時は七月、夏休み前でありながら就職やら進学やらでむっさ忙しげな人々を尻目に、俺は相変わらずのんべりだらりとやっていてそれでいいのか日本人いやむしろ俺、みたいな戯言を考えながら生きてはいるのだが、春原も似たようなもんだし別にいいかなあなどと現実逃避に陥りつつも、実は幼なじみであることが判明した不思議天才美少女一ノ瀬ことみのこともあるし、これはいっちょ頑張らねばなるまいと一念発起しようかどうしようか思い悩んでいる今日この頃。
 つまり、何が言いたいのかというと。
 俺、芸人になるみたいです。





藤林杏の芸人試験





「――さて」
 彼女は腰に手を当ててそう言った。
 放課後の部室に集まった俺たち――ことみ、渚、杏とその妹の椋、そして俺――は、何故か知らないが杏の命令で横一列に座らされている。杏は前に仁王立ちし、ガラクタの中から取り出したであろう立派なハリセンを持っていた。
「あのさ、杏」
「発言する場合は挙手してね」
 一応は委員長の因子を持つ杏なので、場を仕切る能力には長けている。俺は渋々手を上げた。
「はい、朋也」
「お前はこれから一体何を仕出かそうとしてるんだ? こーいう突拍子もないことは春原の専売特許だろうが」
「お姉ちゃん、私もよくわからないんだけど……」
「すみません……。わたしもよくわかってないです」
「???」
 そうなのだ。何の説明もないままこうして並べられても、俺らとしては首を傾げるしかない。
 が、杏は困惑する俺らを見てふふふっと不気味に微笑む。
「試験よ」
「何が」
「今年の年末には何があると思う?」
「質問に答えようとする意思くらいは見せろ」
「今年の年末は〜?」
 聞いちゃなかった。
「はい」
 しゅたっと手を挙げることみ。案外律儀である。
「はい。ことみ」
「大晦日なの」
「……惜しいわね。それもあるけど、もうちょっと血湧き肉躍る祭りが開催されるのよ。しかも、あたしたちに相応しいイベントがね」
「……猪木ボンバイエ?」
「違うわよ」
 即答した。
 さすがはことみ、天然四天王南方の一を継承しているだけのことはある。まあ、ことみじゃなくても杏が年末のリングに上がっていたところで、首を傾げる輩なんぞは万に一人もいないのだが。
「違うのか?」
「どこをどう考えれば、あたしが赤いタオルを巻いてドロップキックする映像が浮かんでくるのよ」
 簡単に浮かぶが。
 敵は春原、タッグを組んでいるのは美佐枝さん。……うむ、実に理想的だ。
「あ、わかりました」
 古河が控えめに挙手する。そういや古河の誕生日は12月24日らしいから、自分の誕生日だなんてことをのたまうかもしれない。伊達に天然四天王東方の一を名乗ってないしな。
「はい部長。ちゃんとしたのをお願いね」
「一年の締めくくりには、忠臣蔵があります」
 渋いチョイスだ。
「……あー、確かにあるけどね。忠臣蔵。毎年毎年懲りもせずに。そんなに恨めしいのかしら」
「そういう問題じゃないと思うぞ」
「いつも楽しみに見てます、階段落ち」
「……それ、違う番組じゃないか?」
「新撰組なの」
 話がぐちゃぐちゃになっていた。会話の発端である杏からして質問の意図が読めないのだから、仕方のない話ではあるが。
「あーもう、わからないかしらねー」
「だから、K−1だろ」
「断定するんじゃないわよ。惜しいけど」
「……F−1?」
「無理やり遠ざけるんじゃないの」
「つーか、本当にM−1なのか? そりゃあ1000万に目が眩むのもわかるけどな、杏ならK−1行った方が確率高いって」
「朋也。今度それ言ったら紀伊半島の沖に沈めてヒトデと無性生殖させるわよ」
「はい」
 それは嫌なので俺は即座に頷いた。
「あのー」
「部長、何か質問?」
「はい。あのですね、M−1って何でしょうか……?」
「あ、私も……」
 根本的なことを理解してないのが二人も。一応ことみの方を確認してみるが、吉本の笑いを網羅する一ノ瀬亭ことみのこと、M−1は元より上方演芸大賞の存在さえも周知の事実だろう。
「あ、そうなんだ……。ことみは?」
 こくりと頷く。
「2001年に開催された吉本興業主催の漫才グランプリの別称で、第二回大会では吉本主催なのに松竹芸能所属であるますだおかだが優勝をさらって話題になり――」
「そのくらいでいいわ。ありがと」
「――素人も参加できるけど、三次予選までにふるいに掛けられる可能性は非常に高いの」
「そ。つまり、あたしが言いたいのはそういうことなのよ」
 したり顔で杏が言い放つ。言いたいことが理解できるだけに納得しがたい。
 が、杏は無闇やたらにノリノリだった。
「本日はね、みんなそれぞれ漫才の相方を探してもらいたいのよ」
「あー、やっぱり参加するんだ……」
「別にいいじゃない。高校時代の思い出に1000万」
 獲る気満々だった。どこからそんな自信が湧いてくるというのか、この藤林は。
「1000万獲ったらさ、どっかのホールでも借りてことみの独演会を開けばいいのよ。卒業パーティーとかで」
「都合の良いプランを立ててるとこ悪いが、ことみのバイオリンはアレだぞ。最終兵器だぞ」
 あるいは自爆テロみたいな。ことみが首を傾げているのは、自分では素敵な音色としか知覚できないためである。初期の頃よりはいくらか慣れてきたとはいえ、演奏会を開けるようなレベルには到底及ばない。だからこその1000万でコンサートホール貸切大作戦なのだろうが。
 ぽむ、と杏の肩に手を置く。
「それを知ってなお、ことみの演奏会を開こうとするおまえの心意気に免じて、漫才の相方を探すのはやめようじゃないか」
「なんか文脈と文法が滅茶苦茶だけど」
「いいんだ。面倒くさいから。つーかたぶん春原になるし、相方」
「それが本音なのね。まあ、理解できないでもないけど……」
 哀れみに満ちた目で俺を見る。死地に赴く戦友を目に焼き付けようとする眼差し、はっきり言って嬉しくない。
「諦めなさい。そして天下を取るのよ」
「いや、取らないから」
「……取らないの?」
「期待されても」
「夫婦漫才……」
 とても残念そうに俯くことみ。
 この時点で、藤林と古河が同情心むきだしの目で俺を眺めている。
 しかし、こっちにも引けない理由がある。
「芸の道は厳しいんだ。そこを理解してくれ」
「うん……。朋也くんが売れない芸人になっても、ことみが一所懸命アルバイトするから心配いらないの。いつかきっと、憧れの東京ドームで一緒に漫才をするために」
「デカ過ぎだ」
 せめて武道館にしてくれ。
「ふふ、なんだかんだ言って朋也もヤル気なんだから」
「いや、違うからさ」
「なんでやねん」
「それも微妙に違うし」
「岡崎さん、みなさんと一緒に東京ドームをいっぱいにしましょうっ」
「そうですよ。きっと楽しい……と、思います」
 何故か、揃いも揃って芸人志望になっていた。
 ……みなさん、他に夢とかないんですか?


 こうなったら最後、杏が飽きるまではこの話が終わらない。なので、俺は最大最高最悪の親友・春原陽平を召還することにした。
『……あー、3年の春原陽平くん。更衣室に履き忘れたブリーフが落ちているので、至急旧校舎まで来てください。つーか来い』
 3年の強権発動で、放送室を一時的に借用する。
 すると、俺が旧校舎の空き教室に戻ってくると同時に、真っ赤な顔をしながら青ざめている器用な変人が滑り込んできた。
 ……すのはらLv.1があらわれた!
「よわっ」
「何がだよ! ていうか、あの放送やっぱりおまえかよ! 信じられねえ!」
「だよな。昼間からずっとノーパンだったなんて」
「履いてるよ! しかもブリーフじゃないし! でもって今日プールなかったじゃん!」
「だっておまえ、三途の川を泳いでたし」
「泳いでねえよ!」
 めん玉ひん剥いて怒涛のつっこみを見せる春原。
 その様子を、少し開いた空き教室の扉から物珍しげに観察しているのはことみだけ。他の人々は春原の奇行を目の当たりにしたことがあるので、必要以上に関わりたくはないらしい。賢明な判断である。
「まったく……。用があるなら僕の部屋で話せばいいのに、なんでこんなとこに呼び出したんだよ?」
「実はな、折り入っておまえに頼みたいことがある。それはおまえでなければ解決することの出来ないボンバヘッな事件なんだ」
「……な、なんだって……?」
 我ながらどんな事件なんだか訳がわからなかったが、春原は俺を遥かに超越する理解力で勝手に納得してしまったようだ。
「それは、アレだよね。ヒップホップ界に対するニューウェーブがマネーロンダリングしてる感じで」
「まさにその通りだ」
「そいつは凄いな……」
 おまえの頭の方がもっと凄いが。
「とにかく、話はこの教室でするから。まあ、気軽に入ってくれ」
「なるほどね……。まさか、僕が地球を救うことになるなんて……ははっ」
 可哀想な勘違いをして笑っている春原はさておき、先に教室に入る。ことみにあらぬ被害が及ぶとまずいし、杏の仕事の邪魔をするのはもっとまずい。
 ここでいう仕事とは、言うまでもなく試験のことである。
 ――あらかじめ開けておいた扉の向こう側に、春原陽平のにやけた顔が覗く。
 その目が教室の中を捉えた直後、奴の両目が極限まで見開かれた。瞳孔まで萎縮してるから非常に不気味である。
「……は?」
 その目に映っているのは、腕組みをして佇んでいる藤林杏。腰元に携えている純白のハリセンを、春原はどう解釈したのだろうか。まさか、見た目そのまんまにコンビを組みましょうなどと言われるとは夢にも思わないだろうし。
 ちなみに俺らは、教室の隅に片付けておいた机やら椅子やらの上に座って、ふたりの様子を傍観している。春原がこっちに気付いていようがいまいが、圧倒的ともいえる存在感を見せ付けている杏から容易に目を離すことはできまい。
「きょ、杏?」
「ようこそ、春原陽平。あたしがこれからあんたを試験させてもらう、藤林杏よ」
「知ってるけど」
「ふふ、陽平には似合わないくらい余裕ね」
「いや、意味わかんないからさ」
 普段とはあまりに違いすぎる杏の態度に戸惑いながら、初歩的なつっこみは怠らない春原。だが、ここまではあくまで準備体操に過ぎない。
「あんたには幾つかの質問に答えてもらうわ。その回答如何によっては……、わかるわよね?」
「全然わかんないけど…………あ、いや、やっぱりわかります」
 すぐに前言を撤回する。意気地なし、と蔑むことなかれ。こいつにとっては杏に逆らうこと自体、寿命を削るようなものなのだ。
 杏は腰のハリセンを取り出して、手元で開く。おそらくはそこに質問事項が書き込まれているんだろう。全く無駄のない女である。
「それじゃ、第1問」
「はいはい……」
 かなり脱力気味に応対する春原だが、試験の内容は身も凍るほど過酷な難問の数々だ。あまりのおぞましさに、戦慄すること間違いなし。なにせ俺も試験問題を考えたから。
 ゆっくりと、もったいぶるように杏の唇が動く。
「高校生、春原陽平の妹は――妖怪である」
「人間だよっ!」
「だったら春原陽平の方が妖怪でいいわよ」
「良くないよ! ていうかもう質問じゃなくなってるし!」
「はいはい、第2問ね」
「流されたっ!?」
 つっこみに回った途端、ヘタレの汚名を返上して八面六臂の活躍を見せる春原陽平。まさに秘めされた才能であろう。
「……なんか必死なの」
「まあ、あいつは常に命の灯火をフル活用して生きてるからなあ」
 その八割が俺のせい、とかいう生々しい意見は却下する。
「春原さん、輝いてますっ」
「……まさか、あれが春原くん……?」
 凄いぞ春原、期間限定で大人気。今が人生のピークだな。
 だが、いくら疲れた顔をしていてもその必死さが報われることはなく、杏の理不尽な試験は続くのであった。
「第2問。春原陽平はホモである。……そうなの?」
「違うよ!」
「へえ、あんたホモサピエンスじゃないんだ。やっぱり妖怪?」
「し、しまったぁぁぁぁ!? 誘導尋問かぁぁぁぁ!」
「面倒くさいから男色の未確認生物ってことでいいわよね」
「メモするな! 封筒にも入れるな! そして伝書鳩で郵送するなぁぁぁぁ……!」
 後半は泣きが入っていた。
 封筒の宛先はきっと春原の実家だろう。是非とも届けてほしい。
「さくさく行くわよー。第3問。
 今年の生徒会選挙に当選して、生徒会長の座に着いたのは次のうち誰?」
「……へっ、ようやく普通の問題かよ。そんなの簡単じゃないか……」
「言っとくけど、この問題は4択だからね。
 1、一ノ瀬ことみ
 2、つのだじろう
 3、桂三枝
 4、その他
 4番を選んだ場合は、相応しいと思う名前を自由に挙げて」
「僕を……甘く見るなよっ! 正解は4番! 生徒会長の名前は……坂上智代だっ!!」
 腕を大仰に振り回し、答えを人差し指と共に杏へと叩きつける。
 が――。宣告はあまりに無情だった。
 つーか、これ芸人試験だからさ。面白くない答えを出されても困る。
「ぶー。不正解ー」
「なにぃっ!」
「正解は、4番のペ・ヨン・ジュンでしたー。ざんねーん」
 杏もなんだかキャラが変わってきてるし。
「違うじゃん! 2年の坂上智代で合ってるでしょっ!? バストが86センチもある!」
 何故おまえがそれを知っている。
「おまえとは雲泥の差がある豊満なグランドキャニオンを君は見たかあぶしっ!!」
 情けなさ過ぎる遺言を残して、春原は真昼の星になった。
 と思ったが、かろうじて開け放たれた窓の縁にしがみ付いていた。
 顔面に縦縞の模様をあつらえて、春原が死相を浮かべながらも帰還してくる。そのまま逃げ帰ればいいだろうに、すぐに捕まると理解しているところが涙を誘う。
「……あのさ、杏も人殺しにはなりたくないだろ?」
「大丈夫よ。町ぐるみで隠蔽するから」
「……僕、もしかして必要とされてませんか?」
「まあ、必要悪っていうのもあるから……」
「お願いだから、目を逸らさないでくれませんかねえ」
「元気になったところで第4もーん」
「なってないからさ……」
 つっこみにも覇気がなかった。


 全10問の試験問題(パントマイム含む)が終了し、後に残されたのは精根尽き果てた風体の春原と、何故か勝ち誇ったような顔をしている杏、破り捨てられたラブレター、目を回すボタン、飛び散った羽、肉の焦げた匂い、血と汗と涙と涎と二酸化炭素と単三電池。
 ……ただひとつ、愛だけが欠けていた。
「なんでやねん」
「お、今のはスジが良いな」
「……スジ肉?」
「そうじゃなくて」
「でも、美味しいの」
「旨いのはわかるが」
「あっ、そういえば今日は肉屋さんでセールがある日でした」
「え……。それ、明日じゃなかったでしたか……?」
 たったひとつのボケに、四天王が連鎖反応的に天然を撒き散らす。もうどうしようもない。
 ちなみに、四天王のくせに3人しか居ないのは仕様である。春原を推してもいいのだが、華が欠けるので如何ともしがたい。それに、春原は天然ボケと言うより――。
「結果が出たようね」
「……ていうかさ、何の試験だったんだよ……」
「あれ、知らなかったの? これはね、今年のM−1に向けて芸人の素質がある人間を選抜する、その名も『芸人試験』よ」
「まんまじゃん……」
「まあ、とにかくあんたは不合格ね」
「……え」
 少し、沈黙があった。その間に、羽をむしり取られた伝書鳩が窓から逃げて行き、目を覚ましたボタンが藤林の存在に気付いて小刻みに痙攣していた。
 俺はことみに場を和ますための一発ギャグを勧めたが、もみじまんじゅうとか言い出したので静かに首を振っておいた。確かにチャーリー浜より新しくはなったが。
「……意味わかんないよ!」
 理解を放棄したらしい春原が、これまた意味のわからないつっこみを放った。
 一方の杏はあくまで冷静にハリセンを振りかざす。どんな状況であれ、春原に対するアドバンテージは揺るがない。
「わからない? 本当に? ……そうね、どうしても理解できないというのなら、ここらで宣告しておいた方が今後のためになるかもね」
「……何がさ」
「あんたはね」
 俺は不意に、杏がどんなことを言うかわかってしまった。
「ボケって言うよりバカなのよ」
 ほら。当たった。
 可哀想に、現実を突き付けられた春原はムンクの叫びみたいな顔になっている。
「ば……?」
「天然ボケとただのバカでは雲泥の差があるわ。まあ、いじる側の技量によっちゃどちらも活かせるでしょうけど、人を選ばずにその行為だけで笑いの神を呼び寄せるのが天然なのよ。それとは違って、バカはその力を持たない。天性の境地に、人工物はどうあっても辿り着けないの」
 悔しそうに唇を噛む杏。羨ましかったんかい。
 なんとなく横を見ると、錚々(そうそう)たる面子が顔を揃えている。確かに、ことみ一人を取っても俺だけで御しきれるかどうか。
「しかもあんたの場合、つっこみにしてもバカの血が騒いで半端にボケが混じるからね。不確定要素が多すぎるのよ。それが笑いに繋がることもあるにはあるけど……、漫才に博打を持ち込む気はさらさらないわ」
「ぼ、僕は……」
 褒められているとは到底思いがたい酷評の嵐を浴びて、春原はついに切れた。
 後ろ向きに。
「そんなにバカじゃないやあああぁぁぁぁぁぁぃ…………っ!!」
 近所迷惑なエコーを残して、春原陽平(試験落ち)は空き教室を飛び出した。
 頑張れ春原、おまえにもつっこみの才能があることはわかったんだ。いつの日かリットンの背中に辿り着くために、日々精進することだ。
 だが、これだけは言わせてほしい。
「いや、バカだろ」
「バカね」
「バカラなの」
「それ、グラスな」


(春原陽平――不合格)






−続−







・春原がボケとつっこみのどっちに向いてるかはわかりません。
 ただ、存在自体が面白いのは確かです。
 その場合、笑わせるというより笑われているという感触の方が近いのも事実です。



SS
Index

2004年10月1日 藤村流継承者

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