「申し訳ありませぬ!!!」
従者は、掌と頭を地に着けて、六度目となるその言葉を叫んでいた。
「いえ、もう大丈夫ですから・・。頭を上げてくださいな。」
「娘の罪は、親であるわたくしの罪!!!この素っ首叩き落されてもお恨み致しませぬ!!
ただ!ただ娘だけは!!何卒娘だけはお許しいだたきとう存じまする!!」
娘、というのは先ほどの闖入者の事だ。
先月までは、国境の小さな村で暮らしていたが、戦によって家族を失い叔父であるこの従者が娘として
引き取ったということらしい。
「よくある話だね・・・。」
と、文姫は心中思う。
自分も戦によって多くを失ってきたのだ。
「わたしは最初から何も気にしてはおりませんから、もう下がってもらって構いません。」
それは本心である。
従者は、娘が文姫の勤めを妨げたものと勘違いしているが、真実でないことはご存知の通り。
これ以上突っ込まれて、事が明らかになる可能性のないわけではない。
加えて、熱意余りあるこの従者の謝り方が鬱陶しかったのも事実。
「子供のやったことです。 罪を知らずして罰を与えるのも酷というもの。それに・・・。」
「それに・・?」
「ん、何でもありません。 聞けば可哀想な話です。 わたしは何も咎めませんから
あなたも何も言わないようにしてくださいね。」
「ははっ!! 有難き幸せ!!」
いちいち反応が熱い男である。 この地に戻って以来、人との交わりを絶ってきたが、
側に仕える者のことすら知ろうともしていなかった自分を知った。
従者は終始畏まって退出した。
一人になった部屋で、文姫はほぅと息を吐いた。
誰もまさか木簡を使った自慰をしていたとは思うまい。
あの小さな目撃者も、行為自体を理解できないだろう。
それにしても、自分のあの慌てようといったらなんと可笑しな事だろうと自分自身を笑ってしまう。
あの子はしかられやしてないだろうか。
子供という存在が、かつて文姫の心を満たしていた時期があった。
外を見やる。 夏の燦燦と輝く太陽が、視界を真っ白にする。
掌で陽光を遮り、文姫は彼方を仰いだ。
ここからは見えないが、匈奴の地に残した我が子を思い遣る。
甘えさせていたつもりだったが、自分こそが救われていたことを改めて感じた。
あの女の子は、遠く離れたこの街で、何を思っているのだろうか。
代償行為なのかもしれない、が。 あの子が望むことは力及ぶ限り叶えてやろう。
文姫は、己こそが救いを求めていることを意識的に無視していた。
*
あれから娘は毎日のように、文姫の下へ遊びに来た。
文姫も娘の事を可愛がり、漢の地に戻ってから始めての心からの笑顔を見せるようになっていた。
「おねえちゃーん、こっちこっちぃ!!」
「はぁ・・はぁ・・。 ちょ・・と休憩しようよ・・・。」
娘はよく文姫にかけっこをせがんだ。 故郷に居たときは山を友に過ごしてきたのかもしれない。
文姫は、永く筆を友にしてきた生活をしていた為、始めの頃は走ることすらままならなかった。
これでも、子供の頃はおてんばと言われた時もあったのに・・と文姫は思うが三十年も前の話である。
「おにさんこちらー・・って、おねえちゃん! やすんじゃだめなんだからー!!」
「ごめ・・・もうげんかい・・・。」
文姫が逃げ役になっても、ものの数十秒で捕まってしまうため鬼の役をやらされるが、これまた全く捕まえることができない。
遠くで娘があかいほっぺたを膨らませている。 その様子が文姫には可愛らしく思える。
体中の疲労が心地よく感じるのは、この身があの子の役に立っている喜びからだろうか。
結局、疲れきって動けなくなった文姫は、従者に屋敷までおぶってもらう羽目に。
これではどちかが子供かわからないな、と文姫の平らな胸を妙に意識しながら従者は微笑んでいた。