足音は聞こえるか

 

 

 蹴った右足からは変な音がした。
 その音は、日増しに大きくなっていった。

 

 親子喧嘩はよくあることで、取り立てて日記に書く程でもない。
 殴られれば痛いし、蹴れば痛がる。その分だけ鬱憤を晴らすことが出来、負けた方は鬱憤が溜まる。連敗続きだと不意打ちに走ることもあるが、ここのところは一勝一敗ペースだった。
 今日は、争いに勝った。
 二階に上がり、鍵を掛ける。父親が入って来たことはないが、用心するに越したことはない。
 制服のままに倒れ込んだベッドは、体重を掛ける度にギシギシと軋んで耳障りだ。早急に買い換えろと親には言っているのだが、その度に言い争いになり、終いにはいつものように喧嘩が始まる。母親は止めもしない。もう諦めたのだろう。
 天井に付いた染みは、子どもの頃からあるような気がする。人間の顔のように見える、ということもなく、歪な四角を象った不細工な文様に過ぎない。何にしろ、改めて観察するには面白みに欠ける。
 やがて、そのまま眠りに落ちた。
 その直前、歯磨きをしていないことに気付き、深く後悔する。

 

 耳が悪いと言われたことはない。頭がおかしいと言われない日はないが。
 だから、足首の辺りから妙な音が聞こえ始めた時に、俺の頭は本当におかしくなったんだと思った。一日に留まらず、一週間経っても、一ヶ月過ぎてさえも耳鳴りのように唸り続けている。
 痛みはない。が、次第に音が大きくなっているような気はした。ほんのわずかではあるが。
 違和感を抱えながらも、父親を蹴るのはやめない。正確には、あっちが突っかかって来るから、やめさせてくれない。こうして同じ屋根の下で生活している限り、どうしたって顔を合わせずにはいられないから、仕方のないことだと思う。それに、やめてやる気もない。今日は負けたから、明日か明後日は勝たなければいけないのだ。
 親には、足の異変を伝えていない。病院通いは面倒だ。それに、あれこれ追求されるのも鬱陶しい。
 不思議なもので、いくらおかしいと思っていても、右足から発せられる音に頭は慣れていく。足の音があるものとして、いつも通りの日々を送ろうとする。それは有り難かった。学校は少し楽しい。気の合う友人も居る。
 折角なら音も消してくれと思ったが、初めから頭がおかしいんだから、そんな要求が通る訳もなかった。
 歯磨きをし、すれ違った父親に一言二言愚痴を垂れて、軋むベッドに身を投げた。
 夏の日。
 セミの音が聞こえない代わりに、右足の鳴き声がよく響いていた。

 

 蹴った足に痛みを覚えたのは、その日が初めてだった。俺が軽く呻いたのを見逃さず、父親は右の手で顔面を殴り飛ばす。容赦なんてあったもんじゃない、テーブルの角に思い切り背中を打ち付けられ、呼吸が出来なくなった隙にも、数度頬を張られる。
 やれ言うことを聞けだの、やれ昔は良い子だったのにとか、やれ殴りたくてやってるんじゃないんだ、などなど。詭弁を弄するより、その不細工な面を隠した方がいいんじゃないか。
 肥満体型の中年といえど、年端もいかないガキを承服することは出来るらしい。しばし意識を失った俺は、勝率を五割に戻された。額に当てられたタオルが心地良い。母親は基本的に傍観者だが、敗者の面倒を見る程度のことはしてくれる。
 だが、それよりも俺は、足首の痛みをどうにかしてほしかった。
「なあ」
 初めて、足のことを訴える。ソファに身を委ねながら、洗い物を続ける母の背中に問い掛ける。
 母は振り向かず、「うん?」と何の気なしに答える。俺は母親に手を上げたことはないから、母も警戒はしていない。父親はどうだか知らないが。
「足が、痛い」
 耳鳴りもする。けれど、それは右足の音がうるさいせいだ。父親を蹴り飛ばした時から、一気にボリュームが上がった気がする。
 母親は、足首に湿布を貼ってくれた。予想通り、気持ち良くも何ともない。痛みは続く。鳴き声も続いている。
 その間、必死に耳を塞いでいる俺のことを、母親は変な目で見続けていた。

 

 夏休みに入り、学校に行くこともなくなったが、俺は部屋から出ることが出来なくなった。
 セミの鳴き声より大きい足の音と、父親に殴られて腫れた頬より痛む足首が、精神と肉体を同時に蝕んでいるから。
 歩けない程ではない。電車がホームに入る騒音程ではない。
 我慢すれば動けないレベルではないけれど、どうにも動こうという気になれない。
 部屋にこもり続けているせいで、父親に殴られることも、父親を蹴ることもない。正直、あれを蹴りすぎたせいで足が文句を言っているのかとも思ったが、一週間も喧嘩をしていないのに足の異変が収まらないとなると、その線はないと見た方がいい。
 知らないうちに休戦協定を結んでいた間、一度父親が部屋の扉を叩いたことがある。右足の音が大きくて上手く聞き取れなかったが、きっと父親だったのだろう。
 俺は出ず、父親も侵入しては来なかった。当たり前だ、扉には錠が掛かっているのだから。
 母親は病院に行くべきだと言い、それでも強要はしない。無理強いすれば殴られるとでも思っているのか、恥知らずにも俺の意志を尊重しているつもりなのか。毎日、部屋に昼食と夕食を持って来てくれるのは有り難かったが、それもいつまで続くのだろう。一ヶ月というのは、考えているよりも長い。
 ふと、ベッドの上から白紙のカレンダーを覗く。
 もはやリハビリと化した夏期休暇の残骸は、残り二週間を切っていた。
 右足は、懸命に唸り続けている。セミよりも高く、セミよりも長く。
「悪いな。何を訴えているのか、分からなくて」
 下らない独り言も、ろくに聞き取れない。

 

 父親と初めに喧嘩した時のことを思い出そうとしても、父親の腹を蹴ったことくらいしか頭に浮かばない。
 その頃から、俺は、父親を蹴り続けていた。
 何故か痛み、どうしてか鳴き続けている、この右足だけで。

 

 リハビリテーションも強制的に佳境を迎え、それに反比例するように鳴き続ける足と激痛。
 耳を塞がすにはいられない音は、何かを叫んでいるように聞こえた。
 足首を押さえずにはいられない痛みは、何かを訴えているように思えた。
 まあ、頭がおかしい俺のことだから、そのどちらも幻聴や幻痛の類なのだろうけど。
 ある日、俺の部屋に父親が入って来た。トイレに行く際、面倒くさいから鍵を掛けなかったのだ。耳を塞いだ状態だと、施錠するのはおろかドアを開閉することすら鬱陶しい。だから、父親が入って来るのも当たり前だった。
 扉のところに立ったまま、寝転がる俺をじいと見詰めている。何も言わない。殴り掛かってすら来ない。来たら来たで、蹴り返すだけの余裕はある。本当のところは、怪しいものだが。ずっと右足で蹴り続けていたのに、今更左足で蹴れるはずがない。何故かは分からないが、そういうものだと思った。
「痛いか」
 ああ、と答えた気がする。父親の声は辛うじて聞こえるのに、どうして自分の声は上手く聞き取れないのだろう。
「病院、行った方がいいぞ」
 そうだな、と答えた気がする。確信はない。父親の表情も見えない。
 問答はそれだけで、その後は何事も無かったように部屋を出て行く。閉められた扉を見詰め、意味のない会話をするのは久しぶりだなと思い返す。憎い訳でも、愛しい訳でもなかったが、気付けば罵り合う関係だった。
 親子のコミュニケーションとしては、異常極まりない。骨を折ったことも、血を吐いたこともある。父親だってそうだ。幸い(かどうかは知らないが)にも、警察が入って来たことはないが、それだけのことはやってきたつもりだ。
 思えば、それが親子の会話だったんだろう。普通の家族が他愛のない話を食卓に持ち込むように、俺たちは団欒の席に愚痴と文句と叱責を引っ張り込み、殴り合いに転じることで調和を図った。
 無論、殴られるのが好きではないし、蹴るのが好きという訳でもない。サドでもマゾでもないのは、父親だって同じだろう。
 それでも殴り殴られ蹴り蹴られるのは、つまるところ、そういう家族だからなのではなかろうか。
 初めから、俺の頭がおかしかったように。
 父親の頭もきっと、いかれていたに違いない。

 

 だったら、もしかして父親は右手が鳴き続けているのかもしれないと思った時、いつの間にやら右足の痛みと鳴き声がやんでいることに気付いた。
 そのことにもっと早く気付けていたら、父親に不意打ちを仕掛けられたのにと、俺は深く悔やんだ。

 

 夏休みという名のリハビリ期間も終了し、俺の健康状態もリセットされたところで、俺と父親は再び喧嘩を始めることにした。
 親父は左手で、俺は左足で。
 そのうちに左足が鳴き始めるんじゃないかという危惧もあるが、その時はその時だ。
 どうせ、俺の頭はおかしいんだから。

 

 


−幕−

 

 

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2005年6月2日 藤村流

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