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男の頭が爆ぜた。
首から上を無くした屍は、何かを掴もうとする仕草を残して倒れる。
その原因を作った「それ」は、巨大な戟か斧か、もしくはそれ以外か。
大の大人でさえ持つことも適わないであろう鋼鉄の凶器である。
「ふん、下郎が。」
声は死臭の渦の中心から聞こえる。
「呂奉先が娘、貴様ら如きに組み伏せられるとでも思うたか。」
呂布、字は奉先。 天下にその者ありと言われた豪傑である。
先年、戦場にて散ったが。
「けっ、ほざきやがって。 てめェの親父は泣いて命乞いしたっていうじゃねェかよ。」
呂布の娘、呂姫の周囲が凍てつく。 殺気と呼ばれるものだろうか、肉体の芯まで
凍りつかせるような恐怖を賊徒どもは感じた。
「ならばその身をもって知るがよい。天下無双、呂奉先が残し武を!」
呂姫は軽々と巨大な武器を掲げ、舞うように翻る。
背後から襲いかかろうとしていた男の目にはゆったりとした、優雅さすら感じる動きに見えた。
勢いに任せた、力任せの一撃が呂姫に振り下ろされようとした。
瞬刻、男の胴が千切れ飛ぶ。
下卑た笑みを浮かべたまま絶命した男の網膜には竜巻と化した戦姫が焼きついていた。
振り抜きながら呂姫は大将格と思われる大男の下へ、駆ける。
あまりの速さに、地が繋がったような錯覚を覚える。
男は一指も動かせぬまま、呂姫の斬撃は己の肉体を両断した、はずであった。
未だ繋がったままの胴体を不思議に思いつつも呂姫の姿を追い、背後を振り返る。
その時、仲間達の視線が自分に集まっていることに男は気付いた。
「てめェら、何してやがる!? 早くあのアマ追い込まんかい・・・て?」
足が動かない。 いや、それよりも腹の辺りが焼けるように熱い。
「あれ・・・?ちょ・・とまて・・・?」
神速の一撃は男を確かに断っていた。
そのあまりの速さよって、肉体は飛ばされず綺麗に細胞の結合を切り離され、
一見繋がったままに見えていたに過ぎなかったのである。
男の体を分かったのは、まだ僅かに命令できた自分自身の動きによってである。
残された下半身が、血霧を噴出し、凄惨な模様を彩る。
今までに想像すらしたこともない光景に茫然自失の体の賊徒などに目もくれず、呂姫は血雨の中、傲然としている。
「悪い夢を見たわね。」
「な・・なんだ・・・。一体なんだってんだよ・・・!?」
賊の一人が、超常の技に怯えを抑えきれない裏返った悲鳴を上げる。
かの細腕にはどれほどの剛力が秘められているのか。
呂姫の紅く濡れた髪は妖しくも、目を離せぬほどに美しい。
武の化身とあだ名された呂布の事など男達は知るはずもないが、現在自分たちが対峙している存在は、
専売特許であるはずの暴力を圧倒的に上回る暴威でこの場に君臨していることは判る。
相手は一人、しかも女だ。
幾ら強かろうが、男様に勝てるはずがない。
犯しぬいて、泣きながら命乞いをさせて、飽きたら売っぱらう、そんな青写真があったのだ。
まともな人間ならば、これほどまでに逆撃を受けてしまえば逆に泣いて逃げ出してしまうだろう。
だが賊徒達は、-真に愚かしいが- 貧相な矜持を奮い起こし今一度戦いの構えを示す。
「びびんじゃねぇぞ!!俺達蚩尤党が女一人に嘗められてたまるか!!」
名前だけは大層な連中である。
意を決し、呂姫を取り囲み八方から襲い掛かる。
「愚か者が。」
呂姫は哀れむように、呟いた。
「消えよ!」
気炎が上がる。 呂姫はその場で己の体を軸にして、再び死の旋風を巻き起こした。
弱きものは死すべし
力を伴わない殺気は、呂姫に届くことは無かった。
*
人間だった物体を見下ろして、呂姫は父の事を思い出していた。
先の言葉は事実であった。
無双の男の最後、それは命乞いをするも聞き届けられず、その首を刎ねられた。
それは、情けないことだったのか。
戦い、矛を向けたのならば剣をもって答えられる。
その結果、敗北し虜にされれば己の命運は相手に委ねられる。
父は、手にしてきたもの全てを己の力で勝ち取ってきたと聞いている。
己の力を信じ、決して裏切らぬ己だけを頼んだ。
しかし他の者を超えた強さ、それは無敵では無かった。
捕われ、この天下に一人と言われた男は、匹夫下郎のように我が命を惜しんだ。
それは何を意味するのか。
父は、つまらない男であったか。
父は、己の命を他人に委ねることに耐えられなかったのではないか。
死を前にして何も言わなければ、殺されるにしても豪胆さを買われたかも知れぬ。
どうせ殺されるのならば、最後に言葉の剣で一矢報いることも出来た。
どちらも、散り際の美しさを讃えられたはずだ。
だが、父は醜く生きようとした。
死して名を残さず、生きて泥水を啜るように。
父は、あえてそうしたのではないか。
父は強くも、その時までにも幾度か敗北をしている。
父は生き延びた。
常に父は戦場で、生死の渦中にあった。
死こそは真の敗北であると悟っていたのではないか。
だからこそ、自ら死を選ぶことが出来なかったのではないか-
娘である自分が、贔屓目しているだけかもしれない。
だが、最後まで生を諦めなかった父を呂姫は蔑むことなどできなかった。
人に委ねず、唯一人の存在であろうと呂姫は心に決めている。
「運命は自分で切り開くわ。」
口に出して、この言葉を噛み締める。
父は死に、一族は曹操に捕らえられた。
母である厳氏、その娘である呂姫。 両氏、類稀なる美貌であった。
曹操の下で、妾として生きればそれなりに安穏として生きられただろうし、実際に求められもした。
だが、他者の傘を借りるために自らを貶めることなど出来ようか。
愛用していた武器を一つ持ちて、衛兵を打ち殺し呂姫は飛び立った。
無論、行く当てなどない。
自身が男性ならばともかく、女の身を将として取り立てる者もいまい。
遠からず追手も来よう。 正に、一人きりである。
だが、それこそが望んだ道。 立ち塞がるものあれば、切り伏せよう。
今しがた屠った賊どもと同じ道を歩ませよう、と。
賊を惹きつけた様に、呂姫は見るものを振り向かせる美女であり、
その肉体は父によって鍛え上げられたものである。
これら全ては己の誇り、己が自身のもの。
己自身の全霊を懸け、己の運命に立ち向かってやろう。
死肉を啄ばむ烏を見上げ、呂姫は改めて己に誓った。
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