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半刻ほど歩いただろうか。
一歩踏みしめるごとに、寂しさが濃くなるようだった。
「ぐすっ・・。ここどこなのよう・・。りょきぃ、どこにいるのぉ・・・?」
威勢はどこかに置いてきて、涙ながらに董白は呂姫の姿を追い求めていた。
普段の姿を知っているものは、彼女のこの姿を見れば誰もが愛おしくなる。
物音に董白は身を竦める。だが、追っ手の気配は無い。
剣戟?
先ほどの男達なのか? もしかしたら呂姫がやっつけてくれているのかもしれない!
実際はどうなのか、考えもせずに甘い幻想を抱き董白は音の聞こえる方角へ寄った。
「はぁっ!」
気合一閃、男の体は切り離された。
反撃の手にも怖じず、身を裁きつつ神速の突きを繰り出す。
「やるわね。」
呂姫の背中を守っている男がいる。
「さすがは小覇王・・といったところかしら。」
「天下無双を知る人間に言われても、皮肉にしか聞こえないがな。」
笑いながらそう答えた者は孫策である。
先ほど、董白を追っていたものは孫策を狙ってこの森に潜んでいたのであった。
暗殺は、誰にも知られぬからこそ暗殺と呼ぶ。
董白を追っていたのも、孫策の縁者である可能性があったからである。
この日、孫策は一人、狩りを楽しんでいるはずなのだから。
そんな中で、愛らしい少女が森の中で一人居れば怪しまれるのも無理はない。
「さっ、残りもさっさと片付けるわよ。」
「すまんな、こんなことにつき合わせて。」
董白を探していた呂姫は、孫策が許貢という者の刺客を切り伏せている場面を目撃した。
勿論、襲われている相手が孫策だとは知るはずもない。
ならば、何故に呂姫は加勢したのか。
戦いの中に身を置く人間ならば、その男が只者ではないことに気付くだろう。
呂姫自身も、ここ最近体が訛っていたところである。
孫策であるかは置いておき、無勢に加わったほうが面白い。
呂姫の乱入により、刺客たちは驚いたが、それ以上に動転してしまったのが孫策であった。
呂姫は過去に、袁術の子息との政略的な婚姻を迫られた。
無論、剛毅である呂姫はそのようなものを受け入れるはずも無かったのだが、それでも袁術の所へ赴かないわけにも行かなかった。
呂姫は気付いていなかったが、その時に孫策と出会っていたのである。
美しい花には棘があるというように、呂姫の触れれば切れるような美に孫策は心を乱したものだった。
「せりゃぁっ!!」
刺客の渾身の一撃は孫策の胴を狙ったもの。
その速さ申し分なく、捨て身の気迫は歴戦の猛者ですら怯ませるものがあった。
しかし。
「見事だ。」
剣は、刺客の手を離れ近くの木に突き立った。
孫策の逆袈裟に振り上げられた名刀が、打ち払ったのだ。
孫策は、構えを直す。
確実にこの刺客を殺すために。
「だが、俺には-」
声は、頭上で響いた断末魔によって遮られた。
味方を犠牲にして、木の幹から孫策の隙を伺っていた男は今こそ絶好の時と踊りかかってきた。
重力の加味された殺意は、孫策の意識の外から彼を仲間の下へと連れ去るはずであった。
孫策が気付いたときにはもう遅い。
その者は呂姫によって打ち倒されていたのだから。
「孫策、見事よ。 でも-」
片目を瞑り、微笑む。
「私には及ばないようね。」
ぞくりとした。
その仕草の妖艶さとその美しさに似つかわしくない強さに。
「適わないな、天下無双を継ぐ者には。」
孫策は翻りながら、剣を払う。
剣から伸びた血飛沫が先ほど対峙していた男の結末を物語る。
「呂姫!これはどういう事なのよ!?」
あえて傍観者に徹していた董白は (決して怖かったわけではないと董白は言うだろう)、
事が済んだ後に、たった今この場面に遭遇したかのように現れた。
「誰だ!?」
孫策は闖入者に剣を向けた。
戦場では、僅かな油断が命を脅かす。 殺意あればそれは敵なのだ、例え幼子でも。
うっ・・と言葉を詰まらせ董白は尻餅を着いてしまう。
孫策の威圧で腰が抜けてしまったらしい。
「ふぅ・・。私の連れよ。敵じゃないわ。」
呆れたように董白を見遣るが、その目には安堵していた。
何はともあれ、孫策と背中を合わせることができ董白も無事だったのだ、めでたしめでたし、である。
「我が主人の仇・・晴らさずにおくべきか・・・!」
意識も定かではないであろうほどに血を流していた刺客の一人が、倒れ付したまま弩を構えた。
その標的は、董白。 朦朧とした世界では、物体の判別はできなかった。
「うそ・・・っ。」
ひゅうっと矢が発射された音とそれが肉に突き刺さる音が聞こえた。
董白の視界が真っ黒になった。
しかし董白には痛みも傷も無い。 それは呂姫が代わりに受けていてくれたからだ。
「りょ・・き・・? ねぇ、だいじょうぶなんでしょ? ねぇ!?」
呂姫は答えない。 悲鳴も上げないのは、流石といえるが。
己の一撃が何者かを倒したらしいことに満足して、刺客は力尽きていた。
「これは、毒・・!?」
呂姫は熱くなる体とは対極の蒼褪めていく顔に殊更に笑みを浮かべた。
痛みは神経網を駆け巡り、焼けるような熱、奔流する嘔吐感を押さえ込みながら。
「大・・丈夫よ。 董白、貴女こそ・・何もない・・?」
「私は、ぜんぜん平気よ・・。だって、呂姫が守ってくれたから・・。」
董白のその言葉を聴いて、呂姫は微笑を残したまま果てた。
「嘘・・・。嫌、いやよ・・・。また一人になるのは嫌ぁぁ!!」
日は暮れもうすっかり夜になっていた。
輝ける太陽が、必ず闇に溶けるように、ささやかな幸福も何れは消えてなくなるものか。
董白の泣き声は、呂姫の薄れていく意識の中で木霊となって消えていった。