仄かな灯りの中に一人の女がいる。
年の頃は十五、六であろうから、少女と言ってもよいであろう。
先頃嫁いだばかりであり、今は夫の訪れを待っているのである。
今日こそは言わねばならない。
「麋よ、待たせたかな?」
「いえ、お気になさらずに。」
夫が扉を開けるとともに立ち上がり、手をとる。
彼と過ごす時間に慣れはじめたころから、いつか習慣になっている。
自分は知っている。殺戮者の侵攻を憎悪した兄が、盾としてこの少壮の男を徐州に留めるため、
かつ、彼の将来を奇貨として、私を差し出したのだと。
男にもそのようなことはお見通しで、兄の財力と人脈の後ろ盾を得るために私を受け入れたのだと。
――ただ、男は優しかった。
昼も夜も、彼女に掛ける言葉は思いやりに満ちており、彼女を抱く手はいたわりに溢れていた。
だから、彼女が男と過ごすときを幸せに感じるのは罪なことではない。
しかし、彼女はだからこそ言わねばならないと思う。
この優しい夫が、もう一人の彼の妻のことを気にかけないはずなどないのだから。
夫を寝台へと導き彼女は口を開く。
「玄徳様、お話があります。」
「ん、何かな?」
「甘お姉さまのことです。」
「……甘か。」
甘はまだ劉備が公孫讃配下の部将に過ぎず、ようやく平原の令に任命されたころ、
まあ、高々三年ほど前のことだが、
関羽と張飛をつれて、強奪するようにして娶った豪族の娘だ。
あれも有力者と結び、あわよくば隙を突いて独立しようと考えてのことだった。
結局割拠するほどの実力も得られず、新天地を求め、徐州に来た訳だが。
陶謙を助けてやろうという義心が無かったわけではないが、それはまあついでだ。
袁紹の盟下にある勢力が膨れ上がるのも気に入らなかった。
「私が玄徳様に嫁いで以来、毎日のように私に情けを掛けてくださるのは感謝しております。
ですが、あまりに甘お姉さまを蔑ろになさっているようなので…」
劉備の瞳で灯が揺らめいた。
「甘があなたに何か言ったのかな?傍から見る限りではとても仲良くしてくれて、
まるで本当の姉妹のようだと思って安心していたのだが。」
「いいえ!お姉さまはとても良くしてくださいます。
内気で世間知らずな私をとても気遣ってくださって、側にいるだけで心が温かくなる――
まるでお日様のような方ですわ。」
「ふむ、ではあなたが気にかける必要は無いよ、私たちは新婚なのだし、
そうでなくともアレはよくできた女だ、家事の役には立たないし、些か抜けたところもあるが。」
「玄徳様!……それではあまりにお姉さまが」
御可哀想ですと言い掛けて、自分の高慢さに気づき口をつぐむ。
劉備は薄く、しかし優しげに微笑むと、
「あなたこそアレをよく知っているようで分かっていないな……日が浅いから無理も無いが。
アレは――」まさしく恵日そのものなのだ。
話は終わりとばかりに劉備は唇を奪った。
「ふぅんんっ…」
麋からくぐもった吐息が漏れる。
この男はいつもこうである。
始まりはいつも強引で荒々しい。
だが、愛撫は力強くも優しく、知らず安心しきって身を任せてしまう。
劉備の唇がうなじを滑り、少し肌蹴た胸元に至ろうというとき、
いつもと様子が違うことに気づいた。
あろうことか劉備は自らの帯で糜の両手を封じ寝台の枠木に括り付けたのだ。
「劉備様?…」
麋の呟きに答えず、劉備は一人ごちた。
「まあ、良い頃合だったのかも知れんな…」
麋の探るような視線に気づくと、男は、
「ん、ああ、今夜は少し趣向を凝らそうかと思ってね。
少し不自由かもしれないが堪えてくれるかい?」
いつもの優しい夫の声。それを耳にすると麋の僅かな不信は消えうせた。
だが、男の影は密度を増したようだった。
ただ、一言、
「その、せめて――明かりを…」と囁いた。