幽霊エレジー

 

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01.
まあその。

 

 俺、二川 一介(にかわ いちすけ)は、大学の二年目になって晴れて独り暮らしをすることになった。
 大学も近いし、少々田舎であることを除けばまあまあ暮らし向きも悪くない。適当に料理も出来るし、先行きは安泰であるかに思われた。
 だが。
 破格の安さで借り入れたアパートには、とんでもない落とし穴が待っていたのだ!
 もはや定番と化したであろう、前の借主が死んだり殺されたりなどした衝撃的な事実である。使い古されたネタだ。
 引越しもあらかた終わり、適当に落ち着いた部屋の中でゴロ寝していると、何者かの気配を感じる。
 不気味だ。
 俺もよく不気味と言われるが、その俺が不気味と思うくらいなのだから相当である。
 身体を起こして、六畳一間の間取りをぐるりと見渡す。
 途中、明らかに存在しえない物体が視界の端に移り込み――。
「こんにちはー」
 普通に挨拶された。
「こんにちは」
 こちらも負けずに挨拶し返す。正座に加え両手を付いて低頭するという徹底振りである。
 相手は、何となくおろおろしているようだった。あっ、あっ、と狼狽えているのが分かる。
 バカめ、この程度で俺が動揺するとでも思ったか。
「あっ、頭を上げてください、旦那様ー」
「誰だそいつは」
 旦那様ではないが、頭を戻して詰問する。
 そいつは、見た感じ非常に女らしい女に見えた。レモンっぽい色のシャツと、その上に藍色のカーディガンを羽織り、下は多少短めの白いスカート、というか正座するとその奥まで見えそうで見えない。小さく丸っこい顔は、坂道に置いとけば勝手に側溝まで転がって行きそうな感じだった。
 可愛くはあるが、美人とは言いがたい。肩甲骨辺りまである黒髪だけ見ると、若干騙されしまいそうにもなるが。後ろ背中で惚れて、正面向いてちょっとがっかりするタイプである。まあ、見た目は悪くないから失望されること自体少ないだろうけども。
 頭頂部付近に、やたらと鮮やかな赤色のカンザシみたいなものが刺さっていることについては、右脳議会の満場一致で触れないことにした。
「……誰だお前は」
 改めて質問する。
 その女の子(予想:二十歳前後)は、溢れんばかりの動揺を脂汗に転換しながら、どうにかこうにか返答を試みる。えー、うー、みょー、だの何だのしょーもない呻き声が繰り返された後。
「……霊」
「ん?」
「私、幽霊なんです」
 簡潔に、自分の境遇を発表した。
 俺は、腕を組んで深々と頷く。
 なるほど。非常に分かりやすい回答だ。
「よし、君にはハナマルをあげよう」
「……え、やったー! わーい」
 両手を挙げて喜んでくれた。よきかなよきかな。
 それと、こいつ意外に胸でかいな。
 幽霊と言えど、質量保存の法則は適用されるらしい。
「ときに、君の名前は何だっけ」
 唐突に話を戻してみる。相手方も、何となくこの場のノリに慣れて来たらしい。
「……えぇ? やだなあもう、最初に言ったじゃないですかー」
「言ってねえよ」
 冗談を言う余裕はあるらしい。
 良い度胸だ。
 そして良い胸だ。
「……えー、どうしても名前を言わないといけないのでしょーか。軍曹」
「そうだ。俺は軍曹ではないがな。どちらかと言えば、隊長と呼ばれることが多い」
「呼ばれますか」
「うむ。第七変態特攻隊長という肩書きを背負いつつ、清く正しく生きている」
「変態ですか」
「ああ、変態だ」
 力強く頷く。
 女の子は、ほんのちょっと引いているようだった。
 正しい反応である。
「……えーと、うーん」
 腕を組み、何やら悩んでいるらしかった。どうも名前に引っ掛かりを覚えているようだ。
 かくいう俺も、二川一介というアホな名前を背負って生きているだけあって、その気持ちはよく分かる。
 まあ、同じクラスの流鏑馬犬五郎くんの名を初めて聞いたときは容赦なく爆笑したが。
 現在、彼はフィリピンの地で八面六臂の大活躍らしい。
 がんばれ鏑流馬くん。
「…………」
「聞こえん」
 小声でごにょごにょと呟くけれど、当然ながら聞こえるはずもなく。
 折角なので、これを期に女の子との距離を詰める。じり、じり。
 あ、正座しながら一歩退いた。
 可愛い顔して、なかなかの使い手である。
 そういうところもポイント高い。
「……です」
「あぁん? ですしか聞こえんぞ、この美乳娘が」
「褒められても困ります……」
 これが褒め言葉に聞こえる辺り、一筋縄では行かないようだ。
 まあ、照れている顔が可愛いからいいや。
「……は、はな」
「花丸マーケット!」
「惜しい!」
 惜しいのか。
「まあ、早く言うといい」
「……は、は……花子です」
「花子……」
 繰り返してみる。女の子――もとい、花子は神妙に頷く。
「花子か」
「花子です」
「花子の花って漢字、しばらく凝視してるとゲシュタルト崩壊起こすよな」
「知りません」
 名前に関してはマジらしい。突っ込みが冷たい。
 なんか泣きそうだ。
 女性に泣かれるのは苦手である。好きという男もまずいないだろうが、ただ泣いている顔が好きという思いもある。男心もそれなりに複雑なのである。見境がないだけとも言うが。
 瞳を潤ませながら、膝に置いた握りこぶしをぷるぷる震わせる。
 ついでに頬をぷくーっと膨らませた辺りで、どうやらキャラを捏造していることは分かった。
「……ぷー」
「ははは、上目遣いをしたところで同情なんぞ誘えはしない――くっ、この角度から見下ろせば広がるのは絶妙な谷間……!」
 まさか、これすらも計算のうちに入れていたのか……!
 よ……。
 よくやった!
「よくやったよ、花子……」
「にやにやしながら花子って言うのやめて」
 ご機嫌を損ねたようだ。
 仕方ないから、代案を用意することにする。
「花代」
「嫌です」
「花田」
「なんか嫌です」
「花血」
「……うわー」
 壮絶に引かれた。
 おいおい、襖の後ろは布団しかないぜ。
「……まあ、冗談はともかく」
「本気にしか聞こえなかったところが流石ですね」
「まあな」
「褒めてませんよ」
 そんなことは、重々承知の上である。
 無意味に踏ん反り返っていると、襖に背を預けていた花子も、全く動揺を見せない俺を不審に思ったのか、何やら胡散臭そうにこちらを睨んでいた。眉間に寄った皺を見て、なかなか不細工だなと思う。言ったらなんか凄いことになりそうだから言わないが。
「一介さん、私が幽霊だって信じるんですか?」
「それよりなんで俺の名前を知っている」
「集合ポストに一介さん宛てのダイレクトメールが届いてました」
 それじゃあ仕方ないな。
 しかし、その会社も仕事速いな。まだ入居したばかりだと言うのに。
「本名、二川一介さんでよろしいですね?」
「いや、前の住民というオチも考えられるな」
「大学の在学証明書に、写真と姓名と生年月日が書かれてましたよ」
 じゃあ仕方ないな。
 証明書とはそういうものだ。まあ、勝手に見るなよとか幽霊なのにモノ触れんのかよという、レベルの低い突っ込みをしても詰まらない。紳士はクールに流すものだ。
「それに、『二川一介コレクション』と書かれたダンボールの奥に、二川さんの名前付き桃井かおる直筆サイン色紙が眠ってました」
「ちょ」
 流せませんでした。
 ……あー、そんなとこにあったんだね。懐かしいなあ、もっかい会えないかなー。
「ちなみに、そのダンボールは非常にイカくさかったです」
「しみじみと言うね」
 あまりに堂々と口にするものだから、ちょっと好きになりそうだった。実際、こういう女子は後々面倒臭いことになりそうな気もするが。
「つまり、何が言いたいかというと」
「うむ」
「これからは共同住宅という形になるので、出来ればそーいうのは外で済ませてもらえるとありがたいです」
「うむ。……うん?」
「外で」
 そこは強調しなくてもいい。
 というか、涼しい顔して規定に違反するようなことバンバン口にするな。非常にけしからん娘だ。
 そしてけしからん乳だ。
「『外で』とか言うと、俺が警察に捕まる可能性を考慮しなければならないぞ」
「へんたーい」
「何だね、花子少尉」
「花子言うな」
「じゃあ、アパートの名前がコーポ花菱だから……あ、だから花子なのか」
「そうでーす」
 軽いな。本当に死んでんのかこいつ。
「だったら花子で良いだろ、謂れがあるんだし」
「いやだー、もっと可愛い名前の方がいいー」
 駄々をこねる仕草が、畳をバシバシ叩くというのもかなり古典的だが、両手でやるとそれなりに可愛く見えてしまうから不思議だ。どうせ作ったキャラなんだろうが、折角なので我がままを聞いてやることにしよう。
 うるさいし。
「仕方ねえな……。じゃあ、俺の名前が二川一介だろ」
「えー」
「ははは、てめェが個人情報を暴いておいて何を今更」
「改めて聞くと、予想以上に変な名前でちょっと面白ププッ」
 噴き出しやがった。
 名前のアブノーマルっぷりはこいつも同レベルだろうに、惜しげもなく笑みを零せる花子の神経は相当に図太いものだろうと思う。幽霊だから神経すらないのかも知れんが。
「だから、一介の一を取ってインコとかどうだ」
「何ですか、その思わず人の言葉を真似てしまうような鳥っぽい名前は」
「ちなみに、インコのインは淫らの淫と書く」
「いやだー!」
「やかましい! お前の名前を笑った罰だ、この花子め!」
「花子言うな!」
 ぎゃーぎゃーうるさいが、とりあえず名前の方はけりが付いた。他にも解決すべきことは幾つかあるが、とりあえず俺は夕飯を食べるべきなんじゃないのか。
 窓の外はもうとっくに夕闇が広がっている。俺の視線を追って、花子の横顔も自然に橙の斜陽が差す。……ああ、やっぱり可愛いなこいつ。
 いつか抱こう。
「付かぬことをお聞きするが」
「丁寧なわりに横柄な感じですが、まあどうぞ」
「幽霊でも、腹は減るものか」
「はい。……というか」
「何だ。カップラーメンしか無いぞ」
「無いんかい。……じゃなくて、さっきも言いましたけど」
「何だ花子」
「大概にせえよアンタ。……えーと、私が幽霊だってこと、信じてるんですか?」
「ああ」
 立ち上がり際、即座に頷く。唖然とした顔で固まっている花子を見下ろしつつ、こういうリアクションは普通こっちがやるもんじゃないかと思う。
 だが、仕方ない。幽霊だからといって驚くような生温い神経では、この現代の荒波を越えていけないのだ。具体的には、俺の周辺1キロぐらい。大学と実家含む。
「それは、どうして」
 彼女は、躊躇いがちに俺の眼を覗き込む。嘘は付いていない。だから彼女に見破られることもない。騙す気もさらさら無いし、何かを奪おうという腹積もりも多分無い。
 なので、俺は純粋に彼女を安心させるためだけに、この台詞を残そうと思う。
「それは、な」
 俺は、この上なく優しい笑みを浮かべ、力強く親指を突き出す。


「君が、その存在感たっぷりの胸をたぷんたぷん揺らし」


 殴られた。
 個人的には、かなり良いこと言ったつもりなんだが。
 幽霊の気持ちというのは、よく分からん。

 




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