Unbridgeable

 


    
 最初に『彼』を見かけたのは、よりによってセンター試験の最中だった。  ちゃんと座りなさいと試験官に注意され、何か言い返したその声の主が気になって振り向いた。  真っ黒な、感情がないように見える大きな目、ボサボサの明らかに寝ぐせだらけの髪、着古した感のある白いダボダボのTシャツ、それよりなにより素足で椅子の上に膝を立てて抱えるようにして座っている。 『おかしいんじゃないか』  それが第一印象だった。  僕は、自身まで注意を受けないように素早くまた試験に集中した。  ……つもりだったが、どうしても今見た『彼』のことが頭を離れなかった。あの風体はどう考えても異様だ。第一高校生なんだろうか。あれでまともな高校生活を送ってきたとは、とうてい思えない。  半ばで、僕は彼のことを頭から振り払おうとする努力を放棄した。センター試験なんて、天才の僕にとっては目をつぶったって満点が取れる程度でしかない。  どんな生活をしてきたのだろう。親は? いや、親がいればあんな服装は注意されるだろう。彼は、そうだ。きっと幼いときに親と死に別れ、苦労して大学入試の資格をとり、ここまでこぎつけた苦学生なのだ。大変だったろう。希望の大学に入れればいいのだが。  テストが終了し、僕は彼に一言何かいいたくて、彼の姿を探した。  しかし、彼はもうどこかに姿を消していた。
 その相手が、自分よりも少し前の受験番号になるよう手配させた。  いつもの姿勢で試験を受けながら、相手の様子を窺った。  私が注意を受けたのも、計算通りの事だった。テストを受けるのにいっぱいいっぱいでそれどころではない他の受験生に対し、試験の内容に余裕があるはずの彼は、案の定振り向いてこっちを確認した。  鋭い光を湛えた聡明そうな瞳、きちんと整えられた髪(しかし茶髪)、プレスのかかった清潔そうな服、背筋を伸ばし自信満々な様子は一点の曇りもない。 『非の打ち所がない』  そんな第一印象だった。  きっと、裕福な暖かい家庭で、なんの不自由もなく育ったのだろう。仕事に誇りを持ち、威厳はあるがこどものことも気にかけている父親。優しく少し愚かで、いつも家族の健康を気にし、時に唐突にクッキーなどを手作りする母親。出来の良いきょうだいを誇りに思っている、おしゃれに余念のない妹または姉、まあそういったところだろう。  あんなに理想的な高校生の彼が、何故人を殺す必要があったのだろう。  彼は何を考えているのだろう。  それとも、わたしの予想は間違っているのだろうか。
 次に彼に会ったのは、大学の入学式だった。入学式で新入生挨拶をしてほしいという依頼があった時、まあ当然のことだと思った。しかしもう一人といっしょにと聞き耳を疑った。僕ほどの点数を取る人間がいたとは。模試ではそんなライバルに出会ったことはなかった。彼は今まで模試も受けていなかったのだろうか。  どんな人間か興味を持った。ライバルになるのだろうか、それとも友人に?  当日隣に座ったその男を見て、仰天した。それは『彼』だった。
 新入生挨拶を彼として欲しいという依頼を受けたとき、一瞬戸惑った。  人前に出るのは、好きではない。  しかし、捜査する者とされる者という立場以外で彼に接触を持つ、またとないチャンスだ。ごく普通の友人としての関係を築くことが出来るかも知れない。  もっとも、『友人』というものを持ったことはなかったが。
 まっすぐにこっちを見つめてくる、濡れた大きな瞳。  吸い込まれそうになるのを必死で抑えた。  そして彼は言った。 「私はLです」  と。  いつものように冷静を装いはしたものの、心は揺れた。
「私はLです」  と言った時、一瞬浮かんだ戸惑いを、私は見逃さなかった。  それだけで彼がキラであることの証明になりはしない。いきなりそんなことを、入学式の最中に切り出されたら、誰だって驚くだろう。  彼が驚いてくれたのが嬉しかった。彼もまたちゃんと人間としての感性を身につけているのだ、と思えたから。  少なくとも彼は、自分の快楽のみで殺人をする性格ではない、そう確信した。  そして心のどこかで願った。私の予想が外れて欲しいと。
 捜査に協力すると見せかけ、僕は彼を観察した。 「月くんは、わたしの最初の友達ですから」  僕を油断させるために口に出したのであろうその言葉は、しかし胸に染みた。  少なくとも、その言葉自体は真実に思えたから。  友達になれれば良かったのに。  なんのしがらみもなかった幼い頃に出会って、楽しい日々を過ごせればよかったのに。そうすれば、僕たちはこんな風にはならなかったかもしれない。
 彼が、私のことを友達だなんて思っていないことはわかっていた。  でも言わずにはいられなかった。  それで彼は動揺するだろうか。それを口に出すことは卑怯だろうか。  私が言った言葉で、彼は自分自身を顧みるだろう。彼もまた、自分以外大切に思える相手に出会ってきていなかったことに気づくだろう。  私たちは、お互いに無二の存在なのだから。
「何故私たちはこんな事をしているのでしょう」  しらじらしくも彼が言う。僕に組み敷かれながら。両手を上げてまとめて僕に押さえ込まれ、下半身だけ服を脱がされるという情けない格好で。しかしその瞳は真っ直ぐに僕に向けらる。  一つに繋がった躰の部分から、熱さと震えが伝わってくる。 「試そうと言ったのは、おまえだ竜崎」 「そうでしたっけ? ……あ、やめて下さい。そんなに揺すったら、私は……」 「私は? どうなるんだ?」  激しく躰を揺する度に、くちゅりと淫猥な水音が漏れる。 「自分でこんなに濡らしておいて。よく今更言えるな」  愛しい思う心と裏腹に、口から出るのは意地悪な言葉。  優しくしたいと思う気持ちを押さえつけつつも、繰り返してしまう乱暴な行為。 「この僕が、男のおまえを抱いてやってるんだ。ありがたいと思えよ」  歪む表情に胸を痛めながら、より激しく責め立ててしまう。僕はどうしたのだろう。僕はどうして彼といると自分を失ってしまうのだろう。
 躰を二つに折られ、キチガイじみた勢いで彼が私に入り込んでくる。限界まで押し広げられた私のその部分が熱く火照り、目尻からは、つっと涙が零れる。 「痛いか、竜崎」  冷たい声が耳に届く。 「大……丈夫です……」  切れ切れに私が答えると、 「ふうん、そうなのか?」  にやりと目元だけで笑い、ぐいと腰をさらに進められた。下半身全体に広がる鈍い痛みと、圧迫感に息を呑むと 「気持ちいいのか? そんなに締め付けて」  と躰を揺すられた。 「……あ、……あああ……」  口から漏れたのは、嗚咽とも愉悦ともつかぬ喘ぎ。  わかっています。あなたは、私を苦しめようとしているのではないことは。 「何故私たちはこんな事をしているのでしょう」 「試そうと言ったのはおまえだ」  確かに私は言ったかもしれない。私は知りたかった。彼の気持ちを、彼の仮面の下に隠されている本当の顔を。サディスティックに責められながら、私は彼を窺った。冷徹な表情に僅かに隠れる優しさを集め、乱暴な動作に潜む暖かさを積み上げて、私は彼を信じようとした。  恐ろしい考えを打ち消すために。自分が間違っていて欲しいと望みながら。
 彼の熱い躰に包まれて、僕の躰は興起されていく。きつく締め付けられて、くらくらと眩暈がするのを 「気持ちいいのか?」  という言葉でごまかして、一度ギリギリまで抜きかけた自分自身を一気に奥まで突き刺した。彼の躰が大きくのけぞり、あまり日に当たったことのない彼の白い喉が露わになる。  噛みつきたい。急にそんな衝動が僕を襲う。  僕の脳裏にその光景が鮮やかに浮かぶ。白い肌に飛び散る鮮血。溢れてシーツに染みこんで行く赤い華。口の中に塩辛い鉄の味まで湧き上がってくる。驚いたように目を見開いて僕を見つめる彼の目。その目の光りが少しずつ失われ、やがて空虚な暗闇となる。  その考えを振り払うように、乱暴に口づけた。  ただでさえ、苦しい姿勢を強いられていた彼の体の関節がぎりぎりと軋み、悲鳴を上げる。僕の歯に当たった彼の唇が切れて、さっき口の中に広がった味が現実に舌に触れる。それに興奮し、僕は狂ったように彼を貪った。
 切れた唇から滲みだした血液を、生暖かい舌が舐め回す。下半身から響く淫猥な水音は耳を塞ぎたくなるくらいで、それでも押さえつけられた両手は動かすことすらできない。 「自分でこんなに濡らしておいて」  言葉でも責め立てられて、それに体が反応していく。拒絶したいと思いながら、体の内部を暴かれる恥ずかしさと快感に溺れていく。彼の躰も私の中で熱さと質量を増し、目元には扇情的な赤みが差す。 「この僕が抱いてやってるんだ」  強がる言葉に、彼の弱さが見え隠れする。  彼もまた、何かを恐れながら生きているのだ。私と同じように。 ……愛しい……と思う。わかってはいる。私がこんな事を口にしたら、彼は笑うだろうと。でも私は思ってしまう。私を抱いている彼は、なんと美しく気高く見えるのだろうと。しかし、その反面、なんと不幸そうなのだろうと。
 満たされない。  いくら繰り返しても満たされない。  躰を征服しているはずなのに、どうして僕の心は渇いているんだろう。  きっと、本当は、こんな形にしたくなかったから。きっともっと違う方法もあったはずなのに。
 見守っていこう、私の全てをかけて。  私の目に最後に映るのが、彼の顔であることを祈ろう。その時彼はどんな顔をしているのだろうか。  幸せだろうか。不幸せだろうか。  私がこの世を去ることで、彼は何らかの満足を得ることができるだろうか。
 白くハレーションを起こした頭の中で考える。  僕たちはきっといくらも一緒の時を過ごせない。同じ時間を共有するには、僕たちはあまりにも似すぎている。肉食獣が、生きる場所を住み分けて排斥しあうように、僕たちはお互いを受け入れることができない。
 唐突に別れはやってくるだろう。  それは一年後か、半年後か、それとも明後日か。その時を私は落ち着いて迎える事ができるだろうか。悔いのない人生だったと微笑むことができるだろうか。
 どちらがどちらを消すことになるのだろう。  彼を消したくはない。だけど……僕は僕を取り戻さなくてはならない。
 彼を消すくらいならば、消されるほうを選びたい。  しかしもし、私の推理が当たってしまったら……私は、覚悟はできている。
 心を封印し、いつかもう一度出会うその時まで
 私は彼の罪を全て担っていこう
  
 
  

Fin