らぶりぃ〜すたーふぃっしゅ





 風子を海に誘ったのは、ふたりは恋人同士だからというごくごく単純な理由からだった。確かに風子のスタイルは世論の声を聞くまでもなく子どもっぽい感じに仕上がってはいるのだが、それはそれ、どんな水着であれどんな体型であれ、水着を身にまとった風子はこの上なく可愛いと断言することが出来るこの俺はどこかおかしいのだろうか。
 それはともかく。
 きめ細やかな砂浜から少し端に逸れ、むき出しの岩肌も多い秘密地帯。なんとなく恋人同士が春原風にいうとウヒャヒャヒャなことを仕出かしそうな場所ではある。
 が。
「風子ー」
 その丸まった背中に呼びかけてみる。ビキニなどという無謀な試みはやめて、無難にワンピースを選ぶあたり風子も自分をよく知っているようだ。可愛いやつめ。
「風子〜」
 語尾を揺らしてみるが反応はない。寄せては返す波の中に、風子は十分以上浸り続けている。もしかして日射病で動けなくなってるのかとも思ったが、恍惚とした表情を見る限りそこに苦痛や絶望を汲み取ることは出来ない。
「風子……ちゃん?」
「…………」
 効果ゼロ。視線すら外さない。
 それほどまでに、恋人である俺よりも更に優先すべき事項とは一体何なのか。その答えはなんつーか簡単に出るのでヤル気が失せる。
「ヒトデ……、そんなに好きか」
 逸らすことなく見詰める視線の先には、赤々とうねうねとわさわさと、とにかく触手やら突起やらを盛んにハッスルさせているヤマトナンカイヒトデ一匹。これがオニヒトデやらヤツデツナヒトデとかだと見た目にもかなりグロテスクである。手にしたって五本どころじゃないし。
 つーかいつの間にかヒトデに詳しくなっている俺なのだった。ヒトデって日本のどこにでもいる訳じゃないのに、よくもまあこの場所をうまいこと引き当てたもんだ。
 だが風子には悪いが、どうしてこんな奴らに惹かれるのか理解できない。貝殻とか海藻とか、せめてクラゲあたりに留めてほしかった。その方がもっと可愛げがあると言えなくもないのに。
 いや、ここはナマコやウツボじゃなくて良かったと安堵するところなのか。そうなのか春原。いや別におまえが何の助けにもならないことは重々承知の上なんだが。
 とにかく、やることもないので啖呵を切ってみる。
「この……ヒトデなしがっ!」
「――――」
 リアクションなし。岩間を吹き抜ける風が冷たい。
 人が少ないながらも海水浴客の視界から完全に外れている訳でもないので、なかなかに人々の視線が辛い。数分前まではかろうじてカップルと認定されていたものの、今となっては親子同士のヒソヒソ話が耳に痛い。
 風子が何か返事をしてくれればともかく、このままでは春原のごとく悲しきナンパ師と化してしまう。それだけならまだしも、この背中の丸まり具合からして小学生に見えてもなんら違和感がない風子を、可愛さのあまりに拐そうとする変態野郎というレッテルを貼られ、挙句はライフセイバーの方々に沖へ沈められてしまうかもしれない。
 ……ああ、無視されるのってこんなに辛いことだったんだね。すまん春原。おまえの気持ちがようやくわかった。
 潮風が乾ききった肌を撫でては寒気を誘う。いいかげん、こんな位置関係のまま離岸流にさらわれたくない。そもそも海に来た意味がない。つーか風子+海=ヒトデ風子という等式を事前に描けなかった俺の敗北とも言えるのだが、そこはあれだ、彼氏の面子が許さないわけだ。
 いくらヒトデ>俺>ウミウシという構図が確立されているにしても、こんな陸地に上がれば息のひとつも出来ない軟弱者に負けるのは人として問題あると思う。
「ほれ、そろそろ行く――」
「っっっ!?」
 がばっと振り返る風子。
 その凄まじく無駄な動きに感嘆しながらも、決して後ずさりはしない。ここで逃げたらライフセイバーに取り押さえられる。
 風子は、拳をわなわなと震わせて叫んだ。
「――風子、ヒトデなしですかっ!?」
 今更だった。
「……あー、そうなんじゃね」
「驚きました……。ヒトデ、ヒトデに溺れるとはよく言ったものです」
 初耳だった。
「まあ、勝手に脂汗を流して動揺してるのは別にいいんだが、そのヒトデをいいかげん解放してやれ。ヒトデも迷惑だぞ。多分」
「束縛してるわけじゃないです。双方合意の上です。和姦です」
 やっちゃってるらしかった。
 まさに種を超越した愛――って、アホか。
「……おまえ、意味わかってんのか?」
「知ってます。馬鹿にしないでください。――えっと、既成事実ってことですよね」
「全く違うからな」
 とりあえずその言葉を教えた奴にはお仕置きだ。純真無垢すぎて逆に面白すぎる風子を半端にヨゴレ芸人化させようなど、世界が許してもこの俺が許さん。
 春原なら寝起きの恥ずかしい写真を芽衣ちゃんに郵送、古河ならおまえにレインボー、杏なら…………えーと、うん、辞書に載ってる卑猥な言葉に傍線でも引いとこう。罰ゲームにレートの差があるとか気のせい。
「おまえな。ヒトデが好きなのはわかるが、俺とこうして海に来ている以上はだな、もうちょっとそれっぽくすべきだと思うぞ」
「それっぽく、ですか?」
「そうだ。それっぽい感じだ」
 すると風子は、何か重大なことに気付いたように二、三歩後退する。
「……岡崎さんは、風子をヒトデから奪おうと……?」
「してねえ」
「いけません岡崎さんっ! ヒトとヒトデには越えられない壁があるのですっ!」
「そうだな。一文字多いしな」
 しかもおまえに言われたくない。
「それだけじゃありませんっ! 今となっては、風子とヒトデとは切っても切れないほど深い関係が――――って、ああっ! 駄目ですっ、岡崎さんはヒトデ祭りの主催者じゃありません……っ!」
 あああ、と手を伸ばす。
 なんとなくその方向に目を向けてみると、揺れる波間にヒトデが泳いでいる。さっきまで風子の足元をふよふよ漂っていたヒトデは、何を思ってか俺の方に近付いていた。
 本当に惚れられているんだろうか、俺。
 つーか、略奪愛なのか。
「……なんかさ、触手を伸ばされてるんだけど」
「それは、岡崎さんを食べちゃいたいくらい愛しい、という意思表示だと思います」
 とても残念そうに言う。
 食べられたかったのかおまえは。
「まあ、ヒトデに食われるのはせいぜいサンゴくらいだと思うが……」
 ていっ、と足にまとわりつくヒトデを蹴り上げる。水しぶきと共に舞い上がったヒトデが、風子の足元に落下した。
 ちゃぽん、という澄んだ音の後に、風子の震える声が響きわたる。
「はうっ! 岡崎さん、信じられませんっ! ヒトデなしですっ!」
 結局はそこに行き着くらしい。
「けどな。弱肉強食というか、ジャッカルだって黙ってチーターに食われてる訳じゃないし」
「水前寺清子は関係ないですっ!」
「確かに関係ないな」
 つっこみどころは他にもあったが、かなり面倒くさかった。
「まあ、俺としても面白くないんだぞ。自分の彼女がどこの馬の骨とも知れないヒトデに取られてる訳だからな」
「馬じゃないです。ヒトデです」
「そこはスルーしろよ。俺がアホみたいだろ」
「違うんですか?」
 違う! と息巻いて否定できない自分が悲しかった。
「とにかく、ちょっとは恋人らしいことでもしようゼ、というのが彼氏の心情なんだが」
 一応、彼氏の威厳を見せて堂々と言い放つ。
 風子は足元に落ちたヒトデを拾って、口惜しそうにそれを差し出した。
 ……見事に話が繋がっていない。
「おーい。風子ー」
「ここにいます」
「そうじゃなくて。俺はこのヒトデをどうすればいいのだろう」
「触ってもいいです」
「断る」
「あまつさえ、吸い付くのも可です」
「言っとくが、ヒトデの裏側ってとんでもないことになってるからな」
 そのへんの描写はさすがにエグすぎるので勘弁してください。
 風子も、よくそんなのを大事そうに掴んでられるよな……。それだけは素直に感心する。
「大体、なんでそんなことせにゃならんのだ」
「風子の彼氏だからです」
「…………ん?」
「一応、岡崎さんは風子の彼氏にあたる人なので、風子の楽しみや幸せを分けてあげます。そーいう訳なので、ヒトデの口に指を突っ込んでもいいです」
「嫌だよ。つーかヒトデの幸せは完全に無視かい」
 でも、まあ。風子が嬉しそうにしてるのは理解できる。
 理解できるだけで、積極的にその域に達したい訳でもないが。
「……わかったよ。触ってやる。触ればいいんだろ」
「はいっ。存分に堪能してください」
 ヒトデ道は奥が深いらしい。ヒトデってどう堪能すればいいんだろうか。謎である。
 仕方ないので、俺はおそるおそるヒトデに手を差し述べて――。
「……っ」
 ほんの少しだけむず痒い、風子の幸せとやらを堪能した。


「気持ちいいですか?」
「気持ちよくないよ」
「ぷち最悪ですっ」
「こっちはもっと最悪だけどな。つーか俺、本格的に咀嚼されてるんだけどさ」
「…………(ぽわー)」
「嬉しいのかよ」





−幕−







・第二期CLANNADSS祭り第1回、テーマ「愛」での投稿作品。
 完成された初のクラナドSSにして投稿作、なおかつ三票も頂いて本気で嬉しかったです。
 「いい風子」との感想を多く頂きまして、俺は風子で行くと開き直った作でもあります。



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2004年9月29日 藤村流継承者

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