サイレン

 

 

 小学二年生の頃、原子爆弾が投下された広島の映像を見せられた覚えがある。
 まだ幼かった私は、絶望に塗れた光景を完全に理解することはままならなかったが、情操教育の意味では、絶望の意味を知るよりはただその衝撃を心に刻んだ方が適切だったのかもしれない。
 たとえ、当時は夜が怖くて仕方なかったにしても。
 障子の隙間から漏れて来る暗闇の向こうに、無慈悲なプロペラの音か聞こえて来るのではないかと、身を竦ませていた頃があったにしろ。
 あれは、掛け替えのない記憶であったように思う。

 

 

 畳越しに感じる平和は、少しばかりこそばゆく、い草の香りが非常に心地良い。
 カーテンから漏れる夏の日差しは、自身の熱を益々活発にしている。夏でこれくらい暑いんだったら、冬はどれくらい暑くなるんだろうね、という使い古された緊張緩和術も、蝉の音に彩られた沈黙のせいで物の見事に唾棄された。
 相方、一応は私の夫たるべき人間なのだから、もう少し愛想の良い対応をして然るべきなんじゃないだろうか。いくらディスクに向かって残りの仕事をこなしているとはいえ、日がな一日太陽に虫干しされている私の相手をするのも、円満な家庭を築く重要な秘訣というかそれは今適当に決めたんだけど、とにかく暇だ暇だ何か面白いこと言えと首を絞めれば、当然のように綺麗な大外刈りを喰らって畳みの上に不時着する始末。
 流石は元柔道部のエース、だがしかしだ、いくらなんでも嫁の奥襟を掴んで背負い投げに入ろうとするか。私が巧みに体を崩したから大外刈りで済んだものの、素人なら受け身も取れずにブラックアウトでさようなら、行列の出来る法律相談所行きである。『有罪』『有罪』『有罪』『無罪』である。
 夫は再び椅子に帰還し、私は畳みに寝転がり、網戸越しに感じる生温い風を浴びている。停滞、怠惰、憂鬱……ではないが、何かしている訳ではないから、前進も進歩もしていない。それだけは朧気に理解できる。だが、だからといって外出したくなる気質でもない。
「なあ」
 椅子をずらし、薄着で大の字に寝転ぶ私を見下ろす。なにその太った猫を哀れむような視線は。
 んー、と捲れ上がったシャツを直しながら、身体を起こす。上半身を支える両の手のひらが、畳の破線に食い込んで跡を付ける。投げ出した足の先が旦那に向いていても、決して軽視している訳でも冒涜している意味もない。結婚して三年かそこら経てば、愛情から愛がこそげ落ちて単なる情になり変わり、終いにゃ友の字がしゃしゃり出て友情に変容することもあり得る。
 まあ、そんなもんだろう。長い人生、有為転変の中にあり、変わらないと信じていたものが変わり、瑣末事だと切り捨てたはずのものに縛られる。
 それもまた人生と割り切れるぐらいには、私も年を取ったものだ。
 悲しい。
 私の二律背反に気付く様子もなく、相方はリモコンでテレビを点ける。NHKの人々は、茹だるような暑さにも拘りなく、愛想の良い会話を繰り広げている。立派だ。うちの相棒とは比較のしようがない。
「そろそろ、高校野球が始まるんじゃなかったか」
「ん……。そうかもしれんね」
「見んのか」
「だって、今時の人よく分からんもの」
 言いながら、テレビの向こうに行進する高校生たちを眺める。途中、何度も蝉の音が耳を貫いたが、プラズマの彼方から聞こえるのか、風のない外界から響いてくるのかは、結局判別がつかなかった。
 理路整然と並べられ、地に足を付けて白塵のグランドを踏み締めている。私と違って、彼らは確かに前を見、目指すべき一点を見据えて生きている。それが羨ましいとも思うし、開会の挨拶が長くて可哀想だなあと思う一面もある。
「今日……。8月6日だっけ」
 思い出したように呟くと、過去に刻まれた残酷な現実が見え隠れする。
 今を駆け抜けている若者たちの前に、積年の感傷を持ち出すのもいささか無粋だ。傷跡を晒すのは後回しに、とりあえず誇らしげな代表者たちの緊張を見守ることにしよう。
 相方も、書類に走らせるペンを一旦置き去りにして、彼らの雄姿をぼんやり眺めている。狐のような眼差しが愛しいと思えたのはいつの日か、今では夫の視界がどういう風になっているのか不思議でならない。近いうちに、眼科の先生に診てもらおうと思っている。まあでも、いきなり目がぱっちりしたら、二日連続徹夜明けの妙な精神状態を引きずっているみたいで、こちらの健康に良くないかもしれないが。
 私の独白は蒸し暑い空気に溶け、何事も無かったかのように時間が過ぎる。二人の間に沈黙が流れても、それを気まずいと感じたりはしない。
 だから、強引にその静寂を破る必要はないはずだ。ただでさえ、お節介なミンミンゼミがしつこく鳴き喚いて愛を叫んでいるというのに。
「ねー」
「なんだ。腹が減ったか。だったら疾く素麺でも作れ」
「私は太ってない!」
「何も言ってねえ」
 話が劇的に逸れ始めたので、私はひとつ咳払いをし、畳に胡坐を掻いて夫の溜息を誘発させる。
「戦後、60年って言うけどさ」
「言うね」
「私の二人とちょっと分くらい昔の話なんだよね」
「普通に二人分って言えよ」
「うるさい黙れ」
 まだそこまで達してない、と大見得を切るのは少し躊躇われた。真実というものは得てして隠蔽されるものである。
「半世紀も経って、全く進歩していない、なんてことないよね」
 夫は、うん、と返すだけ。視線も真っ白な書類に落とし、テレビから流れて来る偉い人の話も、夏の日差しに佇んでいる大半の球児たちのように、全く耳に入っていない。
 もうすぐ、選手宣誓が始まる。
 スポーツマンシップに則り、正々堂々と、互いの誇りをかけて戦うのだ。
 そこに、敗者はあっても爆弾はない。
 私たちは、それを誇ってもいいと思う。
 野球なんてやったことないけれど、平和な顔をしてスポーツという名の戦いが繰り広げられることを。
「平和だね」
「平和だな」
「昔、原子爆弾の映像を見て、すんごく怖かった」
「途中で具合悪くなったよな」
「忘れたいけど、忘れちゃ駄目な記憶なんだよね。凄く嫌なんだけど、覚えてなきゃいけないんだ」
 唇を噛み締めようとしたが、湿った口唇が歯を滑らせて下の歯に不時着する。かちりと、歯軋りにも似た火打石が鳴る。
「つらいか」
「つらいよ。でも、だけど、死んでしまった人はもっとつらいから、平気」
 結局、失ってしまったものは二度と帰って来ず、傷が完治することもない。過去の記録を抹消しても、都合の良い記録にすりかえてもいけない。再び野球が出来なくなるような争いを起こしてはならない。
 戦争は点取り合戦じゃない。
 死んだ人間の数が勝敗を決める訳じゃない。
 だから、尊い犠牲なんてものは、この世のどこにだって存在しない。
 そんなもの、あってたまるか。
「……平和だね」
「平和だなあ」
 きっと苦い顔をしていただろう私の顔を、涼しげな風が梳いていく。
 テレビの向こうからは、高校球児の代表が高らかに選手宣誓を叫んでいる。世界で一番優しい宣戦布告。「正々堂々、戦うことを誓います」。彼らの言う戦争の中に、人を殺す武器はない。
 銃も爆弾もなしに戦う術を人は知り、それを遊戯となして誇りを見出す。
 ああ、やっぱり平和なんだ。
 この戦いが始まることに、どきどきしている私がいる。
「進歩してるよ。多分な」
「そっか」
「だから、お前も面倒くさがらずに素麺作れるようになれ」
「えー、熱いから嫌だー」
 それとこれとは話が別だと思う。が、飢餓状態に陥った肉体は自然に身体を動かせる。台所に向かうまでに潜る扉は二つ、まずは夫の部屋のドアを越えて、廊下に踏み入った瞬間にサイレンが鳴り響く。空襲警報じゃなくて、開戦を告げる高らかな咆哮。原爆の闇に恐れる必要はないから、今はサイレンの音に聞き惚れていよう。
 日進月歩でも進んで行く。そう信じていよう。
 出来たら、私もその波に乗れたら良いと思う。
 だから今はもうちょっとだけ、ガスコンロの熱と水蒸気に耐え得る忍耐力が欲しいと切に願った。

 

 

 

 



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2005年8月6日 藤村流

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