十数年後。
文姫は結局劉豹との間に二児をもうけた。
男児が一人、女児が一人。二人とも美しく育ち、男の方は跡取りに決まった。
そんなある日のことだ。使用人が文姫のもとに報を知らせた。
「文姫様、お喜びください。漢へ帰れるようですよ。」
「どういう・・・事だ?」
元々頭の良い文姫だ。今では匈奴の言葉もそつなく使う。
「魏国の曹操殿が蔡家の跡取りがいないことを良しとせず、文姫様を漢へ帰すよう旦那様に掛け合ったそうです。・・・なんでも財宝を山ほど贈ったと
か。」
「そんな・・・いまさら・・・。」
「?嬉しくはないのですか?」
「嬉しいわけがなかろう!子供達はどうする!?息子は跡継ぎに決まっている!置いて行けというのか!?」
「も、申し訳、ございません。」
穏和な文姫は滅多なことでは怒らない。その文姫に怒鳴られ使用人は萎縮してしまう。
はっと我に返る文姫。
「いや、す、すまない。突然だったものでつい。本当にすまない。もう、決定したこと・・・なのか?」
「はい、数日で漢より使いが来るでしょう。私こそ申し訳ありませんでした。
では、たしかにお伝えしました。失礼します。」
部屋に静寂が戻る。
・・・・・・・・・。
どうして、今更・・・。
確かに昔は漢へ帰ることを夢見て生きてきた。
・・・でも今は・・・。
「うえぇぇぇ。え、え、うぅ、ぐす、うぅ、えぇぇぇ・・・。」
その夜、文姫が泣きやむことは無かった。
帰還の日がやって来る。子供達と最後の別れをすませ、馬車に乗り込む。
「母様!どうして行ってしまうのですか!?」
「母様ぁぁ・・・いかないでよぉぉ。」
後ろで子供の声がする。跡取りに決まったとはいえ、まだ子供の二人が納得するには幼すぎた。
「では馬を出します。よろしいですか?」
少し躊躇らったが、はっきりと答える。
「あぁ、頼む。」
衛仲道や父との死別で最後の刻まで顔を合わせるつらさを知っていた。
馬車が動き出す。それを見て子供達は馬車を追いかけてしまう。
「くっ、まってようぅ、かあさまあああ!」
「母様!まってぇぇぇ!・・・うぐ!」
転んでは起き上がり、またつまづき、転んでしまう。
それを繰り返しながら確実に馬車との距離は離れ、ついには見えなくなった。文姫はけっして振り返ることはなかった。
「うぅぅぅ・・・ごめ、なさ・・・ごめんなさいぃぃ・・・。」
数年後、魏国。
文姫は曹操のすすめで董祀という男と再婚した。董祀は傷ついた文姫に慈愛をもって接し、文姫も少しずつ癒され初めていた。
「また空を見てるのか?」
董祀が文姫に話しかける。
文姫は暇を見つけては空を見るようになった。この広い空の向こうで子供達と繋がっているような気がして――。
「匈の国の空も今日みたいにとても青かった。子供達も見てるかな・・・。」
癒されているとはいえ、やはり子供のことは一日も忘れたことは無い。
「そうかもな。」
董祀が答えた。
・・・ふいに文姫が歌を口ずさみ始める。とても悲しい声だった。
それは、亡き父が教えてくれた歌、望郷の歌だった。
今となっては分からないが、文姫が思う故郷は漢の国か、それとも・・・。