんとですか?」
「俺が嘘をついたことが過去に一度でもあったか?」
「三万回ぐらいありました」
「……じゃあ嘘だ」
「あ、あっ、やっぱり本当でいいです! 風子は岡崎さんをプチ信用しますっ!」
 慌てて訂正するも、あんまりフォローになってないのが愛らしい。
「……なんだかんだで、一時間の間で三編も書けるのは凄いしな」
 内容はともかく、という言葉は躊躇われた。
「参りました……。もしかして、風子は最年少で芥川賞を受賞してしまうかも知れません」
「それはない」
「では、女性初の藤原不比等賞を」
「誰だそれ」
 しかも男で獲得した奴いるのか。
 風子は、そんなことも知らないんですか、日本人の恥です、とでも言いたげな目で答えを告げる。
「藤原かたまりの子どもです」
「かまたりな」
 ベタな間違いするな。
「とにかく、それを製本して配るんだろ。コピーはコンビニでもいいとして……」
「…………」
「……なんだよ、急に押し黙って」
「決めました」
 何を、と問うよりも早く答えが返される。その時に見えた風子の瞳は、力強く明日を見据えていた。
 その瞳孔がなんとなく星のかたちに見えたのは、まあ気のせいということにしておこう。
「風子、投稿します」
「もう学校に来てるじゃねえか」
「ヘンなこと言わないでください」
 ボケ失敗。
 風子はボケるだけボケておいて、他人のことになんてつっこんでもくれない。天然ボケは楽でいいなあ。
 ちなみに古河は第二編を読み終えていたが、俺が投げ出した『ウミウシのなく頃に』を読み始めて早くも号泣していた。……あれ、あんまり泣くところ無いんだけどな。
「ヒトデ作家、伊吹風子を目指します」
「どっちかというと彫刻家っぽいぞ」
「現代の光と闇、そしてヒトデの深みに迫ってみます」
「深くねえ……」
「ぅぅぅ……うみうじざん……」
 呻き声と嗚咽が交錯し、木を削る音は鉛筆を走らせる音に変わる。まあ、鉛筆を削る時に彫刻刀は使うのだが。
 こんな風に、それぞれがそれぞれの人生サイクルを紡いでいく。
 とりあえず、風子は風子なりに目標を見付けたということで、一応は万々歳なんじゃなかろうか。
 ――うん。そう思うことにしよう。
「まず手始めに、この学校の新聞部を制圧して風子新聞を新たに発行します」
「やめろ」
「ひいては全国区にヒトデの威光を知らしめ、おねぇちゃんの結婚式にもこぞって参加してもらうのです」
「スケールがでっかいんだが小さいんだがよく分からんな」
「ぅぅぅ……タツノオトシゴさん……」
 俺の周りを取り囲む世界は、概ね平和であった。
 ……多分な。





−幕−







・ヒトデ祭り投稿作品の改訂版です。未改訂版ではキーワードを10個全て使ったのですが、こちらでは話の流れを優先したのでキーワードを幾つか削除しています。無理やり感が強かったですからねー。
 フルワード版は、お手数ですがトップからヒトデ祭りに飛んでください。
 ちなみに、タイトルの「ミサンガドリーム」とは「叶うんだか叶わないんだか微妙な望み」という意味です。



SS
Index

2004年11月24日 藤村流継承者

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