対して周瑜は混乱していたが冷静だった。
「…周姫、私は父だぞ」
まず娘の正気を疑った。
寝惚けているのだろうか。それとも何か変な妖術に操られているのだろうか。
とりあえず寝惚けているのなら目を覚ましてやろうという使命感で、周姫の両頬を摘まんで伸ばしてみる。
「はひふうんへふは」
何するんですか、と言っているらしい。目は醒めているようだ。
では妖術の方か。
脇の卓子に置いてあった于吉とかいう怪しい自称仙人にたまたまもらった札を、周姫の額に貼り付けてみる。すると周姫がぷるぷる震え始めたではないか。やはり妖術かと周瑜はひとり得心する。
「…父様!いい加減怒ります!」叫んだ。叫ぶなり額の札を千千に破り捨てた。周瑜は札を破られたせいか、大人げなく叫び返す。
「もう怒っているではないか!
…あー解った、先の台詞と接吻は忘れる故用件を話せ」
ぐっ、と詰まって、辛うじて聞き取れる声で。

「周姫は…父様に…よ、夜這いをかけに来たんです…」

周瑜は天を仰いで、呆れて大きな溜め池を吐いた。

「周姫…戯言が過ぎると人を呼ぶぞ」
周姫に向き直った眼光が鋭くなり、声も低く圧し殺され、父が本気で怒る前兆を知らせる。
刹那怯むが周姫は諦めを知らない。

「私は正気ですし本気です。ここで諦めるために来た訳ではありません」

「私の愛する女は小喬ひとり。お前はその結果に過ぎない」
周瑜は言う。
「存じてます。だけど私は父様を唯一の人と想い、愛しております」
周姫は返す。
「部屋に戻れ。聞かなかった事にしてやる」
周瑜は言う。
「父様はもう、私が何故縁談を断って来たのかお分かりでしょう」
周姫は返す。
「ああ、たった今な」
周瑜は言う。
ついに周姫は耐え兼ね、叫ぶ。
「お願いです父様、一度だけで良いです!私を抱いて下さい!
…それで私、諦められますから…!」
周瑜の答えは簡潔。

「駄目だ、戻れ」

瞬間周姫の顔が泣きそうに歪む。しかし泣き崩れることは無く、放置されていた短刀を奪って素早く抜刀した。それを威嚇するように構える。剣先は震えていた。

「ただ一夜の情すらかけて頂けないなら…私…私は」
かちかち、音がする。歯の根が合わない。手が震える。
どうせ死ぬなら先ほど刺客だと思われたまま手討ちに斬られたかったが、せめて父様の短刀で。
自虐的に笑って、刃を首筋にそっと添える。
命を盾にしてまで乞い願う娘を憐れみ、溜め息を落とす。

「周姫――…何をするつもりだ」

周瑜は無表情に問うた。
昔から変わらない、聞き分けの無い子供達を諭す時の目をしていた。

「――…!」
その一言だけなのに。
喉がひゅう、と鳴る。手から力が抜けて、短刀が滑り落ちた。
周瑜はそれを拾うと、部屋の隅へと投げ捨てる。落下音がからん、と無機質に響く。

周姫は寝台にへたりこみ、緩慢な動きで顔を手で覆うと静かに涙が指の間から滑り落ち始めた。

「…なんで…どうして…?嫌ぁ…っ、嫌………父様、父様……!」
ごく小さな声で「何故」と「嫌」を繰り返して父を呼ぶ。
子供の時となんら変わることない手放しで無防備な泣き方と泣き声。
周姫は呪文のように周瑜を呼び続ける。
昔から何故だかこの娘の泣き声が堪らなく嫌いだった。
周姫の泣き声は続く。父の名が自分を救える唯一の灯りだと言うように続く。

父への恋慕は母への反逆。
嫉妬に心を焦がし罪悪感に心を焼いて。
許されない感情をひた隠しにして、誰にも気取られないように。
終止符を打とうとして忍んできて、受け入れられず――逃避も許されずに。

「…父様あ…っ…!」

限界だった。もう泣き声を聞きたくない。
先に周姫がしたような、己の唇で相手の口を封じた。
唇を合わせるだけから、周姫が酸素を求め唇を開いた時に周瑜の舌が入り込む。
歯列をなぞり舌を吸う。時折息継ぎが出来るよう角度を付ける。口腔深く侵入して、余すことなく蹂躙する。

唇を離したのは、周瑜から。
吐息がかかる程の至近距離で周瑜は息を吸って、言う。
「お前の唇は甘い」
周瑜は己の唇をぺろりと舐めた。その仕草は男とは思わせない程酷く妖艶だ。
「…………父、様」
周姫は予想だにしない行為に、呆然と周瑜を見つめた。

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