平 成
23 年 度 奨 学 生 募 集
1.応募資格 「成績優秀」かつ「品行方正」であり、当財団の「規約が守れる学生」と当財団並びに関連団体が認めた
高校生、専門学校生、短期大学生、大学生、大学院生で27歳以下の者とする。
2.募集人数 若干名
3.申込期限 毎年3月31日(作文を添えて、各推薦団体に申請して下さい)
4.給付金額 1人年間10万円
5.奨学金振込日 年4回分割(ただし、1回目は給付式にて直接給付し、2回目以降は「成績表並びに近況報告」を下記期限までに提出した者に限り指定口座に振込み)
書類提出日 |
奨学金振込日 |
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1回目 |
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4月第3日曜日(給付式) |
2回目 |
8月31日 |
9月10日 |
3回目 |
1月10日 |
1月20日 |
4回目 |
3月25日 |
3月30日 |
※ 書類の提出の「成績表並びに近況報告」は、当日消印有効とし、期限を過ぎた場合には給付を辞退したものとみなす
6.振込口座 必ず奨学生本人の「ゆうちょ銀行」の口座とすること。他の銀行口座では振込みを行わないものとする。
7.面接予定日 4月第1日曜日(平成21年は4月5日)、面接内容「作文と同じテーマ」
8.給付式予定日 4月第3日曜日(平成21年は4月19日)
※面接ならびに給付式において、本人欠席の場合は、いかなる場合であっても奨学金を辞退したものとみなします。
9.申し込み 各推薦団体を通じて下記住所に申し込んで下さい。
〒299-1172千葉県君津市三直1266-9科学技術センター内
10.応募作文:帰ってきた龍馬「少年よ、ベンチャーとなれ!!
人と地球の共生のための第0次的産業の創出を」の
第5巻の感想を読んで感想文をお書きください。
11.作文の枚数:帰ってきた龍馬「少年よ、ベンチャーとなれ!!
人と地球の共生のための第0次的産業の創出を」の
感想文を400字詰め原稿用紙5枚以上お書きください。
12. なお、作文の資料は、『電子自費出版はeブックランド』(http://www.e-bookland.net/)の中にありますので、
ダウンロードしてお読みください。(1冊200円です。)
第10編目次
少年龍馬の芽生え、成長、そして、脱藩ベンチャー
龍馬の明日へのイノベーション
第33章
少年龍馬の芽生え、成長・・・・・・静的イノベーション、そして、脱藩“ベンチャー”へ
33‐1.母の死、いじめで不登校になった龍馬は、乙女姉さんに鏡川に投げ
込まれて、自治自主に芽生え、江戸に飛び立つ
33‐1‐(1). 龍馬の泣き虫・ハナタレ幼少時代
33‐1‐(2).「ワシが12歳のとき、楠山庄之助塾に入ったが・・・」
33‐1‐(3).「ワシが12歳のときに母が亡くなり、悲しい日々であった。そして、母親代わりの乙女姉さんからは、しごきを受ける毎日であった。」
33‐1‐(4).「ワシが13歳のとき、不登校になり、とうとう、楠山庄之助塾を辞めてしまった。」そして「独学」へ
33‐1‐(5).「ワシが13歳のとき、継母(ままはは)の事業:下田屋に行き、猪三郎から世界地図や輸入品など西洋のことを聞かされたのじゃ。」
33‐1‐(6).「ワシが14歳のとき、日根野道場に入門して、気質は“一変”、剣の腕がみるみる上達し、鍛えたのじゃ。」
33‐1‐(7).「ワシが20歳のとき、河田小龍に会って、アメリカのことを聞いたのじゃ。」
33‐1‐(8).「ワシが21歳のとき、西洋式砲術訓練に参加して、目標物に命中させたのじゃ。」
33‐1‐(9).「ワシが25歳のとき、西洋砲術と西洋に関する事柄を学んだのじゃ。」
33‐2.江戸で新しい明日の時代の“科学、思想、起業”への「静的イノベーション」を学ぶ
33‐2‐(1).「19歳のとき、ワシは、もっと鍛えたいと江戸への自費遊学を願
い出たのじゃ。」
33‐2‐(2).「江戸の千葉道場に入門し、剣女『定』に鍛えられたのじゃ。」
33‐2‐(3).「ペリーが浦賀に来航し、警備に当たったのじゃ。」
33‐2‐(4).「佐久間象山先生に入門し、西洋砲術について学んだのじゃ。」
第34章
脱藩“ベンチャー”「前」の龍馬の静的(思考的、潜在的)イノベーション―Staticイノベーション
34‐1.脱藩「前」の“科学技術”の「静的イノベーション」
34‐1‐(1).江戸にて佐久間象山から新しい“科学技術”の西洋砲術とそのためのオランダ語を学ぶ
34‐1‐(2).高島流徳弘孝蔵砲術に入門し、七町(約700m)先にある目標物に命中させ、新しい“科学技術”の必要性を・・・
34‐2.脱藩「前」の“起業・創業”の「静的イノベーション」
34‐2‐(1). 龍馬、楠山庄之助塾に入って、生きていくための“起業”の勉強を始める
34‐2‐(2).龍馬、勉強ができず、いじめにあって不登校になり、“起業”への挫折
34‐2‐(3).姉乙女と浦戸湾を船で渡り、土佐藩の御船蔵のあった川島家で、世界地図とヨーロッパの商品の輸入品を見て、世界への“起業”に目覚める。
34‐3.脱藩「前」の“思想政治”の「静的イノベーション」
34‐3‐(1).黒船の砲艦が幕府とニッポンに開国を迫る。
34‐3‐(2).河田小龍から、ジョン万次郎が体験をした世界の話を、聞き、龍馬は感銘し、眼は世界の“思想政治“へ
34‐3‐(3).アヘン戦争で中国(清王朝)倒れる。強力な大砲と蒸気船のないニッポンはピンチ…。龍馬、開国か攘夷か。
34‐3‐(4).土佐藩の武市半平太の「勤王運動」と、吉田東洋の「公武合体」の土佐の“思想政治”運動に参加
34‐3‐(5).長州尊王運動の久坂玄瑞から諸国の新しい“思想政治”運動を教わり、脱藩へ・・・。
第35章
脱藩が龍馬の“ベンチャー”、すなわち、明日への“新科学技術、新起業・創業”、そして明日への“新政治”への“スタートアップ”
35‐1.薄暗い檮原村の森の中を走りぬけた。振り返ると土佐の城下町が見えそうだった。そして、また、暗闇の茂みを竜馬は走って脱藩した。
35‐2.脱藩が龍馬の“ベンチャー”、すなわち、明日への“新科学技術、新起業・創業”、そして明日への“新政治”への“スタートアップ”
第36章 脱藩ベンチャー「後」の龍馬の動的(行動的、起業的)イノベーション―Dynamicイノベーション
36‐1.龍馬の“科学技術”における「動的イノベーション」・・・新蒸気船、
新航海技術、新しい大砲など
36‐1‐(1). 龍馬は脱藩後、江戸に向かって勝海舟に会い、新しい蒸気船の技術を知る。
36‐1‐(2).勝海舟の私塾「神戸海軍塾」の塾頭で参加。新しい航海術技術を学ぶ。
36‐1‐(3).勝海舟は、幕府から「神戸海軍操練所」の許可を受けた。そこで、新しい大砲の軍事技術を学ぶ。
36‐1‐(4). 海軍塾の資金不足で、福井藩主松平から松平春嶽に5000両の借金を申し込み、新しい防衛技術の海軍塾の存続
36‐1‐(5).京都池田屋事件で海軍塾の取り潰し、龍馬は・・・・・
36‐1‐(6).ホームレスの浪人の海軍塾の塾生を連れて、薩摩藩の支援で、何とか長崎にたどり着く。そこで、欧米の新しい“科学技術”に接触
36‐1‐(7).長崎には、当時の世界最先端をいく“科学技術イノベーションバレー”があった。
36‐2.龍馬の“起業・創業”の「動的イノベーション」
36‐2‐(1).薩摩藩の支援を得て、航海塾を用いた商業活動を長崎の小曾根家、下関の伊藤家、そして、京都酢屋に事務所をおいて商業活動を開始
36‐2‐(2).亀山社中の初仕事は武器を薩摩藩から長州藩への密売
36‐2‐(3).長崎屈指の貿易商である英国人トーマス・ブレーク・グラバーが設立したグラバー商会から武器密売時に、薩摩藩名義でイギリス製蒸気軍艦のユニオン号の購入に成功し、海運業を始める。
36‐2‐(4).薩摩藩の資金援助が鈍り、亀山社中の商業活動がピンチ、龍馬は金に困った。
36‐2‐(5).土佐藩後藤が、土佐藩への支援を要請、龍馬の海援隊がベンチャー起業としてスタート
36‐2‐(6).薩摩藩校の洋学校「開成所」で、「あらゆる事物を開発し、あらゆる事業を成就する」という「開物成務」を学ぶ。
36‐3.“思想政治”の「動的イノベーション」・・・幕府に変わる新政府
36‐3‐(1).脱藩した龍馬は、長州、下関、薩摩、そして、大坂、京都を経て江戸へ、そこで、新しい政治の流れ
36‐3‐(2).龍馬、久坂玄端、武市半平太、高杉晋作らと万年楼にて一献し、ニッポンの新しい政治を議論
36‐3‐(3).龍馬、福井藩主・松平春獄に謁見し、新しいニッポンの姿を聞く
36‐3‐(4).勝海舟の刺殺に行った龍馬は、海舟の世界情勢と開国論に・・・
36‐3‐(5).勝海舟に従い「順動丸」にて、神戸から伊豆下田を経て品川へ、ニッポンの開港と防衛
36‐3‐(6).龍馬、幕臣大久保一翁と会い、徳川幕府に変わる新しいニッポンの姿を教わる。
36‐3‐(7).福井藩で横井小楠に面談し、船中八策の基本を教わる。
36‐3‐(8).将軍家茂、幕府軍艦「翔鶴丸」にて上洛。勝海舟、蒸気船8隻の大艦隊を率いる。その後、龍馬、海舟と共に九州へ向かう
36‐3‐(9).1864年、池田屋事件で勝海舟、軍艦奉行罷免され、龍馬ホームレスとなる。
36‐3‐(10).ホームレスとなった龍馬が小松帯刀、西郷隆盛の援助で商船活動を開始
36‐3‐(11).長州藩との取り引きで、亀山社中大活躍
36‐3‐(12).龍馬!!念願の薩長同盟成立へ
36‐3‐(13).第二次長州征伐、長州藩と江戸幕府との戦い。龍馬、海戦図を添えて兄へ手紙を送る。
36‐3‐(14).船中八策で新しい国家体制のしくみづくりへ
36‐3‐(15).江戸幕府倒幕へ。長い歴史に幕を下ろす。龍馬の船中八策が大政奉還の原案となる。
36‐3‐(16).龍馬が暗殺され、龍馬のイノベーション、ここで途切れる。
第11編目次
龍馬「ニッポンの少年の“ベンチャー”と“イノベーション”」
第37章 龍馬「黒船が運んできた産業革命、そして、ニッポンのイノベーションが始まった。」
37‐1.19世紀の産業革命から20世紀の資本主義、そして、21世紀の金融産業革命、22世紀への新しい明日へのイノベーション
37‐1‐(1).17世紀のヨーロッパ、アメリカでの産業革命によるイノベーション
37‐1‐(2). 江戸幕府から明治維新へのイノベーション
37‐1‐(3).20世紀の日本産業のイノベーション
37‐2.「ものづくりベンチャー」と「基礎研究ベンチャー」が、19世紀から20世紀のニッポンのイノベーションを創出し、ニッポンの驚異的経済成長の原動力となった。
第38章 龍馬「近代ニッポンの少年ベンチャーとイノベーションの担い手達」
38‐1. 少年「ものづくり」による科学技術イノベーションをなしたニッポン「ものづくりベンチャー」
38‐1‐(1).新日鐵の近代高炉を生んだ大島高任のベンチャーとイノベーション
38−1−(2).島津源蔵のベンチャーとイノベーション
38−1−(3).渋沢栄一のベンチャーとイノベーション
38−1−(4).豊田佐吉のベンチャーとイノベーション
38−1−(5).松下幸之助のベンチャーとイノベーション
38−1−(6).立石一真のベンチャーとイノベーション
38−1−(7).村田昭のベンチャーとイノベーション
38−1−(8).堀場雅夫のベンチャーとイノベーション
38−1−(9).稲盛和夫のベンチャーとイノベーション
38‐2.「基礎研究で科学技術イノベーション」をなしたニッポンの「基礎研究ベンチャー達」
38‐3. スポーツと魚で科学技術イノベーションをなしたニッポンのベンチャーたち
38−3−(1).貴乃花のベンチャーとイノベーション
38−3−(2).イチローのベンチャーとイノベーション
38−3−(3).さかなクンのベンチャーとイノペーション
第39章 龍馬「イノベーションとは・・・。何か?」
39‐1.「アントレプレナーシップ」のシュンペーターのイノベーション
39‐2.高校野球の「女子マネのイノベーションの指導者」となったドラッカーのイノベーション
39‐3.後藤晃のイノベーション「日本のイノベーションをどう変えていくのか」
39‐4.銀行マン:中村明の「ベンチャーの創造なくして日本の再生はない」
39‐5.内橋克人のイノベーション「共生の大地」に向かって「もうひとつのニッポンは可能か」
39‐6.松島克守のイノベーション「動け!日本」から「動け!ふるさと村の少年へ」
39‐7.宮崎夏海の「高校野球のマネージャー」が「やがて、高校野球に一大旋風を――よって、イ
ノベーションが産業となる。」
39‐8.龍馬「少年よ!!ワシのベンチャーとは?そして、イノベーションとは?」「少年よ!!価値を高めよ・・・そして、成長せよ!!」
39‐8‐(1). 静的(潜在的)イノベーションとは
39‐8‐(2). 動的(行動的)イノベーションとは
39‐8‐(3). 龍馬の「ワシの失敗・苦労のベンチャー」
第12編目次
龍馬「失われた10年、そして、更に続くニッポンの
陳腐化と衰退、その原因は何か?」
第40章.失われた10年、その後も陳腐化、衰退を続けるニッポン。
その原因は?…。「ものづくりベンチャー」と「基礎研究
ベンチャー」によるイノベーションが、ニッポンの高度経済成長のおかげだと理解しない政治家、中央官僚、地方行政、そして、サラ―リーマン化した大企業社長達が原因
40‐1.戦後のイノベーションと高度経済成長を創った弥太郎、源蔵、佐吉、幸之助等のベンチャーは、もう、半世紀以上、昔の話
40‐2.半世紀以上も昔の話が、まだ、続くと思っている東京一極型グループの政治家、中央官僚、大企業の社長達
40‐3.ベンチャーをしないニッポン国とベンチャー精神をなくした政治家、大企業の社長、そして、経済学者は、少年を捨てて、海外に逃げる。
40‐4.中長期も将来見通しも立てない、立たないニッポン
第41章.ベンチャーによるイノベーションを、ますます高揚させる中国、韓国、シンガポールの新しい新興国。一方、理工離れし、世界の科学技術に挑戦しないイノベーションの無いニッポンの若者達
41‐1.ポスドク3万人のふるさと村科学技術イノベーションバレーで活動を!!
41‐1-(1).都会の国公立や有名私大の門を出たり入ったり“どうしたら働けるのか?わからないポスドク達”である。
41‐1-(2).ポスドクを安作り、安売りをした大学と中央官僚、そして、就職難民となって、学園の門を出たり入ったりする1万7千人のポスドクたち
41‐1-(3).100%の進学が知的社会でしなければ、イノベーションを起こすことができない。
41‐1-(4).アメリカの教授とニッポンの教授の能力差が、就職難民のポスドクをつくった。
41‐1-(5).ふるさと村科学技術イノベーションベンチャー少年を世界へ
第13編目次
龍馬「少年時代の“学び”と“自立”が、“少年ベンチャー”となり、次世代のイノベーションへと発展、成長」
第42章 龍馬「少年よ!!学ぶ(教育)とは何か?」「少年よ!!自立とは
何か?」「少年よ!!15歳になったら脱藩をしよう。そして、自立しよう」
42‐1.龍馬「少年よ!!学ぶ(教育)とは何か?」
42‐2.龍馬「少年よ!!自立とは何か?」「ワシの自立は・・・脱藩したときじゃった」
42‐3.龍馬「少年よ!!15歳になったら脱藩をしよう。そして、自立しよう」「そして、山に登れ!!海で泳げ!!田んぼで、どじょうを追いかけろ!!そして、新しい第0次的産業を創れ!!」
第43章 龍馬「少年の自立がニッポンを創る」「自立とは、ボランティ
アができる人間を意味する」「ボランティアでふるさと村創りを始めよう」
43‐1.龍馬「少年の自立がニッポンを創る」
43‐2.龍馬「少年よ、自立とは、ボランティアだ!!」
43‐3.龍馬「少年よ、ボランティアとは?NPO:NGOとは?」「そして、新しいニッポン創りに必要なボランティア、NPO、NGOの活動」
43‐3‐(1).女子マネ「龍馬さん、ボランティアって、NPOって?・・・。」
43‐3‐(2).龍馬「新しいニッポンへのイノベーションには、ボランティアとNPOが不可欠・・・」
43‐4.龍馬「少年よ!!近代のボランティアは“民生委員制度”(1917年)から始まった」
43‐4‐(1).龍馬「少年よ!!民生委員の源流“済世顧問制度”(1917年)が、岡山で生まれる」
43‐4‐(2).龍馬「少年よ!!もうひとつの民生委員の源流“方面委員制度”(1918年)が大阪に・・・」
43‐4‐(3).龍馬「少年よ!!生まれて100年を迎えたすばらしい“民生委員制度”」
43‐4‐(4).龍馬「少年よ!!ニッポンの危機を救う民生委員の人達と参加しよう!!」
43‐4‐(5).龍馬「少年よ!!ニッポンの危機を救うために、民生委員を23万から230万人に増員を、
そして、325万人の公務員を1/4の80万人に削減をしよう!!
43‐5.龍馬「少年よ、裁判員制度とは、自治自主のはじまりで、ボランティアだ」
43‐5‐(1).龍馬「少年よ!!一般の市民やふるさと村の人々が参加するボランティア裁判員制度の目的を学
ぼう」
43‐5‐(2).龍馬「少年よ!!一般市民・ふるさと村の人々が参加するボランティア裁判員制度の制度とは?」
43‐5‐(3).龍馬「少年よ!!ボランティ裁判員制度の一般市民・ふるさと村の参加の人の評価はどうか?」
ンティアの制度へと業種を拡大しよう!!」
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