無用の縁、死後の筍

 

 

 ヒグラシは夕暮れの涼しい頃に鳴き始めると言うが、田舎に住んでいる彼らは交際相手がおらずに暇を持て余しているのか、昼前の気温が昇り始める時間からせっせと自己主張を開始する。彼らは彼らとして自らの本分を全うしているのだから、賞賛こそすれ、すすりなく声に顔をしかめる必要もないのだけど、それでもやはり、私が私としてやるべき仕事がヒグラシのそれと対極にある以上、どうあっても彼らの嬌声を認める訳にはいかない。
 軽ワゴンの助手席から降り、凝り固まった背中を軽く伸ばす。しばらくアパートの内側に閉じこもっていたせいか、身体の融通が利かなくなっている。ただ目を開けているだけでも目がちかちかする。瞳の採光度がなかなか上がらないのも、あんなに薄暗い部屋に隠遁しているせいだ、と自己の怠慢をアパートの立地状況に転嫁した。
 お盆休みにはまだ早く、田舎の墓地に私たち以外の人影は見当たらない。管理者はどこに居るのだろうけど、その姿を拝んだことは未だにない。もしかしたら、墓の下に埋められているのではないだろうか、と不謹慎な妄想に浸ってみる。気が付けば、いつの間にやら人の死を笑い話に出来るようになってしまった。これも成長の証なのだと、誇っていいものやら。
 車の後ろから、小振りな鎌とタオル、虫除けスプレーを取り出す。長靴も用意されていたが、裾の長いズボンだったから普通の靴でいいだろうと判断する。本当はサンダルが理想的だったのだが、墓地に広がる憎らしいくらいの草原を目の当たりにして、都合の良い幻想は捨て去ることにした。
 用事があるという父親とは別行動、私と母はご先祖様の墓を掃除する。
 鎌を振るのは久しぶりだというと在らぬ誤解を招きかねないが、去年の墓掃除以来どこの草も刈っていないのだから、無意味な虚勢を張る必要もない。それどころか体力仕事に勤しむのも久々であるから、いかに私が墓掃除に相応しくない人間か、想像に難くないだろう。
 ほぼ一年かけて生え揃った草花の中には、真白なハルジオンや食用になりそうなワラビ、橙にカラーリングされた毒々しいキノコが顔を出していた。そのおおよそ全てを根っこから抜き、根元から断ち、崖の彼方へ放り投げる。腰を曲げての単一作業、背中に降り注ぐ一方通行の熱意、見当違いに拡散する蝉の音が単純に重なり合って、徐々に高まっていく不快指数と肉体疲労。


「――うぁ……」


 唸る。
 呻き声と共に顔を上げた先には、私が初めてお墓参りに来た時から置き去りにされたままの、名も無き無縁仏がある。先祖の墓を前にした瞬間は、陰った石がどこにあるのかさえ判然としなかったから、当面の目標を、その無縁仏を湿り気のある草原から救い出すことに設定した。


「ねぇ」


 いつの間にか現れた父親は、崩れ掛けた燈籠にセメントを塗りたくっている。去年、祖母の四十九日に私が寄り掛かったことが原因で、傘の部分が本体から剥離してしまったのだ。今のところ呪詛は降り掛かっていないが、ささやかな罪悪感だけは今も胸の中にある。
 私の声を聞きとがめた父が、気だるげに言葉を返す。ん、という短い頷きに覆い被せるようにして、長年の疑問をぶつける。内心では、父親にさえ答えられない質問だと分かっていた。それでもなお質問を投げ掛けてしまうのは、悲しいものを悲しいと、素直に認められない幼稚さのせいかもしれなかった。


「ここの無縁仏さん、誰だか分かる?」


 指を差すのは失礼だと知りながら、疲れた頭は冷静な思考を棄却する。


「いんや」


 父親も、些細な無礼を見咎めた様子もなく、濡れタオルで首筋を冷やしながら、ごく当たり前の台詞を告げる。半ば――八割以上は予想の付いていた事実にさえ、冷水を浴び掛けられたような衝撃を受けてしまうのは何故だろう。冷水というには生温く、予防策も事後処理も滞りなく過ぎ去ってしまったけれど。
 そうなんだ、と諦める。諦めて、鎌を振りかざす。無名の無縁仏を救出する旅は、その道程の半分もこなしていない。もし探せるのなら、もうひとつ。どうにかして、彼の名前を見付けてあげられたらと思う。
 父は、自分が生まれた頃からある墓石だと言った。元々はその土地に住んでいた人の先祖を祀っていた墓だったのだが、引越しか何かでその土地を去り、墓石は置き去りにされてしまった。擦り切れた御影の表面に刻まれているのは戒名のみ、他に氏名を遺したものはどこにもない。
 この地を去った子孫と一緒に、彼らの魂は飛んで行ったのだろうか。だとしたら、無理に私が彼らを悼む必要は無くなる。名前がないのだと、誰からも忘れられてしまったのだと、自分勝手な感慨に浸ってその挙げ句に溺れ死ぬこともない。
 ヒグラシの喚声はやまず、遠く近くから風の音を聞く。心地良い、と感じる直前に身を焼く灼熱を、睨み返す瞳は既に生気を失っていた。

 

 

 遠く、空に雲が掛かっている。日の光が遮られたとて、地面が抱き込んだ熱まで減価償却することは出来ない。身体から流れてシャツに染み込んだ汗は、眼下に氾濫する天然の菌糸養殖場に匹敵する程の湿気を帯びていた。菌類であるのならば諸手を挙げて歓迎したい環境なのだろうが、如何せんこの身は二の足を踏んで生きている人間だから、湿地の温床、胞子のサンクチュアリなど回避出来るに越したことはない。
 果たして、この中に埋もれた石の気分は如何なものだろうか。考えるまでもなく、石に余分な意志などないと結論付ける。もしあるとすれば、それは私の中に根付いているしょうもない感傷だ。地面に生えた不恰好な石群を、人間は悲哀の象徴として美しく飾り立てる。
 もう一度、痺れた腰を伸ばす。ぐるりと見渡した霊場に、幽霊や鬼火の類は一切見受けられない。
 墓場を占有していた弦が断ち切られ、地面は湿っぽい残骸で敷き詰められている。それらを何の感慨もなく踏みにじりながら、次の植物を毟りに赴く。距離にして、一メートル。一瞬に近い永遠とはこのことを言うのだろうかと、詮の無い妄想を想起しては除去していく。
 無縁仏まで、あと少し。
 右手の人差し指に、軽い痛みを覚える。軍手を外せば、波紋のような赤い円が出来ていた。この程度は授業料だと割り切って、土にまみれた手袋を嵌め直す。
 シダ植物の繁栄に目を疑いながら、一歩ずつ領土を開拓していく。逃げ惑う一寸の虫に五分の罪悪感を抱きながら、残された一割の握力を振り絞り、先に見える墓石へと突き進む。


「もう、ちょっと……」


 鎌がすっぽ抜けないよう、手元、足元に注意を払う。
 無縁仏の存在を意識しだした時期は、私が死を意識し始めた頃と一致するように思う。
 昔から、霊園を見れば知らずに手を合わせる子どもだった。小さいながら、あそこに眠っているのは死体だけではなく、遺族の悲しみや死者の未練なのだと朧気ながらに理解していたからだろう。幸か不幸か、その癖とは微塵も関係はないのだろうが、霊の類に悩まされた経験はない。尤も、私が鈍感すぎて彼らに気付けなかっただけかも知れないけれど、悲しむことしか出来ない私に、必要な処置を施すことは出来ない。
 あるいは、ただ悲しんでもらいたいだけなのか。人前に現れる幽霊や亡霊というものは。
 土の中があまりに寂しくて、思わず外に出てしまった例も考えられる。それはとても人間らしい行動原理だと思う。生きている者も、一人では寂しくてたまらない。まして、いつも側にいた者が居なくなったしまったのなら尚更。


「あった」


 成長しきったシダの葉に身体を隠し、物言わぬ無縁仏は十数年間変わらずにそこにある。きっと私が生まれる前からあったろうし、父親が誕生する前から変わらぬ姿で鎮座していたのだろう。それの歴史は長く、いつも同じものを護り続け、他にすべきことなど知らぬと胡坐を掻いたまま黙して語らず、見舞うべき人が去っても尚、やるべきことが見当たらないからずっとそこに座っている。
 墓石は何も考えず、死体は何も語らない。無機物に思いを馳せ、有限の時間を浪費することが有用であるとは到底言えない。
 しかしまあ、死者はともかく、生きている人間はあれこれ物を考える。それが趣味の人間もいる。蓼食う虫も好き好きならば、縁無き石を想う人間も好き好きだろう。この現状では、想い人が側にいないのも頷ける。久しぶり、と心の中で労をねぎらい、返って来るはずのない言葉に心を傾けた。

 

 

 無縁仏の周囲に張り巡らされ、驕るがままだった雑草を父親の鎌が薙ぎ払う。当の私は体力切れにより、石から離れた草花にとどめを刺すに留まっていた。本来ならば、父親が行なっている役目も私が預かりたかったのだけど、染みる指、震える二の腕がこれ以上の規格外活動を停止するよう強く嘆願していたのだ。
 見る間に刈り取られていく草の群れに、自分の非力さを呪う。
 雑草の海に沈んでいた石が、再び地上に浮かび上がる。かといって、その場から動く様子は全く見られない。無骨なその姿が誇らしげに映ったのは、おそらく気のせいではないだろう。


「もう、そのくらいでいいんじゃないか?」


 鎌を下ろして、父親が言う。気が付けば、私たちの周囲に青い弦はほとんど無くなっていた。侵略という物々しい行為の一端に手を貸したことを思えば、多少の疲れなど崖の下に飛び降りてしまう。
 私も握り締めていた凶器を片付け、無縁仏に捧げられていた茶碗を拾い上げる。お隣りさんのよしみで、お盆の墓参りにはついでにお茶を供えている。
 縁が無ければ、勝手に作ればいい。向こう三軒両隣、袖擦り合うも他生の縁。今回は、勢いあまって鎌の刃が墓石を削ってしまったが、それも振り合う袖として、大目に見てもらいたい。
 ほんの一時間前まで君臨していた青の大群は影を潜め、御影石の黒と岩石本来の灰色を存分に晒している。地蔵さんの笑顔も明るい。人間たちは一様に疲れた表情を携えているけれど、胸の中に解放感と達成感が去来しているのは、誇ってもいいことだろうと思う。
 在るべき姿に戻った墓から立ち去ろうとし、最後に墓石を振り返る。自分の先祖と、ただ隣りにあるだけの無縁仏。ニュース画面に提示される名前と顔だけの死亡報告よりも、顔も名前も知らないが、この場所に眠っている誰かを想う方が遥かに簡単だった。楽な方向に逃げている、と思いながら、追悼することをやめたいとは思わない。
 手を合わせるのは一ヵ月後に、先祖の墓に眠るのは百年後に。もしかしたら、私がここに眠ることは叶わないかもしれないけれど、願わくば、ここに座る無縁仏のようになりたい。
 たとえ名前が消えたとしても、不恰好な石が上に圧し掛かっていたとしても、何かの気紛れに手を合わせてもらえるような。
 死体は煙となって空に還り、灰は土となって地面に還るにしても、思い出は周りを取り囲む人々の中に還り、やがては雲散霧消して証拠も歴史も無くなってしまう。それでも、石が遺されるなら。名が無くても、そこに生きていたことを誰かの記憶に残せるのだから。
 無縁の縁は繋がっていく。
 そう思えば、悲しいと思うこともない。感傷が絶えることはないけれど、胸を裂く痛みに咽ぶこともない。延々と巡っていく縁に想いを馳せ、私は無縁仏に背を向ける。


 名も無き石は何も語らず、湿った地面に腰を下ろしたまま、太陽の恩恵にその身を預けていた。

 

 

 

 


※ この話は事実を基にしたフィクションです。

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2005年8月3日 藤村流

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