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五月病 42様


その時、私はステルヴィアから出られる方法を探していた。
同室の生徒は、どこかへ行ってしまって、手持ち無沙汰だったのもある。既にいろいろ、
つまり、ヨガとか声に出してお祈りとか部屋を暗くしてロウソクをつけるとかを、寮長に
禁止されてしまっていたので。
ジーンズにTシャツの軽装に着替えて地図を手にステルヴィア内を巡り、ようやく見つ
けたダストシュートから外に出るその途中。
上から人が降ってきた。
「何をしているの?」
間一髪で避けて、ロープで体を支えて、斜め38度程下から驚いた様子でこちらを見てい
る男に訊ねる。
「……修行だ」
蛍光オレンジ色のジャージ姿に、口元に覆面をした、目つきのきつい男。こんなところ
で、人に会うとは思わなかったのだろう。私も思わなかった。
世の中には奇特な人間がいるものだと思ったが、自分も人のことは言えないらしいこと
は、入学試験の時や、フジヤマで隣り合った生徒や、同室の少女の反応で既に知っていた
ので、流した。
「そう」
「君はどこへ行くんだ?」
「外」
彼もまた、それで納得したようだった。思えばここへきて初めて、最小限の言葉で話が
通じている気がする。
「俺もいいか」
「どうぞ」
そう答えると、本当についてきた。
どうやら、このあたりはあまり使われていないらしい。
宇宙服を上から着こんで、扉の横の計器を操作し、外に出る。
すると文字通り目前に、地球があった。存在していた。
緑の海に浮かぶ青い星は、まるで深海に1つ落ち込んだ宝石のようで、私の目をひきつ
けて離さなかった。
「地球は青かった……」

その言葉は、私の口を自然について出た。
「ガガーリンか」
故郷は、家はどのあたりにあるのか、そんなことは瑣末事で、地球それ自体の存在感が
胸に迫った。ファーストウエーブや、その後の人類の苦労や、4年後に控えているグレー
トミッションが、初めて自分のこととして感じられた。
「見ると聞くとでは、大違いね」
私は改めて、隣の男に目をやる。
彼のメットにも地球からの光が映って、表情は見えなかった。
「自分の眼で見ると、誰かの目を通して見るのも、違うな」
本当に。だからステルヴィアへ来たかったのだ、私は。
たった一月くらいで、同室の子に部屋替えを申し渡されたくらいで、忘れる所だった。
人造のステーションの中に、人間が蠢いているそのすぐ先には、無辺の宇宙が人の営み
を嘲笑うかのように広がり続けているということを忘れていた。
私達は黙って、エアの残量表示が危うくなるまで、宇宙を見詰めていた。

宇宙服を脱ぐか脱がないかのうちに、私達はごく自然に体を寄せた。
地球の光が熱に変わって内に溜まって何かを促しているようで、このまま帰ることなんて、できそうになかった。
私が、後頭部に回っているひらひらを引っ張っても、彼は抵抗しなかった。
白い布切れが私の手から離れて床を滑っていく。
彼の目の下と顎に多分メイクなのだろう、緑の線。
……やはり、変な男だ。
嫌いではないけれど。
でなければ、いくら感動を共有したからといって、初対面でこんなことはしない。
重ねただけの唇では我慢できなくて、深く口内に侵入する。彼の唇も口の中も乾燥して
いる。
宇宙服で長時間同じ姿勢を取っていて体が凝ってしまったのか、腕の動きがお互いにぎ
こちない。
そういえば、ビアンカの初搭乗でも同じようなことが起きた。
散々準備運動をさせられたのに、太股や二の腕あたりが凝って、筋肉痛になった。

彼の指がぎこちないままに、服の上から私の胸を這っていく。
私達は同時に膝を折り、私は腕を彼の背中に回した。
彼がジャージの上着を私の後ろの床に敷いている。
ジャージの下は黒のTシャツだ。こちらの方が似合うのに、服のセンスの悪いこと。
お互いのTシャツを脱がせながら抱き合うと、火照った肌が、背中の寒さを忘れさせて
くれる。
少し焦ったような口付けが、私の体を降りていく。
唾を呑み込む音が聴こえて、動きがわかって、私は彼の頭を抱きしめる。
ジーンズを脱がされて、靴下を脱いで、下着を脱がされて。
「いいか?」
ほとんど前戯がないせいか、動作ごとの荒っぽさのせいか、少し躊躇って訊ねる彼に、
私は即座に頷いた。
今更確かめられる必要なんてない。
もう――ひょっとしたら、最初の口付けで、私の体は勝手に受け容れる気になっている。
羽虫が燃え盛る炎に飛び込むように、本能のレベルで、私はこうして彼に貫かれて、汗
ばんだ体を揺らして、体の奥深くから外の景色にそぐわない思いを引っ張り出してほしい
と、彼のそれを引きずり出してしまいたいと、願っていた。
嬌声を幾ら発しても、聞かれる心配はない。
際限なく高まっていく私の声に、彼もまたその絶頂で短い嘆声を洩らしたのを聞いた。

目を開けると、彼の指が私の短い髪を撫でていた。
先程までの荒っぽい動作とは逆に、その指は思いがけず優しい。
ステルヴィアに合格した時に切ったままだが、もう一度伸ばそうかと思った。
こんなふうに絡まる指がこの世にあるのなら。
お腹の底に溜まった、濁った感情の塊はもう私から脱け出て、冷気の中に溶けていた。
奇妙にすっきりした気分で、その代わりに純粋に、温められた欲望が私を支配していた。
私の横で寝転がって息を切らしている彼に、私は体を返して囁く。
「もう一回、しない?」

それから数日経って、私は一人部屋になった。
いまだに親しい友達はできないが、普通に話し掛けることはできるので、まあいいかと
も思う。
「ナジィ!」
訂正、フジヤマで隣り合わせの席だったケント・オースチンは例外的にしょっちゅう話
し掛けてくるが、実習クラスが別だ。
「ケント、何をして……」
彼の後ろから大講義室の段を降りてくる人物を見て私は、目を瞠った。
「あ、笙人。この子はナジマ・ゲブール。フジヤマで知り合ったんだ。ナジィ、こっちは
笙人律夫。話したっけ? 新しい同室者なんだ」
「あ」
「え」
私達は、しばし絶句した。
声変わりがすっかり済んでいるし、なんとなく上級生かと思っていたのだ。
15か16にしては、老けていると思う……人のことは言えないだろうか。
「2人とも、知り合いかい?」
ケントは私達の顔を見比べて、首を傾げる。
「あー、まあな」
「ちょっとね」
それ以外に言いようがない。あの日のことを思い出すと、体が火照ってきてしまう。
ケントから視線を外して、彼から私に話し掛けてきた。
「予科生だったんだな」
「貴方も。予科の制服、全然似合わない」
「人のことは言えないと思うが」
何を勘違いしたか、ケントは両の手で私と彼の右手を掴んで、合わせる。
「あー、経緯はわかんないけど、2人とも仲良く、な」
知り合う前に仲良くなってしまったから、今困っているのだが。
ケントのうさんくさい笑顔につられて、つい握手して、よろしくなどと言ってしまう。

よく寝ていたからと先に帰ってしまってごめんなさいとか、避妊してない気がするわと
か、相性いいわよねとか、言うことはほかにあるような気もするけれど、こうしてまた会
えたからには、また言える時もあるだろう。
握手を止める時に、彼の中指が私の手の平から薬指の先までを、丁寧になぞっていった。


――運命のなかに偶然はない。人間はある運命に出会う以前に、自分がそれを作っているのだ。ウィルソン――


END


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