『Platonic Doll』

 

 

「もうやめたまえ」
 壮年の男は言った。少女からの返事はない。使用人の服をまとったまま無言で佇んでいる。目だけはずっと男を見据えているが、その瞳に光はない。少女自身、死んでいるようにも見えるが、そうではない。かといって、生きているのでもない。
「契約は終了したはずだが」
 諦めに近い口調で告げても返事はない。暗闇に包まれた部屋の中に静寂がこだまする。やがて男の溜息が響いた。
「……仕方ない。契約を延長しよう」
「ありがとうございます」
 そこでようやく少女が返答した。少女の目に光が戻っている。表情は柔らかく、何の屈託もない笑顔がそこにはあった。
 それでも、今の少女は本当の意味で「生きて」はいない。

 男がその少女と初めて出会ったのは、町外れの民家だった。一人旅の帰り、馬車で町の入り口付近に差し掛かった際、その姿が偶然目に入ったのだ。少女は、決して広いとはいえない庭を掃除していた。嬉しそうに、顔を綻ばせて身体を動かしていた。裕福だった彼には、少女がそこまでして喜んでいる理由が分からなかったが、理解しようとも思わなかったし、時間も無かったのでその場は通り過ぎた。
 次に会った時、少女は公共食堂の中で働いていた。周囲の客に笑顔を振り撒き、客の挨拶にも律儀に応対していた。あれから一週間と経っていなかったが、新しい職場にも充分に慣れているように見えた。男も帰り際に挨拶すると、変わらぬ笑顔で丁寧に会釈してくれた。それからしばらくは食堂にいるのを見かけたが、一ヶ月としない内に姿を見せなくなった。従業員に尋ねても、何も知らないと言うだけだった。
 男が次に少女と出会った場所は、町の中央にある大きな公園だった。ベンチに腰かけて休んでいると、噴水の周りを忙しなく掃除している少女の姿が目に留まった。掃除の成果なのか、それとも初めから大して汚れてはいなかったのか、ともあれ公園は綺麗だった。男は少女に挨拶をして、初めてそれ以外の言葉を掛けた。
「君は、何の仕事をしているんだ?」
「掃除をしています。私にはこれしか出来ませんから」
「ここにはもうゴミなど無いようだが」
「それが仕事ですから。私にはこれしか出来ませんし」
 少女は笑ってそう言った。男は、それならば仕方ないと言って、公園を去った。それからしばらく、男は少女に会いに行った。少女は飽きることなく公園を掃除している。男はただその姿を眺め、たまに話をした。
 その日常も、一ヶ月ほど経つと少女がどこかへ消えて終わりを告げた。男は、少女と出会う前の日常に戻った。

 最後に、男は町外れのゴミ捨て場で少女を見た。そこで男は気付いた。あぁ、自分があんなことを言ったから、少女はゴミの沢山あるところで掃除をしに来たのだと。
 しかし少女はもう動かない。城壁の天井まで届きそうなほど高く積み上がったゴミ山の麓に、身体をうつ伏せて倒れていた。下半身がゴミに埋もれてしまっていて、感情に満ち溢れていた顔には生気すら感じられない。服もところどころ破けて、肌が剥き出しになっていた。
 近くに管理人らしき老人がいたので、あの少女は一体どうしたのかと尋ねた。老人は、すこし面倒くさそうに答えた。
「ありゃあ、もう何の役にも立たないよ。ただのゴミさ。使用期限がとっくに過ぎてるのに、回収費用をケチって使い続けた末路だよ。……もうちょっと早けりゃ修繕も出来たんだがね。でもまぁ、よくあることさ」
 老人がその場を去ると、男とゴミの山だけが残った。男はゴミの山に跪いて、その麓に投げ捨てられていた少女だったものを担ぎ上げた。
 それから知人の機械技師に頼み込んで、様々な部品を改良、廃棄し、人形がどうにか仮初にでも少女として「生きて」いけるようにしてもらった。
 かくして、少女は男の家に住み込みで働くようになった。相変わらず掃除しか出来ず、一緒に食事を摂ったり身体を求め合ったりすることは出来ないけれど、少女はいつも笑顔だったから、それだけで良かった。契約が続く限り少女は少女でいられる。人間の命令に忠実に稼動する機械人形でなくてもいい。
 それでも、既に壊れていた仮初の命は長く続かなかった。少女は時に笑顔を失い、その度に動かなくなった。そして感情の無い声で、
「契約を結んでください」
 と、うわ言のように繰り返した。男が契約を結ぶと、少女はすぐに笑顔を取り戻したが、それ以前の記録を無くしていた。しばらくの間、この繰り返しが続いた。
 少女は掃除をしなくなった。男の傍でただ笑っているだけになった。男はそれだけでも満足だったが、ほとんど動かない少女を見ると不憫になった。
 男は、何が少女にとって幸せな結末なのかを考えた。
 その結果、少女は自分の傍にいるべきではないのだ、と悟った。
「……契約を結んでください」
 無機質な声で反復する。その言葉を聞けば、少女が人形だと意識せざるを得ない。そしてその言葉に頷けば、人形ではなく少女として「生き」られることも知っているから、一時の誘惑に流されてしまいそうになる。
「契約を」
 光のないガラス球の瞳が男を見ている。
「結んで」
 触れば、弾力を感じる肌も、偽物であると知っている。
「くだ」
 そして、最も大切なことは。
「さ」
 少女が人形であれ、人間であれ。
「い」
 一度、「死んで」しまっていることだった。
「――」
 声は返らない。男もその場しのぎの言葉を返すことはない。既に寿命は尽きていたのだ。いつ壊れてもおかしくなかった。いつ死んでもおかしくなかった。
 もう動くことはない少女の顔に触れ、唇を交わす。唇の感触は、人間のそれと大差なかった。
 最後に思うのは、少女は人間として死んだのか、人形として壊れたのかという疑問だった。その問いに答える者は誰もいない。
 そして男は少女だったものを庭に埋めた。それから男は少女と出会う前の日常に帰り、残り短い生涯を全うした。人間として、死んだ。

 

 

 



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2003年10月9日 藤村流

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