外は雪が降っていた 2

 

 

 寝ぼけまなこでカーテンを開けたら、外には雪が深々と降り注いでいた。
 ……ムカつく。
 当方、花は咲かないかも知れないけど一応は女子高校生だから、朝には弱いし感覚神経も敏感なのだ。眠いよバカ、と愚痴っていても朝は来るし、こんなに雪が積もっていても学校には行かなきゃならない。
 もさもさ、もさもさ。
 飽きることなく落ちている白い塊を、そういえば子どもの頃に喜んで掴んでみたりしようとした。でも、淡く冷たい雪の結晶は私の体温についていけず、やってられるかとばかりに蒸発して跡形もなく消えてしまった。で、私の努力も水泡に帰した、と。
「……アホか」
 寒い。いろんな意味で凍えるくらい。
 というか、なんで氷点下に近い気温の中で一回すっぽんぼんになる必要があるのか。別にジャージとパジャマの2枚掛けで登校してもプライドが傷付く訳でもなし、このまま素知らぬ顔で出歩くことに何の問題があるのだろう。
 ……そこまで考えて、鼻の奥に軽い鈍痛を覚える。アホなことを考えてないでさっさと着替えよう。
 まったく、可愛い娘の部屋に暖房器具のひとつ(電気ヒーター除く)置きやしないとは、うちの親は何を食べて生活してるんだろうか。まあ大体知ってるけど。
 面倒くさいと思いながら一気に裸になって、無心で制服を装着していく。いろいろ考えると負けだ、特に窓の外なんか見ちゃいけない。外からは元気なガキ……じゃなくて子どもの叫び声が聞こえるけど、とにかく無視だ。
 ブレザーまで着こなした後で、そういや下着はどうしてたっけ、と思い返す。まあ、別に着けてようが着けてまいが大差のない身体つきなんだけどね。あはは、あはははは…………はは、はぅ。
 ……おのれ母親め。

 

 心の底から湧き出る殺意を覚えながら下着を付け直し(どうせ洗濯板だよ)、寒さに凍える身体に鞭打って居間に突入する。直後、身体の隅々まで解きほぐしていく柔らかい熱。
「……ぜいたくー」
「まったくよねー」
 血を分けた妹が私の皮肉に反応するが、奴はコタツの虜となって寝そべったままテレビの占いを観ている。世の女子中学生がこやつのようにみな自堕落なものだと知れば、世の変質者の五割は削減できるんじゃないかと本気で思うのだが、やっぱり理想を追い求めることと現実を直視することは別物なんだろうか。まあ別にどうでもいいんだけど。
 かくいう私も、偉そうなことを言いながらコタツに潜り込む売国奴ではあるのだが。さよなら私の純潔。
「あら、やっと起きたのね」
 ごはんと目玉焼きが乗ったトレイを片手に、母親が現れる。比較的若い方ではあると思うが、なんというか、よくそれで私たちを育てられたなあと溜息をついてしまうくらいの、なんていうか、広々とした関東平野。
 陥没していないだけマシかもしれないが、かといって慰めになる訳でもなく。
「そりゃ、こんなに雪が降ってたら嫌でも起きるよ。部屋寒いし」
「眠気覚ましになっていいじゃない」
「こちとら気持ちよく寝てたっつーの」
「……うっわ、乙女座最悪」
 どこが乙女だと言わんばかりの堕落っぷりを晒しながら、我が妹がぼやく。ちなみに私も乙女座だったりするが、占いはあまり信じていない。だって細木数子嫌いだから。
「ほら、さっさと朝ごはん食べて」
「ねむいー」
「日本人ならもれなく眠いわよ」
 それはあなたの主観だと思う。
 たまに母親は意味の分からないことを言う。父親はそれが味だと言うのだが、私らにとっては雑談のネタにしかならない。いや、面白いし害はないから別にいいんだけども。
「あんたも起きなさい。今日は部活ないの?」
「んー、あったような、なくもないような……」
「あるんじゃない」
「んぅー、でも雪とか降ってるしー、こんな中で走れとか言ったら殺されるよ顧問。むしろ私が殺すよ」
「もう、女の子が殺すとか屠殺するとか言わないの」
 あれこれ言われても、妹はコタツの中でもぞもぞするだけで首から上を解放しようとない。ヘアピンを着けたままなのだが、頭は痛くないんだろうか。痛くても気にしない、あるいは頭が悪いから気付かないのかもしれない。
 ……ところで、屠殺ってなんだろう。

 

「んじゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃーい、ねーちゃん」
「あんたも行けよ」
 さりげなく自宅待機を図ろうとする妹のマフラーを引く。ぐぇ、と人間らしからぬ声が漏れるが、母親は何も口出ししない。こういうのが姉妹のスキンシップだと思っているらしいので、並大抵の肉弾戦は許容されるのだ。
 あるいは、人間関係に酷く鈍感なのかもしれない。にこにこしてるし。
「除雪車に気を付けてね」
「もう走ってないよ」
 彼らは早朝に仕事を済ませているということを知らないようだ。ツッコミを返事の代わりにして、もこもこと今もなお積もり続ける雪を踏み鳴らしていく。少し遅れて、喘息から復活した妹のこもった足音が続く。
「あ、かさ差さないの?」
「……おっと」
 面倒くさいので忘れていた。これでは妹のことは言えない。だからという訳ではないが、妹の髪が外側にちょっとはねていることは指摘しないでおく。うっかりな側面を男子にアピールするがいい。
 うちの高校と妹の中学は途中まで同じ道だから、妹の朝練がないとき以外は大抵一緒に登校する。それはこの雪の日でも変わらない日課で、鬱陶しくもあり、面倒くさくもあり、あまり良いことはない。
 それでも相変わらず横の奴と並んで歩いているのは、やっぱりそれが心地よいからなんだろう。
 しかし、その日課より前から付き合っているはずの雪には、どうあっても慣れない。
「これだから雪国は……」
 踏んづけた雪はシャーベット状になり、容易く私の足元にまとわりつく。この状態で学校に着けば、暖房の破壊力も相まって蒸れ痒くなること請け合いだ。どうしてくれよう。
 私のしかめ面に反応して、妹がにやりと顔を歪ませる。他人の嫌そうな顔を見て微笑むとは、我が妹ながらなかなかの悪趣味である。
「ほほう、さすがの姉君も雪には敏感なご様子で」
 ひひひ、とほくそえむ妹君。こいつの将来が危ぶまれる。
「『雪には』って何よ」
「だって、ねーちゃん不感症でしょ」
「誰がだ」
 もう一度マフラーを引っ張る。今度はそれだけに留まらず、首を絞め落とす勢いで。
「ぎゃー! 実の姉に絞め殺されるー!」
「わりと余裕あるわね」
 確かに、こういう意味ではじゃれ合っていると言ってもおかしくはない。まあ、通りすがりの警官が見たら真顔で飛んできそうなくらい力が入ってはいるのだが、当の本人たちは気楽なもんだ。
 咳き込む妹を置き去りに、代わり映えのしない路地を歩いていく。曇り空も傾いた電柱も、振ってくる白い粒も黄色が異常に長い信号も。
「……で、誰が不感症だって?」
 信号待ちの間、追い付いてきた妹に訊いてみる。
「だってさ、いつもクールに生きてるじゃん。いったい何が楽しくて生きてるんだろうって、妹ながら心配になったりするのよ」
「言葉を選びなさい」
 かなりショックだ。しかも妹に言われたから余計に。
 しかしこの妹、あははと笑いながら返事をする。大丈夫か。
「身内じゃないとこんなこと言えないよー」
「それはそうかもしれないけどね……」
「だから、たかだか雪ごときに一喜一憂してるねーちゃんを見てると嬉しかったりするのでした。まる」
「可愛く締めるな」
 こちとらまだショックから立ち直れてないというのに。
 ……まあでも、心配してくれるのは正直嬉しかったりする。
 こんな雪でも意味があると思えば、それはそれで幸せな一日なのかもしれない。何にしても、鬱陶しいことに変わりはないが。
「自分では何がクールなんだか分かんないけど……。そう見えるのは、あんたや母さんがボケを連発して私にツッコミを要求するからじゃない」
「なんでやねん!」
「ほらまたそういうこと言う」
 呆れながらも付き合ってしまうのが私の悪い癖だ。けれど、放置すると据わりが悪いので仕方ないだろう。どうせ誰かが処理しなければならないことだし。
「今日はなんだか寒いわよね……」
「なんせ、シベリア超特急が上空5000m付近に停滞してるからねー」
「水野晴郎かよ」
 私より頭ひとつ低い妹の後頭部に逆ツッコミを入れながら、私は降り止むことを知らない空を見上げる。
 ……うん。やっぱりムカつく。

 

 


−幕−

 

 

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2005年1月9日 藤村流継承者

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