練馬奇譚―土管の中―
柳谷法輪さん
練馬区の某所に空き地があった。その空き地は家々が建ち並ぶ住宅街の中にただ一つ寂しげな雰囲気を漂わせて残っていた。
何故この土地だけが未だに売れ残っているのかはその地域の住民さえ知る由も無いが、その空き地が何らかの怨霊に
憑かれているのだとかいう所謂"いわくつき"の物件であるという訳でも無かった。今までにその空き地に工事中と書かれた看板が
立て掛けられていたのを見たことはあるが、その工事もいつも知らぬ間に中止されていたのである。
そういう様な訳で、その空き地はいつしか子供たちの遊び場と化し、ある時には野球場、或る時には西部劇の舞台となり、
子供たちの遊びを盛り立てたのである。しかし物音一つ無い丑三つ時には子供たちも眠り込み、空き地は静寂且つ
不気味な闇の空間と化す。そのあまりの不気味さに泥酔したサラリーマンたちも、自分が酔っているのを忘れて、
そそくさとその前を通り過ぎるのである。そんな夜の空き地にまつわる一つの不思議な話がある。
先ずその話をする前にその空き地に土管がある、ということを話しておかなければならない。
空き地に土管、と言っても然程不思議な事ではないだろう、と思われるかもしれない。しかしその土管は日本各地にある他の空き地の
土管以上に地域住民に必要とされていたのである。その土管は空き地の奥の方に三つ置かれていた。下に二つ、その上に一つ。
丸で十五夜の時に並べる月見団子のような形になっていた。土管の表面には子供たちの遊びに因ってついたであろう傷跡が処処に見られ、
それに因って凸凹になってしまっているが、それには却って愛情を感じさせるようなものがあった。それもそのはずである。
その土管が、隠れん坊の時の隠れ場所に使われたり、"コンサート"と銘打った太った少年による歌謡ショーが開かれていたりしたのを
私は見た事があるのだが。お世辞にもその少年の歌は上手いものだとは思えなかったが――現に歌を聞いている子供たちからも苦痛が感じ取れた――、それも何時しか子供時代の名残となり得るであろう。
ちなみに、私はその少年が自作の曲のデモテープを製作してまで歌手になろうとしている男気溢れる心意気に影で
随分惚れ込んだものである。今となっては懐かしい事だが。
さて漸くその土管に関する話を始めるに至る事が出来た。まず話す前に一つ言っておかなければならないのは、
この話の主人公は私ではない。話の主人公はその当時に空き地のある周辺の地域を生活の場所としていた乞食であるのだが、
その乞食から語り継がれ私の所まで周ってきたということなのである。それでは、もうこれ以上の前置きは必要ないだろう。
ゆっくり目を閉じて、空き地を想像して、そして積み重ねられた土管を想像して……
*
漆黒の中に僅かに散りばめられた星々。今にもこのちっぽけな世界を覆いこんでしまいそうな暗闇の下乞食は歩いていた。
人通りは無く物音一つ無い。練馬区の某地域の住宅街にある空き地の前で乞食は立ち止まった。
そしてコソコソと辺りを見渡し空き地へ入る。何時もは裏山に寝床を作っている乞食だが、今日は熊が餌を探しに山を下りて来るか
のように、寝床を探しに山を下りて来たのである。
乞食は裏山の大木の下よりも遥かに良い寝床を見つけた。裏山の大木の下も今では大変心地良い寝床と化しているのだが、
やはり難点として夏時の害虫による被害や雨を完全に防げない点がある。木の枝葉の隙間から雨粒が漏れ降ってくるのだ。
豪雨の時などは不完全な傘として乞食を覆う枝葉も全く意味を為さず、豪雨は容赦なく乞食に向かって降りつける。
そのため雨宿りができ且つ寝床にもできるような場所を乞食は探して求めていたのだ。だがその心配も束の間であった。
一晩の捜索で実にいい寝床を見つけてしまった。
乞食は空き地の奥に積み重ねられている土管へと忍び寄った。万が一中に誰かがいるかもしれないので、
そっと忍び足で近寄り中を覗き込む。
土管の中から涼し気な風が吹いた――気がした――、その風は乞食に何か奇妙なものを感じさせた。中には誰もいない。
ただ乞食を飲み込んでしまうかのような暗黒世界があるだけであった。
土管の中は人が一人寝転ぶのに丁度良い広さであり勿論雨も防いでくれる。この土管の中に愛用の"愛媛みかん"という文字が
印刷されたダンボール――近所の八百屋の裏口近辺に積み重ねられていたものを失敬してきたものだ――を敷いて
寝たらどんなに心地よいことだろう。約束された結末なんてものは小説世界でも現実世界でも良くあることだが、
これも快眠もしくは安眠という結末が御約束されているのではないか。今日は例の愛用のダンボールは持っていないが、
明日の晩からはこの土管に移住することにしよう、と乞食は高揚する気持ちを押さえ切れぬまま思った。
乞食はゆっくりと土管の中に頭を入れた。次に右手、次に左手、そして這うようにして奥へ入っていく。
土管の長さは日本人平均にやや劣る身長である乞食には寝転んでもまだ余る程度であった。
土管の中に横たわると、夜の冷気で冷やされたコンクリートの冷たさが乞食のまとう古布を通して肌に伝わった。
夏の暑い夜には、この冷たさはとにかく心地良い。たまに吹く冷気を含んだ風が土管の中に吹き込むのも
乞食の新しい寝床の評価を確実に上げた。
最高に涼しい状況に自らを横たえながら乞食は睡魔という心地良い誘惑に襲われた。寝床探しという久々の大仕事を
やってのけた乞食にはそれに抵抗するほどの気力も残っていなかった。土管に仰向けに横たわりながら乞食はゆっくりと目を閉じた。
そして無の世界へ誘われ、そこへ待ち受けるのは仮想極楽浄土……。
乞食は土管に差し込む眩しい朝の陽光を感じ閉じていた目をゆっくりと開いた。小鳥のさえずりが聞こえてくる。
この朝方の鳥のさえずりが聞こえてくる間は、まだまだこの国も平和だな、と乞食は思った。そんな小鳥のさえずりに因って
気持ちのいい目覚めで朝を迎えることができた乞食は寝起きで覚束ない足を何とか土管の外に出し、
のそのそと体を動かし土管の外に出た。
今まで暗い円形のコンクリートの中にいた乞食は朝の光を存分に浴びたが、爽快さよりも眩しさが勝っていた。
乞食は思わず目を閉じ、そして眩しい日光に目を慣れさせるように徐々に目を開けていく。
今は何時だろう……、小鳥のさえずりが聞こえるあたり、まだ早朝と言える時間帯だとは思うのだが。
気持ちのいい目覚めであったせいか、何時もは何日風呂に入らずとも全く気にならない乞食だが何故か水浴びをしたい、
という妙なことを思った。とはいえ、この辺りには噴水付きなどという高級感漂う公園などはないし、ましてや小便小僧すら存在しない。
銭湯はあるのだが乞食であることの大前提ともいえる、金がないということを乞食は忘れていなかった。
金があったら別に今でなくとも銭湯に行っていただろう。金がないから今に限って水を浴びたいなどという妙な思いを抱くのだ。
世間でよく言われる"朝風呂"によく似たことをやってみようという思惑がものの見事に外れた乞食は仕方なく身に纏っている古布で
体をゴシゴシと擦ることだけをした。
案の定朝の目覚めの後に少し曇った気分は全く晴れない。そして結局、せっかく目覚めたにも関わらず乞食は背を曲げたまま
再び土管に入り込んで眠ってしまった。
今頃何処かの家では、しがないサラリーマンが通勤快速に乗り遅れる、などと叫びながら縒れたスーツを着込み、
少し色あせたネクタイを締めているのだろう。それに比べて、乞食という職業は時間に縛られていないし、規則にも縛られていないし、
礼儀にも常識にも何事にも縛られていないのだから気楽なものだ。今自分のやりたい事を、やりたいと思った時にやれる。金がない、
という欠点を除くと乞食ほど楽なことはないのだ。とはいえ、金がないという欠点からは食料問題だとか快適な生活だとか恋愛、
趣味といった幾つもの枝に分かれていっている。そしてその枝にはまた無数の諸問題という葉が付いているのだ。それを証拠として、
若い時から万人は勉学に励み良い大学に入り稼ぎの良い職に就く。そういうのは予め敷かれたレールの上を走っているだけなのだとしか
思えないのだが、電車というものは予め敷かれたレールがあることによって走行できるし乗客を乗せ利益をあげることができるのだ。
要は乞食はある地点で走行中にレールを踏み外した脱線電車なのだ。脱線電車は世間では落ちこぼれと言われ親に顔向けもできない。
羞恥心を終始自分の中に押し込めて生きていかなければならないのだ。乞食はそこまで複雑な思考はしていないにしても、
自分の愚かさ、惨めさを心の何処かで思い知っているだろう。ただそれを認めたくがないために乞食である今の自分を肯定して
自分自身で自分自身のための面目を保っている。結論として、乞食が金について考えて最終的に行きつくのは、
腹が減っては戦はできぬ金が無くては何もできぬ、という妙な新語なのである。
再度眠ってからどのくらいの時間が経ったのだろうか。乞食が再び目覚めた時土管の外からは子供たちの無邪気な声が聞こえてきた。
そして相変わらず外から差し込む眩しい陽光。早朝に起きた時よりも陽光は眩しい、とすると今は真昼間だろうか。
子供が外遊びをするのに絶好な時間だ。随分寝た気がしたが意外にもあまり寝ていなかった。乞食は閉じた瞼を薄汚れた古布で
擦り無理矢理こじ開けて外へのそのそと出た。しかしやはり土管の中から太陽の照りつける場所へ出るというのは、地底人が
マンホールか何かをこじ開けていきなり地上世界へ出てくるようなもので、漸く開いた瞼も反射的に閉じてしまう。
太陽というのは色々な点で地球に恵みをもたらしてくれるが、こういう時ばかりは本当に迷惑だ。異様に眩しい陽の光のせいで
乞食は何時まで経っても瞼を開けられる気がしなかった。
乞食の瞼がやっと正常な状態に戻り本来の働きを取り戻した時、乞食の目には空き地で野球をする子供たちの姿が目に入った。
野球といっても空き地でする程度のものだから草野球である。バットもスポーツ用品店で売っているような大層なものではなく、
ダンボールを丸めたものをガムテープでグルグルに巻きつけたものだった。ボールだって軟式だとか硬式だとか言われるものではなく、
新聞紙をクシャクシャに丸めて同じくガムテープを貼り巡らせたものである。ベースもダンボール。グローブだけはちゃんとしたものを
持っているようで皆スポーツ用品のメーカー名が入ったグローブを手にはめている。一人を除いては。その一人はグローブを
はめておらず素手で野球をしていた。新聞紙を丸めたボールだからグローブなど必要無いと言えば必要ないのだが、
一応皆格好を付けたいのである。そんな光景を見て、乞食は自分の子供時代を想い出す。乞食が子供であった時は、
どこの家も貧困に喘いでおり、とても子供の娯楽のためのものなど買ってやる余裕さえもなかった。だから乞食を含む子供たちは
新聞紙を丸めてボールを作ったり、ダンボールを丸めてバットを作ったりと、乞食の前で野球をしている子供たちのようなことをして、
何とか少しでもプロの野球選手に近づこうとしていたものだ。それも今となってはいい想い出だ。今では昔と比べると裕福な家が多くなり、
子供の欲しいものなど何でも買ってあげる家が多くなった。乞食は今迄に餓鬼の分際でメーカー物のバットを持ち、
得意そうに振り回している子供を何人も見たことがある。自分で稼いだ金で買ったわけでもないのに、偉そうな顔をしているのを見ると、
大人の乞食でも非常に腹正しく思う。心が狭いと言われればそれまでだが、やはり腹が立つものは腹が立つのだ。
しかしそれから思うと、乞食の前で野球をしている子供たちは現代っ子にしては、あまりにも質素もしくはお粗末ではないか。
今時こんな御手製の野球道具一式で草野球をする子供などいるのだろうか。その時、乞食の目に再びただ一人グローブをつけずに
素手で野球をしている子供が映った。
――ケンちゃんだ。
乞食は瞬間的に悟った。間違いなく彼はケンちゃんである。笑うとできるえくぼ、眉毛の上で綺麗にそろえられた前髪、
そして半袖、短パン。間違いない。ケンちゃんは家が貧乏で誕生日の時でさえもグローブを買って貰うことができなかったのである。
乞食は幼き頃を回想した。ケンちゃんと初めて知り合ったのはどこだっただろう。小学校だろうか、
それとも入学前から既に友達だったのだろうか。物心ついた時には既に二人は友達という間柄を築いていた。
ケンちゃん、リョウちゃんと呼び合う仲でありよく一緒に遊んだものだった。グローブを持っていないケンちゃんに乞食は
チームが違う時には、自分のチームが攻撃の時に守備に入るケンちゃんにグローブを貸してあげた。ピッチャー志望だった乞食は
投手用のグローブであったので。いつも外野――中でもセンターを守ることが多かった――を守っていたケンちゃんには
少し合わなかっただろうが、ケンちゃんは、ただいつも「ありがとう」とえくぼを作っていい、道路が通るあたりの守備位置に走って行った
のであった。本塁があるのが土管の前なのでケンちゃんの守る外野の守備位置は後楽園などと比べると、
遥かに本塁に近い位置であり後楽園の本塁と二塁ベースの間程度しかなかったが――あるいはそれ以下だったかもしれない――
それがまた草野球の醍醐味なんだよな、と乞食は大人ぶって呟いたものだった。そんな乞食の呟きを聞いて、「何だよそれ」と
ただ笑っていたのはケンちゃんである。
そんなケンちゃんも今はもういない。いつもの通り草野球をしていた時のことであった。
何時だったのかは、それがあまりにショックな出来事であったので乞食がそれを意識的に記憶の彼方へ飛ばしてしまおうとしたせいか、
もう乞食の記憶には残っていない。
七回裏――乞食たちの草野球のルールでは一ゲーム七回までがルールである――二死満塁。乞食のチームが攻撃中である。
ケンちゃんのチームが守備についている。七回表まで終わって三対一。ケンちゃんチームが二点リードしていた。
しかし、最終回に乞食のチームは先頭打者から二者連続で三振を喫するも、その後から安打一本、二死四球と相手投手が突如乱れた。
ここで乞食に打順が回ってきたのである。最終回二死満塁、一打同点、場合によっては一打サヨナラのチャンス。
まるでドラマのような展開である。ここで打たないわけにはいかない、ヒーローは俺がつかみとってやる、と意気込んで打席に立ったのだ。
一球目はボール、
二球目もボール、
三球目もボール。
ノースリー。このまま押し出し四球になると思われた。しかし、これでは三対二になるだけで同点にすらならない。
そんな面白くない展開は乞食の選択しには無かった。あくまで打つ。これしか乞食の頭にはなかったのである。
たとえ次の球がクソみたいなボール球でも絶対振ってやる。押し出し四球の後凡退で負けるよりも、二点差ではあるが
打って負ける方が潔いし男らしい。どうせ草野球なんだし、そこまで勝ちにこだわる必要はないのだ。
乞食は一旦打席を外し、ダンボールを丸めたバットを頭の上でブンブンと振るといった外国人の助っ人のようなことをした。
そしてゆっくりと打席に入りバットを持ち、構える。
ノースリーからの四球目。
ボールはど真ん中にきた。
絶好球。
乞食は一心に振りぬいた。
手応えはあった……。打球は外野方向へ飛んで行った。センターを守るケンちゃんの守備位置を越えてボールは道路に落ちる。
乞食はガッツポーズをしてみせ走り出した。既に三塁ランナーが生還し、二塁ランナーももうすぐ生還するだろう。問題は一塁ランナーだ。
何とか間に合って欲しいが……。
ケンちゃんは外野に落ちたボールを全速力で取りに行った。その時、「危ない」と誰かが叫んだのが聞こえた。
乞食は一塁を回り二塁へ向かった。その時「危ない」と誰かが叫んだ。空き地全体の時間が止まった気がした。
鈍い音がする。
乞食が二塁ベース上で見た時には、血を大量に流したケンちゃんが倒れているのみであった。
既にケンちゃんの周りには皆が集まっている。誰かが読んだのであろう近隣の人々も集まり「救急車、救急車を呼んで」と
金切り声で叫ぶ人の声も聞こえた。
何が起こったのであろうか。
乞食は現状が理解できず、ただただ倒れたケンちゃんに群がる人々から少し離れた場所で呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そして、ケンちゃんは出血多量でそのままその場所で息を引き取った……。
乞食にとって、あまりに早く過ぎてしまったその時の時間は今となっては思い起こすことさえ苦痛であった。
後日乞食はケンちゃんが轢死したのだと親の口から知らされた。乞食の打球を一心不乱で取りに行ったあまり、
周りに目がいかずに全速力で走ってくる車にも気づかなかったらしい。そして車に轢かれたのだと。車はケンちゃんを轢いた後
少し減速したらしいが、すぐに速度を上げて去って行ったらしい。一時は降りて謝ろうと思ったのだろうか、しかし予想以上に事態が
深刻になりそうなことが何となく判断できたせいか、そのまま去って行ったのだろう。どんな理由があれ、これは所謂轢き逃げである。
それからというもの、暫くの間乞食はケンちゃんを失った悲しみに暮れたが、それ以上に乞食に圧し掛かってきたのは
「自分のせいでケンちゃんを殺してしまった」という罪意識だった。自分があの時打った打球のせいでケンちゃんは轢かれたのだ。
もしあの時一塁ゴロなりでアウトになっていたら、そのままゲームセットとなりケンちゃんが死ぬことはなかったのだ。
これは言わば、間接的にケンちゃんを殺してしまったということではなかろうか……。乞食にはそういった罪意識に長い間苛まれた。
そして今もまだその罪意識は消えないでいる。あれから数十年も経ったが決して消えることの無い記憶なのであった。
償おうとも償うことの出来ない罪。まだ実際に直接的に殺人を犯した犯罪者ならば、その被害者の遺族に犯行後に誠意を込めた
償いをしていくことができる。遺族にどれだけ恨まれていようとも償うことができるのだ。しかし乞食の場合は遺族である
ケンちゃんの両親に償おうとしても償うことができない。
「ごめんなさい、僕のせいでケンちゃんは死んだんです。許してください」
と言って、謝りに言った時があったがケンちゃんの両親は
「リョウちゃんのせいじゃないわよ。むしろケンはリョウちゃんに仲良くしてもらって何時も何時も喜んでいたくらいよ。
本当にリョウちゃんには御礼のしようがないわ。リョウちゃんと出逢えることができてケンも幸せだったわ、ありがとうね。
もう二度と自分のせいでケンが死んだなんて思わないで。私たちが恨んでいるのはリョウちゃんなんかじゃない。
ケンを轢き殺してそのまま逃走したあの運転手なのよ」
と言うばかりであったのだ。乞食の両親でさえも、
「そんな馬鹿なことは考えちゃいけません。そんなことを考える必要があるのならケンちゃんが幸せに眠れるように祈ってあげなさい」
と乞食のあまりにも馬鹿げた考えに対して叱責交じりにそう言ったのであった。 でもやっぱり未だにあの時の罪意識は拭われていない。
乞食は頭を抱え込んでいた。何者かに現実世界に戻された気がした。
周りでは相変わらずケンちゃんを含む子供たちの声がする……。
ようやく乞食は気づいた。
自分は所謂タイムスリップをしたのだろうか。そうでなければ、ケンちゃんがこの空き地にいるはずがないのだ。
第一、今時御手製のバットやベースなんて有り得ない。過去にタイムスリップしたとしか思えない。
こんな非現実的なことが起きるのだろうか、この世界では。時空の歪ができてタイムスリップするものや、
タイムマシンなる機械でタイムスリップするといったSFなら知っているが、土管の中で眠っただけでタイムスリップできるという話は
聞いたことがない。しかしそのような非現実的、非科学的な現象も信じざるをえないのが今の状況である。
とりあえず乞食は自分の目でもっと色々なことを確かめて見たかったので、ゆっくりと辺りを見渡した。
そして地面の雑草の上におろしていた腰を上げ、土管の上に座る。分かったことは、あの少年が間違いなくケンちゃんだということと、
自分は間違いなくタイムスリップしたのだということと、今自分のいる時間があの事故の起こる数分前だということ。
あの日のケンちゃんの服装を覚えていたことから判断できたのである。そんな細部に渡る記憶が脳に残っているのは
長い間苛まれた罪意識の断片的な記憶なのであろう。
「スリーアウト、交代」
ピッチャーマウンドに立っていた幼き頃の乞食が三振を取り、審判をやっていた子供が攻守交替を告げる。
どうやら子供たちに乞食の姿は見えていないらしい。それもそのはずである。幼き頃の乞食がいるというのに、
そこに大人になった乞食の姿までもが見えてしまっては、先程のタイムスリップ以上に非現実的である。同じ人物が同じ時間に
二人存在することになるのだ。クローンでもあるまいし、そんなことは有り得ない。そんなことを言い出せばタイムスリップも
有り得ないことになるのだが。
乞食が幼き頃の自分自身を眺め懐かしんでいる間に、相手投手は簡単にツーアウトをとった。しかしその後投手は突如乱れ、
安打一本と二死四球を出してしまう。そこでネクストバッターサークル――なるものを乞食たちが勝手に作っていただけで
あったのだが――で素振りをしていた幼き乞食が打席に入る。
「……ということは、今は七回裏なのか」
乞食が呟いた。二死満塁の状況で打席に立つ乞食、全体に流れる妙な緊迫感……。
どう考えても、最終回の七回裏二死満塁三対一というあの日の状況だとしか思えない。乞食は焦り始めた。
もう一度、あの光景を見ることになる……。
このタイムスリップは神からの何かの暗示なのであろうか、わざわざ自分の人生に於ける一番惨いシーンを再度見せるなんて
残酷極まりない。何が神だ、と思う。乞食という身分は神からも見捨てられるのか。
その時快音がした――とは言ってもダンボール製のバットに新聞紙を丸めたボールが当たるだけなのでたかが知れている――。
乞食があの日のようにセンターへのヒットを打ったのである。三塁ランナーが乞食の座る土管の前に走ってきた。三対二……。
「もうすぐ車が走ってくる……」
乞食は走り出した。
神はこのために自分を過去へ遣わしたのであろうか。そうだとすれば前言を撤回すべきなのか、神も捨てたもんじゃない、
と思っていいのだろうか。これが最良の判断なのだろうか。
車の走ってくる音が徐々に聞こえてきた。改めて第三者の立場で見てみるあの日の光景は全く違ったものであった。
ケンちゃんは空き地を越えて道路に落ちた打球を取るのにいかに必死だったかが、あの日以上に乞食に伝わってきた。
こんなに白熱できるなんて、あの日の草野球もただの遊び程度で収まるものではなかったんだな。
そしてケンちゃんは打球を取り本塁へ投げようとしたその時……。
鈍い音がした。
「痛い……」
道路の脇の塀にぶつかったケンちゃんがいた。肩を塀にぶつけたのか、痛そうに肩を手でさすっている。
「危ねえな、あの車」
「大丈夫かよ」
「一旦、ゲーム中断」
幾重にも声が重なって聞こえてくる。ケンちゃんのもとへ皆が集まる。あの日のような轢死ではなく塀に肩をぶつけただけだが
同じように皆集まってくるんだな……。こうやって少し変わった過去も軌道修正されていくのだろうか。
ケンちゃんに群がる皆の集団の外で血を流して倒れる乞食がいた。
乞食はケンちゃんが車に轢かれる寸前、咄嗟にケンちゃんを突き飛ばし自分が車に轢かれたのであった。
そしてケンちゃんは塀にぶつかり肩に軽い擦傷を負うも助かったのである。乞食のこれが最良の判断かと自分を問い詰めた
結果の行動であった。
タイムスリップしてきた自分の姿は見えなくとも、実体はあったらしく乞食を車がすり抜けることはなく当たり前のように乞食にぶつかり、
そのままあの日のように減速することさえなく走り去って行った。乞食にとって、車が自分をすり抜けようがそうでなかろうが、
どうでもよかった。どうせ現代に戻っても生きながら死んでいるような生活を送るだけなのだから、
この先生きようが死のうがどうでもよかったのだ。
それよりも助かったケンちゃんが将来幸せな人生を送ればいい。神もそれを望んだのであろうか。
そうであれば、卑しい者を犠牲にするという残酷な事になるのだろうが、そんなことはもうどうでもよかった。
神がそんな浅はかな考えだけで自分を過去に遣わしたのではないことぐらいは分かっている。しかし自分にできることはこれで
精一杯であったのだ。これ以上のことは何も思い浮かばなかった。
自分の命を犠牲にすることが自分にできる最良のことであり、精一杯の償いであったのだ。
血がどくどくと流れ出してくる。次第に呼吸をすることさえ困難になってくる。
「ああ……、皆には自分の姿は見えないんだった」
乞食が瀕死状態で倒れているのにも全く気づかず、道路脇でケンちゃんを皆が取り巻き、通行人が通り、鳥が飛び、
陽が照り付け、地球が回る。
でも何故か乞食は孤独感も感じなかったし、空しさも感じなかった。感じたとすれば唯一の達成感であろうか。
ケンちゃんを取り巻く輪の中に幼き乞食の姿があった。楽しそうに談笑している。
幼き自分が、今死のうとしている自分に気づく様子はなかった。同じ自分であっても、結局他人なのだということであろう。
そして乞食は呼吸が苦しくなる中、そっと目を閉じた。
それと同時に幼き乞食の姿も消えていく……。
誰もそれに気づく様子も無く。
*
練馬区の某地域にある住宅街にある空き地には三角型に積み重ねられた三つの土管がある。
間もなく日にちが変わろうとしている、そんな時間帯。夕方まで雨が降っていたせいか月は雲の間に隠れ街を明るくするのは、
ぼんやりと道を照らす街灯のみであった。
そこへ会社帰りであろう二人の男が通る。着ているスーツから二人ともいい会社に勤めているであろうことがどことなく分かる。
真夜中の空き地の前をカツカツと靴の音をさせ通って行く。
「ああ……、全く接待ほど疲れることはねえな」
「全くだよ。酒を注いで回って気を遣ってばかりいて……、残業のほうがどれほどましなことか」
「そうだよな……。あれ、まだあの土管あったんだ」
「何だ、そんなに珍しいものなのか」
「色々な思い出があってさ。まあそんなことはどうでもいいことなんだけど。それよりどうだ、この精神的な疲れを癒すことも兼ねて、
今から一軒行かないかい」
「おお、いいね。相変わらずの飲みっぷりを見せてくれるのを楽しみにしてるよ、ケン」